2001年のワールドシリーズ
2001年の野球 において、メジャーリーグベースボール(MLB) 優勝決定戦の第97回ワールドシリーズ (英語 : 97th World Series )は、10月27日から11月4日にかけて計7試合が開催された。その結果、アリゾナ・ダイヤモンドバックス (ナショナルリーグ )がニューヨーク・ヤンキース (アメリカンリーグ )を4勝3敗で下し、球団創設4年目で初の優勝を果たした。
アメリカ合衆国 ではこの年の9月11日、ヤンキースの本拠地都市ニューヨーク州 ニューヨーク にあるワールドトレードセンター など、複数の地点へハイジャック された航空機 が自爆目的で衝突 するという同時多発テロ事件 が発生し、3,000人近い死者を出した。その影響でMLBのシーズンが1週間にわたって中断・延期されたため、今シリーズはワールドシリーズ史上初めて、開催期間が11月に突入した。第4戦の延長10回裏、ヤンキースのデレク・ジーター の打席 中に日付が11月1日に変わり、その打席でジーターがサヨナラ本塁打 を放ったため、ジーターは "ミスター・ノベンバー"(11月男)と呼ばれるようになった[ 注 1] [ 3] 。ヤンキースは続く第5戦も前の試合と同様に、2点を追う9回裏に本塁打 で同点に追いついたあと延長戦の末にサヨナラ勝利し、シリーズ制覇へ先に王手をかけた。
第6戦はダイヤモンドバックスが勝利して3勝3敗のタイとし、シリーズの行方は最終第7戦へもつれ込んだ。その第7戦では、ダイヤモンドバックスが1点を追う9回裏、ヤンキースの抑え投手 マリアノ・リベラ を攻め立てて同点とし、さらにルイス・ゴンザレス のサヨナラ適時打で優勝を決めた。ポストシーズン 史上、9回裏の攻撃をビハインドで迎えたチームの逆転サヨナラ勝利が3試合あるのは初めて[ 4] 。また、サヨナラ安打 での優勝決定は、ワールドシリーズ史上4年ぶり9度目である[ 5] 。1998年 創設のダイヤモンドバックスは、その年 から始まったヤンキースのシリーズ連覇を3で止めると同時に、1961年 以降のエクスパンション によって創設された球団としては史上最速となる4年目での優勝を達成した[ 6] 。アリゾナ州 を本拠地とするチームの北米4大プロスポーツリーグ 優勝も、これが史上初である[ 7] 。
シリーズMVP には、ダイヤモンドバックスの先発ローテーション を支えた2投手、ランディ・ジョンソン とカート・シリング が選出された。ジョンソンは3試合17.1イニングで3勝0敗・防御率 1.04を記録、第6戦に先発登板し7.0イニング104球を投じたあと、翌日の第7戦にも救援登板し1.1イニングを無安打に抑えて逆転サヨナラ勝利を呼び込んだ。シリングは3試合21.1イニングで1勝0敗・防御率1.69を記録、第1戦→第4戦→第7戦と中3日で3先発し、全ての試合で7.0イニング以上を投げて相手打線を8三振 以上・2失点以下に封じた。シリーズMVPを複数選手が同時受賞するのは、1981年シリーズ でロサンゼルス・ドジャース から3選手が選出されて以来20年ぶり2度目である[ 8] 。またのちにこのふたりは、雑誌『スポーツ・イラストレイテッド 』選出のスポーツメン・オブ・ザ・イヤー賞 も共同受賞した[ 9] 。
両チームの過去の対戦
MLBでは1997年 から、アメリカンリーグ 球団とナショナルリーグ 球団がレギュラーシーズン中に対戦する "インターリーグ " が導入された。しかし、ダイヤモンドバックスが創設された1998年 から2001年 までの4年間、ダイヤモンドバックスとヤンキースの対戦は組まれていない[ 10] 。というのも、インターリーグはこの年までの5年間、ナショナルリーグ西地区 の球団はアメリカンリーグ西地区 の球団と、アメリカンリーグ東地区 の球団はナショナルリーグ東地区 の球団と、というように対戦カードを同地区球団どうしのみに限定していたためである[ 11] 。
試合結果
2001年のワールドシリーズは10月27日に開幕し、途中に移動日を挟んで9日間で7試合が行われた。日程・結果は以下の通り。
日付
試合
ビジター球団(先攻)
スコア
ホーム球団(後攻)
開催球場
10月27日(土)
第1戦
ニューヨーク・ヤンキース
1-9
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
バンク・ワン・ボールパーク
10月28日(日)
第2戦
ニューヨーク・ヤンキース
0-4
