座標 : 北緯38度52分59秒 西経77度0分59秒 / 北緯38.88306度 西経77.01639度 / 38.88306; -77.01639
アメリカ航空宇宙局 (アメリカこうくううちゅうきょく)あるいは国家航空宇宙局 (こっかこうくううちゅうきょく、英語 : N ational A eronautics and S pace A dministration, NASA )[ 3] は、アメリカ合衆国 政府内における宇宙開発 の計画を担当する連邦機関 。1958年 7月29日 、国家航空宇宙法(National Aeronautics and Space Act)に基づき、先行の国家航空宇宙諮問委員会 (National Advisory Committee for Aeronautics、NACA)を発展的に解消する形で設立された。正式に活動を始めたのは1958年10月1日 のことであった。
NASAはアメリカの宇宙開発における国家的努力をそれ以前よりもさらに充実させ、アポロ計画 における人類 初の月面着陸 、スカイラブ計画 における長期宇宙滞在、さらに宇宙往還機スペースシャトル などを実現させた。現在は国際宇宙ステーション (International Space Station、ISS)の運用支援、オリオン宇宙船 、スペース・ローンチ・システム 、商業乗員輸送 などの開発と監督を行なっている。
宇宙開発に加えてNASAが帯びている重要な任務は、宇宙空間 の平和 目的あるいは軍事 目的における長期間の探査である。人工衛星 を使用した地球 自体への探査、無人探査機 を使用した太陽系 の探査、進行中の冥王星 探査機ニュー・ホライズンズ (New Horizons)のような太陽系外縁部の探査、さらにはハッブル宇宙望遠鏡 などを使用した、ビッグ・バン を初めとする宇宙全体への探査などが主な役割となっている。2006年 2月に発表されたNASAの到達目標は、「宇宙空間の開拓、科学的発見、そして最新鋭機の開発において、常に先駆者たれ」であった。
歴史
宇宙開発競争
1957年 10月4日 、ソビエト連邦 が人類史上初の人工衛星 スプートニク1号 を成功させたことにより、アメリカ国民は「自国の宇宙開発技術が、いかに貧弱であるか」という事実を思い知らされた(スプートニク・ショック )。議会 はアメリカの安全保障 および技術の先駆性が脅威に晒されていることを警告し、連邦政府 は直ちに何らかの行動をとるよう促した。
これを受け、アイゼンハワー大統領 およびその側近は対応策を慎重に検討し、数ヶ月にわたって討議を重ねた結果、「非軍事目的の宇宙活動を実施するためには、陸海空軍 などが独自に宇宙開発を進める状態を改め、指揮系統を一元化するべきだ」との結論に達し、国防高等研究計画局 (Advanced Research Projects Agency、ARPA)も同時に、創設されることとなった。
NACAのマーク
NACA時代
1957年 末から1958年 初頭にかけ、NACA (国家航空宇宙諮問委員会)はそれまで同委員会が果たしてきたような役割を非軍事の新設の機関に委譲する方法についての検討を始め、またその概念を精査するためにいくつかの委員会を立ち上げた。1958年1月12日 、NACAはガイフォード・スティーヴァー(Guyford Stever)を議長とする「宇宙技術特別委員会」を設立した。スティーヴァーの委員会は、第二次世界大戦 後にアメリカの市民権 を獲得したヴェルナー・フォン・ブラウン をリーダーとするアメリカ陸軍弾道ミサイル局 の「宇宙ロケット開発グループ」から提案された、巨大ロケット開発計画を諮問する任務も帯びていた。1958年1月14日 、NACA長官ヒュー・ドライデンは「宇宙技術のための国家的調査計画」を発表し、以下のように述べた。
「
我が国の威信および軍事的な必要性の両面から考えれば、今回の挑戦(スプートニク)に見舞われた、宇宙征服のための調査および開発の計画を精力的に推し進めることは、緊急かつ重要な課題である。(中略)そのため、非軍事的な国家機関によって科学的な調査が行われるべきだとの提案がなされた。(中略)NACAは宇宙開発技術で主導権を取ることにより、その成果を急速に拡大し延長する能力がある。
」
