加藤 領健基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
愛知県名古屋市緑区 |
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生年月日 |
(1982-05-31) 1982年5月31日(42歳) |
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身長 体重 |
174 cm 82 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手 |
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プロ入り |
2004年 ドラフト6巡目 |
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初出場 |
2005年7月16日 |
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最終出場 |
2006年4月22日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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選手歴 |
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コーチ歴 |
- 福岡ソフトバンクホークス (2018 - 2021)
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加藤 領健(かとう りょうた、1982年5月31日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手)。2007年までの登録名は「領健」。
来歴・人物
プロ入り前
中学校時代には、全国大会で優勝。
PL学園高校では3年夏に主将として第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。
青山学院大学でも1年次から正捕手に定着し、4年次には主将を務めた。さらに同年(2004年)には、第33回日米大学野球選手権大会の日本チームのメンバーに選出され、第1・第2・第4戦でスタメンマスクを被った。東都大学リーグ通算93試合出場、300打数60安打、打率.200、3本塁打、35打点。ベストナイン2回。
2004年のドラフト会議で6巡目指名を受け、福岡ソフトバンクホークスに入団。明るい性格で、入団発表時には「田口(昌徳)さんのようなムードメーカーになりたい」と語っていた。
プロ入り後
ルーキーイヤーの2005年は二軍で経験を積み、正捕手・城島健司の故障もあって一軍に昇格。プレーオフにも1イニングではあるが出場し、マスクを被った。
城島が退団した2006年はチャンスだったが、ほとんど出場の機会はなかった。
2007年は春季キャンプからA組(一軍)に抜擢。正捕手候補として期待されるが、オープン戦途中で蜂窩織炎を左足に発症。結果を出せないまま戦線離脱してしまった。
同年12月3日、登録名を「領健」から、本名の「加藤領健」に変更した。
2008年11月4日、戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後
ブルペン捕手として契約し、2008年秋季キャンプから務めている。
2018年から3軍バッテリーコーチに就任[1]。
2021年11月19日にスカウトに就任することが発表された[2]。
詳細項目
年度別打撃成績
年度別守備成績
年 度 |
捕手
|
試合 |
刺殺 |
補殺 |
失策 |
併殺 |
捕逸 |
守備率 |
企図数 |
許盗塁 |
盗塁刺 |
阻止率
|
2005 |
1 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
0 |
0 |
0 |
-
|
2006 |
6 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
1 |
1 |
0 |
.000
|
通算
|
7 |
7 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1.000 |
1 |
1 |
0 |
.000
|
記録
背番号
- 29 (2005年 - 2008年)
- 108 (2009年 - 2017年)
- 96 (2018年 - 2021年)
登録名
- 領健 (りょうた、2005年 - 2007年)
- 加藤 領健 (かとう りょうた、2008年)
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
野球日本代表 |
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監督 | |
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コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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緑色背番号は、開催地限定代表 |
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