聖飢魔II活動当時の地獄大魔王はサタン44世陛下である。サタン44世陛下は魔暦紀元前13年、聖飢魔II地球デビュー直前に一時危篤に陥り、もしもの事態の皇位継承などに備え、皇太子ダミアン浜田殿下が聖飢魔IIを脱退、地獄に帰獄したが、後無事回復した。のち、人間への転生を認められるとともに魔界追放となったジェイル大橋代官の特赦、悪魔としての復活を執行している。地球征服完了後、ダミアン浜田殿下はサタン44世陛下より譲位され大魔王サタン45世として即位した。以降、聖飢魔IIの作品(復活祭ミサCDやDVDなど)のスタッフ欄の最後は「Say Banzai To His Majesty Damian Hamada!」の文で締め括られるようになる。
2009年7月より、地球征服10周年としてセルフカバー、『AKUMA NATIVITY “SONGS OF THE SWORD”』を世界21カ国で配信。日本では9月16日に大教典として発表。なお、最終構成員の内、エース清水長官はface to aceに専念するため参加しないことを自身のブログで公表[10]。ギターにはジェイル大橋代官が参加することとなった[11]。
9月に地球デビュー大教典『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』を発布(発売)[14]。『BURRN!』において同誌ディスクレビュー史上空前絶後の『0点』をつけられたことも話題になった(2020年12月19日に行われたヴィデオ黒ミサ&生トークツアー『特別給付悪魔』の広島公演にて、『BURRN!』現編集長の広瀬和生が当時の編集長による無礼な評価を公開の場で直接謝罪。『BURRN!』2021年3月号に誌上初の聖飢魔II特集が組まれることになった。これにより、両者の因縁に終止符が打たれた[15])。その一方で、売り上げは日本のヘヴィメタル史上初となる10万枚超えを記録したこともまた話題となっている。
1986年4月、小教典『蝋人形の館』と、大教典『THE END OF THE CENTURY』を同時発布する。
(蝋人形の「蝋」の字は正しくは蠟(U+881F)であるが、一部の日本語環境では表示できないため、以後本文中では基本的に「蝋」と表記する)
『ザ・ベストテン』出演などで注目を集め、大教典はオリコンチャート5位を記録し、小教典は初登場17位ながら30万枚をこえる大ヒットとなり、売り上げ以上に一大ムーブメントとなる。バンドのキャラクターグッズやゲームソフト『聖飢魔II 悪魔の逆襲』が発売されるほどだった。ちなみにファミコン版のBGMはメーカー側のオリジナル曲だが、MSX2版『聖飢魔IIスペシャル悪魔の逆襲』では「EL・DO・RA・DO」や「アダムの林檎」などの、聖飢魔IIの曲が採用されている。
1987年2月、デビュー前のギタリストオーディションでは、ジェイル代官とどちらを採用するか悩んだとされる、紫馬肥(むらさきうまごやし)のギタリスト・Sgt. ルーク篁III世参謀が加入。この悪魔事異動により聖飢魔IIは第6期を迎え、以後解散まで悪魔事異動は行われなかった。第6期聖飢魔IIの活動は1987年の小教典「EL・DO・RA・DO」からスタートした。この曲は最後の最後まで聖飢魔IIの大黒柱的楽曲として機能していた。11月に発布した大教典『BIG TIME CHANGES』では、ルーク参謀の加入によるバンドの変化が如実に現れていた。エース長官とルーク参謀を中心に各構成員が作曲をするようになり、「ヘヴィメタル」とはジャンル分けし難い幅の広い音楽性を持つロックバンドとなっていった。
1990年、「白い奇蹟」に続きバラード小教典「BAD AGAIN 〜美しき反逆〜」を発布し、TV CMでも使われた。
同年、アルバム『有害』をリリースする。バラードが2曲続いた反動でハードロック路線の教典となった。プロモーションビデオは香港で撮影された。宣伝ポスターはスラム的風景が広がる九龍城において撮影されたものが使用され、初期の悪魔的世界観への回帰を感じさせた。
1991年夏、期間限定のバンド爆裂聖飢魔IIとしてシングル「夏休み」をリリースする。爆裂聖飢魔IIのメンバー名の頭には「爆裂」が付き、衣装は蛍光色を用いた派手なものだった。爆裂聖飢魔IIとして『ミュージックステーション』に出演した際にはデーモン閣下が「爆裂聖飢魔IIだ」を連呼し普段と違うことを強調した。
