新鍋 理沙(しんなべ りさ、1990年7月11日 - )は、日本の元女子バレーボール選手[1][2]。
来歴
鹿児島県霧島市出身[3]。両親がバレーボールをしていた影響で、小学校1年生からバレーボールを始める[3]。中学時代の同級生には2020年東京オリンピック柔道女子78kg級金メダリストの濱田尚里がいる[4]。
鹿屋中央高等学校では2006年インターハイ優勝、2007年春高バレーベスト4などを経験。その後延岡学園高等学校に転校し[5]、2008年11月、Vプレミアリーグの久光製薬スプリングスの内定選手となる[6]。
2009年、高卒1年目のプレミアリーグ2009/10シーズンは、わずか2セットの出場に終わった[注 1]。
2010年、オフシーズンにチームの主力選手の引退や退団が重なったこともあり、2年目の2010/11シーズンは開幕からスタメンで出場。開幕戦のトヨタ車体戦では両チーム最多の31得点を挙げチームの勝利に貢献するなど[7]、このシーズンは大きく若返ったチームで、同期の岩坂名奈らと共にレギュラーとして活躍。チームも前シーズンを上回る3位の成績を残し、プレミアリーグ最優秀新人賞に選ばれた。
2011年3月、全日本女子チームにメンバー登録され、6月のモントルーバレーマスターズで国際試合デビューを飾った。同年11月に行われたワールドカップバレー[8]ではセッター対角[注 2]として起用され、ミドルブロッカーで同じく久光所属の岩坂と共に「最年少コンビ」として注目を集める。第3戦、フルセットの末敗れた中国[9]との試合後には悔し涙を流すなど、大会途中からは世界の壁にぶち当たる試合が続いたが、最終ラウンドのドイツ戦で途中出場すると、これまでの悔しさを吹っ切るような大活躍を見せ、この試合逆転勝利の立役者となった。
2012年のロンドン五輪世界最終予選にも出場。眞鍋政義監督にはサーブレシーブ力が評価されている[10]。日本の五輪出場が決まった最終試合第3セットの最後は、4回目のセットポイントが新鍋のスパイクだった[11]。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された[12]。安定したサーブとレシーブでチームを支え、全日本女子28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した。
2012/13Vプレミアリーグでは、チームの6年ぶり優勝に貢献。2013年5月の第62回黒鷲旗大会でも優勝にも貢献した。
2013/14Vプレミアリーグにおいては、チーム二連覇に大きく貢献し、自らもMVP・ベスト6・サーブレシーブ賞の栄に浴した[13][14]。
2014年のワールドグランプリ[15]や世界選手権[16]では眞鍋監督の戦術変更により、レフトのアウトサイドヒッターとして起用された。
2015年の全日本チームには、新鍋から怪我のための辞退の申し出があり、エントリーされず[17][18]、2016年リオデジャネイロオリンピックの代表にも選出されなかった。
Vプレミアリーグにおける個人賞受賞回数が8回に達したことから、規定により2016/17シーズン終了後にVリーグ栄誉賞(傑出した個人記録)を受賞した[19]。
2017年からは、中田久美監督のもと代表メンバーに再び登録され[20]、同年8月に開催されたアジア選手権では10年ぶり優勝の原動力となり、自らもMVPを獲得した[21]。2018年世界選手権、2019年ワールドカップにも出場[22][23]。
そして、東京五輪を迎える五輪イヤーとなった2020年も、代表メンバーに選出された[24]。しかし、2020年初めに右手人さし指の靱帯を痛めていて、それに五輪延期決定も重なり、絶望感が強まる。それでも、4月下旬に手術して1年後の五輪に向けてリハビリに励んだが、自分のプレーをイメージしづらくなり、納得できない状態で代表と久光でプレーを続けることに納得できず引退を決断。2020年6月30日、現役引退した[25][26][27]。また、同時に久光の運営会社である「SAGA久光スプリングス」と「所属アスリート」としてマネジメント契約を結んだ[26][27][28]。
球歴
- 日本代表 - 2011-2014年、2017-2020年
- 日本代表としての主な国際大会出場歴
所属チーム
受賞歴
- 2011年 - 2010/11 Vプレミアリーグ 最優秀新人賞
- 2012年 - 2011/12 Vプレミアリーグ レシーブ賞[29]
- 2012年8月 - 霧島市スポーツ栄誉賞[30]
- 2013年 - 2012/13 Vプレミアリーグ レシーブ賞[31]
- 2013年 - 第62回黒鷲旗全日本バレーボール選手権大会 ベスト6[32]
- 2014年 - 2013/14 Vプレミアリーグ MVP・ベスト6・サーブレシーブ賞
- 2015年
- 2016年 - 2015/16プレミアリーグ サーブレシーブ賞[35]・レシーブ賞
- 2017年
- 2018年
- 2019年
- 2018-19 V.LEAGUE DIVISION1 サーブレシーブ賞
