F-14 トムキャット
アメリカ海軍のF-14D
F-14は、 アメリカ合衆国 のグラマン (現ノースロップ・グラマン )社が開発した艦上戦闘機 。愛称は「雄猫or化け猫」を意味するトムキャット(Tomcat)。
概要
発艦したVF-31所属のF-14
アメリカ海軍 の保有・運用するF-4 ファントム II の後継機として、グラマン 社(当時)の開発した可変翼 と長射程のAIM-54 フェニックス の運用能力を特徴とした第4世代ジェット戦闘機 に分類される艦上戦闘機 。1970年 の初飛行を経て1973年 から運用部隊に配備された。
総計712機が製造され、アメリカ海軍の他には唯一イラン空軍 で採用された。
アメリカ海軍のF-14は、F/A-18 の改良版・発展型にあたるF/A-18E/F 戦闘攻撃機 への機種転換が次第に進み、2006年 9月22日 にVF-31トムキャッターズ の解隊を最後に全機が完全退役した[ 2] 。
開発の経緯
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F6Dミサイリアー構想
F-14の源流は1950年代 まで遡る。当時アメリカ海軍 は仮想敵国の対艦攻撃機 要撃用の機体を必要としており、1957年 にはダグラス 社でXF6D-1 ミサイリアー(Missileer)を計画していた。F6Dは先進的な火器管制システム (AN/AWG-9 )の元、ベンディックス社開発のAAM-N-10イーグル空対空ミサイル (速度マッハ 4、射程203km)を運用し、遠距離迎撃のために約10時間のCAP を実施する構想であったが、このミサイル以外の武装を持たず機動力や汎用性に乏しいものであったため廃案となった。
しかしながら、空軍も同時期にAIM-47 ミサイル とAN/ASG-18レーダー/火器管制システムを開発しており、その両者の計画は統合され、イーグルミサイルはAAM-N-11を経てAIM-54 フェニックス となり、また、AN/AWG-9の開発も継続され、共にF-111B (試作機のみ)及びF-14で採用されるに至った。
TFXプログラムとF-111Bの頓挫
1961年 、ケネディ 政権下で国防長官 に就任したロバート・S・マクナマラ は、効率化の一環として、海軍 と空軍 から要望されていた新型戦闘機 を可変後退翼 を持つ共通のプラットフォームTFX(Tactical Fighter Experimental)として開発する計画を立てた。空軍から出ていた要望は低空侵攻可能な戦闘爆撃機 、海軍からの要望は対艦ミサイル 搭載の大型機を対艦ミサイル射程外から迎撃するための長距離飛行可能かつ短距離での格闘戦 を想定した戦闘機であり、共通化の困難なものであった。
1961年 10月1日 に入札各社は各案を提示。ジェネラル・ダイナミクス 社が落札した。ジェネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社は降着装置 と本体後方部、および海軍型のTFX-N(後のF-111B )のデザインを担当した。
F-111Bの試作機は1965年 の5月に初飛行を行ったが、重量過多、航行速度不足、降着装置の位置が前方に偏り過ぎていたことによる着艦時挙動の不安定さが問題点として指摘された。ジェネラル・ダイナミクス社はたびたび改修を行ったものの、要求仕様を満たすことができなかった。海軍は既にやる気を失っており、要求仕様の緩和などの対応をすることなく、採用見送りに至った。ただし、後に1機のF-111B(機体番号1510974)は1968年 7月に空母 「コーラル・シー 」で着艦試験を行ったが特に問題はなく、海軍の要求が過剰であったことを示している[ 注 1] 。
VFXプログラムの立ち上げとグラマン案の採用
当時海軍 で使用していたF-4 ファントム II およびF-8 クルセイダー はソビエト連邦 の新型機などの出現により早晩質的優位性を失ってしまうものと考えられていたため、海軍はF-111B 不採用を決定後、直ちにVFX(Carrier-based Fighter Experimental)プログラムを立ち上げた。
1967年 10月にグラマン 、マクドネル・ダグラス 、リング・テムコ・ボート 、ジェネラル・ダイナミクス 、ノースアメリカン の5社はこの要望に応札、グラマン社とマクドネル・ダグラス社が残った。翌年マクドネル・ダグラス社はモデル225を、グラマン社はモデル303を提示。最終的にグラマン社が落札した。グラマン社の案は管制システム、ミサイル 、エンジン をF-111Bからそのまま転用したものだった[ 注 2] 。
F-14の開発
F-14は当初、F-111 同様垂直尾翼 が1枚だったが、海軍 の異議に応じて垂直尾翼を2枚とした最終案が1969年 3月に採択された。開発を急ぐ海軍とグラマン 社は、試作機による性能評価の結果を踏まえつつ開発した量産型を制式採用し発注するという従来の開発手順を踏まず、いきなり量産型の生産に入り、スローペースで生産する先行量産型でテストを行うクック・クレイギー計画を採用し、まず12機の先行量産型を製造した。そして、先行量産型の各機に受け持ちの性能評価項目を振り分け、迅速に開発を行うこととした。
YF-14A
初飛行は1971年 1月を予定していたが前倒しされ、1970年 12月21日 に試験飛行責任者のロバート・スマイズとプロジェクト・テスト・パイロットのウィリアム・ミラーによって敢行された。この飛行は悪天候と視界不良のために短時間で切り上げられた。9日後に再度飛行試験が行われたが、着陸の際に降着装置の油圧系統が故障し、予備系統も作動せず、試作機は墜落した。操縦士 は射出座席 で脱出したが、軽傷を負った。この時製作中の12号機を1X号機として試験に割り当てたため、試作機 は都合13機である。
この設計ミスを修正した2機目の試作機は1971年 5月24日 に初飛行を行った。この試験機は低速度での動作確認、可変翼、および火器 の動作確認に割り当てられた。3機目は搭載重量を増やしての飛行、4、5、6機目はポイントマグー海軍基地でAWG-9/AIM-54の搭載試験を行った。このうち5機目は1973年 6月20日 スパローミサイル の発射試験で自機に命中するという珍しい事故で墜落している。この事故の原因はスパローを下に打ち出す力が足りないことにあった。その結果、発射後に急上昇して高度を稼ぐようになっているスパローとの高度の再交差までの時間が不足し、その間にF-14を追い越せなかったスパローがF-14の機体下面に激突したものである。7機目はF401エンジン に換装された。8機目は生産ラインのデータ確認に使用され、9機目、11機目はレーダー とその他のシステム確認に割り当てられた。11機目は地上標的に対するM61 バルカン による攻撃テストにも使用されている。10機目は海軍試験場で航空母艦 での発着を想定した試験に使用された。
海軍による最初の試験飛行は1971年 12月16日 に行われたが、搭乗員からは着艦の際の挙動の制御が難しいためビースト(獣)と呼ばれた。翌1972年 6月15日 に最初のカタパルト を使用した発艦試験が空母 「フォレスタル 」で行われ、6月28日 に初の着艦試験が同空母上で行われた。この10号機はのちに着艦に失敗し、操縦士は死亡している(火器管制員は同乗していなかった)。
運用開始と配備数の圧縮
F-14は初期導入機が老朽化しつつあったF-4 の代替として1973年 より配備が開始された。この年は第1次オイルショック によるインフレ で諸物価が高騰、製造原価が海軍の買い取り値を超えた。グラマンは値上げを海軍に打診するも、海軍はなかなか首を縦に振らず、グラマンは多数のバックオーダーを抱えながら倒産目前にまで追いやられた。さすがに海軍も価格値上げを承諾せざるを得なくなった。
しかし同時に1973年は、アメリカ軍 がベトナム戦争 からの全面撤退が開始された年でもある。F-14の取得費用の高騰と、整備など諸費用が群を抜いて高いことが知られるようになると、野党の政治家をはじめとする各方面より強い非難を受けた。実際、民主党 のハートキー(Hartke)とビンガム(Bingham)両上院 議員から採用を非難する報告書が提出されるなどしたため、当初のF-14の配備予定数(722機)から最終的に313機にまで圧縮された。
その後も政治家 やマスコミ などによる非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時のエルモ・ズムウォルト・ジュニア 海軍作戦部長 によって擁護され、免れることになった[ 3] 。
なおグラマン社の経営危機は、後述 の通りイランが本機を採用したことによって、なんとか回避できた。
特徴
基本構造
主翼後退角度55°(中間位置)状態のF-14A
デモンストレーション飛行中のF-14D。主翼の前縁スラットと後縁の機動フラップが可動している状態。主翼後退角度20°(最大幅)に展開。
F-14は艦隊防空戦闘機であり、長距離爆撃機 から大量の空対艦ミサイル を発射するソビエト連邦軍 の飽和攻撃 戦術に対抗するために開発された。F-14の能力は防空に特化したものとなっている。これは攻撃機 に対する要撃機 として使用するためである。よってF-14は、格闘戦 を重視したF-15 やF/A-18 とは異なる設計思想の元に開発された戦闘機といえる。
F-14の一番の特徴としては、AIM-54 フェニックス 空対空ミサイル と、それを使用するための強力なレーダー 火器管制装置 を装備する点が挙げられる。操縦機構の付いていない後席には、F-4 と同様にRIO(Rader Intercept Officer:レーダー迎撃士官)と呼ばれる専門のレーダー員が搭乗した[ 注 3] 。
