戸浦 六宏(とうら ろっこう、1930年〈昭和5年〉4月30日 - 1993年〈平成5年〉3月25日)は、日本の俳優。大阪府大阪市出身。本名は東良 睦宏(とうら むつひろ)。
代表作に『藪の中の黒猫』、『竹山ひとり旅』、『沈黙 SILENCE』、『とべない沈黙』など。
ライター・編集者・AV監督の東良美季は息子[1][2]。
京都大学文学部英文学科在学中から演劇志望であり、大学内の劇団「風波」で活動していた。映画監督の野田幸男も、在学中に同劇団に参加している。また、同窓生の大島渚らと学生運動にも参加していた。
大学卒業後は大阪高等学校で英語教師とラグビーフットボール部顧問をしながらセミプロの劇団活動を行っていた[3]。
1960年、大島演出の『太陽の墓場』で、大島から「関西弁がうまい役者」を探すよう依頼され、紹介しているうちに自身も出演することになり映画デビューする。その際には『現役の高校教師がそのまま映画に出るのは良くない』ということで、本名の読み「とうらむつひろ」に別の漢字をあてた芸名『戸浦六宏』を名乗ることになる[3]。『太陽の墓場』では冷酷なやくざの親分役で、個性的な悪役としての評価を得た。同年の『日本の夜と霧』にも出演し、大島からの誘いもあり大阪高等学校を退職して本格的に俳優へ転向する[3]。
1961年に大島が設立した創造社に参加し、『飼育』から『白昼の通り魔』『儀式』に至る大島作品に出演、『戦場のメリークリスマス』にもかつての大島組から唯一出演している。一般的には1961年のTBSドラマ『新選組始末記』の土方歳三役で広く知られるようになる。
1974年から渡辺プロダクション系列の、ぷろだくしょん「道」に在籍する(1989年に渡辺企画へ移籍)[4]。
鋭い目と深い隈の特徴的な顔立ち、知性的でありながら残忍さがあふれる個性的な名悪役で知られているが、その演技力は幅広く、テレビドラマ『野性の証明』(1979年、毎日放送 / 東映)では柔和な笑顔を見せる温厚な編集局長を演じ、多くの映画やテレビドラマに出演した。
また1963年から1年間、NHK総合テレビの情報音楽番組『週刊テレビジョッキー』の司会を担当したこともある[5]。
人間ドックに入っていた1993年3月25日午後7時、多発性動脈瘤のため東京都文京区の東京大学医学部附属病院で死去。62歳没[6]。
一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構では、連絡先を求めている[7]。
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