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
10月29日(月)
移動日
10月30日(火)
第3戦
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
1-2
ニューヨーク・ヤンキース
ヤンキー・スタジアム
10月31日(水)
第4戦
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
3-4x
ニューヨーク・ヤンキース
11月0 1日(木)
第5戦
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
2-3x
ニューヨーク・ヤンキース
11月0 2日(金)
移動日
11月0 3日(土)
第6戦
ニューヨーク・ヤンキース
2-15
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
バンク・ワン・ボールパーク
11月0 4日(日)
第7戦
ニューヨーク・ヤンキース
2-3x
アリゾナ・ダイヤモンドバックス
優勝:アリゾナ・ダイヤモンドバックス(4勝3敗 / 球団創設4年目で初)
第1戦 10月27日
第2戦 10月28日
第3戦 10月30日
第4戦 10月31日
第5戦 11月1日
第6戦 11月3日
第7戦 11月4日
最終第7戦の先発投手 は、ダイヤモンドバックスはカート・シリング 、ヤンキースはロジャー・クレメンス 。このポストシーズン での成績は、シリングが5試合41.0イニングで4勝0敗・防御率 0.88、クレメンスが4試合20.1イニングで1勝1敗・防御率2.66である。このふたりはともに、この年のレギュラーシーズンでは20勝を挙げている。7戦4勝制のワールドシリーズが3勝3敗のタイにもつれ、最終戦でその年の20勝投手どうしが先発として投げ合うのは、1985年 以来16年ぶり史上6度目である[ 12] 。ダイヤモンドバックスGM のジョー・ガラジオーラ・ジュニア はこのふたりの投げ合いを、1975年10月に行われたボクシング の世界ヘビー級 タイトルマッチ "スリラー・イン・マニラ " に喩えた[ 13] 。
1991年 のシーズン終了後、伸び悩む若手投手だったシリングはクレメンスに助言を請い、才能を無駄遣いしていると一喝されたことで野球に取り組む姿勢を変え、翌年以降の飛躍につなげた。それから10年が経ったこの日、クレメンスと投げ合うことについて、シリングは「個人的に大きな意味を持つ」と話す[ 9] 。その一方で、今季はレギュラーシーズンとポストシーズンで合わせて既に297イニングを投げているうえ、それまで未経験だった中3日での先発登板を今シリーズでは第1戦→第4戦→第7戦と続けているため、腕にはかなりの痛みがあったという[ 14] 。それでもシリングは、マウンド に上がると好投を見せる。初回表、一死から2番ポール・オニール の打球 が右中間を破った。オニールは二塁を回って三塁打 にしようとしたが、この打球を処理した右翼手ダニー・バティスタ から二塁手クレイグ・カウンセル を経て三塁手マット・ウィリアムズ へ送球 が渡り、オニールは三塁でタッチアウトとなった。このあとシリングは16打者連続でアウトを重ね、6回表終了までオニールの一打を除いて相手打線を完璧に封じた[ 15] 。第3戦先発投手のブライアン・アンダーソン は、シリングが崩れたときに備えて試合開始からブルペン で待機していたが、2回表が終わる頃には自分の出番がなさそうだと悟った[ 14] 。また、捕手のダミアン・ミラー はこの日、シリングの球を受けていて「いつもと変わらない」と感じていた[ 16] 。
ロジャー・クレメンス の年齢は、この試合時点で39歳92日だった。最終第7戦の先発投手としてはシリーズ史上最高齢である[ 17] (写真は現役引退後の2012年10月23日撮影)