元より航空機は迎角をつければ主翼以外の部分でもある程度の揚力を発生するものだが、F-14の機体には、リフティングボディ (揚力胴体)の技術が導入されており、その平たい胴体は揚力発生効果が高い。特に主翼前方にある固定翼部と後部胴体から、大きな揚力が発生するようになっている。これにより、機体が35度の大迎角を取っても揚力を増大させることができ、急激な機首上げを行った場合でも、その時の荷重は胴体部にかかり、主翼に大きな負担がかからないようになっている。主翼には、前縁に前縁スラット[ 注 4] 、後縁に機動フラップを装備しており、後述する可変翼機能と組合わせて低速飛行時の運動性を飛躍的に向上させている、また、主翼には、補助翼 はなく、上部にスポイラー が装備されており、ロール機動(ローリング)を行うためには、左右の主翼のどちらかのスポイラーを上げるとともに、水平尾翼 の差動も合わせて行われる。また旋回半径については、後退角を自動制御によって最適化する。これらの効果もあり、実戦においてもMiG-23 やSu-22 相手に勝利している。
とはいえ、
艦隊防空を重視した機体設計
翼面荷重 の高さ[ 注 5]
大型な機体による空力抵抗
可変翼 の採用による重量
搭載エンジンTF-30の余剰推力の不足(高G旋回を行った後の運動エネルギー の回復が難しくなる)
神経質なエンジンを扱うためのスロットル 操作の制限
最大9Gをかけられるとされているが実用上の限界荷重が6.5Gしかない[ 4]
などにより、同時期に開発されたF-15とのシミュレーション[ 5] 上の空戦は敗北しているほか、イラン・イラク戦争ではイラクのMiG-23に撃墜されてもいる。
実機を用いた模擬空戦においてはたびたび勝利し、2機のF-15を相手に1機で勝利したこともある[ 6] が、模擬空戦での評価が、実戦での評価に直結する訳ではない[ 注 6] 。
エンジン
F110-GE-400のエンジンノズル
TF30-P-412のエンジンノズル
エンジン の間隔を空けた双発エンジン配置は、流入空気の整流を容易にし、一方のエンジンの致命的な故障(被弾、爆発、火災、タービン ブレードの破損による飛散など)の他方への影響を押さえることができるという利点がある。しかし、1発停止時の推力軸線と機体軸線とずれが大きくなるため、操縦はより困難になる。F-14では、開発当初から新エンジンへの換装を予定していたこともあり、2基のターボファンエンジン を胴体下面左右に間隔をあけて搭載し、左右のエンジンの間をミサイル の搭載場所として利用している[ 注 7] 。
F-14Aはプラット&ホイットニー 社製TF30-P-412 を搭載している。このエンジンはF-111B で採用されたTF30-P-12の改良型でF-111Dにも採用されている。出力は12,350lbで、F-14の機体もF-111Bより軽量化されているため、推力重量比は向上しているが、F-15 やF-16 など同世代機との比較では劣っており、重量に対して推力不足と評されている。また、機体との適合性も悪く、エアインテーク付近での気流の乱れに敏感で簡単にサージング (コンプレッサーストールとも)を起こす。特に高迎え角飛行時かつアフターバーナー 使用時においてスロットルを動かす際にエンジンがフレームアウト を起こしやすく、片方のエンジンがフル・アフターバーナー、もう片方のエンジンがフレームアウトという状況が生起した場合、前述の推力軸線と機体軸線とのずれが大きいことからフレームアウトしたエンジンの方向に大きなヨーイング・モーメントが発生する。ヨーイング・モーメントはまた、ローリング・モーメントを発生させることとなるが、この修正のためにラダー ではなくエルロン を使用した場合、ますますヨーイングが加速し、回復困難なフラットスピン に陥ることが多い。このため、F-14のフライトマニュアルでは、高迎え角飛行時かつアフターバーナー使用時のスロットルの操作に制限を加えている[ 7] 。TF30を採用した全機種での重要障害は40にも及び、被害総額は10億ドルを越えている。
以上の問題は、まずF-111Bのエンジンと火器管制システム を流用して手っ取り早く実機を完成させ、その後に逐次性能向上を図っていくという開発方針によるものである。当初A型は最初の67機のみ製造し、プラット&ホイットニー社製のF401-PW-400に換装したB型を400機製造予定だった。
このF401-PW-400 エンジンは空軍 が後に開発したF100 と同じくJTF22を基に設計された、安定性に加えて高出力、低燃費を目指すもので試作7号機(Bu No 157986)に搭載されたが、開発中に技術的な不具合に遭い、F-14の機体価格の高さから生産そのものを問題視される中での予算追加は困難とされた。そのため、このエンジンの実用化計画は消滅し、F-14Bの製造は開発段階で頓挫することとなった。2機目のF401搭載試験機(Bu No 15826)はほとんど完成していたものの試験飛行前にTF30に換装されている。
また、F401の計画が頓挫した後ゼネラル・エレクトリック F101 を戦闘機 用に改良したF101-DEFの装備が計画された。1981年 7月14日 には同エンジンに換装した試作7号機が初飛行を行い、ノンアフターバーナーでの発艦や燃費の向上、推力重量比で1を超えるなどの高性能を示したが、テストプログラムは9月には打ち切られ、製造されていた2機目のF101搭載機(Bu No 158630)は生産ライン上でA型へコンバージョンされた。結局、TF30の抱えた問題の解決はF-14B/DでのF101エンジンの派生型F110-GE-400 の採用を待つことになった。
なお、TF30を装備した全部の機体に問題があったわけではなくBlock 95の67号機以降はエンジンがTF30-P-414A(推力5,600kg、アフターバーナー推力9,480kg)に換装され推力不足が若干解消したほか、エンジン制御がデジタル式となったことなどによりコンプレッサーストールはほとんど起こらなくなったとされる。
ミサイル
AIM-54最大装備状態
「カール・ヴィンソン 」甲板上でのF-14とAIM-9
F-14が搭載するAIM-54 フェニックス は、アクティブレーダーホーミング長距離空対空ミサイル で、射程は200kmを超える。このミサイル はソ連 のスタンドオフミサイルKh-22 及び発射母機であるTu-22/22M 爆撃機 を空母戦闘群 のはるか遠方で迎撃する目的で開発された。しかし、この高価なミサイルは大型で機動性が悪く、実戦使用例はイラン・イラク戦争 と湾岸戦争 時のみである。湾岸戦争時に一度使用した際は、最大射程で発射したため命中はしていない。イラン・イラク戦争での詳細はAIM-54 フェニックス#イラン空軍 を参照。
AIM-54の他には、中距離空対空ミサイルであるAIM-7 スパロー 、短距離空対空ミサイルのAIM-9 サイドワインダー も搭載できる。これらの空対空ミサイルあるいは爆弾 などは、胴体下面の左右エンジン間にある4ヶ所のパイロン あるいはAIM-7用のランチャー 、主翼根元に1ヶ所ずつあるパイロンおよびその側面にあるAIM-9用のレールランチャーの計8ヶ所に搭載する。
F-14の第一の目的は艦隊防空能力であるとされ、一応は対地攻撃能力を持っていた[ 注 8] にもかかわらず、積極的に付加されなかった。このために特に空母戦闘群に対艦ミサイル で攻撃を仕掛けてくる可能性のあった唯一の国家であるソビエト連邦が崩壊 した後、F-14の存在意義が大きく薄れていた。結果として、当時主流になりつつあった中距離空対空ミサイルAIM-120 AMRAAM の実弾発射試験には参加したものの、改修による延命効果と費用との勘案から搭載の制式化は見送られた[ 8] 。また、ウォールアイ [ 9] やAGM-88 HARM ミサイルについてもF-14への搭載が検討され、後者についてはRDT&Eの組み込みが開始されていたが、結局両者とも搭載の制式化は見送られた。
なお、AIM-54は2004年 9月30日 にアメリカ海軍 から退役した。
また、AIM-54の後継ミサイル として小型かつフェニックスと同等の性能を持つAIM-152 AAAM が開発され、試験が行われていたがソ連崩壊 による脅威の減少で開発が中止された。
搭載組み合わせ
艦隊防空任務
AIM-54最大搭載時
多目標対応時
甲板発進迎撃時
最長滞空時
火器管制装置
F-14Dの操縦席
F-14のレーダー AN/AWG-9 は、最大探知距離が200kmを超える画期的な高性能レーダーである。操作は後部座席のレーダー迎撃士官が行う。AN/AWG-9は追跡(TWS)モードであれば、最大で24目標を同時追尾、そのうち6目標へAIM-54 フェニックス を発射し同時攻撃する能力がある。
前席からすべての武器の発射(および各種追加機器の操作)が可能だが、通常は中射程以上のミサイル の操作は後席のレーダー迎撃士官が行い、前席の操縦士 は操縦に専念することで乗員の負担を分配している。ただし機関砲 やサイドワインダー の様な短距離ミサイルの操作は前席からのみとなっている。
AN/AWG-9は、戦闘機間データ・リンクであるリンク4C(TADIL-C) に対応している。これは従来、空対地データ・リンクとして用いられてきたリンク4Aの発展型で、当時用いられていた空対空のデータ・リンクとしては最大容量のものであった。なお、リンク4Cの運用に対応しているのはF-14のみである。改良型のF-14Dではデジタル式へ変更したAN/APG-71 が搭載され、電子妨害の耐性などが向上したほか、JTIDS が組み込まれたことでリンク 16 に対応している。
計器類はアナログ式でレーダースコープもブラウン管だったが、飛行特性が変化する可変翼であるためエア・データ・コンピュータ には最初期のマイクロプロセッサ であるMP944で構成されたセントラル・エア・データ・コンピュータ (ギャレット・エアリサーチ (英語版 ) 製)が採用されるなど、当時最先端のアビオニクス が採用されている。
電子光学システム
機首に装備されたAN/AXX-1 TVカメラセット
