会州(會州、かいしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から唐初にかけて、現在の四川省アバ・チベット族チャン族自治州一帯に設置された。
魏晋南北朝時代
522年(普通3年)、南朝梁により設置された縄州を前身とする。564年(保定4年)、北周により縄州は汶州と改称された。
隋代
隋初には、汶州は2郡3県を管轄した。584年(開皇4年)、覃州が廃止され、汶州に統合された。585年(開皇5年)、汶州は蜀州と改称された。586年(開皇6年)、蜀州は会州と改称された。606年(大業2年)、翼州が廃止され、会州に統合された。607年(大業3年)、扶州の交川県および江潭県が会州に移管された。同年に州が廃止されて郡が置かれると、会州は汶山郡と改称され、下部に11県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
618年(武徳元年)、唐により汶山郡は会州と改められた。会州は汶山・北川・汶川・通化・翼針・翼水・左封・交川の8県を管轄した。この年のうちに翼針・翼水・左封の3県を分離して翼州が置かれ、交川県が松州に転属した。621年(武徳4年)、会州は南会州と改称された。634年(貞観8年)、南会州は茂州と改称された[2]。
脚注
- ^ 『隋書』地理志上
- ^ 『旧唐書』地理志四