渝州(ゆしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から北宋にかけて、現在の重慶市中西部に設置された。
魏晋南北朝時代
南朝梁の蕭紀(皇位僭称552年-553年)により設置された楚州を前身とする。
隋代
581年(開皇元年)、隋により楚州は渝州と改められ、3郡3県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、渝州の属郡の巴郡・七門郡・涪陵郡は廃止された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、渝州は巴郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代以降
618年(武徳元年)、唐により巴郡は渝州と改められた。742年(天宝元年)、渝州は南平郡と改称された。758年(乾元元年)、南平郡は渝州の称にもどされた。渝州は山南西道に属し、巴・江津・万寿・南平の4県を管轄した[2]。
1102年(崇寧元年)、北宋により渝州は恭州と改称された。1189年(淳熙16年)、南宋により恭州は重慶府に昇格した[3]。
脚注
- ^ 『隋書』地理志上
- ^ 『旧唐書』地理志二
- ^ 『宋史』地理志五