初期のF-14Aは機首の下にレーダー と連動または独立して使用することができるAN/ALR-23 赤外線探索追跡装置 (IRST)が装備されていた。ただ、このIRSTはアフターバーナー を使用している敵航空機 を185km以遠で探知できる性能を持つが旧式化し、性能も満足のいくものではなくなっていったため、1980年代 にはノースロップ 社AN/AXX-1 TVカメラセット(Television Camera Set、TCS)へ置き換えられている。AN/AXX-1は、DC-10 クラスの大きさなら85nm (153km)、F-111 クラスなら40nm(72km)、C-130 クラスなら35nm(63km)、F-5 クラスなら10nm(18km)の探知距離を持つ。しかし、TCSは夜間や雲がかかっている状況などでは役に立たないため、F-14Dでは最新型のIRST AN/AAS-42 と左右に並べて配置し、併用している。
電子対抗機器
チャフ・フレア・ディスペンサー
可変翼
翼を68°に後退させたF-14A
主翼を大きく開いているF-14B
F-14の大きな特徴の一つとして、飛行中に速度によって主翼の後退角を変え、翼幅・翼面積・翼の平面形を変化させて、常に最適な揚抗比[ 注 9] と主翼形状が得られる可変翼 を装備しており、可変翼は後退角を20度から68度の範囲で動く。
可変翼はF-111 でも採用していたが、F-111では巡航飛行時に操縦士 が手動で角度を変更するのに対し、F-14ではマッハ・プログラム・コンピュータ により角度の自動制御を可能としている。この自動制御は速度に対応した最適化だけに留まらず、加速時には後退角を大きくして抵抗を減らして、マッハ 2.34の最大速度で飛行することができ、旋回時には後退角を小さくし翼幅を広げて旋回半径を小さくしたりもする。F-4 (J型)との比較では、加速性能で45%、旋回半径で40%、旋回率で64%向上している。この値は推力重量比 や翼面荷重 の比較からの計算値を上回っており、その分が可変後退翼による性能向上といえる。
後退モード切替スイッチはスロットルレバー側面にあり、自動(AUTO)モードにしておくと、マッハ後退プログラム(MSP:Mach Sweep Programmer)と呼ばれる自動可変システムにより、飛行速度と気圧高度の変化を検知して、主翼後退角を常に最適な位置に設定することが可能であり、マッハ0.4までの20度から線形に後退し、14,000ft以下の低空では0.6付近で約25度となり、そこから変化が急になり1.0付近で68度となる。20,000ft以上では0.7付近で約22度となり、1.0付近で68度となる。また、爆撃(BOMB)モードでは、主翼後退角を55度に設定され、正確な射爆撃を可能にしている。なお、MSPが故障した際には、最大角制限の下で手動により自由に後退角を変更することもできる。また、非常用レバーを使用することにより、20度、55度、68度、75度に設定ができる。ただし、75度の後退角では主翼と尾翼が重なる事になり、この状態で飛行した場合は主翼と尾翼の干渉で悪影響をもたらすため、これを使えるのは降着装置に荷重がかかっている時のみに限られている。そのため75度は後退角設定ではなく、他機種の主翼折りたたみ機構に相当する「空母 上での収納スペースを節約し、取扱いを容易にするため」のモードである。
可変翼の主翼と機体の胴体との結合には、胴体の中央部に、チタン を真空 中で電子ビーム溶接 を使用して組立てられた、中央部タンクと主翼の取付け部分がある主翼中央部とで構成されている箱型構造部があり、主翼の取付け部分のピボット軸(旋回軸)にボール・ベアリングを介して取付けられており、箱型構造部に取付けられた油圧スクリュー・ジャッキにより、主翼後縁の一端を押したり引いたりすることにより主翼を可動させる。チタンを採用した理由には、強度確保と重量軽減を図るためであり、F-111で採用されていた鋼製のピボット軸において、ひび割れが多発していたためである。しかし、素材と工作技術の両面では製造コスト上昇の要因となった。
主翼付け根のグローブベーンを展開するF-14A
可変翼機は速度に応じて最適の揚抗比を得ることができるものの、主翼の後退による空力中心の移動[ 注 10] 、可動機構の複雑さや、可動部品、特に軸の強度確保を必要とするなどの面から、工数など諸コストの上昇を招く事が問題視された。また、重量増加もエネルギー機動性的 には大きな問題であり、可変翼による性能向上効果が相殺される事となる。F-14に若干遅れて欧州 機のトーネード 戦闘機 にも採用されているが、それ以降の採用は途絶えている。
当初F-14ではもう一つの可変翼として主翼付け根のグローブベーンを展開するようになっていた。これはマッハ1.4以上になると主翼付け根前縁から展開される小翼で、超音速飛行で揚力中心が後退するのを打ち消す狙いがあった。マッハ1.0-1.4では手動で操作でき、また、空戦モードにしておくと空戦フラップと連動して迎角とマッハ数に応じて作動した。さらには後退角55度の爆撃 モードでは全開となった。しかし、飛行特性にほとんど影響を与えないことがわかり、A型機の運用当時では無効化され、B型およびD型機では搭載兵器との干渉をなくすために廃止されている[ 10] 。
戦闘爆撃機のF-111には可変翼部分にもパイロンが設けられ、後退角の変化に応じてパイロンも一定方向に向くように連動したが、本機には可変翼部分にはパイロンは設けられなかった。これによって機構はF-111と比べ簡易化したものの、後に本機に攻撃・爆撃能力を付加する際に、大きな欠点となった。
愛称
愛称「トムキャット」の由来は、可変翼の動きが猫 の耳の動きに似ていることから名づけられた。かつてグラマン 製戦闘機 にシリーズ的に名付けられていた、猫もしくはネコ科 の動物が含まれる愛称とは、直接は連続したものではないとされる。なお、当初愛称はシーキャットだったとされている。しかし、トム・コノリー (英語版 ) 海軍中将 がこの機体の開発を強く支持していたことからトムの猫(英 :Tom's Cat)という名で定着し、これに引っ張られるかたちでトムキャットという名になったと言われている。
一般には、グラマンのネコの名がついた戦闘機のシリーズと認識されることが多い。実際にも退役記念行事として、コンフィデレート・エアフォース(記念空軍) (英語版 ) 所属のF4F ワイルドキャット (正確にはゼネラルモーターズ 製FM)、F6F ヘルキャット 、F8F ベアキャット といった、ネコの名がつく一連のグラマン戦闘機と併走飛行を行ったことがある。F-14は失速直前でフラップを下ろした状態、逆にF4Fはほぼ全開出力での飛行だった。
改修
対地攻撃能力の付加
爆弾を搭載したF-14A
F-14は、当初搭載されたレーダー の能力などから空対空戦闘 のみを考慮された戦闘機 だったが、航続距離 が長いことや搭載能力に余裕があるなどの利点があった。
湾岸戦争 でのA-6 の損耗率の高さと、後継機として開発されていたA-12アヴェンジャーII やその代替案であるA-6Fの開発が中止されたことにより、A-6引退とF/A-18E/F スーパーホーネット 配備までのつなぎとして、F-14の右主翼付け根のパイロン に、LANTIRN ポッド(F-15E やF-16 に搭載されているものにGPS との連動機能を追加する改修が行われておりLTS(LANTIRN目標照準システム)と呼ばれた)を装備して対地攻撃能力を付与することとなった。
この改修によりポッド搭載のみでレーザー誘導爆弾 などの使用が可能となった。この対地攻撃能力が付与されたタイプのことをボムキャット と呼ぶこともある(トムとボムを掛けている)。また、F-14Dではこれらに加えて空対地ミサイル の装備も検討されていたが予算の問題で計画は破棄されている。
偵察能力
F-14は偵察 ポッド(TARPS )を装備し、偵察任務にも使用されている。RF-8 の退役後、アメリカ海軍 には専用の戦術偵察機 がなく、F-14はその重要な代替機となった。1990年代 から始まった空母航空団 と飛行隊の改編ではTARPSとLTSを装備しない飛行隊から解隊・機種転換されていったことから、これらのポッドによってF-14が延命できたともいえる。
TARPSとLTSは同じ配線とコンソールパネル部を共用しているため同時に装備することはできなかった[ 11] 。
ちなみに、TARPSを装備した機体には「ピーピング・トム 」(覗き屋トム、出歯亀 の意)の別称があり、カメラを構えたトムをデザインした専用パッチもある。
低価格型
F-14Aは価格高騰が配備する上で大きな問題となっており、この問題を解決対策する必要が生じた。当時まだF/A-18 の配備まで時間があったため代替機の選定が行われた。F-14では、AIM-54 フェニックス の運用能力を削除したF-14TやAIM-54の限定的な運用能力を持つF-14Xが提案されF-15N とF-4 改良型と発注を争った。しかし、これらの案では老朽化したF-4と比べ大きな利点がなく、コスト面でも割に合わないことなどから選定より漏れている。
ちなみにこの選定ではF-4の改良型のF-4Sが選定され、F/A-18の配備まで使用されている。
要撃機型
上述 の通りF-14に搭載された火器管制システム AN/AWG-9 と、AIM-54 フェニックス は、要撃機 への搭載を目的とする空軍 との共同開発である。そのため、F-15 と共に、老朽化したF-106 に代わる要撃機としての採用が検討された。
要撃機としての能力は、上昇性能においてはF-15が優れるものの、ミサイル と火器管制システムの能力ではF-14が優れており、一長一短である。だが1970年代 以降のアメリカ空軍 は防空を軽視しており(それ以前にソ連 の爆撃機 の脅威を過大評価した事の反動である)、F-106後継機の選定は優先度の高い要件とはみなされず、結論を出さないままに立ち消えとなった。結局F-106は耐用年数の限界まで配備が続き、退役後はF-15およびF-16 が要撃任務を引き継いでいる。
スーパートムキャット21計画