1958年1月31日 午後10時48分(アメリカ東部標準時 )、エクスプローラー1号 (国際衛星識別符号 "1958α" を与えられている)が発射され、アメリカ初の人工衛星となった[ 4] 。3月5日 、大統領科学技術諮問委員会委員長ジェームズ・キリアン(James Killian)は、アイゼンハワー大統領に「民間宇宙計画のための組織」と題する書簡を送り、日程の遅れを最小限に抑えて調査計画を拡張すべく、NACAを強化し再編した組織による文民統制 型の宇宙計画を創設することを促した。同年3月末にNACAは、当時企画中だった水素 とフッ素 を推進剤とする100万ポンド(453トン 、445万ニュートン )の推力を持つ3段式のロケットの開発計画を含む、「宇宙開発に関する提言」と題する報告書を発表した。
同年4月アイゼンハワーは議会で演説し、民間主導の宇宙開発機関を新設する意向と、アメリカ航空宇宙局設立のための予算案を述べた。NACAのそれまでの役割は、たとえば調査活動ひとつを取ってみても、その規模や進展、管理、運営などの点において変革がなされるべきであった。7月16日 、議会は予算案を承認し、同時にNASA設立のための具体的な根拠となった「国家航空宇宙決議」についても若干の言及をした。そのわずか2日後、フォン・ブラウン率いる作業グループは予備報告書を提出し、その中で現状のアメリカの宇宙開発には様々な機関が割り当てられ、相互の連携が欠落し国家的労力が重複していることを痛烈に批判した。スティーヴァーの宇宙開発委員会はブラウンらのグループの批判に同意し、10月には最終的な草案が提出された。
1975年 から1992年 まで使用されていたNASAのロゴタイプ。2020年代から再び使用される。
NASAの発足
1958年7月29日 、アイゼンハワー大統領は国家航空宇宙決議に署名し、ここにアメリカ航空宇宙局(NASA)が正式に発足した。同年10月1日 に実務がスタートすると、NASAは直ちに46年の歴史を持つNACAの組織(8千人の従業員、1億ドルの年間予算、三つの主要な研究施設(ラングレー航空研究所 、エイムズ航空研究所、ルイス飛行推進研究所)や二つの小さな実験施設など)をそのまま吸収した。
フォン・ブラウン博士が所属していた陸軍弾道ミサイル局と、海軍調査研究所もまたNASAに併合された。NASAがソ連との宇宙開発競争に参入するにあたって重要な貢献をなしたのは、かつて第二次大戦下のドイツ において、フォン・ブラウンに率いられたロケット計画で開発された技術であった。そこにはロバート・ゴダード 博士の初期の研究の成果も取り入れられている。空軍および国防高等研究計画局が行っていた初期段階の研究も、NASAに引き継がれた。1958年12月には、カリフォルニア工科大学 が運営するジェット推進研究所 もNASAの指揮下に入った。
1961年 5月5日 、アラン・シェパード 飛行士の搭乗するマーキュリー宇宙船「フリーダム7」が、レッドストーン ロケットによって打ち上げられる瞬間。この後アメリカ初となる弾道飛行 に成功。
マーキュリー計画
NASAが最初に行ったのは、冷戦 下におけるソ連との熾烈な宇宙開発競争 の中で実施された有人宇宙飛行 計画であった。1958年に開始されたマーキュリー計画 はまだほとんど手探りの状態で、そもそも人間は宇宙空間で生存できるのかという初歩的なことを調べることから開始された。また陸 ・海 ・空軍 からも代表者が送り込まれ、NASAを支援した。飛行士の選抜は、すでにいる選び抜かれた軍のテスト・パイロット の中から候補を絞り込めばよいだけなので、比較的容易であった。
1961年 5月5日 、第一次選抜飛行士「マーキュリー・セブン 」の一人であるアラン・シェパード (Alan Shepard)飛行士がマーキュリー宇宙船「フリーダム7 」で15分間の弾道飛行 に成功し、アメリカ初の宇宙飛行士 となった。その後1962年 2月20日 にはジョン・グレン (John Glenn)飛行士が「フレンドシップ7 」で2時間半の飛行を行い、初の地球周回飛行 を成功させた。
ジェミニ計画
ジェミニ1号 の打ち上げ
マーキュリー計画の終了後、月飛行に必要な種々の問題を解決し実験を行うためのジェミニ計画 が始まった。飛行士を搭乗させての初飛行は1965年 3月23日 のジェミニ3号 で、ガス・グリソム とジョン・ヤング が地球を3周した。続く9回の有人飛行で、長期間の宇宙滞在や、他の衛星とのランデブー やドッキングが可能なことが証明され、無重力 が人体に及ぼす医学的データが集められた。またこれと平行して、NASAは太陽系 探査のための様々な宇宙機を打ち上げた。史上初の有人飛行(ボストーク1号 )と同様、月の裏 側の写真を初めて撮影したのはソ連の探査機だったが、地球以外の惑星 (金星 )を初めて探査したのはNASAのマリナー2号 だった。
