奈良県立畝傍高等学校(ならけんりつ うねび こうとうがっこう、英: Nara Prefectural Unebi Senior High School)は、奈良県橿原市八木町にある公立の高等学校。明治期1896年、奈良県尋常中学校(旧制中学校)の分校として創立した。通称「畝高(うねこう)」。
概要
1896年(明治29年)奈良県尋常中学校(修業年限5年間の旧制中学校。現奈良県立郡山高等学校)畝傍分校として開校[2][3]。1899年(明治32年)に独立して奈良県畝傍中学校となる[2][3]。太平洋戦争後の1948年(昭和23年)の学制改革により、新制の高校の奈良県立畝傍高等学校となった(同年4月時点では男子校、9月より男女共学)[2][3]。
教育課程は全日制課程と定時制課程があり、ともに普通科を設置している。
全日制の授業は45分間×7時限の時間割[2][4]。年3学期制[2][4]。1年次は全員共通の課程、2年次で文系と理系に分かれ、3年次では理系が理Iコース(理系学部への進学コース)・理IIコース(医療・看護学部への進学コース)に分かれる[2][5]。
なお、旧制中学校時代の授業では、太平洋戦争(第二次世界大戦)中に敵国語とみなされていた英語が戦争末期の1945年(昭和20年)の時点でも週12時間、教えられていた。これは他校と異なり、勝利のためには敵の言語を知ることが不可欠と考えていたためである[6]。旧制中学校時代の教員の質が非常に高かったこともあり、多くの教員が戦後の学制改革時に大学教員として引き抜かれた[7]。
現在の高校の入学者選抜(入学試験)は一般選抜のみで、全日制の募集人員は2024年(令和6年)時点で1学年360人である[8]
。2018年(平成30年)までは1学年10学級約400人であった[9]。
定時制は夜間で修業年限4年制。2015年(平成27年)度の生徒数は4学年合計で57人であった[9]。
2014年(平成26年)に、文部科学省のスーパーグローバルハイスクール(SGH)に指定された。授業では独自の科目を新設。「グローバル国語」では、元朝日放送でフリーアナウンサーの乾龍介からインタビューや情報収集の手法について学ぶなど、各界で活躍する人を講師に招いている[10]。
歴代卒業生の累計は2021年(令和3年)時点で40266人に及ぶ[11]。
沿革
旧制中学校
高等学校
(年表の主な出典は公式サイトの沿革のページ[3])
基礎データ
交通アクセス
象徴
- 校訓
校訓は、「至誠・至善・堅忍・力行」[24](読み:しせい・しぜん[注釈 5]・けんにん・りょっこう[注釈 6])。旧制中学校時代の1906年(明治39年)に制定された。
- 校章
校章は、左右に羽を広げる金鵄と樫の葉をモチーフに図案化したもので[24]、中央に「高」の文字を置いている。なお、耳成高校との統合後の2005年(平成17年)12月16日、金鵄と、旧・耳成高校の樫の校章と組み合わされたデザインとなった(現校章)。
- 校歌
校歌は1954年(昭和29年)11月3日に制定。北見志保子[25]による作詞、平井康三郎による作曲[24]。4番まであり、各番に校名の「畝傍高校」が登場する
- 制服
全日制課程の制服は、黒色学生服(学ラン、男子の冬服)、濃紺色ブレザーに赤色のリボン着用(女子の冬服)。定時制課程に制服はない。
旧・奈良県立耳成高等学校
1983年(昭和58年)4月1日、橿原市常盤町に「奈良県立耳成(みみなし)高等学校」が開校。全日制課程普通科を設置。校訓は「敬愛、力行、創造」で、校章は樫の6枚葉を背景に「高」の文字。校歌は、栢木喜一による作詞、中嶋英俊による作曲。歌詞は3番まであり、各番に校名の「耳成高校」が登場する。
2004年(平成16年)4月1日、畝傍高校への統合のため生徒募集を停止した。ただし経過措置として在校生が卒業するまで学校は存続[26]。2006年(平成18年)4月1日に閉校した。校舎は改装され奈良県の橿原総合庁舎として利用されている。
学校行事
- 全日制課程
(出典:[2][1])
- 4月 - 入学式、対面式、新入生オリエンテーション、個人面談
- 5月 - 体育大会、校外学習
- 6月 - 人権芸術鑑賞会
- 7月 - 家庭学習、夏期休業開始
- 8月 - 大学見学会、夏期講習
- 9月 - 畝高祭(文化祭)、球技大会
- 10月 - 研修旅行(修学旅行)
- 11月 - 人権講演会
- 12月 - 家庭学習
- 1月 - 小倉百人一首かるた大会
- 2月 - デートDV防止講演会
- 3月 - 卒業式、人権教育学習会
- 定時制課程
- 4月 - 入学式、対面式、新入生オリエンテーション、個人面談
- 5月 - スポーツテスト、中間考査
- 6月 - 人権講演会、自転車運転講習会
- 7月 - 期末考査、体力テスト、三者面談、学力補充講座
- 8月 - 進学就職補習
- 9月 - ボウリング大会
- 10月 - 中間考査、体育祭
- 11月 - 文化祭
- 12月 - 球技大会、期末考査、三者面談、実力養成講座