1990年代 前半に、アフターバーナー の使用なしでのマッハ 1の巡航飛行(スーパークルーズ )が可能なエンジン の搭載やステルス性 の付加、さらには改良型航空電子装置 の搭載や本格的な対地攻撃能力の追加などにより、21世紀にも通用する戦闘機 として、本機の発達改良型であるスーパートムキャット21 やアタック・スーパートムキャット21 などが計画された。これは、1980年代 後期から1990年代前半にかけて開発・導入が検討されていた空軍 のYF-22 をベースに、主翼をF-14と同じく可変翼とした海軍 の発達型艦上戦術戦闘機・NATF (F-22N )や、A-6E 艦上攻撃機 の後継機として計画されたA-12 ステルス攻撃機 の開発が最終的に中止されたことを受けたためである。
しかし、空対艦ミサイル 搭載可能化をはじめとするマルチロール化 の失敗、F/A-18 の拡大改良型であるF/A-18E/F スーパーホーネット がF-14の後継機として採用されたことなどにより、最終的に"スーパートムキャット21"などの開発は中止された。
実戦経験
ベトナム戦争 では、配備されたのが1973年 にアメリカ軍 が撤退した後だったため、1975年 4月にアメリカ海軍 と海兵隊 が中心になって行われたアメリカ民間人のサイゴン撤退作戦 のための上空支援に使用されたのみとなった。
1981年 の対リビア 作戦で初の戦果をあげており、空母 「ニミッツ 」から発艦したF-14が地中海 シドラ湾 上空で2機のリビア空軍 Su-22M (シドラ湾事件 (1981年) )を、1989年 1月 にも同じく2機のリビア空軍機MiG-23ML (シドラ湾事件 (1989年) )を撃墜している。
1983年 のレバノン内戦 への介入、および1986年 4月 のベンガジ とトリポリ への侵攻(リビア爆撃 )を援護。作戦活動中に偵察 を行った。
1991年 の湾岸戦争 では大規模な空中戦 は行わなかったが(同戦争で戦闘機の撃墜を記録したF-15と異なり、自力で交戦規定全てを満たせる能力がなかったため自律的な交戦ができず早期警戒管制機 などから射撃許可を仰ぐ必要があったことが大きい[ 12] 。また、イラク軍はイラン・イラク戦争 でイラン空軍 のF-14と交戦した経験から、F-14を非常に警戒し交戦を避けていた)、Mi-8 ヘリコプター を撃墜している。一方、イラク軍の地対空ミサイル で1機が撃墜されている。
1993年 からバルカン 上空で、ユーゴスラビア紛争 に絡み戦闘空中哨戒 (CAP)および偵察を実施、1995年 に初の爆撃 を行った。コソボ紛争 でもF-14が高速前線航空管制 および爆撃を実施した。
2001年 のアフガニスタン戦争 では作戦の中心となり、前線航空管制 (FAC)や、燃料積載量が少なく奥地まで飛行できないF/A-18C の代わりに、F-14が誘導爆弾 などを投下し、多数の戦果を上げている。
2003年 のイラク戦争 でも、誘導爆弾などを投下し、戦果を上げた。
配備状況
F-14の運用国。赤色の国ではすでに退役している
保守・整備の容易さと多用途性などに由来するコストパフォーマンス 面からF/A-18E/F 戦闘攻撃機 への機種転換が進められ、最後に残った戦闘部隊VF-31トムキャッターズ も2006年 9月22日 に解隊したため、アメリカ海軍 のF-14は全機が完全退役している。
アメリカ海軍太平洋艦隊
アメリカ海軍大西洋艦隊
VF-84 ジョリーロジャース は1976年にF-4からF-14Aへと交代した
第143戦闘飛行隊のF-14とF/A-18E(2005年)
試験評価飛行隊(Test and Evaluation Squadrons)
ブルーエンジェルスでの採用
A-4Fの後継機の検討の段階において主力戦闘機であったF-14Aも候補に挙がっていた。しかし、F/A-18Aと比較し、ショーサイトに展開するにあたって、2.5倍の整備員と3倍近い予備パーツ、最低4基の予備エンジンを必要とし、コストも高かったことから、早々と候補から外されている[ 13] 。
ギャラリー
アメリカ以外での採用
グラマン 社はアメリカ海軍 での正式採用後、アメリカの同盟国を中心にセールスを行ったが、高額な運用コストや艦隊防空を重視した複座型艦上機 であるが故にユーザーが限定されたことで、イスラエル 、サウジアラビア 、カナダ 、スペイン 、オーストラリア などはF-15 やF/A-18 などを選択した。日本 の航空自衛隊 でもかつて、第3次F-X でF-14を導入しようと検討していたこともあったが、比較評価の結果F-15となった[ 注 11] 。
結局導入したのは潤沢なオイルマネー を背景に皇帝自らの指示のもと当時友好関係にあった西側諸国の最新鋭兵器を次々と導入していた、パーレビ王朝 時代のイラン空軍 のみとなった。アメリカ海軍が調達を抑えた分はイランへの販売に回したため赤字は免れたものの、政変 により売り切ることができずアフターサービスによる収入も途絶えた。高性能機ではあるが、アメリカ向けの200機で生産終了したF-11 に引き続きグラマンへの利益は少なく、莫大な開発費を差し引くとセールス的には失敗に近い結果であった。
イラン
導入に至る経緯
イラン空軍のF-14Aとパイロット(1979年)
親米のパーレビ王朝はソ連 偵察機 による領空侵犯 にたびたび悩まされていたが、イランの国土は山がちでありほとんど平野が無い。とくにソビエトと国境を接するテヘラン北方は標高5604メートルのダマーヴァント山を筆頭とするアルボルズ山脈によって地上配備のレーダーの視程に大きな制限が加えられていた。当時、AWACSは開発途上であり、短期的には多数のレーダーサイトの建設は時間的にも費用的に間に合うものではないことから、限られた地上の支援であっても迎撃を成功させ得る強力なレーダーを搭載した戦闘機が求められた[ 14] 。それを受けてニクソン大統領は1972年5月に最新鋭機であるF-14あるいはF-15の売却を決断、同年11月に議会の承認を受けたことから、F-14同様に強力なレーダーを搭載するマクドネル・ダグラス 社のF-15 との一騎討ち となった。
両者の比較において
強力なレーダーによりAIM-54 フェニックス ミサイルが使用可能であること、F-15と同じAIM-7F やAIM-9 を搭載した場合でも射程が長くなる。
F-14Aの方が運動性や多用途性でF-15Aより勝る。
兵装システムの操作が当時のF-15Aよりも簡単。
と判定され[ 14] 、1974年 6月にF-14Aの採用が決定された。
選考の際には、自らもパイロットとして知られた当時のイラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィー (パーレビ国王)が両機を操縦して乗り比べて決定したかのような説が流布しているが、イラン空軍関係者は「デモ飛行だけで決めるはずがない」と否定している[ 15] 。実際には決定に先立って行われたデモフライトにおいて、採用の成否に社運をかけたグラマンがシャーのためにペルシア帝国の紋章のパッチ付きの飛行服を用意し、体験搭乗の準備をしたのは事実であるが、搭乗はしていない。ただし、デモ飛行をあえてF-15のあとにし、パイロットを巻き込んだ上で軍当局からの叱責を覚悟してのF-14の「派手」なパフォーマンスはシャーに強い印象を与えたらしく、当時のグラマンの重役は「デモの終了後にシャーはF-14の飛行を手でなぞっていた」と残している。当時のグラマン社の重役はF-14とF-15の違いについて、地上のレーダーサイトや迎撃管制の支援を受けられる、たとえばイスラエルのような環境であればF-15が有利であろうと説明している。
1974年1月に30機の納入契約がなされたのち、6月には50機が追加されて80機のF-14Aと714発のAIM-54、10年間のエンジンのサポート、イラン国内での運用支援体制の構築が3億ドルで発注されたが、実際にイランに引き渡されたのは79機、AIM-54は訓練弾を含め284発であった[ 16] 。イラン革命によって引き渡されなかった80番機(Bu No 160378)はアメリカ海軍 に引きとられ、ポイントマグー海軍基地に展開するNWTS (Naval Weapons Test Squadron)においてNF-14Aとして各種テストベッドに使用されたのち退役、2000年8月からデビスモンサン空軍基地に隣接するAMARC(Aerospace Maintenance and Regeneration Center)で保管されている。2010年8月、この80機目についてイランは引き渡しを求めている。
導入前後にはアメリカ本土において、アメリカ海軍の訓練教官らによるイラン空軍パイロットへのトレーニングも施されたほか、グラマン社はペルシア語 を学習した1000人の技術者とその家族をイランに派遣している。帝政イラン空軍はこの後、AGM-53 とレーザー誘導爆弾の運用能力を付与したマルチロール仕様のF-14Aを70機追加導入する予定であった[ 17] 。
機体
イラン 向けF-14は、搭載されたアビオニクスのうち電子戦装置の周波数変調速度、ならびに各種プロセッサの動作が1/100秒遅れるというダウングレードを施されたが、空軍仕様のハーネスと酸素供給装置に変更された以外はタイヤ径や空気圧、着艦フックも含めてアメリカ海軍 に納入されたブロック90(初期契約の30機)ならびにブロック95(追加の50機)と同一である(米海軍向けはイラン向けの生産ののち、エンジンを新型のTF30-414Aに交換している)。
なお、イランのF-14Aの塗装 は引渡し以来「デザート迷彩」を施していたが、近年、同国空軍のMiG-29 同様の砂色と水色による迷彩に塗り替えられた機体も増えている。また、後述の改修機には「Edged Three Tone Asian Minor 2」という幾何学的なパターンの迷彩が1機だけに採用されている[ 17] 。
1986年夏、イラン軍パイロット4名がF-4とF-14を使ってイラクを経由してアメリカに亡命。到着した機体はイラン軍の整備能力を調べるため分解され、多くの部品がアメリカ本土へ持ち帰られた。調査の結果、イランは独自にF-14の部品を製造していると結論に至った[ 18] 。これについての詳細は後述。
現在の運用状況
イラン空軍のF-14Aとパイロット(2013年)
その後の1979年 1月に、反米 的なルーホッラー・ホメイニー を指導者に行われたイラン革命 によりアメリカ は引渡し前の機体の差し止めと部品供給の停止を行い、補修部品の調達が困難となったイラン では同機の運用は困難となった。