アポロ11号 の打ち上げ
アポロ計画
アポロ計画 は、人間を月面に着陸させかつ安全に地球に帰還させることを目的に構想された。しかしながらアポロ1号 では、地上での訓練中に火災事故が発生し、飛行士3名が犠牲になった。これにより、アポロ宇宙船 は人間を搭乗させる前に数回の無人試験飛行を行うことを余儀なくされた。8号 と10号 は月を周回し、多数の写真を持ち帰った。1969年 7月20日 、アポロ11号 が月面に着陸し、ニール・アームストロング とバズ・オルドリン 両飛行士が人類 として(また地球上に誕生した生物 として)初めて、地球以外の天体 の上に降り立った。13号 では月に向かう途中で宇宙船の酸素 タンクが爆発する事故が発生したが、3名の飛行士は無事地球に帰還することに成功した。アポロでは計6回の月面着陸が行われ、貴重な科学的データと400kg近い岩石のサンプルを持ち帰った。また土質力学 、流星物質 、地震学 、伝熱 、レーザー光線 を使用した地球と月の間の正確な距離の測定、磁場 、太陽風 など、多数の科学的実験が行われた。
スカイラブ計画
スカイラブ はアメリカが地球周回軌道上に打ち上げた初の宇宙ステーション である。100トン近く(正確には91トン)もある機体は1973年 から1979年 まで地球を周回し続け、1973年と1974年 に3回にわたって飛行士が搭乗した。スカイラブでは当初は太陽系の他の惑星が及ぼす重力 の変位の調査が行われる予定だったが、国民が宇宙開発に関心を失い予算が削減されたことにより任務が縮小された。実験の中には、微少重力が及ぼす影響を調べることや、搭載された望遠鏡で太陽 の活動を観測することも含まれていた。当初はスペースシャトル とドッキングさせ、より高い安全な軌道に移行させることが計画されていたが、シャトルが初飛行に成功する前の1979年に大気圏に再突入 して消滅した。3回目の搭乗員(SL-4)が1974年2月に下船した後、太陽の活動が活発になり、その結果地球の大気 が暖められて大気圏 が膨張し、機体にかかる空気抵抗 が増大したため再突入の時期が早まったのである。スカイラブは1979年7月11日 16:37(UTC)ごろに再突入し、オーストラリア 西部からインド洋 にかけて破片が散らばったが、いくつかの残骸が回収された。
アポロ・ソユーズテスト計画
国立航空宇宙博物館に展示されているアポロとソユーズ両宇宙船
アポロ・ソユーズテスト計画 は、1975年 7月にアメリカとソビエト連邦 の間で初めて行われた共同飛行計画である。アメリカにとってはこれがアポロ宇宙船の最後の飛行であり、また1981年 4月にスペースシャトルが打ち上げられるまで、有人宇宙飛行は中断された。
1981年 4月12日 、スペースシャトル 「コロンビア 」の初飛行
スペースシャトルの時代
1970年代から80年代におけるNASAの最大の眼目は、スペースシャトル であった。シャトルは1985年 までに再使用可能な4機の機体が製造され、その1号機であるコロンビア号 は1981年 4月12日 に初めて打ち上げられた。
シャトルのニュースは、NASAにとって必ずしも明るいものばかりではなかった。打ち上げにかかるコストは当初に予想していたものよりもはるかに高くつき、発射が日常化されるにつれ国民は宇宙開発に対する関心を失っていった。そんな中で1986年 に起こったチャレンジャー号爆発事故 は、宇宙飛行にともなう危険性を再認識させることとなった。
そんな中で、後に国際宇宙ステーション (International Space Station、ISS)へと発展するフリーダム宇宙ステーション 計画が、有人宇宙飛行の焦点として開始されたが、このような計画はボイジャー計画 のような無人惑星探査 に比べ、費用がかかりすぎるのではないかという議論がNASA内部にさえもあった。
その一方で、シャトルはハッブル宇宙望遠鏡 (Hubble Space Telescope、HST)のような画期的な計画も成功させた。HSTはNASAとヨーロッパ宇宙機関 (European Space Agency、ESA)の共同開発によって行われたもので、この成功によって他国の宇宙機関との協力という新たな道が開かれた。HSTに費やした予算は20億ドル以下で、1990年 に稼働して以来、数多くの鮮明な天体写真を送り続けている。その中でも、草分けとなった「ハッブル・ディープ・フィールド (Hubble Deep Field)」は特に有名である。
