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尾上 旭(おのうえ あきら、1959年4月22日 - 2022年11月20日[1])は、千葉県旭市出身のプロ野球選手(内野手)。
小学4年から野球を始め、飯岡中学時代に投手から内野手に転向[2]。
銚子商業高では1976年に中堅手として夏の甲子園に出場、準々決勝に進むが桜美林高に敗れる。チームメートに1年先輩の宇野勝がいた。1977年には遊撃手として春の選抜に出場、2回戦で智辯学園高の山口哲治に抑えられ敗退 [2]。
卒業後は中央大学へ進学。東都大学野球リーグでは1979年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で早大を降し優勝する。1981年の日米大学野球選手権日本代表に選出された[2]。リーグ通算108試合出場、394打数105安打、打率.266、14本塁打、43打点。遊撃手としてベストナイン1回受賞。大学同期に米村明がいる。
1981年のプロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団[2]。巧打と堅守を誇る即戦力内野手との評価を受け、一年目から一軍に帯同、出場機会を得る。しかし打撃面で伸び悩み、宇野勝や上川誠二(同学年・同期入団=ドラフト外)の壁を越えられず、レギュラーには届かなかった。しかしその後も遊撃手、二塁手、三塁手をこなすユーティリティプレーヤーとしては活躍し、1986年には29試合に先発出場。
1987年には同じタイプの仁村徹の伸長もあって出場機会が減り、同年11月、島田芳明と共に仲根政裕との2対1の交換トレードで近鉄バファローズに移籍[2]。近鉄では特筆すべき活躍は無く、1991年限りで現役を引退[2]。
引退後は、1992年から地元千葉に戻り家業の青果業を継ぐ[2][3]。その後、選手時代の広島遠征でチーム御用達の店で食べた広島風お好み焼きを気に入り[4]、1995年春から銚子市で「広島焼 おのうえ」を経営していた[4][5]。2019年5月末頃にお好み焼き屋を閉店。
2022年11月20日、死去。63歳没[1]。