茨曽根村

いばらそねむら
茨曽根村
廃止日 1955年3月31日
廃止理由 新設合併
白根町、新飯田村庄瀬村臼井村大郷村鷲巻村根岸村小林村茨曽根村白根町
現在の自治体 新潟市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
中蒲原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 小林村、庄瀬村、須田村、新飯田村、西蒲原郡中之口村月潟村
茨曽根村役場
所在地 新潟県中蒲原郡茨曽根村大字茨曽根[1]
座標 北緯37度43分05秒 東経138度59分51秒 / 北緯37.71797度 東経138.99753度 / 37.71797; 138.99753座標: 北緯37度43分05秒 東経138度59分51秒 / 北緯37.71797度 東経138.99753度 / 37.71797; 138.99753
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茨曽根村(いばらそねむら)は、かつて新潟県中蒲原郡にあった1955年3月31日合併によって消滅し、現在は新潟市南区の一部となっている。

以下の記述は合併直前当時の旧茨曽根村に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては新潟市などの記事を参照。

沿革

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い中蒲原郡茨曽根村東萱場村、下道潟下新田が合併し、茨曽根村が発足。
  • 1955年昭和30年)3月31日 - 中蒲原郡白根町、新飯田村、庄瀬村、臼井村、大郷村、鷲巻村、根岸村、小林村と合併し、白根町を新設して消滅。

経済

地主

関根小一郎は茨曽根村の地主で、その妻は衆議院議員田川平三郎の二女である[2]

地域

茨曽根村は、合併した村名を継承する以下の大字で構成される。

茨曽根(いばらそね)
1889年(明治22年)まであった茨曽根村の区域。現在の新潟市南区茨曽根。
東萱場(ひがしかやば)
1889年(明治22年)まであった東萱場村の区域。現在の新潟市南区東萱場。
下道潟下新田(しもどうがたしもしんでん)
江戸時代から1889年(明治22年)まであった新田名。中ノ口川上流右岸に位置する[3]
地名の由来は、潟湖の道潟を開発したことによるとされる。1889年(明治22年)に茨曽根村の大字となるが、以後の変遷は不明[3]

施設

小学校

  • 茨曽根村立茨曽根小学校

中学校

  • 茨曽根村立茨曽根中学校(閉校)

宗教

脚注

注釈

出典

  1. ^ 全國市町村便攬 六版、p.266
  2. ^ 『人事興信録 第11版 上』セ28頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月18日閲覧。
  3. ^ a b 角川地名15、p.686
  4. ^ 『曹洞宗寺院名鑒』286頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年9月18日閲覧。

参考文献

  • 峯玄光編『曹洞宗寺院名鑒』国書刊行会、1913年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。 
  • 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3 
  • 『全國市町村便攬 六版』全國教育圖書、1949年9月5日。 

関連項目

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