しかし、イラン・コントラ事件 に絡んでイランのアメリカ製機は補修部品調達を受け続けた為稼動状態を保ち、F-14もイラン・イラク戦争 で実戦使用された。このときは多目標を同時追尾でき、かつ長距離を探索可能なAN/AWG-9レーダー を活かしてAWACS の代わりに働いていたともいわれている[ 19] 。1983年 には部品の効率的な管理方法を編み出し、1985年 にはテヘラン 上空を25機以上のF-14を飛行させたことなどから一時は最大48機が稼動状態にあったとも言われている。
その後、イランへの武器の禁輸や生産中止によるパーツの不足から、2004年時点での稼働機は16機となり、うち5機のみが完全な任務遂行能力を保持する状態となった。しかし、2006年にアメリカ海軍からトムキャットが全機退役すると、多くのパーツが密輸入を含む様々なルートから調達された。2007年 には、アメリカ国防総省 国防兵站局の国防再利用販売サービス禁輸品目管理システムの不備を突いて部品1,400点以上を入手している。これにより、2011年には稼働機は42機に増加し軍の記念日に展示飛行を行っている。また、独自にオーバーホール センターを立ち上げている。
しかしイラン空軍は、F-4D/EやF-5E/Fについては数百万ドルを投じてリバースエンジニアリング と保守部品の国内生産化を図ってきたのに対し、F-14については機体維持を共食い整備に依存してきた。このため、稼働状態にある機体の数は、2012年の29機から、2021年には16機に減少した。ロシア からのSu-35SE の導入計画を受けて、空軍司令官 バヘディ准将は2024年中にF-14の運用を終了することを表明している[ 注 12] 。
アメリカ海軍 では鹵獲によりF-14とAIM-54のパーツがイラン空軍 へ渡ることを防ぐため、AIM-54を搭載したまま海中に没したF-14をNR-1 で回収するなど厳重な対策を行っていた。退役後も他の戦闘機 の例に漏れず各地で展示されつつあるが、レーダー・電子部品・エンジンなどは完全撤去され、稼働状態へ戻せない処置を施してから引き渡されている。ただし、取り外したエンジンなどは博物館において展示されており再装着は可能 。なお、この処置が不十分な機体が一部にあり、2007年3月にはカリフォルニア州政府がチノ の博物館が所有する機体を押収するという事件が発生した[ 21] 。
改修
2009年から2019年にかけて、イラン空軍はF-14Aの整備・オーバーホールおよび能力改善を行う「プロジェクト・ババエイ」(Project Babaiee )を実施した。この改修により、AN/AWG-9レーダーは、パルス・ドップラー・サーチ(PDS)モードで爆撃機サイズの目標なら277キロ、戦闘機サイズの目標なら213キロで探知できるようになる。まず2009年1月から2012年4月の間に、テヘランのイラン空軍第1戦術戦闘機基地(1TFB)のオーバーホールセンターで、シリアル番号3-6049の機体が改修され、同機は2012年5月に第81戦術戦闘飛行隊(81TFS)で再就役した。同機の実績を踏まえて、2013年からはイスファハンの第8戦術戦闘機基地(8TFB)のオーバーホールセンターでも同様の改修が開始され、2016年までに4機、2017・8年には更に3機が改修された。これらの改修機はF-14AMと呼称されるようになり、またスプリンターアジアン・マイナーII迷彩塗装が施された。
アメリカから輸入されたAIM-54ミサイルについては1980年代半ばに大半が使用不能となったが、2008年にレストアを行い2009年にはテストに成功した[ 23] 。またイラン・イラク戦争中には、セジル計画としてMIM-23Bホーク 地対空ミサイルをAN/AWG-9に適合化する研究が行われており、4機が改修された。空対空用のホークはAIM-23Cセジルと称された。更に2010年代には、MIM-23Bの部品をAIM-54Aと同一形状の弾体に収容したAIM-23Bマグソウドも製造された。このほか、ロシア製のR-27R やR-73 の搭載も検討されたものの、前者は技術的な問題で断念され、後者も赤外線捜索追尾システム (IRST)の欠如のために本来の性能を発揮できず、従来用いられてきたAIM-9Jに対する優位性がないとして、中止された。通常爆弾の運用能力も付加されており[ 24] 、イランのプレスは、「残り全てのF-14Aが打撃作戦遂行用に適用され、各種空対地装備を搭載できる」と伝えている。そのほか、空中給油装置の改修がなされている(プローブを引き込み式から固定式に変更)。
配備部隊
第72飛行隊(72nd TFS) - 1976年-1980年
第73飛行隊(73rd TFS) - 1977年-1990年代半ば頃
第81飛行隊(81st TFS) - 1977年より
第82飛行隊(82nd TFS) - 1978年より
第83飛行隊(83rd TFS) - 第73飛行隊より編成
活躍
1977年 8月にイラン空軍 のF-14はMIG-25R が領空を飛行しているのを捕捉、撃墜には至らなかったが、ソ連 はこれを機にイラン への領空偵察 を取り止めている(この件については、実際はソ連領空に侵入して追尾されつつ逃げ帰って来たイランの偵察機を援護した結果とも言われる)。
イラン革命 後のイラン・イラク戦争 開戦時、完全な状態の稼働機は7機程度でその他は非稼働か、少なくともAN/AWG-9 レーダーが作動しない状態であり、またイラン革命の際にパイロットや整備員が逮捕されていたためF-14を稼働させるための人員そのものが不足していた。この間は数少ない機数で主に後方で長距離探知が可能なレーダー を生かし早期警戒管制機 のような運用を行った[ 注 13] 。その後はパイロットや技術者の釈放に伴い若干数の機体を稼働状態に戻し、イラン上空の戦闘空中哨戒 (CAP)を行ったとされる。
戦争中にはイラク軍のMIG-25RB やミラージュF1EQ を撃墜したとされ、また1988年2月25日にはイラク軍の西安 B-6D (Tu-16 の中国生産機)とその機体が発射したC-601(中国語版 ) 空対艦ミサイルを撃墜する戦果を挙げている。時にはAN/AWG-9 レーダーが故障した状態で機関砲とAIM-9のみを用いて空戦に参加したという証言もある。[ 25] イラク空軍はイラン空軍のF-14の活躍により、のちの湾岸戦争で米海軍のF-14を回避せざるを得なくなったとされている。
イラン側発表では、総撃墜数は30機で、うち16機がAIM-54Aによる確実撃墜であると結論付けている。しかしイラン空軍の記録上ではF-14による撃墜数は確実撃墜130機、未確認23機とされている。このうち少なくとも40機はAIM-54A によるもので、2ないし3機が機関砲、15機程度がAIM-7によるもので、その他はAIM-9による戦果であるとしている。また、ロシア の調査ではイラン空軍は12-16機のF-14(16機の内、空対空戦闘で3機、自軍地対空ミサイルの誤射により4機撃墜されたことが確認されている)を喪失したとしており、同じ可変翼機のMiG-23とのドッグファイトで撃墜された機体もあることはイランも認めている。
派生型
1969年 -1991年 までの期間に、総計で712機のF-14A/B/Dが製造された。グラマン 社はF-14の発展型として、電子機器を換装し、全天候攻撃・偵察 能力を持たせたF-14C の新製を提案したが、計画段階で却下されている。実機にC型がないのはこのためであり、この仕様はD型計画に統合、活用された。さらには、性能を落とした「F-14X」も計画したが、こちらも却下されている[ 26] 。
F-14A
F-14A
基本型で478機がアメリカ海軍 、79機がイラン空軍 に引き渡された。なお、爆弾 の装備はB型以降だと思われがちだが、米海軍のF-14Aについては1991年 5月からテープ115Bと呼ばれる地上攻撃用プログラムの追加がF-14A全機に施されており、爆弾が装備可能である。
F-14A先行量産型(Block 1-55)
初期ロットの先行量産型。機体によっては、可変翼を収める「グローブ」と呼ばれる部分の形状、機首下面のポッド形状やECM アンテナ が後の生産型と異なりブロックによっても差異がある。なお先行量産型は「YF-14A」と呼ばれることもあるがこれは非正式呼称である。
Block 65-
エンジン をTF30-P-412からTF30-P-412Aに変更。
Block 70-
機体尾部の編隊灯の位置の変更および追加。機体上面の小翼(オーバーウィングフェアリング)の面積を2/3に縮小。なお、先行量産型でも同様の仕様の機体がいくつか存在し、このブロック以前の機体でもものによっては改修により実装している機体も存在した。
Block 80-
後方フェアリング内にAN/ALE-29 チャフ ・フレア ・ディスペンサーを追加し、尾部中央部を後方に延長。この変更に伴い主翼後退時の視認性が低下したため、尾灯の位置を変更。
Block 85-
機関砲 のガス抜きを7分割から上下2分割に変更(この変更自体はBlock 65の生産中から導入がはじめられていた)。
Block 90-
セントラルコンピュータの換装、主翼フラップ、前縁スラットをコンピューター自動制御化。UHF無線機をAN/ARC-51AからAN/ARC-159に変更。レドーム 先端にピトー管 を追加。この機体がF-14Aの基本形として定まる。
Block 95-
信頼性・整備性を向上。機内消火システムの改善。また、67号機よりエンジンをTF30-P-414Aに変更。
Block 100-
フラップ、スラットの駆動部性能の向上。燃料系統の改善。水密構造の強化。AN/AWG-9 の信頼性向上。
Block 110(最終号機)~
ECM装置をAN/ALQ-100 からAN/ALQ-126 (ドイツ語版 ) (後にAN/ALQ-126B)に変更。チャフ・フレア・ディスペンサーをAN/ALE-39 (ドイツ語版 ) に変更。
Block 125-
