坊州(ぼうしゅう)は、中国にかつて存在した州。唐代から元初にかけて、現在の陝西省黄陵県および宜君県一帯に設置された。
概要
619年(武徳2年)、唐により鄜州が分割されて坊州が置かれた。742年(天宝元年)、坊州は中部郡と改称された。758年(乾元元年)、中部郡は坊州と改称された。坊州は関内道に属し、鄜城・中部・宜君・昇平の4県を管轄した[1]。
北宋のとき、坊州は永興軍路に属し、中部・宜君の2県を管轄した[2]。
金のとき、坊州は鄜延路に属し、中部・宜君の2県および玉華鎮を管轄した[3]。
1269年(至元6年)、モンゴル帝国により坊州は廃止され、中部・宜君の2県は鄜州に編入された[4]。
脚注
- ^ 『旧唐書』地理志一
- ^ 『宋史』地理志三
- ^ 『金史』地理志下
- ^ 『元史』地理志三