葛塚町(くずづかまち)は、かつて新潟県北蒲原郡にあった町。1955年3月31日の合併によって消滅し、現在は新潟市北区の一部となっている。
以下の記述は合併直前当時の旧葛塚町に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては北区 (新潟市)#葛塚地区などの記事を参照。
概要
江戸時代から定期市が開かれ、地域経済の中心として発展した在郷町の性格を持つ[1]。
明治時代は新井郷川を利用した蒸気船により前身の葛塚村の頃から新潟-新発田間を中継する宿場町として栄えた。しかし、1912年(大正元年)に新津駅 - 新発田駅間に鉄道が開通すると、人の流れは鉄道へシフトし停滞期に入る。その後、白新線が開通することにより発展することを期待されながら、昭和の大合併により1955年に消滅することになる。
町名の由来
新発田藩主の溝口のお殿様が福島潟上を渡っていた時に、葛が群生しておったため、葛塚と名づけられた、といわれている。
沿革
行政
歴代町長
学校
小学校
中学校
高等学校
交通
鉄道路線
現在は旧町域に黒山駅も設置されているが、当時は未開設。
道路
県道
- 築地葛塚線(現新潟県道26号新発田豊栄線の一部)
- 島見浜葛塚線(現新潟市道豊栄1-361号線・豊栄1-765号線の一部)
- 葛塚新潟線(現新潟県道26号新発田豊栄線・新潟市道豊栄1-361号線の一部)
- 葛塚水原線(現新潟県道26号新発田豊栄線・新潟市道豊栄1-361号線の一部)
脚注
注釈
出典
参考文献
関連項目
外部リンク