1995年 、シャトル・ミール計画 によってロシア との共同計画も再開された。ミール とシャトルがドッキングすれば、これはもはや完全な宇宙ステーションであると言えた。このアメリカとロシアという宇宙開発における二大巨頭の協力関係は、ISS(国際宇宙ステーション)の建設作業において21世紀まで継続されている。2003年 、コロンビア号空中分解事故 によりシャトルの飛行が2年間中断された間、NASAはISSの保守作業をロシアの宇宙船に頼ったことから見ても、両者の信頼関係の強さは明白である。
ISSは、主な機材の運搬はすべてシャトルに頼っている。1986年 のチャレンジャー号と2003年 のコロンビア号の事故で、シャトルは2機の機体と14名の飛行士を失った。1986年の事故では新たにエンデバー号 が製造され喪失した機体の埋め合わせがなされたが、2003年の事故ではそのような補強はされず、新型宇宙船オリオン への移行が決定された。
ESAや日本の宇宙航空研究開発機構 (JAXA)など、ステーション建設に投資した他の国々はISSの完成に懸念を表明したが、これに対し宇宙運用局長のウィリアム・H・ガーステンマイヤー(William H. Gerstenmaier)は、計画には柔軟性がありシャトルは2007年 には6ヶ月で3回の飛行を成功させていること、NASAは危機的な日程にも対応できる能力があることなどを説明した。
90年代を通して、NASAは議会の財政削減にともなう予算の縮小に直面してきた。第9代長官で、「より早く、より良く、より安く」の標語の生みの親であるダニエル・ゴールディン(Daniel Goldin)は、進行中の多彩な惑星探査計画(ディスカバリー計画 )は、経費を削減することで継続が可能であると提案した。1999年 にマーズ・クライメイト・オービター (Mars Climate Orbiter)とマーズ・ポーラー・ランダー (Mars Polar Lander)の2機が失敗したのはこの経費削減が原因であると批判を浴びたが、一方でスペースシャトルは2006年 12月までに116回の飛行に成功していた。
NASAの宇宙飛行計画
NASAは21世紀初頭までに150の有人宇宙飛行を含む多数の宇宙計画を成功させてきた。中でも著名なのは、11号 による史上初の月面着陸を含む、一連のアポロ計画 である。スペースシャトル はチャレンジャー号 とコロンビア号 の事故により、14名の搭乗員全員の命が失われるという大きな障害に見舞われた。シャトルはロシア の宇宙ステーションミール とのドッキングを果たし、現在はロシア・日本 ・カナダ ・欧州宇宙機関 など世界の多数の国々が共同参加している国際宇宙ステーションへのドッキングが可能である。
無人飛行計画もまた多数行われており、太陽系の7つの惑星(水星・金星・火星・木星・土星・天王星 ・海王星 )はいずれも少なくとも一度は探査機が訪れ、1997年 に打ち上げられたカッシーニ (Cassini)探査機は2004年 の半ばに土星の周回軌道に乗り、土星表面やその衛星 を探査している。カッシーニはNASAのジェット推進研究所 と欧州宇宙機関による、20年以上におよぶ国際協力のたまものであった。またパイオニア10 ・11号 およびボイジャー1 ・2号 の4機は太陽系を離れた。NASAは現在の所、小惑星帯 を越えて太陽系の外側へ探査機を送り込んだ唯一の宇宙機関である。いくつかの小惑星 や彗星にも探査機が接近し、NEARシューメーカー は史上初の小惑星への着陸を行った。
火星探査
マーズ・リコネッサンス・オービター
火星に対しては、水 や生命 の存在や地質 や気候 についてを観察をする目的で多数の探査計画が行われてきた。火星探査機はすべてカリフォルニア州 パサデナ のジェット推進研究所で作成されている。
マリナー計画 やバイキング計画 に続き、1996年に打ち上げられた「マーズ・パスファインダー (Mars Pathfinder)」は翌年に火星に20年ぶりに着陸し、同時期に打ち上げられた「マーズ・グローバル・サーベイヤー (Mars Global Surveyor)」は上空から火星を観測した。
