定岡 卓摩
東北楽天ゴールデンイーグルス時代 (2012年5月12日) |
基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県福岡市東区 |
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生年月日 |
(1986-10-17) 1986年10月17日(38歳) |
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身長 体重 |
180 cm 85 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
一塁手、三塁手、外野手 |
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プロ入り |
2004年 ドラフト7巡目 |
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初出場 |
2012年6月20日 |
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最終出場 |
2012年9月16日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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定岡 卓摩(さだおか たくま、1986年10月17日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。福岡ダイエーホークスとして最後にドラフト指名された選手。
経歴
プロ入り前
小学4年生でソフトボール、5年生の時に少年野球チーム「福岡ニュースターズ」に入り硬式野球を始める。市立青葉中学校3年生の時、父に勧められたダイエーの入団テストにオープン参加して遠投100mの強肩を披露し周囲を驚かせる。その頃から140kmの球を投げる投手として、地元では有名であった。
福岡工大城東高に進学後は主軸として活躍し、2004年の第76回選抜高等学校野球大会では4番を務めベスト8に進出。夏の福岡大会では抑え投手も務め146km/hを記録するなど、その身体能力の高さを見せた。高校通算40本塁打[1]。
2004年のドラフト会議で、福岡ダイエーホークスから7巡目で指名された。指名後に球団はソフトバンクに売却され、福岡ソフトバンクホークスに球団名が変わった。
プロ入り後
2005年には、二軍の公式戦22試合に出場(打率.160、0本塁打)。
2006年には、二軍でも11試合の出場にとどまった。一軍昇格の機会がないまま、シーズン終了後には入団2年目にして戦力外通告を受けたが、12球団合同トライアウトを経て千葉ロッテマリーンズへ移籍した。
2007年は二軍の公式戦で72試合に出場。打席数こそイースタン・リーグでの規定打席数に満たなかったものの、4番打者の細谷圭に次ぐ6本塁打を放つなど、長打力を遺憾なく発揮した。その一方で、本塁打以外の長打は二塁打3本のみ。さらに、安打数41に対して四球数が6個にとどまるなど、打撃面では初球からバットを振りまわす粗さが目立った。
2008年、二軍公式戦で54試合に出場。打率.231、4本塁打を記録した。
2009年には、二軍公式戦62試合の出場で、打率.241、5本塁打。
2010年には、二軍で自身初の2ケタ本塁打(10本)を記録したものの、打率は.229にとどまった。
2011年、二軍公式戦で自己最高の84試合に出場(打率.235、5本塁打)。10月9日に戦力外通告を受けた[2]が、12月6日に東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得を発表した[3]。
2012年、6月20日の対横浜DeNAベイスターズ戦で、プロ8年目での一軍デビュー。第2打席でプロ入り初安打となる左翼線への二塁打を放つとともに、プロ初得点も記録した。シーズン通算では、一軍公式戦で16試合に出場(12試合でスタメンに起用)[4]。58試合に出場した二軍の公式戦では、自己最高の打率.305、出塁率.337(154打数47安打6本塁打9二塁打1三塁打9四球1死球)を記録した。
2013年、一軍公式戦への出場機会がないまま、10月4日に球団から自身3度目の戦力外通告を受けた[5]。通告後に第1回12球団合同トライアウトへ参加した[6]が、結局は現役からの引退を決めた。
現役引退後
2013年12月19日に、横浜DeNAベイスターズがチームスタッフとして定岡と契約したことを発表[7]。打撃投手、ブルペン捕手を歴任後、2021年よりバスドライバー兼施設担当に就任。
家族
父は南海ホークスで遊撃手として活躍した定岡智秋であり、定岡正二、定岡徹久は叔父である。野球一家であるが、兄は一般人である。
詳細情報
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 |
外野
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率 |
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2012
|
楽天
|
1 |
9 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
13 |
14 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
通算
|
1 |
9 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
13 |
14 |
1 |
0 |
0 |
1.000
|
記録
背番号
- 35 (2005年 - 2006年)
- 70 (2007年 - 2011年)
- 62 (2012年 - 2013年)
- 102 (2014年)
- 121 (2015年 - 2020年)
脚注
関連項目
外部リンク