機首下面にAN/AXX-1 TVカメラセットを装着可能に変更。Block 125以前の機体についても装着可能に改修が施された。しかし、TVカメラセット自体の数が133個しか無かったため、飛行隊同士で使い回しを行っている。
F-14T
F-14Aの製造費用があまりにも高価だったため性能を落とし費用を低減した型式。特にAIM-54 の運用能力の削除など火器管制装置の機能が落とされている。計画のみ。
F-14X
F-14Tの火器管制能力をF-14A以下F-14T以上のものに変更した型式。計画のみ。
F-14 Optimod
F-14Aの火器管制装置をダウングレードした輸出用廉価版。計画のみ。型式のOptimod は最適改善の意。
RF-14
F-14Aをベースとした偵察 型。計画のみ。この計画の代わりに海軍は下記のTRAPS案を採用している。
F-14A(TARPS)
偵察ポッドTARPS を運用するF-14A。71機に対してTARPS搭載改修が行われていると言われている。
F-14BとF-14C
当初、アメリカ海軍にとってF-14Aの生産は暫定的なものであり、エンジンにせよアビオニクスにせよ早期にアップデートする予定であった。その第一段階としてエンジンをF401に換装したF-14B、エンジン換装に加えアビオニクスをアップデートしたものをF-14Cとしていた。しかしF401の開発の遅れと経費の高騰からB型がキャンセルされたことからC型もキャンセルされた。
1981年に保管状態だった試作7号機のエンジンをF401からF101に再換装して試験を行うも再び計画はキャンセルされ、1984年7月のF110へのアップグレードを待つことになる。
F-14 IMIのモックアップ
F-14 IMI
IMIはImproved Manned Interceptor 改良型有人迎撃機 の略で、1968年のYF-12のキャンセルを受けてアメリカ空軍防空軍団(ADC)の運用するF-106の後継機を求めたもの。ノースアメリカンのA-5 ビジランティのトンネル型爆弾倉に加速用ロケットを搭載したリタニエーターを改設計し、ロケットの代わりに3基目のJ79エンジンを搭載した3発機「NR-349」、コンベアのF-106のアップデート案である「F-106E/F」とともに、1971年 にグラマンが提案した空軍向け迎撃型。エンジンに前述のF401を搭載したB型をベースに両サイドのエンジン間のトンネルをAIM-54のランチャー兼用のコンフォーマルタンクとすることで航続距離を延長する予定であった。
しかしIMI計画そのものがFY73(73会計年度)の500万ドルを最後に支出が打ち切られ、キャンセルされた。グラマンはこの後も海軍のB型(後述のA+ではなく上述のF401搭載のB型)がキャンセルされるまで、F-14 IMIの作業を続けている。
F-14B
F-14B(F-14A+)
F-14A+はB型として予定されていたエンジン の換装とC型で予定されていたアビオニクス のアップデートの統合を行った機体である。上記のエンジンの問題にもあるように、F-14AのTF30エンジンは開発当初からその問題が指摘されていた。そのためエンジンの換装案がいくつか挙がっており、最終的にエンジンをゼネラル・エレクトリック F110-GE-400 に換装したF-14A+が開発された。1991年5月にはF-14Bに呼称を変更されている[ 注 14] 。F-14BのテストベッドとされたF-14A試作7号機もエンジンを再々換装されテストに参加した。
エンジンをTF30からF110-GE-400に変更
火器管制セットをAN/AWG-15Hに変更
グローブベーンを廃止し代わりに燃料タンクを装備
ミッションコンピューターをCP-2213/AWG-9に変更
チャフ・フレア・ディスペンサーをAN/ALE-47 に変更
1996年 から以下の改修が行われた
MIL-STD-1553B (英語版 ) デジタルデータバスの搭載
航行装置にAN/ASN-163GPS を追加
対地攻撃用の火器管制装置AN/AWG-15の搭載
AN/ALR-67レーダー警報受信機 の搭載
サイドワインダー のランチャー をLAU-7/AからLAU-138 BOLチャフディスペンサー付きランチャーに変更
AN/AWG-9に爆撃 用プログラムの追加
LANTIRNポッド(AN/AAQ-25)運用能力の付加。これによりレーザー 誘導爆弾 によるピンポイント爆撃や夜間や悪天候下での地上攻撃が行えようになった。
機体下面のミサイルフェアにADU-703アダプターを介してBRU-32エジェクターラックまたはBRU-42トリプルエジェクターラックを搭載可能に変更。爆弾の搭載能力および搭載数を増加
F-14D
空母「セオドア・ルーズベルト 」所属機のF-14D(R)に追加されたROVER (英語版 ) の送受信アンテナ(赤丸の部分)
F-14D
1990年 には、レーダー をデジタル化 したAN/APG-71 に換装したD型が開発された。D型には実際に配備されたものには新規で製造されたものと、F-14Aを改修したものの2つのタイプがあるが、前者はF-14Dと呼び、後者はF-14D(R)と呼ばれる。B、Dとも最初は全てのA型を改修する予定だったが、冷戦の終結 で製造費が安価で運用も柔軟なF/A-18 戦闘攻撃機 の導入が基本方針となり、改修も新造も大幅に規模が縮小された。
2002年には、AFC880改修を受けAN/AVX-3戦術画像セットを搭載可能となった。また、2005年 には、いくつかのF-14Dに対して改良型遠隔操作ビデオレコーダーフルモーションビデオ(ROVER III (英語版 ) )受信/送信機が追加され、データリンクを通して撮影した画像をほぼリアルタイムで送信可能となった
F/A-14D
既存のF-14Dを改修し攻撃力を向上させることでA-6 等の代替を図った型式。1994年 に資金が獲得出来れば、1995年 に計画を立ち上げ1997年 までにロールアウトする予定であったが予算が獲得できなかったため計画のみとなっている。
F/A-14Dは4段階で改修を進める事が計画されていた。改修点は以下の通り
PHASE-1
PHASE-2
コックピットを航法用FLIRと暗視装置に完全対応したものへと変更
カラーデジタル移動地図の搭載
PHASE-3
AN/APG-71に以下のモードを追加(合成開口レーダー モード、海上捜索モード、移動目標追尾モード、地形追随モード、グランドマッピングモードなど)
PHASE-4
F-14Dクイックストライク(英 :F-14D Quickstrike)
F-14Dを21世紀 にも通用する戦闘機 として改良した発達型。本格的な対地攻撃能力の付加により退役したA-6 の役割も代替できるとされていた。計画のみ。
スーパートムキャット21(英 :Super Tomcat 21st Century:ST21)
NATF の代替案として提案された発展型。クイックストライクの改修点に加え以下の改良が予定されていた。計画のみ。
アタック・スーパートムキャット21(英 :Attack Super Tomcat 21st Century、AST21)
A-12 の代替案として提案された発展型。計画のみ。
空中航空統制能力の付加
核兵器 運用能力の付加
主翼の外翼を厚く変更し燃料タンクを増設
大型の機外燃料タンクへの対応
単隙間式のファウラーフラップや翼弦を延ばしたスラットの採用など高揚力装置 の改良。重量増加を抑えるためフラップ、スラットは複合材を使用
火器管制レーダーをA-12用に開発されていたAN/APQ-183へ変更
先進型攻撃戦闘機(英 :Advanced Strike Fighter、ASF-14)
スーパートムキャット21とアタック・スーパートムキャット21の複合案。NATFの兵装やシステム、エンジンなどを搭載する予定であった。計画のみ
F-14B、F-14Dはスーパー・トムキャット(Super Tomcat)という非公式の愛称がつけられている。BおよびDはF110エンジンを搭載し、排気ノズルの形状がTF30エンジンのA型と異なるため、外見から判別可能である。また、DはIRSTはTVカメラセットと並べた形で搭載しておりBと判別可能である。
B/D型の改修は同時並行で行われたこともあり、各機によって改修の程度がバラバラであり、ブロックについても先行して次のブロックの仕様が取り入れられている機体も存在した。
国防総省 は海軍からの根強い反対にもかかわらず、性能は劣るものの安価で整備が容易なF/A-18を主力として、F-14Dの全面配備を認めなかった。当初400機以上が導入される予定であったF-14Dは結局、国防予算の都合、フル装備の重いF-14が着艦可能な空母が無い、既にF/A-18が配備されていたなどの理由により、新造37機、A型からの改造18機の計55機の配備にとどまった。
スーパートムキャットなどの発展型はいずれも多機能かつF/A-18E/Fよりも低コストであるとされていたが、可変翼ゆえの整備性・運用コストの悪さと空対艦ミサイル 搭載可能化などマルチロール化 が失敗したことなどにより採用されることはなかった。
諸元
F-14A [ 27] [ 28]
乗員
2名
全長
61.9ft (18.87m)[ 注 17]
全幅
64.13ft/38.2ft/33.29ft (19.55m/11.64m/10.15m) ※主翼後退角:20度/68度/75度[ 注 18]
全高
16ft (4.88m)
翼面積
565ft² (52.49m²)
エンジン[ 29]
Pratt & Whitney TF30-P-412/412A/414A (推力:48.04kN ⇒ 92.97kN)[ 注 19] ×2
空虚重量
38,188lbs (17,322kg)
ミッション
HI-HI-HI
FIGHTER ESCORT
FLEET AIR DEFENSE
離陸重量
56,790lbs (25,760kg)
58,790lbs (26,667kg)
68,649lbs (31,139kg)
戦闘重量
50,310lbs (22,820kg)
52,310lbs (23,727kg)
60,256lbs (27,332kg)
