■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート
沈 正洙(シム・ジョンス、심정수、1975年5月5日 - )は、大韓民国の大田広域市出身の元プロ野球選手(外野手)。
東大門商業高等学校(朝鮮語版)卒業後、1994年ドラフト会議(朝鮮語版)の1次ドラフトでOBベアーズから指名され、入団。
1995年116試合に出場しレギュラーに定着すると、持ち前の長打力で本塁打を量産するようになり、1999年には31本塁打で初めて30本の大台に乗った。当時の斗山ベアーズには金東柱、タイロン・ウッズがいて、「ウ・ドン・ス」と呼ばれた最強クリーンアップを形成していた。
だがプレーオフや韓国シリーズでは活躍できず、また2000年末の韓国プロ野球選手協会設立をめぐる大騒動の中心人物の1人だったこともあり2001年2月に沈哉学(朝鮮語版)(シム・ジェハク)との1対1のトレードで現代ユニコーンズに移籍した。
現代在籍時は主砲として活躍し、2002年には46本塁打、2003年には53本塁打と2年連続45本塁打以上を記録し、当時三星に在籍していたイ・スンヨプと本塁打王争いを繰り広げた。特に2003年に李承燁が年間56本塁打の韓国プロ野球記録を打ち立てた際は、そのライバルとして大いに注目された。
そして2004年11月、FAを行使し三星ライオンズに4年契約で移籍した[1]。
年俸7億5000万ウォンとリーグ史上最高年俸選手になったにもかかわらず、三星移籍以降は腰や肘などの故障に悩まされ、高額年俸に見合わない成績を残し続けた。
特に2006年は故障でシーズンの大半を棒に振り、1本塁打しか打てなかった。
2007年は31本塁打、101打点の成績で復活し、自身初の本塁打王、打点王(朝鮮語版)と二冠に輝いた。
しかし、2008年は膝の故障が再発。不振に喘いだ末、手術を受けてシーズン終了まで完治せず、回復の見込みがないという理由で同年オフに現役引退を発表した。結局三星に在籍した4年間のうち、年俸に相応しい活躍だったのは2005年と2007年の2年だけだった。
引退後は、2009年からアメリカ合衆国・カリフォルニア州サンディエゴで生活し、野球界からは離れている。
100kgを超える巨体の持ち主で、その体型から「ヘラクレス」の異名をとった。独特のオープンスタンスの打撃フォームで、通算300本塁打以上を記録したが、国家代表にはいつも故障などを理由に辞退していてほとんど縁がなかった。
視力が極端に悪く、以前は普通の眼鏡をかけて打席に立っていた。視力強化のため、レーシック手術を受けたが、ただ遠く見るのを目的とする一般人向けの手術で、むしろ野球選手として不可欠な動体視力を悪化させる結果を招いた。その後はスポーツゴーグルを掛けて打席に立っていた。
2002年生まれの息子のケビン・シム(Jong Hyoun Sim)は、サンディエゴ大学に在学中の2023年のMLBドラフトの5巡目全体148位でアリゾナ・ダイヤモンドバックスから指名され[2]、7月17日に契約した。