2001年に打ち上げられた「2001マーズ・オデッセイ (Mars Odyssey)」は2011年初頭時点でも火星上空から観測を続けていて、2003年に打ち上げられた「マーズ・エクスプロレーション・ローバー (Mars Exploration Rover、MER)」 のローバー「スピリット (Spirit)」と「オポチュニティ (Opportunity)」は、2004年 の初頭以来グセフ(Gusev)クレーター やメリディアニ平原 (Meridiani Planum)で当初予定していたより17倍もの長期間に渡って運用され続けている。2005年には「マーズ・リコネッサンス・オービター (Mars Reconnaissance Orbiter)」が打ち上げられ、2011年初頭時点でも火星上空から観測が続けられている。2007年には「フェニックス (Phoenix Mars Lander)」が打ち上げられ、2008年 5月25日 に火星の北極 付近に着陸し、同年6月のロボットアームによる土壌掘削調査により土壌中から氷らしきものを発見した。
2008年 5月25日 、「豪腕」「改革屋」の異名を持つ科学ミッション部門の副長官アラン・ステム(Alan Stem)が辞任した。伝聞によると在任中の4月11日 、アランは「2001マーズ・オデッセイ(Mars Odyssey)」 および「マーズ・エクスプロレーション・ローバー(Mars Exploration Rover、MER)」 の予算のカットを指示したが、グリフィン長官に覆されたとのことである。この削減案は、マーズ・サイエンス・ラボラトリー にかかる経費の超過を相殺するためのものであった。アランは「自分が辞任する理由はMERに関わるものではない」とし、「MERの予算をカットしようとした人間は自分ではない」とも述べた。彼は1年ほどの勤務の間に、「NASAの重要な科学実験計画を再建し、大きな変革をもたらした」と評価されたが、辞めた理由は「健全な計画や、政治的に微妙な問題を含むような基礎研究が中止されることを避けるためだった」と語っている。グリフィン長官は基礎研究のような地味な部分の予算を削りたがる傾向を持っており、それを拒否したことがアランを辞任に導いたのではないかと言われている。
NASAの科学研究
オゾン層破壊
20世紀 の中盤からNASAは地球観測のための計画を増加させ、環境調査を行ってきた。その成果の一つが1980年代に打ち上げられた「地球観測システム(Earth Observing System、EOS)」で、オゾン層 の破壊のような地球的規模の環境問題 を監視することが可能となった。
また初の世界的規模の測量 は、1978年 にゴダード宇宙研究所の科学者たちにより、ニンバス (Nimbus)7号を使用して行われた。
塩湖の蒸発およびエネルギー管理
国家的規模の自然復旧計画の中の一つとして、NASAは南サンフランシスコ湾 の61平方キロメートルにおよぶ政府による塩湖 の干拓 事業が、周辺の環境にどのような影響を及ぼしているのかを衛星を使用して観察している。
またNASAは、環境破壊 の予防とエネルギーの削減および水資源 の確保に直結する計画に、全機関をあげて取り組んでいる。これらの事実により、アメリカ政府の環境問題 に関わる専門機関はNASAであることは明らかである。
地球科学事業
地球科学事業(Earth Science Enterprise)の主目的は、自然に対する理解を深め人間が地球環境に与えた変化を知ることである。そのためNASAは、その目的を達成するために関係諸機関と長年にわたり協力してきた。2000年代末までに同事業が行ってきた計画は、以下のとおりである。
炭素 管理のための炭素分離評価(Carbon sequestration for Carbon Management)
国防のための大気および水質に関する早期警戒システム(Early warning systems for air and water quality for Homeland Security)
エネルギー 予想のためのより高度な天気予報 (Enhanced weather predication for Energy Forecasting)
沿岸管理のための環境指標(Environmental indicators for Coastal Management)
地域社会発展管理のための環境指標(Environmental indicators for Community Growth Management)
絶滅 危機に瀕する生物種 のための環境モデル(Environmental models for Biological Invasive Species)
