2006年からはアコースティック・ギターによる弾き語りライブを始める。2007年からは「アコースティック・ライブ 〜 the 単独犯」と題し都内のライブハウスを中心に、名古屋、大阪、京都、広島、福岡等全国のライブハウスで開催。またアコースティック・ギターでのジョイントライブを、中野督夫、大橋隆志、木暮"shake"武彦、岸部眞明、曾我泰久らと行っている。
公式設定ではドラマー〜脱退〜ギタリストとして再加入という形になっているが、聖飢魔IIデビュー=プロデビューという他の聖飢魔II構成員と違い、既にプロとしてのキャリアを持っていたACEは、聖飢魔IIのデビューが決定し、デビューメンバーとしてオファーを受けるまでは「正式メンバーという意識もあまりなく、大学サークルのOBとして後輩のバンドに必要や要請があれば参加していた程度であり、加入・脱退・復帰という感覚もなかった」と近年語っている。田代まさし司会のテレビ番組でデーモン閣下が語ったところによると、ドラマーとしてなら参加してもよい、というACE自らの希望により初代ドラマー就任となったようだ。プロギタリストという立場を考慮してのことだと想像されるが、デーモン閣下曰く「ドラムを叩きたいお年頃だった」とのこと。ただし、ACE本人談では多少異なっており、聖飢魔IIの創始者ダミアン浜田からドラマーとして勧誘されたためだと語っている。聖飢魔IIのミサビデオ作品『オール悪魔総進撃!THE SATAN ALL STARS』に収録されている本人のコメントによれば「ダミアン浜田がさ、清水さん清水さん、ドラム叩きまへんか?とか言ってきてさ…そうだよ、俺最初ドラム叩いてたんだよな、嫌んなっちゃうよね(笑)」とのことである。
大変な読書好きであり、都筑道夫の著作は全て読破するファンである。読むのみならず文筆にも才を示し、シンコーミュージックから出版された『THE SATAN ALL STARS』(雑誌GIGS12月増刊)には、都筑道夫へのオマージュでもある短編小説「ロシアンブルー」を発表している。「月刊バレーボール」「月刊アームズマガジン」にコラム、レポートを連載していた。漫画家とも広い交友を持ち、石渡治とは酒飲み仲間という縁から、石渡の作品に聖飢魔IIのメンバーをモデルとしたキャラクターが登場したり、聖飢魔IIのアニメ『HUMANE SOCIETY 〜人類愛に満ちた社会〜』のキャラクターデザインを石渡が担当するなど仕事の面でも交流があった。
デビューして間もない頃、明星誌上で行われたインタビューでの自動車は何に乗っているかという質問に対して「地球の空気を汚す行為だから運転はしない。だから免許も持っていない」と回答している。しかし、face to aceのシングル「CLOUDY DAY」のMVで彼がオープンカーを運転するシーンや「風と貝殻」のMVで機材車を運転しているかのようなシーンがある。
クリアで艶のあるギターの音色が特徴で、彼の奏でるエモーショナルなギターソロは、聖飢魔II後期より「エース節」と称されるようになった。速弾きについては不得意であるとインタビュー等で本人が何度か告白しており、実際に速弾きのプレイは少ないが、全くしないという訳でもなくタッピング奏法やハンマリング・オン、プリング・オフを多用する速弾きを行う場合も稀にある。また、『オール悪魔総進撃! THE SATAN ALL STARS』での『JACK THE RIPPER』などでのアドリブ・ギターバトルでは、他の場では殆ど見る事のないフルピッキングによる速弾きプレイを披露している。また特に、バッキングフレーズの面白さは、ACEならではのものと言える。現在のface to aceではその音楽性を考えれば不思議ではないが、聖飢魔II時代のようなハードロック/ヘヴィメタルと呼ばれる音楽ジャンルにあって、転調の繰り返し、同じメロディ中で平行調へ移調や、オルタード・スケールやモードを多用するAceのプレイは極めて異質で、かつ斬新なスタイルであった。多くのロック/ジャズ・ギタリストとは異なり、勢いやアドリブ系のスタイルで攻めることはほとんどなく、ギターソロも鍵盤楽器で基盤を作ってからギターに起こすなど、その楽曲は緻密に計算し尽くされたものである。そのため、音楽雑誌上で「作曲ソロ」と呼ばれることもある。もっとも、最近ではface to aceのライブにおいてアドリブを演奏する姿も見られる。