結局、爆裂聖飢魔IIとしてのリリースはこの1枚だけだったが、デーモン閣下はこの時の衣装を解散後にもよく使用している。さらには、映画主題歌となった「赤い玉の伝説」をリリースし、ヒットを記録する。また同年、初の海外公演としてニューヨーク、ロンドン、セビリアにおいてもミサを行い、うちロンドンとスペイン公演は、活動絵巻教典(いわゆるVHS,DVD)『実録!欧州非常事態宣言』に、ロンドン公演だけは大教典『LIVE! BLACKMASS IN LONDON』に収められている。なお、MCや歌詞の一部は、現地の言葉による。このライブがきっかけで、アメリカのレーベルからオファーが来たが、そのプロダクションが倒産してしまったため、この話は流れた。この前後には、構成員全員が毎週レギュラー出演するラジオ番組『聖飢魔IIの電波帝国』の放送がスタートしている(文化放送制作)。
原点回帰〜サタン・オール・スターズ
この時期、聖飢魔IIの活動の合間を縫って全員がソロ活動を行い、それぞれCDも発表している(これらの活動に関してはデーモン閣下、ACE、ルーク篁、RXを参照)。1992年、アニメビデオ『HUMANE SOCIETY 〜人類愛に満ちた社会〜』とそのテーマ曲「正義のために」を発布。また、悪魔的な世界観に回帰し、12曲中10曲で人が死ぬ大教典『恐怖のレストラン』を発布。「殺人教典」とも呼ばれ、あまりにも過激な内容のため、NHKから出演禁止処分を受けてしまう。ただし、これはアルバムの内容上、折り込み済みだったらしい。
1993年には『ロックオペラ ハムレット』に出演。そのエンディングでは出演者一同、聖飢魔IIの「世界一のくちづけを」を演奏した。さらに、デーモン閣下のCM(フジカラー写ルンですやローソンなど)も好評を博した。1994年夏、ロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングされた大教典『PONK!!』を発布。プロデュースにはルーク参謀も加わっている。ポルカやフォークソングなど、それまでの聖飢魔IIにはない楽曲が収録されていた。このアルバム制作当時はディレクターの交代、デーモン閣下のスキャンダル報道[19]など、バンドとしては非常に混沌とした時期だった。ソニーからのオリジナルアルバムのリリースは今作が最後となった。
1995年には地球デビュー10周年記念として、過去の構成員であるダミアン浜田殿下、ジード飯島大将、ゾッド星島親分、ジェイル大橋代官が復活しミサツアー『THE SATAN ALL STARS』が行われた。この模様は活動絵巻教典『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』に収録されている。また、この頃に公式ウェブサイトを立ち上げており、デーモン閣下によると、日本で最初に公式ウェブサイトを立ち上げたアーティストが聖飢魔IIだという。
1997年、『NEWS』をリリース。悪魔云々というスタイルから脱却し、プログレッシブ・ロックにも通じる前衛性な手法も取り入れていた。なお、今作のブックレットと『PONK!!』のCDレーベル面には同じ人物の写真が使われているが、この人物については1999年12月31日のミサ中に明かされた。同年には所属事務所を吉本興業に移籍し、『THE BRAND NEW BLACKMASS TOUR』というライブハウスでのツアーを行い、周囲を驚かせた。1998年、解散を翌年に控えた聖飢魔IIはジョー・リノイエをプロデューサーに迎え『MOVE』をリリース。一般に聖飢魔IIというとイメージするようなヘヴィメタルの曲を一切含まない、ハードポップ的な教典である。また、この時期デーモン閣下は金色の長髪を逆立てず、オレンジ色の比較的短めのおかっぱ頭をしていた。また、この髪をオールバックにすることもあった。『ふるさと総世紀末計画』と題した全47都道府県に於けるツアー、および地方CM制作においての選曲は、この『MOVE』に収録されている曲が大半を占めた。
解散
1999年4月、地球デビュー当時からの予定通りに解散することを改めて発表した[注釈 19]。4月にリメイク曲「蝋人形の館 '99」、5月に新録・新曲を含む本家極悪集大成盤『1999 BLACK LIST』、7月に新録を含む元祖極悪集大成盤『1999 BLOOD LIST』、11月にソロ活動のベスト盤『聖飢魔II 個悪魔活動大選抜』といったコンピレーション作品を多くリリースした。
10月には最終大教典『LIVING LEGEND』をリリースし、最後のツアー「THE FINAL BLACKMASS TOUR LIVING LEGEND」を行った。また、最初で最後のディナーショー、『ONE NIGHT SPECIALバラードナイト地獄の晩餐』も行なった。