大気汚染 管理のための国家的および地球的規模の大気の計測および予測(Regional to national to international atmospheric measurements and predictions for Air Quality Management)
水資源管理および保護のための水循環 の研究(Water cycle science for Water Management and Conservation)
NASAは国立再生可能エネルギー研究所 (National Renewable Energy Laboratory)と協力して、世界的規模の太陽資源地図を作成している。またDNAPL 重非水液による水質汚染 を除去するための、革新的な技術を評価する取り組みも続けている。1999年 4月6日 、NASAはアメリカ合衆国環境保護庁 、アメリカ合衆国エネルギー省および空軍 との間で、自然酸化膜除去および重非水液の酸化還元反応 を矯正する二つの革新的な技術についての合意書を取り交わし、ケネディ宇宙センター においてその実験に協力することを約束した。国立宇宙局は軍およびアメリカ国防契約管理局 と協力して「汚染予防のための共同グループ(Joint Group on Pollution Prevention)」を結成し、汚染物質を除去するための取り組みを続けている。
2003年 5月8日 、環境保護庁はアメリカ政府の施設として初めて、ゴダード宇宙飛行センター でごみ再処理ガスを動力源として使用することを許可した。
NASAの将来
左から月飛行に使用されたサターンV 、スペースシャトル 、計画が中止されたアレスI 、アレスIV 、アレスV
現在の「宇宙開発における合衆国の指針(Space policy of the United States)」の中で、NASAは「宇宙の探査および開発・獲得に、有人あるいは無人機 を使用した継続的で実行可能な計画を実施し、地球・太陽系・宇宙に関する根本的な科学的知識をより広げるために民間の宇宙機を使用する」と述べている。現在は火星 、土星 といった深宇宙 への探査計画、および地球や太陽に関する研究計画が進行中である。また水星 や冥王星 へと向かう探査機もすでに打ち上げられている。計画中の木星 への探査計画が実現されれば、太陽系の半分以上の惑星を網羅することになる。
より発展した大型の移動探査機「マーズ・サイエンス・ラボラトリー (Mars Science Laboratory)」は現在進行中で、当初は2009年 10月に発射の予定だったが、技術的な問題により若干の遅れが生じ、2011年 11月に打ち上げられた。
冥王星探査機「ニュー・ホライズンズ (New Horizons)」は2006年 に打ち上げられ、2015年 に冥王星を観測した。水星探査機「メッセンジャー (MESSENGER)」は水星への接近を繰り返しながら減速し、2011年 3月に水星の周回軌道に乗った。その他、小惑星帯 の探査を目的とする「ドーン (Dawn)」や、複数の彗星 探査機が飛行中である。現在準備中の計画には、火星の大気を研究するための「マーズ・スカウト計画 (Mars Scout Program)」の一環としての「メイヴン (Mars Atmosphere and Volatile EvolutioN、MAVEN)」がある。
将来に向けた声明
NASA50周年記念のロゴマーク
2002年 以来、NASAは予算案や計画文書の中に以下のような声明を記している。
「我々が住むこの惑星を理解し、保護すること。宇宙を探査し、生命 の起源を探ること。次の世代の探求心を鼓舞すること……それができるのはNASAだけである。 」
2006年 2月の初め、この声明は一部が変更され、「我々が住むこの惑星を理解し、保護すること」の部分が削除された。ある者はこの変更はNASAの文治主義を保護するためのものだと考えたが、他の者の中には、これは科学者ジェームズ・ハンセン(James Hansen)による、アメリカ政府の温暖化対策 への姿勢に対する批判ではないかと疑う者もいた。NASAは公式にはそのような事は一切関係ないと否定し、宇宙探査のための新しい方針を示している。NASAのモットーは、「すべての者のための利益」である。
上院 の「国土安全保障・政府問題委員会(Committee on Homeland Security and Governmental Affairs)」幹部は2006年7月31日 にグリフィン長官を招致し、この変更に対する懸念を表明した。NASAはこの年、いくつかの地球探査計画を中止していた。
コンステレーション計画
