武市 三郎(たけいち さぶろう、1954年3月30日 - )は、将棋棋士。徳島県徳島市出身。丸田祐三九段門下。棋士番号152。2014年引退[1]。
経歴
1981年11月11日に四段に昇段し、プロ入り。プロ入り後初参加の第22期十段戦(1982年-83年)予選で決勝まで勝ち進んだ。難関の十段リーグ出場まであと1勝と迫ったが、桐山清澄に敗れた。
第7回(1984年度)オールスター勝ち抜き戦の本戦に出場し、1戦目で中原誠に敗北した。第34回(1984年度)NHK杯の本戦に出場し、1回戦で石田和雄に敗北した。第24期十段戦(1984年-85年)予選で準決勝まで勝ち進むも、加藤一二三に敗れ、十段リーグ入りをまたも果たせなかった。
第19回(1985年度)早指し将棋選手権の本戦に出場し、1回戦で井上慶太に敗北した。
第41回(1991年度)NHK杯で2回目の本戦出場を果たすも、1回戦で森下卓に敗北した。1991年7月16日の第50期順位戦C級2組2回戦で、後に名人位を獲得する丸山忠久を破り、当期順位戦における唯一の黒星を与えた。
四段に昇段して1982年度に順位戦(第41期)に参加して以来、第62期までの22年間、C級1組に昇級しなかった一方で、何度も“あと1勝足りなければ降級点”や“最終順位があと1つ低ければ降級点”に相当する成績により降級点を回避し続けたため、将棋界の不思議の一つとも言われたが、第63期(2004年 - 2005年)に23年目にして初めて降級点を喫し、第64期(2005年 - 2006年)も降級点を取ったため、もう1回降級点を取ればフリークラス降級という事態に追い込まれた。第65期(2006年 - 2007年)は5勝5敗で残留。次の第66期(2007年 - 2008年)で5勝5敗以上の成績を収めると「指し分け連続2回」により、降級点が1つ消去されるところであったが、1勝9敗と大きく負け越し降級点を取ったため、フリークラスへの降級が決定した。なお、竜王戦では第1期の5組に出場し、第15期まで一度も昇級も降級もしなかったが、第16期で6組降級となり第17期以降は引退まで6組に在籍した。
順位戦の成績(41期~66期)
41期…7勝3敗(最終順位7位)、42期…4勝6敗(27位)、43期…5勝5敗(21位)、44期…3勝7敗(36位)、45期…4勝6敗(34位)
武市が降級点を回避していた46期から62期の間、2勝8敗の棋士は必ず降級点の対象となった一方、4勝6敗の棋士は必ず降級点を回避できた。3勝7敗の棋士は2勝以下の棋士の人数やリーグ戦開始時の順位(≒前期の最終順位)により、降級点をとるか否かが決まった。武市は17期で勝ち越し(6勝)が2回、指し分け(5勝)が2回のほかは、すべて負け越しであったが、必ず3勝以上を挙げていた。また、3勝に終わった場合(6回)も辛くも開始時の順位の差などで降級点を回避し続けたが、63期に初めて2勝に留まり、降級点を喫することとなった。
期
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開始順位
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勝利数
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敗戦数
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最終順位
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備考
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46
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32
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3
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7
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43
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降級点対象者と同成績、最終順位があと1つ低ければ降級点 最終順位が1つ下で降級点を喫した五十嵐豊一とは3期連続で同成績であったため、3期前の成績の差により、明暗が分かれた。
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47
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40
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4
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6
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38
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48
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38
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6
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4
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25
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49
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22
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6
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4
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19
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50
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19
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4
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6
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34
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あと1勝足りなければ降級点
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51
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33
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4
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6
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39
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あと1勝足りなければ降級点
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52
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37
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3
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7
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44
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あと1勝足りなければ降級点、最終順位があと1つ低ければ降級点 C級2組の人数があと1人多ければ、降級点対象者がもう1人増えていた。
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53
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40
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3
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7
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39
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降級点対象者と同成績、最終順位があと1つ低ければ降級点
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54
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38
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5
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5
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27
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55
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26
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3
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7
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41
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降級点対象者と同成績、最終順位があと1つ低ければ降級点
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56
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38
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4
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6
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36
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あと1勝足りなければ降級点
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57
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33
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3
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7
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37
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降級点対象者と同成績
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58
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36
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5
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5
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30
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59
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28
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4
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6
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31
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あと1勝足りなければ降級点
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60
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29
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4
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6
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30
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あと1勝足りなければ降級点、最終順位があと1つ低ければ降級点
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61
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29
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3
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7
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36
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降級点対象者と同成績
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62
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33
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4
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6
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30
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63
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31
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2
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8
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40
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降級点(1回目)
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64
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38
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3
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7
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40
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降級点(2回目)
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65
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38
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5
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5
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24
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66
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22
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1
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9
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43
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降級点(3回目)、フリークラスへ降級
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人物
- 遊々将棋塾[2]で第1期から講師を務めた。書籍において、駒落ち戦の手合割の中で最大のハンデである十枚落ちの下手の指し方について唯一触れた棋士でもある。
- プロ棋士にはあまり高く評価されていない、初手▲7六歩から△3四歩・▲2二角成・△同銀に▲4五角と打っていく筋違い角戦法(「武市ワールド」とも)を得意戦法としている稀有な棋士として有名である。
- 趣味は野球で、棋士の草野球チーム「キングス」[3]の他に社会人のクラブチームにも所属している。また、競輪が大好きなことでも知られている。「キングス」においては『エースで2023年の勝ち頭でした』と、同じくキングスに所属する棋士の上村五段から明かされている。
- 必至問題の作家としても有名で、かつて雑誌「NHK将棋講座」内で必至問題コーナーを担当していた。現在では将棋世界の必至問題を担当している。
弟子
女流棋士となった弟子
名前 |
女流プロ入り日 |
段位、主な活躍
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竹内優月 |
2024年3月1日
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女流2級
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(2023年3月1日現在)
昇段履歴
- 1969年00月00日 : 5級
- 1970年00月00日 : 初段
- 1981年11月11日 : 四段
- 1987年03月19日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝)
- 1997年05月29日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝)
- 2014年04月01日 : 七段(フリークラス規定)[4]
- 2014年04月30日 : 引退(フリークラス規定、60歳定年)[5]
主な成績
在籍クラス
年度別成績
| この節の 加筆が望まれています。 (2024年9月) |
著書
脚注
関連項目
外部リンク