搭載燃料[ 注 20]
離陸重量:2,382gal (9,017ℓ) 戦闘重量:1,429gal (5,409ℓ)
離陸重量:2,382gal (9,017ℓ) 戦闘重量:1,429gal (5,409ℓ)
離陸重量:2,916gal (11,038ℓ) 戦闘重量:1,750gal (6,624ℓ)
携行装備
―
AIM-7×4
AIM-54×6
ペイロード
378lbs (171kg)
2,378lbs (1,079kg)
5,910lbs (2,681kg)
最高速度
1,314kn/38,000ft (2,434km/h 高度11,584m)
1,289kn/38,000ft (2,387km/h 高度11,584m)
1,090kn/38,000ft (2,019km/h 高度11,584m)
上昇能力
47,900ft/m S.L. (243.33m/s 海面高度)
44,800ft/m S.L. (227.58m/s 海面高度)
34,200ft/m S.L. (173.74m/s 海面高度)
実用上昇限度
57,600ft (17,556m)
56,400ft (17,191m)
48,200ft (14,691m)
航続距離[ 注 21]
1,553n.mile (2,876km)
1,480n.mile (2,741km)
1,375n.mile (2,547km)
固定兵装
M61A1 20mm機関砲 ×1 (弾数計676発)
アビオニクス
兵装制御
電子戦
AN/ALR-50
AN/ALR-45(V)
AN/ALQ-100
AN/ALE-39
飛行制御
AN/ASW-32
AN/ASN-105
C-8684/A
通信・リンク
LS-460B/AIC
JULIET-28
MX-9467/A
R-1623/APN
AN/APX-72
AN/APX-76(V)
AN/ARC-51A
AN/ASW-27B
AN/ARR-69
AN/APN-154(V)
AN/ARA-63
航法支援
AN/APN-194(V)
AN/ASN-92(V)
A/A24G27-A
AN/ARN-84(V)
AN/ARA-50
CP-1145/A
CP-1030/A
F-14D [ 30] [ 31]
乗員
2名
全長
61.9ft (18.87m)[ 注 22]
全幅
64.13ft/38.2ft/33.29ft (19.55m/11.64m/10.15m) ※主翼後退角:20度/68度/75度[ 注 23]
全高
16ft (4.88m)
翼面積
565ft² (52.49m²)
エンジン[ 29]
General Electric F110-GE-400 (推力:52.49kN ⇒ 119.88kN)[ 注 24] ×2
空虚重量
41,353lbs (18,757kg)
ミッション
HI-HI-HI
FIGHTER ESCORT
FLEET AIR DEFENSE
離陸重量
60,432lbs (27,411kg)
63,666lbs (28,878kg)
72,646lbs (32,952kg)
戦闘重量
53,952lbs (24,472kg)
57,186lbs (25,939kg)
64,172lbs (29,108kg)
搭載燃料[ 注 25]
離陸重量:2,382gal (9,017ℓ) 戦闘重量:1,429gal (5,409ℓ)
離陸重量:2,382gal (9,017ℓ) 戦闘重量:1,429gal (5,409ℓ)
離陸重量:2,942gal (11,137ℓ) 戦闘重量:1,765gal (6,681ℓ)
携行装備
―
AIM-7×4 + AIM-9×4
AIM-54×4 + AIM-7×2 + AIM-9×2
ペイロード
378lbs (171kg)
3,158lbs (1,432kg)
5,980lbs (2,712kg)
最高速度
1,196kn/35,000ft (2,215km/h 高度10,668m)
1,052kn/35,000ft (1,948km/h 高度10,668m)
1,052kn/35,000ft (1,948km/h 高度10,668m)
上昇能力
44,500ft/m S.L. (226.06m/s 海面高度) 40,000ft (12,192m) まで81秒
39,900ft/m S.L. (202.69m/s 海面高度) 40,000ft (12,192m) まで91.2秒
34,000ft/m S.L. (172.72m/s 海面高度) 40,000ft (12,192m) まで109.8秒
実用上昇限度
56,500ft (17,221m)
54,200ft (16,520m)
51,200ft (15,606m)
航続距離[ 注 26]
1,312n.mile (2,430km)
1,158n.mile (2,145km)
1,226n.mile (2,271km)
固定兵装
M61A1 20mm機関砲 ×1 (弾数計676発)
アビオニクス
兵装制御
電子戦
飛行制御
C-9684 A/A ⇒ C-8684B/A
CPU-175/A
ID-663D/U
AVU-30/A
AAU-39/A
AQU-5/A
AAU-8/A
AN/ASW-43A ⇒ AN/ASW-59
AN/ASN-105 ⇒ AN/ASN-146
通信・リンク
LS-460B/AIC
TSEC/KY-58
MX-10666/A
R-1623/APN-154
AN/APX-100(V)
AN/APX-76C
AN/ARC-182(V)
AN/ASW-27B/C
AN/APN-154(V)
AN/ARA-63/B
AN/URC-107
偵察補助
航法支援
OA-8697A/ARD
CV-3845/A
DSU-4A/A
R-2512
MU-1053/A
AN/APN-194(V)
AN/ASN-130A ⇒ AN/ASN-139
AN/ARN-118(V)
AN/AYK-14(V)[ 注 29]
AN/USN-2(V)
ディスプレイ
IP-1494/A
IP-1514/A
CV-3916/A
C-11554
超音速のF-14
兵装
[ 32]
運用試験機に装備
イラン空軍独自兵装
現存する機体
イランに部品が持ち去られる事態を想定して、展示されている機体からはエンジンと電子部品を取り外している。ただし、それらの部品はきちんと保存されており再装着出来る可能性がある。また、主翼を最大に展開すると展示する場所を取るために、多くの機体は可変翼を活かし最大後退位置に移動されている。
F-14A
BuNo.157982:ニューヨーク州のクレイドル・オブ・アビエーション・ミュージアム。試作3号機でミサイルなどの試験に使われた。
BuNo.157988:バージニア州のオセアナ海軍基地。
BuNo.157990:カリフォルニア州のマーチフィールド航空博物館。空母適合性試験に使用。
BuNo.158617:ペンシルベニア州のホワイトホール。
BuNo.158978:カリフォルニア州のUSSミッドウェイ航空博物館。
BuNo.158985:カリフォルニア州のヤンクス航空博物館。
BuNo.158998:ニュージャージー州の航空勝利博物館。
BuNo.158999:テキサス州のフォートワース海軍基地 。
BuNo.159025:サウスカロライナ州のパトリオッツ・ポイント海軍海洋博物館。
BuNo.159445:バージニア州のノーフォーク海軍基地。
BuNo.159448:ペンシルベニア州の海軍在庫管理センター。
BuNo.159455:メリーランド州のNASパタクセントリバーにおけるレキシントンパーク。VX-23所属機。
BuNo.159620:カリフォルニア州のNAFエルセントロ。
BuNo.159626:ネバダ州のファロン海軍航空基地。海軍打撃・航空戦センター。
BuNo.159631:カリフォルニア州のサンディエゴ航空宇宙博物館。映画「トップガン マーベリック 」の撮影に使用。
BuNo.159829:コロラド州のウィングス・オーバー・ザ・ロッキー航空宇宙博物館。VF-211で使用された後に整備訓練に使用。
BuNo.159830:カリフォルニア州の西側航空博物館。
BuNo.159848:オレゴン州のティラムック航空博物館。
BuNo.159853:バージニア州の防衛供給センター。
BuNo.160382:ワシントン州のタクウィラ航空博物館。映画「ファイナル・カウントダウン 」の撮影に使用。
BuNo.160386:イリノイ州の五大湖海軍基地。
BuNo.160391:テキサス州のテキサス航空博物館。「エグゼクティブ・ディシジョン 」、「ファイナル・カウントダウン」に使用。
BuNo.160395:ミシガン州のカラマズー航空歴史博物館。
BuNo.160401:バージニア州のオセアナ海軍基地・ケープス艦隊エリア管制監視施設。
BuNo.160402:バージニア州のオセアナ海軍基地。
BuNo.160403:テキサス州の空軍遺産博物館。1981年のシドラ湾事件に参加した機体。
BuNo.160411:ニューヨーク州のエンパイアステート航空科学博物館。
BuNo.160658:ニュージャージー州のマクガイア・ディックス・レイクハースト統合基地。
BuNo.160661:アラバマ州の米国宇宙ロケットセンター。
BuNo.160666:カリフォルニア州の西側航空宇宙博物館。後に電子機器や兵装システムのテストに用いられた。
BuNo.160684:アリゾナ州のピマ航空宇宙博物館。
BuNo.160694:テキサス州のレキシントン博物館。映画「トップガン」の撮影に使用された。
BuNo.160889:カリフォルニア州のチャールズ・M・シュルツ・ソノマカウンティ空港に併設されたパシフィックコース航空博物館。
BuNo.160898:カリフォルニア州のパームスプリングス航空博物館。
BuNo.160902:ニューヨーク州のグラマン記念公園。
BuNo.190903:カンザス州のミッドアメリカ航空博物館。
BuNo.160909:ジョージア州のドビンズ空軍予備基地。
BuNo.160914:ミネソタ州のウィルマー市営空港。
BuNo.160925:カンザス州のアイゼンハワー・パーク。