オリオン 開発担当企業の発表。2006年 8月31日 、NASA本部にて
2004年 1月14日 、探査機スピリット が火星に着陸してから10日後、G・W・ブッシュ大統領 は「宇宙開発の展望 」と題する新宇宙政策「コンステレーション計画 」を発表した。この計画は、現行のシャトルを2010年 に退役させ、2014年 までにオリオン宇宙船による有人宇宙飛行を実現させ、2020年 までに月を有人探査し将来の有人火星探査に繋げるというものだった。この新宇宙政策について議会は当初は懐疑的だったが、2004年の暮れには初年度の予算を承認した。
この計画を奨励するために、NASAは2004年に「100年間の挑戦(Centennial Challenges) 」と称する、非政府組織による科学賞を設立した。この中では、たとえば船外活動 の時により効率よく作業できる宇宙服 の手袋など、「宇宙開発の展望」計画のために有益な発明が表彰されている。
2006年12月4日 、NASAは月面基地建設計画を発表した。当時の副長官スコット・ホロウィッツ は2020年 に建設を開始し、2024年 までには飛行士が交代で滞在して、すべての資源 を現地で調達できるような機能を持った基地を完成させる予定であることを表明した。この計画では、世界の様々な国の協力を求めていた。
2007年 9月28日 、NASA長官 (当時)マイケル・グリフィン (Michael Griffin)は2037年 までに人間を火星に到達させる目標を発表した。
しかし、この計画は2010年にバラク・オバマ 大統領により中止された。
長官
NASA長官は同機関における最高責任者であり、また大統領 の宇宙科学に関する最高顧問でもある。
施設
NASAの本部はワシントンD.C. にあり、ここからすべての支局に指示を出している。ミシシッピー州 セントルイス 近郊のジョン・C・ステニス宇宙センターの敷地内には、共同サービスセンターがある。共同センターの建設は2006年 に起工し、2008年 に竣工した。またケネディ宇宙センター ではロケットの部品を輸送するための鉄道も運営されていた。各分野ごとの研究施設の一覧は、下記のとおりである。これらのうちのいくつかは、歴史的あるいは管理上の理由から複数の設備を持っている。施設に付いている人名は宇宙飛行士や宇宙開発に功績のあった関係者を記念したもの。
研究施設
ジェット推進研究所
実験施設
2014年3月1日にアームストロング飛行研究センター に名称を変更
組立および発射施設
ケネディ宇宙センター
深宇宙通信網
娯楽博物施設
1998年 10月31日 、スペースシャトル から撮影されたフロリダ半島
航空機
NASAでは科学調査や宇宙飛行士の訓練などに使用する航空機を多数運用しており、これらの機材を運用する人員も多数雇用している。機体はアメリカ軍の払い下げなどを民間機として再登録したものが多いが、新規取得やXプレーン などの実験機の新規開発、改造も行っている。施設の多くは飛行場に隣接しているため、貨物や研究者の移送も自前で行っている。
パイロット出身の宇宙飛行士は引退後、NASAのパイロットとして雇用される者もいる。
表彰および勲章
NASAは現在、数多くのメダルや勲章 を飛行士や功績のあった職員に授与している。そのうちのいくつかは、現役の軍の制服組を表彰するものである。中でも最も権威が高いのは「宇宙名誉勲章 (Congressional Space Medal of Honor)」で、2009年までに28人が叙勲 され(うち17人は追贈)、「自身の義務を遂行した宇宙飛行士 の中で、国家と人類の福祉 に対する非凡で賞賛に値する努力と貢献が特に傑出していた」と認められている。
次に権威が高いのは「NASA殊勲賞(NASA Distinguished Service Medal)」で、軍人 パイロットから文官 の職員にいたるまで、すべての政府関係者が受賞する資格を持っている。例年の表彰は、フロリダ州 オーランド (Orlando)の国立航空宇宙協会の施設で行われている。
関係法令
NASA+
2023年 11月 、NASA独自の映像ストリーミングサービス「NASA+」を開始した[ 5] [ 6] 。
脚注
出典
関連項目
外部リンク
主要項目 応用 有人宇宙飛行
軌道・航行 打ち上げ
主な機関 その他
全般 Mercury program capsule ミッション
動物 宇宙飛行士
派生した計画 企業 ロケット 打ち上げ施設 や管制施設 関連計画
その他
カテゴリ