- 1月 - 人権学習会、生徒会役員改選、4年学年末考査
- 2月 - 1~3年学年末考査
- 3月 - 卒業式
部活動
- 全日制課程
(出典:[27])
- 文化部
- 体育部
- 定時制課程
- 文化部
- 体育部
学校施設
校地
- 旧校地 - 1933年(昭和8年)以前の所在地は、元スーパー・ヤマトー八木店(旧ニチイ八木店(閉店))およびその東向かいに相当。
- 現校地 - 藤原京旧跡上に立地し(藤原京の規模については諸説があるが、近年の考古学的発掘により、その規模の大きさが証明されつつある)、三条大路(「横大路」)西二坊大路(「下ツ道」)東入ルにほぼ相当する。なお、この両大路の交差点は「札の辻」と呼ばれるが、近畿風景街道協議会(国土交通省内)により「日本文化のクロスロード」として「日本風景街道」の近畿第1号に選出されている。
- 旧・耳成高校の校地跡 - 2009年(平成21年)まで全国高等学校総合体育大会の開催準備及び大会運営本部関連施設として活用された。2013年、奈良県農業協同組合による農産物直売所を中核とした複合施設「JAならけんファーマーズマーケット まほろばキッチン」となった。中南和地域の奈良県庁出先機関の再配置計画により、元校舎は改修されて奈良県橿原総合庁舎となり、2015年1月より業務を開始した[30]。また屋上には庭園が設置され、同年3月より一般開放された[31][32]。
校舎
戦時中に海軍経理学校へ貸与、国の文化財
現校舎(本館―北館と南館から成る)は旧制中学校時代の1933年(昭和8年)に完成。日本の建国神話の土地柄にふさわしい建築にするため、奈良県は当時として破格の予算を計上した。寺師通尚と岩﨑平太郎(当時・奈良県土木課営繕係建築技手、のちに奈良県下初の民間建築設計事務所を開設)の設計で、帝冠様式を思わせる仏教様式が引用的に採用されている[33]。
第二次世界大戦末期の数ヶ月間、校舎が海軍経理学校に貸与され、橿原分校が設けられた。その間、授業は晩成小学校校舎を借りて続けられた。当時校舎の塔屋には十六弁の菊花紋章が掛けられ、屋上には電波探知機、高射機関砲、防空監視施設が設置されていた。校庭外周フェンス等に、戦時中の金属供出による爪跡が残る。校舎正面の校章の左上に米空軍の機関銃があたり、セメントで埋められた跡(と伝えられる)が数か所ある[6]。
日本建築学会より美的建築物として「日本近代建築二千」に選出されており、2012年(平成24年)4月20日に校舎本館の北館・南館・渡廊下と倉庫(旧動力室)が国の登録有形文化財に登録された[14][15]。奈良県が実施した県立高校校舎の耐震診断で、本館が耐震補強の必要ない「A1」と判定されている。耐震改修も適宜施されている[34]。校舎・教室・設備は全日制と定時制で共用している。
- 校長室 - かつて「御真影」と「教育勅語」謄本を保管していた金庫(「奉安庫」)が現存する。また貴賓室(現在は小会議室)も設けられた。
- 史料館 - 古代日本・朝鮮に関する考古学資料を保管。後に東京帝室博物館(現東京国立博物館)の監査官に就任した高橋健自教頭ら、旧制中学時代の教員・学校関係者が収集したものが主で、2007年2~3月、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館で、新羅の瓦塼を中心とする特別陳列が実施された。
- 文化創造館 - 1996年完成。地上3階建て。空調設備完備。可動式座席(462席)を備え、学校行事に限らず広く一般に開放される。
- 校舎の年表
舞台となった作品
高校関係者と組織
関連団体
- 奈良県立畝傍高等学校同窓会「金鵄会」 - 同窓会。校章にちなんだ名称で、読み方は「きんしかい」。1976年(昭和51年)11月3日、創立80周年を記念して金鵄会館(同窓会館)が完成。
- 奈良県立耳成高等学校同窓会(Miminashi21) - 旧・耳成高等学校の同窓会。金鵄会と統合されていない[35]。
高校関係者一覧
- 政治・行政
- 法曹・社会活動
- 経済
- 学術・教育
- 芸能・芸術
- スポーツ
- 教職員
脚注
注釈
- ^ 中等学校令施行以前の入学生(1941年(昭和16年)入学生と1942年入学生)にも修業年限4年(従来の5年制から1年短縮)が適用された。
- ^ 耳成の読み方は「みみなし」。
- ^ カテゴリー1は、高等学校等が学校現場で実施する「心のエンジンを駆動させるプログラム」を範ちゅうとするもの。畝傍高等学校についての対象教育プログラムは、「生徒の探究心を高めるプログラム――『本物』との出会いの創出とSTEAM教育を通して」[20]。
- ^ 同時に進学教育重点校の指定を受けた他の3校は奈良・郡山・高田の各校[23]。
- ^ 「しいぜん」とも。
- ^ 「りきこう」、「りっこう」とも。
出典
参考文献
- 奈良県立畝傍高等学校創立120周年記念事業実行委員 編『奈良県立畝傍高等学校創立120周年記念誌』2017年5月。
関連項目
外部リンク