対するクレメンスは、毎回走者の出塁を許す。特に最初の3イニングは、初回裏は自らの失策 をきっかけに二死二塁、2回裏は与四球 と被安打 で一死一・二塁、3回裏は2被安打で二死一・二塁、といずれも得点圏 に走者を背負った。だがその都度、後続を三振 に仕留めてダイヤモンドバックスの先制を阻止した。5回終了時点で両軍無得点という展開は、シリーズ最終第7戦では10年ぶり史上3度目だった[ 14] 。この均衡が破れたのは6回裏である。この回先頭の5番スティーブ・フィンリー が中前打で出塁した。ダイヤモンドバックス先頭打者の出塁は、この試合ではこれが初めて[ 18] 。すると次打者D・バティスタは初球を捉えて左中間を破り、フィンリーが先制のホームを踏んだ。ダイヤモンドバックスの外野は左翼のルイス・ゴンザレス のみが固定で、残り2枠にはプラトーン・システム を採用していた。この日は右のクレメンスを相手に、まず中堅に左打者のフィンリーが入った。残る右翼の候補はともに右打者のレジー・サンダース とD・バティスタで、過去のクレメンスとの対戦成績からD・バティスタが選ばれており、この選手起用がこの場面で的中した[ 注 2] [ 19] 。ただD・バティスタはこの打球で、初回表のオニールと同様に三塁を狙ってアウトとなり、クレメンスは1失点のみで切り抜けた。この時点で両投手の球数は、シリングが75球だったのに対しクレメンスは既に100球を超えていた[ 15] 。
試合が7回に入る頃から球場周辺の天候が荒れ始め、砂嵐 がフィールドに吹き込み小雨 も降り出した[ 14] 。そのなかでヤンキースは7回表、すぐさま同点に追いついた。先頭の1番デレク・ジーター と2番オニールが連打で無死一・二塁とする。ヤンキースは3番バーニー・ウィリアムス に犠牲バント をさせずに打たせ[ 20] 、一ゴロで一塁走者オニールが封殺 されて一死一・三塁となる。ここで4番ティノ・マルティネス が右前打を放ってジーターを還した。シリングは後続を外野フライに打ち取り、同点にとどめた。その裏ダイヤモンドバックスは、9番シリングから始まる打順で代打 を出さなかった。この采配について監督のボブ・ブレンリー は、シリングの投球にスタミナ切れの兆しが認められないためだと説明したが、表の3被安打がいずれもライナー性の鋭い打球だったことを考えると、実際には既に限界が来ていたといえる[ 14] 。クレメンスはシリングを三振させたあと、1番トニー・ウォマック に右前打を浴びたところでマイク・スタントン の救援 を仰いだ。監督のジョー・トーリ はクレメンスの投球を「初球ストライクがあまりとれてなかったように思うが、うまく対処して効果的な投球を続けてくれた」と称えた[ 21] 。ダイヤモンドバックスは、ウォマックの盗塁 失敗などでこの回を無得点で終えると、前日の先発投手ランディ・ジョンソン をブルペンへ向かわせた。ジョンソンはこの日、球場入り時にブレンリーから「今夜1イニングいけるか?」と訊かれ「必要とあらば何イニングでも」と返答していた[ 17] 。
8回表、ヤンキースが1点を勝ち越す。先頭の7番アルフォンソ・ソリアーノ がシリングに対し、0ボール2ストライクから5球目のスプリッター をすくい上げた。左翼手ゴンザレスがこの打球を追ったが、打球はその上を越えて外野席へ飛び込む本塁打 となった。ソリアーノは「打ったとき『行ったー、これが欲しかったんだよ』って言ってた」という[ 22] 。最終第7戦で7回以降の勝ち越し本塁打は、シリーズ史上15年ぶり5本目だった[ 23] 。さらに一死一塁となるとダグアウトからブレンリーが出てきて、マウンド上で「よくやってくれた、君は私のヒーローだ」とシリングを労って降板を告げた[ 24] 。ミゲル・バティスタ がマウンドを引き継ぎ、1番ジーターを三ゴロに打ち取ったあと、2番・左打者のオニールの打順でジョンソンが登板した。ブルペンコーチのグレン・シャーロック は「ブルペンの扉が開いて大男(ジョンソン)が出てきた途端、場内が狂ったように盛り上がって、こっちは全身鳥肌 だったよ」と振り返る[ 17] 。オニールの代打に右打者のチャック・ノブロック が送られたが、ジョンソンは右飛に抑えた。その裏、ヤンキースのブルペンからは抑え投手 マリアノ・リベラ が登場し、1安打を許したものの無失点とした。リベラが6番D・バティスタを空振り三振させてイニングを終えたとき、クレメンスは4連覇を確信したという[ 25] 。ジョンソンは9回表も続投して三者凡退に封じ、試合は残すところ9回裏のみとなった。
ルイス・ゴンザレス の一打は、シリーズ史上4年ぶり9本目の優勝決定サヨナラ安打となった[ 5] (写真は現役引退後の2017年3月22日撮影)