1999年12月29日から31日の3日間、東京ベイNKホール(千葉県浦安市)にてラストライブである究極の黒ミサ『THE ULTIMATE BLACK MASS』が開かれた。3日間メニューが異なり、全部で68曲が演奏された(ちなみにダブリ曲は2曲である)。初日は演出に趣向を凝らし聖飢魔IIの歴史をシアトリカルに物語られる「THEATRICAL DAY」として日本舞踊家花柳鳴介と劇団☆新感線をゲストに迎えて行われた。二日目は「THE SATAN ALL STARS' DAY」として過去の構成員のうち2名を除く新旧構成員全13名でミサを行った(その2名はビデオメッセージで登場)。最終日は「THE DOOMS DAY」として、二幕構成による聖飢魔II史上最も多くの曲を演奏するミサが行われた。このミサの最後を飾った曲「EL. DORADO」を演奏し終わった後、1999年12月31日23時59分59秒、聖飢魔IIは光の中へ姿を消しデビューから約14年4か月の歴史にピリオドを打った。
翌2006年4月29日25:20-26:00、『再集結聖飢魔II最後のミサ』がNHK総合テレビジョンにて放送された後、既に発売されていたDVD『オールスタンディング処刑 THE LIVE BLACK MASS D.C.7』が、各レコード店において売上ランキングの上位を記録。新たな信者を獲得した。
セルフカバーアルバムの配信発布
再集結終了後は再び個々の活動に戻っていたが、地球征服10周年にあたる、2009年7月17日、聖飢魔II公式ウェブサイトにて、英語でのセルフカバーアルバム『AKUMA NATIVITY "SONGS OF THE SWORD"』が世界21カ国のiTunes Storeで7月15日より配信発布されることと、日本では9月16日にCDで発布されることが発表された。これは、世界的に活躍する静野孔文監督から欧米での発表を前提とするアニメーションでのコラボレーションの誘いを受けたのを機に制作されたもので、初回版にはその映像、通常版には新曲が収録されている。なお、エース清水(ACE)はface to aceの活動に集中するために聖飢魔IIの活動には参加しないことを自身のブログにて発表し、それ以降の期間限定再集結には一切参加していなかったが、期間延長された35周年再集結黒ミサツアーのヴィデオミサに16年ぶりに参加することが発表された[20][注釈 20]。
その後、『〜地球デビュー25周年記念・期間限定再集結〜 聖飢魔II ICBM (Inter Continental Black Mass) TOUR』をスタートさせた。なお、当初発表されたのは9月18日の川口リリアホール公演から11月14日の中野サンプラザ公演までであったが、後に追加公演として12月11日・12日の東京国際フォーラム公演が発表された。最終日の12日には爆風スランプの一日限りの再結成コンサートが東京国際フォーラムCであり、ファンキー末吉からゼノン石川に「デーモン閣下出てくれないかな」と打診があった。デーモン閣下は断ったが、爆風スランプの開演前のMCをデーモン閣下が行う、爆風スランプのチケットを持っていれば聖飢魔IIのグッズ売り場まで通してくれるなどの計らいが行われていた。これらの活動は2011年3月から4月にかけてCDやDVDとして発布された。
期間限定再集結(2011年)
2011年7月から9月にかけて、前年の再集結ツアーの模様を上映した『聖飢魔Ⅱ ICBM TOUR ENCORE "3D映像(MOTION PICTURE)ライヴ"』ツアー(フィルムコンサート)が行われた。(7ヶ所11公演)ここでは3D映像とサウンドで大黒ミサが再現された。収益金は全額東日本大震災の義援金として寄付された。また、8月14日のZepp Sendai昼の部は東北の信者に少しでも楽しんでもらおうという意図により無料で開催された。
2015年8月から2016年1月にかけて、夏フェスへの参加と2種類の大黒ミサツアーを開催。また、30年間の活動を網羅した極悪集大成盤『XXX -THE ULTIMATE WORST-』と、BMG時代のオリジナル大教典4タイトルのリマスター版をBlu-spec CD2仕様で、更に12月29日には、長らく入手困難な状態であった活動絵巻経典『THE ULTIMATE BLACK MASS (COMPLETE)』を、Blu-ray仕様で再発布[注釈 21]。2016年2月20日、日本武道館で行われたデビュー30周年記念ツアーの千秋楽公演をもって、前年8月からの期間限定再集結を締めくくった[21]。
期間限定再集結(2020年)
魔暦21年(2019年)12月31日にZepp Tokyoにて行われた「聖飢魔II 地球征服20周年記念 伝説の解散大黒ミサ3days『THE ULTIMATE BLACK MASS』ヴィデオ黒ミサ」内で、魔暦22年(2020年)、地球デビュー35周年を記念して再集結することが発表された[22]。
