大西 順子(おおにし じゅんこ、1967年4月16日 - )は、日本のジャズ・ピアニスト。京都府城陽市出身。
来歴
1967年京都府久世郡城陽町(現・城陽市)生まれ。4歳からピアノを始める。東京都立国立高等学校に在籍中、兄が持っていたセロニアス・モンクのレコードを聴いて衝撃を受け、ジャズに開眼。卒業後渡米し、ボストンのバークリー音楽院に学ぶ[1]。
1989年 バークリーを首席で卒業後、ニューヨークに移る。アップタウンのジェシー・デイヴィス・クインテットのレギュラー・ピアニストとして活動。1991年 ジョー・ヘンダーソン・カルテットのピアニストとして米国、日本をツアー。
1992年 日本へ帰国。バークリー時代の仲間とトリオを結成し、都内ジャズ・スポットなどで活動を始める。同年9月デビューアルバム『WOW/ワウ 』をレコーディング。
1993年 『WOW/ワウ』発売。ジャズ・レコードとしては異例の5万枚のセールスを記録。
1994年 ニューヨークの名門ジャズ・クラブヴィレッジ・ヴァンガードに、日本人として初めて自分のグループを率いて出演する(1週間公演)。この演奏はライブ・レコーディングもされた。10月からは、初の欧州ツアーも成功させる。
1995年 出光音楽賞受賞。
1996年 ジャッキー・マクリーンとの共演盤『HAT TRICK/ハット・トリック』発売。自己の日本人トリオを率いてモントルー・ジャズ・フェスティバルに参加。
1999年 フィル・ウッズとの共演盤 『cool woods/クール・ウッズ』発売。同年10月、ブルーノート・クラブ・ツアーを実施。
2000年 3月の大阪公演を最後に、活動休止。
2005年 4月5日 大野俊三帰国ツアーに参加し、演奏活動再開。
2007年 ソロ・コンサートなども開催、復帰後の活動が活発化。
2009年 7月22日 11年ぶりのリーダー作となる「Musical Moments/楽興の時」発売。
2012年 8月20日 10月22日からの国内ツアー終了を以て、プロ演奏家からの引退を表明。
2013年 8月-9月 サイトウ・キネン・フェスティバル松本において「サイトウ・キネン ジャズ勉強会」の講師を務め、9月6日には小澤征爾の指揮するサイトウ・キネン・オーケストラとガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」を共演した[2]。
2015年 9月6日 日野皓正&ラリー・カールトン スーパーバンドのメンバーとして 東京JAZZ 公演で活動再開。
2016年 5月 菊地成孔をプロデューサーに迎え「新作製作中」と菊地がウェブサイトで発表。
ディスコグラフィ
アルバム(リーダー作)
アルバム(ベスト)
アルバム(共作・ゲスト参加)
映像作品
- 1997年4月16日『JUNKO ONISHI TRIO at the Montreux Jazz Festival』
テレビ出演
ラジオ出演
参考文献
脚注
注釈
出典
- ^ 「高校生のとき、モンクが奥さんのために書いた『ネリーと共にいる黄昏』という曲に出会って打ちのめされたんです。それで私はモンクともう一人、アート・テイタムの数枚のアルバムを死ぬほど聴いてバークリー音楽院に行ったという感じなんですけれど」と、大西は村上春樹編・訳の『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社)の書評で語っている。
- ^ 「厚木からの長い道のり --小澤征爾が大西順子と共演した『ラプソディー・イン・ブルー』」(村上春樹著、『考える人』2013年秋号収録)
外部リンク
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