BuNo.161134:フロリダ州のヴァリアント航空司令部ウォーバード博物館。
BuNo.161141:日本の厚木基地 。
BuNo.161598:オクラホマ州のタルサ航空宇宙博物館。
BuNo.161605:ニューヨーク州のウィングス・オブ・イーグルス・ディスカバリー・センター。
BuNo.161615:カンザス州の戦闘航空博物館。
BuNo.161620:ミシガン州のセルブリッジ軍事航空博物館。
BuNo.161860:ケンタッキー州のケンタッキー航空博物館。
BuNo.162591:メリーランド州の米国海軍兵学校。
BuNo.162592:カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館。
BuNo.162595:メリーランド州のパタクセントリバー海軍航空基地。
BuNo.162608:アラバマ州の南部航空博物館。
BuNo.162689:カリフォルニア州のホーネット博物館。
BuNo.162694:オハイオ州のMAPS航空博物館。
BuNo.162710:フロリダ州の国立海軍航空博物館。
F-14B
BuNo.161422:ニュージャージー州のワイルドウッド航空博物館。
BuNo.161426:フロリダ州のデランド海軍航空博物館。
BuNo.162912:インディアナ州のグリソム航空博物館。
BuNo.162916:ペンシルベニア州の東ベルリン地区。
BuNo.162926:コネチカット州のニューイングランド航空博物館。
BuNo.162911:カリフォルニア州のエストレーラ・ウォーバード博物館。
F-14D
BuNo.157986:ニューヨーク州のイントレピッド海空宇宙博物館。試作7号機。
BuNo.163893:テネシー州のアーノルド空軍基地。エンジニアリング開発センター正門に配置。
BuNo.163897:カリフォルニア州の航空宇宙博物館。
BuNo.163902:ノースカロライナ州のヒッコリー航空博物館。退役式に参加した。
BuNo.163904:ハワイ諸島のフォード島の太平洋航空博物館。
BuNo.164342:フロリダ州のウイングス・オーバー・マイアミ。
BuNo.164343:オレゴン州のエバーグリーン航空博物館。
BuNo.164346:ジョージア州のローマ航空博物館。最後に空母で離発着を行ったD型。
BuNo.164350:カリフォルニア州のジョー・デイビス・ヘリテージ・エアパーク。
BuNo.164601:カリフォルニア州のキャッスル航空博物館。
BuNo.164603:ニューヨーク州のクレイドル航空博物館。最後に飛行したD型。
BuNo.164604:バージニア州のNASオセアナ記念公園。最後に製造されたD型。
F-14D(R)
BuNo.159600:テキサス州ブロンコ博物館。
BuNo.159610:バージニア州のスミソニアン航空宇宙博物館。第二次シドラ湾事件に参加していた機体。
BuNo.159619:フロリダ州のフロリダ航空博物館。
BuNo.161159:フロリダ州の国立海軍博物館。
BuNo.161163:イリノイ州のプレーリー航空博物館。
BuNo.161166:ノースカロライナ州のカロライナ航空博物館。
NF-14D
BuNo.161623:メリーランド州のNASパタクセントリバー海軍航空博物館。元はVX-23所属機。
登場作品
脚注
注釈
^ もっともF-111よりも軽量化されたF-14ですら、AIM-54を6発搭載では着艦重量を超えるため、2発を投棄または発射後でないと着艦できない。
^ ちなみに、グラマンはモデル303-60案提出後に以下の7案を検討している。
303-60 ポッド型のエンジン、高位置の可変後退翼、一枚の垂直尾翼
303A 303-60案をベースにエンジンカバーの形状を変更
303B 303-60を配置比較の為に更新
303C 埋込型エンジン、高位置の可変後退翼、二枚の垂直尾翼
303D 303Cをベースに可変後退翼を低位置に変更
303E ポッド型エンジン、高位置の可変後退翼、二枚の垂直尾翼
303F 埋込型エンジン、高位置の固定翼、二枚の垂直尾翼
303G F-4と同じ火器管制装置のAN/AWG-10 を搭載しフェニックスは搭載せずスパローを運用。ポッド型エンジン、可変後退翼
^ RIOの大半は操縦資格を所持していない。なお、空軍型や輸出用のF-4では、後席にも操縦機構がついている
^ 主翼全縁に取付けられた高揚力装置の一種であり、作動すると、主翼前縁に取付けられているスラットが前へ移動して、スラットと主翼前縁との間にスロットと呼ばれる隙間ができる。大迎角時には、主翼に流れる気流がその隙間から翼上面に向かって流れて、翼上面を流れる気流の剥離を抑えて失速を防ぐとともに揚力を増加させる。また、作動していないときには、スラットと主翼全縁との間は閉じられている。
^ F-15やF-16といった同世代機との比較であり、前任機F-4よりは低翼面荷重 である
^ 2機のF-15に対するF-14の模擬空戦での勝利は、一種伝説化しているものの、実際のところF-15とF-14の比較、競走を目的としたものではなく「低性能機が囮になり低高度に敵を誘い込んだあと上空から高性能機で襲撃(当時ベトナムでこのような戦術があった)」というシナリオに沿ったF-15のための訓練であり、低性能機をA-4が、本機が高性能機役を果たしたものである。当然訓練シナリオ上、罠にかかるところまでは予定調和であるから本機が一方的に有利な状態からのスタートとなる
^ A-5ヴィジランティ も、間隔をあけたエンジンにはさまれた位置に爆弾倉を設けており、類似する設計となっている
^ 主翼可動部分にはパイロンを持たないため、搭載量は機体規模に比して大きくない。
^ 飛行中、主翼がある迎角 で発生させる揚力と効力との比であり、L/Dで表される。これが大きい場合の飛行機は、滑空性能が良く、航続距離が長くなる。
^ 主翼には揚力と抗力との合力が翼弦線と交わる点を風圧中心と呼んでいるが、翼型の中心とは一致せず、それにより回転する力(モーメント)が発生する。これを空力モーメントと言う。迎角の変化により風圧中心も変化し、迎角が小さいと前縁回りのモーメントが働き、迎角が大きいと後縁回りのモーメントが働く。しかし迎角が変化しても、前縁回り又は後縁回りのモーメントが発生しない点が発生する。この点を空力中心と呼び、普通の翼型では、翼弦線の25%前後にある。本機の場合はそれが移動することにより、機体の安定が著しく変化してしまう。
^ 1976年 に入間基地 で行われた国際航空宇宙ショー での両機の激しい売り込み合戦があった。
^ ただしSu-35SEの導入計画には最高指導者 であるハメネイ師 が難色を示し、またロシアとの交渉も難航するなどの困難に直面している。Sh-35SEの導入以前にF-14の運用が終了すると、イラン空軍の最有力の戦闘機はMiG-29 となる。
^ アメリカのF-14もアフガニスタン戦争でこのような使用を行っている。
^ PS2で発売された「エースコンバット5 」にてB型が爆弾装備のため「ボムキャット」という愛称になっていたが、実際には他型でもLANTIRN ユニット装備、コンピューターの変更などの改修を施されたものは爆弾装備可能である。これを当時の操縦士は「ボムキャット」と既に呼称しており、B型だけを指すものではない。
^ Airborne Self-Protection Jammerの略
^ 海軍乗員共有射出座席、Naval Aircrew Common Ejection Seatsの略
^ STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICSに記載されている数値。Flight Manualでは61ft 11.9in (18.90m)
^ STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICSに記載されている数値。Flight Manualでは64ft 1.5in/38ft 1.9in/33ft 3.5in/32ft 8.5in (19.55m/11.63m/10.15m/9.97m) ※主翼後退角:20度/68度/75度/OVERSWEEP
^ Max Continuous:48.04kN、Intermediate:54.94kN、Maximum A/B:92.97kN
^ 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに2,382gal (9,017ℓ)、落下増槽タンクを267gal (1,011ℓ) ×2の合計2,916gal (11,038ℓ)
^ FERRY 時航続距離は1,940n.mile (3,593km)
^ STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICSに記載されている数値。Flight Manualでは62ft 8.5in (19.11m)
^ STANDARD AIRCRAFT CHARACTERISTICSに記載されている数値。Flight Manualでは64ft 1.5in/38ft 2.5in/33ft 3.5in/32ft 8.5in (19.55m/11.65m/10.15m/9.97m) ※主翼後退角:20度/68度/75度/OVERSWEEP
^ Max Continuous:52.49kN、Intermediate:72.65kN、Maximum A/B:119.88kN
^ 搭載可能燃料は機体内燃料タンクに2,382gal (9,017ℓ)、落下増槽タンクを280gal (1,060ℓ) ×2の合計2,942gal (11,137ℓ)
^ FERRY 時航続距離は1,591n.mile (2,947km)
^ AN/APG-71 (XN-1)
^ AN/AAS-429XN-1
^ AN/AYK-14 9XN-60 PMM
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
F-14 (戦闘機) に関連する
メディア および
カテゴリ があります。