松尾 嘉代(まつお かよ、1943年〈昭和18年〉3月17日[1] - )は、日本の女優。東京市(現東京都)目黒区下目黒出身[2]。
1970年代末から1990年代前半において、サスペンス(2時間)ドラマに多数出演し、「サスペンスの女王」と呼ばれて人気を得た(得意とした演技は濃厚な官能シーンや悪女役などだった)。初期は色気あるシーンを回避せず、主演も務めたため、「元祖2時間ドラマの女王」とも呼ばれていた。
大映が制作した、いわゆる「大映ドラマ」へも常連出演していた。
1991年から1992年にかけて、50歳を目前にして3冊のヘアヌード写真集を出している[3]。
明確な引退宣言はしていないが、1998年以降は女優としての活動は途絶えており、メディアへの露出もほとんど行っていない状態である。
1959年、駒沢学園女子高校在学中に公募に合格し、日活に入社[4]。16歳のときに今村昌平監督の映画『にあんちゃん』(1959年)で女優デビュー。貧しい家族の家計を支えるため、唐津へと奉公に出る健気な少女を好演して人気となった。
1961年、駒沢学園女子高校卒業。1960年代は主に清純派の女優として売り出した。吉永小百合主演の『青い山脈』(1963年)の駒子役、同様に吉永主演による『潮騒』(1964年)の千代子役などで注目された。また、1964年には鈴木清順監督の『肉体の門』[5](1964年)に出演し、ただの美人女優にとどまらない性格俳優としての片鱗を見せている。
1964年、日活を退社し、TBSに入社。「日曜劇場」、『ただいま11人』などのホームドラマに多数出演し、1969年にTBSを退社する[4]。
この時期から単なる美人女優の枠を脱却し、卓越した演技力を活かした性格俳優としての地位を固めていく。東映の任侠路線、大映の『眠狂四郎悪女狩り』(1969年)や『積木の箱』(1968年)、松竹の『必殺仕掛人・梅安蟻地獄』(1973年)、東宝の「社長シリーズ」や『幽霊屋敷の恐怖/血を吸う人形』(1970年)などのほか、独立映画などに数多く出演。
1972年に出演したテレビドラマ『パパと呼ばないで』(1972年、NTV)は、彼女のキャリアの過渡期における代表作として注目される。気の強い美容師・園子をコミカルに演じながら、女らしい艶やかな表情を表現した松尾嘉代の演技は、このドラマの一つの要素である。
1974年、丹波プロに入った直後に結核にかかり、3年間の闘病生活を送る。1977年にカムバックした後は、強烈な役柄の悪女等を演じて演技派女優としての評価を高める[4]。
日本映画が衰退に傾いていく1970年代以降は、活躍の中心をテレビドラマに移していく。この時期にも映画女優としての資質を見せており、1979年の『日本の黒幕(フィクサー)』(1979年)と『闇の狩人』(1979年)ならびに、谷崎潤一郎原作の『鍵』(1983年)は劇場用映画における松尾嘉代の代表作であり、大胆なヌードも披露した濃厚で官能的な演技を見せた。一方で、この映画の無修正版がグアムで公開された際にその内容が問題となり、後の事実上の芸能界引退に繋がったのではないかという声もある。『地震列島』(1980年)の助演は松尾が得意とする“嫌な女”であるが、クライマックスで激情的な改心の演技を見せ、生き残った人々を描く宗教画のような構図に続けて、涙を流す松尾のアップがラストをストップモーションで飾った。『二百三高地』(1980年)での昭憲皇后役もワンシーン出演ながら、前年『闇の狩人』で凄絶な殺し合いを繰り広げた仲代達矢相手に高貴さと優しさを示している。
1970年代末以降の、おもに2時間ドラマにおいて活躍。1980年代から1990年代前半において「サスペンスの女王」と呼ばれ、聖女・悪女・娼婦・悲運の女・コメディエンヌと、ありとあらゆる役柄を自在に演じた。また、濃厚な官能的シーンを演じたことで人気を得た。中にはドラマの脚本・演出は凡庸であっても、松尾の演技でドラマが底上げされたドラマも見られた。
中でもテレビ朝日の名物番組「土曜ワイド劇場」における「女たちの華麗な闘い」シリーズでの熱演は視聴者に強い印象を残した。このシリーズでは、松尾嘉代演じるヒロインが自分の欲望をみたすために、陰謀をめぐらして他人を欺き、時には肉体を利用してのし上がり、ライバルを蹴落とした時には高らかな哄笑を上げて相手を嘲笑う悪女を演じるピカレスク・ロマン(悪漢譚)がたびたび展開された。
松尾嘉代の「女たちの華麗な闘い」シリーズは、一般的に1983年の『エアロビクス殺人事件 女の変身美容教室 “シェイプアップ!』(1983年)から始まったものとして考えられている。『野獣死すべし』(1959年)などのクールなピカレスク・ロマン映画の脚本家として知られる須川栄三のオリジナル・シナリオに基づく犯罪サスペンスであり、松尾嘉代演じるヒロインがスポーツクラブの経営権をめぐる争いの中でみずから謀略や殺人に手を染め、最期は破滅していく物語である。『エアロビクス殺人事件』は松尾嘉代を初めとした出演陣の濃厚な演技と猟奇的な演出によって、現在でも土曜ワイド劇場の名作ドラマとして知られている。このドラマのストーリー・ラインをもとにして、同様に松尾嘉代が野心的な悪女を演じるシリーズが土曜ワイド劇場において次々に制作された。
正式な「女たちの華麗な闘い」シリーズからは外れるが、このシリーズの一本として数えられることも多い土曜ワイド劇場の傑作ドラマとして、『女相続人の華やかな斗い! 看護婦が仕組んだ注射殺人 “婚姻届は知っている…”』(1985年)が挙げられる。「悪女描きのアルレー」と異名を取ったフランスの女流スリラー作家カトリーヌ・アルレーの小説「二千万ドルと鰯一匹」のドラマ化作品であり、松尾嘉代が演じる看護婦は夏木マリ演じる資産家の夫人から、財産横領のために患者を病死に偽装して毒殺する計画を持ちかけられる。
その他、土曜ワイド劇場における名作として名高い濱尾四郎原作の『昭和7年の血縁殺人鬼・呪われた流氷』(1981年)における、妖艶な貴婦人の仮面の下におそるべき狂気を秘めた若宮夫人の怪演は語り継がれている。
悪女役に定評のあった女優だがそればかりではなく、コメディにおいても適性を示した点において真の名女優であった。土曜ワイド劇場で放送された佐野洋原作の「密会の宿」シリーズでは、コミカルな持ち味の女探偵役を演じてコメディエンヌぶりを魅力たっぷりに披露し、視聴者の好評に応えて8本のシリーズが製作された。
1991年から92年にかけて、50歳を目前にして3冊のヘアヌード写真集を出している[3]。
1990年代になってからも「サスペンスの女王」としての人気は揺るがず、「密会の宿」「女たちの華麗な闘い」といった80年代から続いていたシリーズや『遠眼鏡の中の女 日本海疑惑の旅、エアロビクスにしかけられた罠』(1990年)、『美人キャスター殺人事件 - 裏切り・密告・白い肌の盗み撮り!! 四国・淡路島、謎の熟女ひとり旅』(1993年)といった傑作サスペンス・ドラマで活躍して衰えない人気を誇ったが、80年代に比べると作品の本数が減少してゆく。
明確な女優引退の宣言はしていないが、1998年以降は女優としての活動が途絶えており、メディアへの露出もほとんど行っていない。
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