- 2019-20 V.LEAGUE DIVISION1 Vリーグ栄誉賞(試合出場が10シーズン以上で230試合以上出場)
- 2020年
- 2019-20 V.LEAGUE DIVISION1 サーブレシーブ賞
- 2021年
個人成績
Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り[39]。
シーズン |
所属 |
出場 |
アタック |
ブロック |
サーブ |
レセプション |
総得点 |
備考
|
試合 |
セット |
打数 |
得点 |
決定率 |
効果率 |
決定 |
/set |
打数 |
エース |
得点率 |
効果率 |
受数 |
成功率
|
2009/10 |
久光製薬 |
27 |
2 |
0 |
0 |
0.0% |
% |
0 |
0.00 |
2 |
0 |
0.00% |
12.5% |
0 |
0.0% |
0 |
|
2010/11 |
26 |
101 |
997 |
389 |
39.0% |
% |
21 |
0.21 |
238 |
3 |
1.26% |
6.0% |
542 |
75.5% |
413 |
|
2011/12 |
21 |
85 |
568 |
244 |
43.0% |
% |
15 |
0.18 |
305 |
8 |
2.62% |
8.5% |
456 |
65.8% |
267 |
|
2012/13 |
28 |
103 |
978 |
326 |
33.3% |
% |
26 |
0.25 |
483 |
21 |
4.35% |
11.7% |
645 |
70.5% |
373 |
|
2013/14 |
26 |
95 |
751 |
250 |
33.3% |
% |
36 |
0.38 |
357 |
19 |
5.32% |
13.1% |
469 |
72.7% |
305 |
|
2014/15 |
21 |
81 |
793 |
246 |
31.0% |
% |
23 |
0.28 |
338 |
8 |
2.37% |
8.7% |
455 |
74.7% |
277 |
|
2015/16 |
21 |
81 |
755 |
278 |
36.8% |
% |
30 |
0.37 |
347 |
20 |
5.76% |
14.8% |
297 |
73.4% |
328 |
|
2016/17 |
21 |
82 |
793 |
284 |
35.8% |
% |
26 |
0.32 |
319 |
8 |
% |
8.7% |
198 |
69.5% |
318 |
|
2017/18 |
21 |
72 |
337 |
135 |
40.1% |
% |
18 |
0.25 |
298 |
15 |
% |
10.8% |
270 |
63.0% |
168 |
|
2018/19 |
18 |
64 |
355 |
154 |
43.4% |
% |
33 |
0.52 |
283 |
10 |
% |
9.7% |
228 |
70.0% |
197 |
交流戦含む
|
2019/20 |
21 |
73 |
456 |
144 |
31.6% |
% |
21 |
0.29 |
268 |
9 |
% |
9.1% |
242 |
68.8% |
174 |
交流戦含む
|
脚注
注
- ^ 公式記録では31試合出場(ベンチ入りも試合数に数えるため)。
- ^ 全日本では当時、山口舞が同じポジションで起用された。
出典
参考文献
- 月刊バレーボール1月号臨時増刊 2010/11Vリーグ観戦ガイドブック(日本文化出版刊)
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
新鍋理沙に関連するカテゴリがあります。
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Vリーグ |
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日本リーグ |
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Vリーグ |
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V・プレミア リーグ |
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Vリーグ |
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プレミア リーグ |
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V.LEAGUE Division1 |
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★は黒鷲賞、☆は敢闘賞 |