9回裏、先頭打者マーク・グレース が中前打で出塁し、代走 にデビッド・デルーチ が送られる。次打者ミラーは2球目をバント した。打球はリベラの正面に転がり、リベラはマウンドを駆け下りて打球を捕ると二塁へ送球した。しかしこれが右方向へ逸れ、遊撃手ジーターのグラブ も届かず中堅へ達し、無死一・二塁となった。9番ジョンソンの代打ジェイ・ベル も初球をバントしたが、リベラが今度は二塁走者デルーチを三塁で封殺して進塁を阻止した。ただ、リベラは三塁手スコット・ブロシアス の一塁送球による併殺 を期待していたが、ブロシアスは封殺後すぐにプレイを止めた[ 14] 。打順は1番ウォマックにまわる。ウォマックは今ポストシーズンで打率 .235と低迷していたが[ 26] 、代打を出されずにそのまま打席に立つと期待に応え、2ボール2ストライクから5球目のカッター を引っ張って右翼線への同点二塁打 とした。さらに2番カウンセルの死球 で一死満塁 となり、ヤンキースは内野陣に前進守備 を敷かせる。3番ゴンザレスは打席に立ち、バット を普段より指2本分短めに持った[ 17] 。FOX の全米テレビ中継では、解説のティム・マッカーバー が「リベラはバットを折って小飛球を打たせることが多いから、前進守備が裏目に出る可能性もある」と指摘していた[ 27] 。1ストライクからの2球目、それが現実となる。内角高めへのカッターをゴンザレスがバットを折られながらも弾き返すと、打球はジーターの頭上を飛んで中前へ落ち、ダイヤモンドバックスの逆転優勝を決めるサヨナラ安打 となった。
シリーズMVP は、ジョンソンとシリングのふたりが受賞した。ダイヤモンドバックスが勝利した今シリーズ4試合で、投手陣が稼いだアウト108個のうち、95個がこのふたりによるものだった[ 9] 。シリングはこの日の試合中、ジョンソンが中0日でブルペンへ向かったことを知ったとき「自分のしたこと(中3日で先発)なんてたいしたことないと思わされたよ」という[ 8] 。ワールドシリーズで第6戦に先発登板し勝利投手 となったあと、翌日の第7戦にも救援登板したのは、1952年 のビック・ラッシー 以来ジョンソンが49年ぶりだった[ 28] 。ジョンソンは「自分ひとりの功績にしてほしくないね。チームの25人全員がMVPだ」と述べた[ 16] 。
ダイヤモンドバックスのゴンザレスとヤンキースのマルティネスは、ともにフロリダ州 タンパ のトーマス・ジェファーソン高校 出身で、野球部ではチームメイトだった。試合前にふたりはフィールド上で会い、ゴンザレスがマルティネスに「今夜何が起ころうと、俺ら両方にとって夢が現実になってるよな」と話していた[ 17] 。マルティネスはシーズン終了後にFA となるため、これがヤンキースでの最後の試合となる可能性があった。試合後、そのことを訊かれたマルティネスは「今は答える気になれない。この状況にがっかりしていて、FAのことを考えるのは数週間後になりそうだ」と答えた[ 21] 。翌日未明、ゴンザレスが自身の携帯電話 に各所から寄せられたお祝いの連絡を確認したところ、そのなかでもかなり早めに、マルティネスから「君のことを思うと嬉しい」というメッセージが入っていた[ 29] 。
テレビ中継
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国 におけるテレビ中継はFOX が放送した。実況はジョー・バック が、解説はティム・マッカーバー が務めた。
FOXは1996年 からNBC と分担する形でMLB中継に参入し、ワールドシリーズ中継はこれまでに1996年 ・1998年 ・2000年 の3度放送していた。2000年 9月、FOXは翌年以降6年間の新たな放映契約をNBCとは分け合わず、単独で締結した[ 30] 。今シリーズの中継はこの新契約に基づくものである。FOXが中継するワールドシリーズには、今回も含めて4回連続でヤンキースが出場することとなった[ 31] 。ヤンキースは全米屈指の人気球団であるため、FOXの広報担当者は「くじ運がいい」と喜んだ[ 32] 。今シリーズは全7試合平均で視聴率 15.7%・視聴者数2452万8000人を記録し、前年を3.3ポイント・644万7000人上回った[ 2] 。
11月4日、最終第7戦中継の裏 では、CBS が第53回プライムタイム・エミー賞 授賞式を放送した。前年は授賞式 が9月10日に開催され、ABC による中継は平均視聴者数2100万人超を記録していた[ 33] 。2001年の授賞式は当初9月16日に開催予定だったが、同時多発テロ事件 の発生とアフガニスタン紛争 の開始にともない、11月4日へ延期された[ 34] 。ワールドシリーズが最終第7戦までもつれ込んだため、ふたつのイベント中継番組が同時間帯で視聴率を争うこととなった。その結果、平均視聴者数はFOXのシリーズ第7戦中継が3910万人だったのに対し、CBSのエミー賞授賞式中継は1710万人にとどまった[ 35] 。