聖飢魔IIが地球デビューする前、エース清水が初代ドラマーを退任してギタリストとして聖飢魔IIに復職するまでの期間にドラマーを担当していたが、彼はすべての曲を同じ速度で叩いていたと言われている[注釈 24]。B.D.4年(1995年)に発布された聖飢魔IIのミサビデオ作品『オール悪魔総進撃! The Satan All Stars』内のダミアン浜田殿下とデーモン閣下の対談では、ダミアン浜田殿下が「魔界と地上では重力だとか、空気の密度だとか、その辺が違うんで、例えばドラマーにせよ、ついスピードが速くなってしまったりだとか……」とコメント、デーモン閣下はそれに伴い、「吾輩の記憶によると、(中略)あの段階(地球デビュー前)でもジード飯島は重力の違いを克服していなかったように吾輩は思うのであるけれども……今、10年前のビデオを繰り返し見ると、やはり彼のドラムは全ての曲が同じテンポで……ねえ?」と発言。ダミアン浜田殿下が苦笑しながら「そのとおり」といった内容を語っていた。
そんなジード飯島も、「オール悪魔総進撃! The Satan All Stars」地球デビュー10周年記念大黒ミサと、「The Ultimate Black Mass Final Three Nights」解散ミサ2日目「Satan All Stars' Day」ではプロのミュージシャンである現役聖飢魔IIに混ざって登場し、地上のスタジオを借りて特訓した成果が出たのか、その頃は大分「魔界と地上との空間の違い」は克服できていたようである。特に、解散ミサ2日目での登場直後に「魔王凱旋」後半部を演奏した際は、聖飢魔II名パワーヒッターライデン湯沢と入れ替わって演奏する位置づけだった事も意識したのか、非常にパワフルなドラミングを見ることができる。
聖飢魔II唯一の女性構成員。長い歴史の中、白地に黒の線で書かれた小さなイラストでしかその姿を見ることはできなかったが、1999年のTHE ULTIMATE BLACK MASS<THE SATAN ALL STARS DAY>において聖飢魔IIデビュー後、初めてその姿を披露した。華やかなピンクの髪を持つ細身の女性。その後は丸山涼子としてサウンドデザイナーや作曲家としての活動の他、渋さ知らズにて、キーボーディストとしても活動している。
早稲田大学3年生の時、音楽サークルの先輩であったデーモン閣下に誘われて聖飢魔IIにドラマーとして加入。大学4年の10月に脱退したが[62]、ドラムは趣味として続けていた[63]。聖飢魔IIの解散時に行われたTHE ULTIMATE BLACK MASSの2日目「THE SATAN ALL STARS」に参加。「悪魔の讃美歌」演奏の際に、直前までドラムを務めていたジード飯島と入れ替わりで登場し、その次の曲「ファラオのように」では「聖飢魔IIを1度も正面から見たことがない」と語った聖飢魔II現役ドラマーライデン湯沢に代わってドラムを演奏した。「JACK THE RIPPER」では 前半は通常通りのドラムを担当し、中盤のオールギタリスト&キーボーディスト入れ替わりソロでジードと交代。以降はカウベルを持って地味に演奏をしていたが、気を利かせてくれたデーモン閣下に隣に招かれ、閣下のマイクで音を拾ってもらえていた。基本的にミサ中は無口で、返事はクラッシュシンバルで行っていた。
藤子不二雄の漫画に登場する小池さんに似ていることで有名。その容姿はほとんどダミアン浜田殿下に似ているが、顔は白地に髑髏の顔に似た模様がある「ガイコツお化け」のような容貌だった。そのあまりにコミカルかつ不気味な姿のために「カッコイイ聖飢魔IIにイメージが合わない」との理由で脱退。聖飢魔IIの公式の主張としては当時の大魔王サタン44世陛下から待ったがかかってしまい、地獄に呼び戻されてしまったという。しかしながら、当時は構成員が全く笑顔を見せないバンドだった聖飢魔IIに、初めて笑いを持ち込んだ(ダミアン浜田殿下と入れ替わった後のステージでの自己紹介があまりに滑稽なものだったため、構成員全員が爆笑してしまった)という功績を『THE ULTIMATE BLACK MASS』にてビデオレターで登場した際に語った。その際、肩の骸骨が増えていた。
^但し、聖飢魔II以外の活動において、各構成員との共演をする機会は複数ある。2018年に行われた大橋のライブで、13年ぶりにデーモンとの共演が実現し、大橋、石川らとともに『Fire After Fire』が演奏された。[1]
また、2020年にはエース清水長官の名義でルークと共にラジオ番組にも出演している。[2]
^DVD版でボーナスディスクとして付属していた『BACK STAGE OF 聖飢魔II〜ウラビデオ〜』を除いた、本編のみを4枚組に収めての再発布。