遷州(せんしゅう)は、中国にかつて存在した州。
魏晋南北朝時代
西魏により設置された光遷国を前身とする。563年(保定3年)、北周により光遷国は光遷郡と改められ、遷州が置かれた。
隋代
隋初には、遷州は1郡2県を管轄した。582年(開皇2年)、綏州が遷州に統合された。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、遷州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、羅州が遷州に統合され、遷州は5県を管轄した。606年(大業2年)、遷州は房州と改称された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、房州は房陵郡と改称され、下部に4県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
618年(武徳元年)、唐により房陵郡は遷州と改められた。遷州は光遷・永清・受陽・房陵・淅川の5県を管轄した。622年(武徳5年)、淅川県が廃止された。624年(武徳7年)、受陽・房陵の2県が廃止された。636年(貞観10年)、遷州は廃止されると、房州に統合されたが、光遷県は房陵県と改称された[2]。
脚注