ただ、FOXの放送にCBSは不快感を抱いた。授賞式では3時間のうちシリーズの途中経過に触れた場面が1度あっただけだったが、シリーズ中継では受賞者が発表されるたびに速報を逐一入れていたためである[ 注 3] [ 36] 。授賞式中継は、アメリカ合衆国本土 の4つの時間帯 のうち山岳部標準時 採用地域では1時間遅れ、太平洋標準時 採用地域では3時間遅れの録画放送だったため、これらの地域ではシリーズ中継がネタバレ を提供することとなった[ 24] 。CBS副社長ジル・シュワルツ はFOXの放送について「著しく品位に欠ける行為だ。テレビ業界全体を挙げての祝祭を台無しにしようとするなんて残念だよ」と批判した[ 36] 。
この放送は2002年4月23日に発表された第23回スポーツ・エミー賞 において、最優秀中継特別番組賞 を受賞した[ 37] 。
日本
日本 での生中継の放送は、日本放送協会(NHK) の衛星放送 チャンネル "衛星第1テレビジョン "(当時)で行われた。実況は竹林宏 が、解説は高橋直樹 が務めた[ 38] 。
評価
This would have ranked higher except the D-backs outscored the Yankees, 37-14. All three Yankees wins were one-run affairs, two of them extraordinary late-inning comebacks. The D-Backs, perhaps fittingly, had a comeback of their own in the breathtaking Game 7. [訳]全7試合の総得点が37-14という大差でなければ、今シリーズはもっと上位だっただろう。ヤンキースが勝利した3試合は全て1点差で、そのうち2試合は素晴らしい終盤の逆転劇だった。一方のダイヤモンドバックスも緊迫の第7戦で逆転勝利を挙げたというのは、よくできてると言えるかもしれない。
ジョー・ポズナンスキー[ 39]
『スポーティングニュース 』のジェイソン・フォスターは、2017年のワールドシリーズ 期間中に「今回のシリーズが皆の目を釘付けにする前に、よく『史上最高』として取りあげられていたシリーズは3つある」として、1975年 や1991年 のシリーズとともにこの2001年を挙げた[ 40] 。また同時期にWCBS-TV(CBSニューヨーク) のスティーブ・シルバーマンは、自身が観てきた1964年 以降のシリーズ全52回を順位づけし、今シリーズを4位とした[ 41] 。MLB.comのジョー・ポズナンスキー は2019年3月、シリーズの総得失点差や1点差試合および延長戦の多さなどを基準に最終第7戦までもつれたシリーズ全39回を順位づけし、こちらも今シリーズを4位とした[ 39] 。ESPN のサム・ミラーは2020年5月、出場2チームの実力がどれほど伯仲していたかやどれほど記憶に残るシリーズとなったかなどを基準に全115回のシリーズを順位づけし、今シリーズを6位とした[ 42] 。
『ハードボール・タイムズ 』のクリス・ジャフは2011年10月、歴代のポストシーズン 各シリーズについて、面白さの数値化を試みた。「1点差試合は3ポイント、1-0の試合ならさらに1ポイント」「サヨナラゲーム は10ポイント、サヨナラが本塁打 によるものならさらに5ポイント」「7試合制のシリーズが最終戦までもつれれば15ポイント」などというように、試合経過やシリーズの展開が一定の条件を満たすのに応じてポイントを付与することで、主観的ではなく定量的な評価を行った。その結果、同年の両リーグ優勝決定戦 まで全262シリーズの平均が45ポイントだったところ、今シリーズは134.7ポイントを獲得した。これは当時106回を数えるワールドシリーズの中では1991年(137.5ポイント)と1975年(135.7ポイント)に次ぐ3位、地区シリーズ やリーグ優勝決定戦を含めた全262シリーズ中でも4位の高得点だった[ 4] 。
脚注
注釈
出典
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外部リンク
球団 歴代本拠地 文化 永久欠番 ワールドシリーズ優勝(1回) ワールドシリーズ敗退(1回) リーグ優勝(2回) 傘下マイナーチーム
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