ジョン・クレイボーン・メイベリー・ジュニア(John Claiborn Mayberry, Jr, 1983年12月21日 - )は、アメリカ合衆国・ミズーリ州カンザスシティ出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
同名の父ジョン・メイベリーは1970年代にカンザスシティ・ロイヤルズの正一塁手として活躍した元メジャーリーガー。
経歴
プロ入り前
子供の頃から父が専属コーチで[1]、憧れていた選手はケン・グリフィー・ジュニアとフランク・トーマスだった[2]。全米でも有数のスポーツ強豪校であるミズーリ州カンザスシティのロックハースト高校では野球以外にバスケットボールでも活躍。USAトゥデイ選定のオールアメリカンにも選ばれ、2002年のMLBドラフトでシアトル・マリナーズから1巡目(全体28位)指名されるが、契約せずにスタンフォード大学へ進学した[3]。スタンフォード大学では同学年にジェド・ラウリーがいた。
レンジャーズ傘下時代
2005年にMLBドラフトでテキサス・レンジャーズから1巡目(全体19位)指名され、入団。大学3年間の通算成績は打率.312・28本塁打・148打点[4]。成績ではボストン・レッドソックスから1巡目補完(全体41位)で指名されたラウリーの方が上であったが、素材面が評価されたメイベリーがドラフト指名順位では上になった[5]。
プロ1年目の2005年はA-級スポケーン・インディアンス、翌2006年はA級クリントン・ランバーキングスでプレー。2007年はA+級ベーカーズフィールド・ブレイズとAA級フリスコ・ラフライダーズで打率.235ながら30本塁打を放ち、オフには「ベースボール・アメリカ」誌の有望株ランキングで球団内5位にランクインした[6]。
フィリーズ時代
2008年11月20日、グレッグ・ゴルソンとのトレードでフィラデルフィア・フィリーズへ移籍した[7]。
2009年5月23日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビューすると、いきなりアンディ・ペティットからメジャー初本塁打となる3ランを放った[8]。この年は最終的に39試合の出場で打率.211、4本塁打という成績だった。
2010年3月28日にAAA級リーハイバレー・アイアンピッグスへ配属され、開幕を迎えた。8月3日にライアン・ハワードが故障者リスト入りしたため、メジャーへ昇格[9]。昇格後は代打として2試合に出場したが、2打数無安打に終わり、8月8日にAAA級リーハイバレーへ降格。9月7日に再昇格した。この年は11試合に出場し、打率.333・2本塁打・6打点だった。
2011年は開幕ロースター入りを果たし、開幕後は45試合に出場したが、打率は.231と結果を残せず、6月3日にAAA級リーハイバレーへ降格[10]。7月5日に再昇格した[11]。この年は104試合に出場し、打率.273・15本塁打・49打点・8盗塁だった。
2012年は開幕から左翼手であるフアン・ピエールのバックアップとして主に起用されていたが、7月31日に正中堅手のシェーン・ビクトリーノがロサンゼルス・ドジャースへ移籍したため、8月から中堅手の定位置を獲得。この年は149試合に出場し、打率.245・14本塁打・46打点・1盗塁だった。
2013年は中堅手のベン・リビアと右翼手のデルモン・ヤングが加入。有望株のドモニク・ブラウンが左翼手として起用されたため、主にバックアップとしての起用に戻った。この年は134試合に出場し、打率.227・11本塁打・39打点・5盗塁だった。
2014年1月17日にフィリーズと158万7000ドルの1年契約に合意[12]。開幕後は定位置を獲得することができないまま、7月22日に左手首の故障で15日間の故障者リスト入りした[13]。フィリーズでは63試合に出場し、打率.213・6本塁打・21打点だった。
ブルージェイズ時代
2014年8月31日にグスタボ・ピエールとのトレードでトロント・ブルージェイズへ移籍[14]。移籍後の9月2日に故障者リストから外れたが、僅か15試合の出場で打率.208に終わった。シーズン計では4年ぶりに出場試合数が100未満となり、本塁打も4年ぶりに二桁未到達に終わるなど不本意なシーズンだった。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[15]。
メッツ時代
2014年12月15日にニューヨーク・メッツと145万ドル+出来高の1年契約を結んだ[16][17]。
2015年7月24日にDFAとなった[18]。7月30日に自由契約となった[19]。
メッツ退団後
8月7日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、傘下のAAA級シャーロット・ナイツに所属したが、13試合の出場で打率.162に終わり、26日に自由契約となる。
2016年1月11日、デトロイト・タイガースとマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[20]。3月31日に自由契約となった[21]。
プレースタイル
身長6フィート6インチ(約198.1cm)という恵まれた体格を持ち、パワー、走力、強肩を兼ね備えた抜群の身体能力を持つ[6]。しかし、打撃は三振が多く確実性に欠ける。そのため、メジャー昇格当初は層の厚いフィリーズ外野陣に定着することが出来ず、AAA級との往復が続いていた。
大学時代までは一塁手であったが、プロ入り後は外野手に転向。特に右翼手としての出場が多い[22]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2009
|
PHI
|
39 |
60 |
57 |
8 |
12 |
3 |
0 |
4 |
27 |
8 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2 |
0 |
1 |
23 |
2 |
.211 |
.250 |
.474 |
.724
|
2010
|
11 |
13 |
12 |
4 |
4 |
0 |
0 |
2 |
10 |
6 |
0 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
0 |
4 |
0 |
.333 |
.385 |
.833 |
1.218
|
2011
|
104 |
296 |
267 |
37 |
73 |
17 |
1 |
15 |
137 |
49 |
8 |
3 |
0 |
1 |
26 |
2 |
2 |
55 |
6 |
.273 |
.341 |
.513 |
.854
|
2012
|
149 |
479 |
441 |
53 |
108 |
24 |
0 |
14 |
174 |
46 |
1 |
0 |
0 |
2 |
34 |
2 |
2 |
111 |
17 |
.245 |
.301 |
.395 |
.695
|
2013
|
134 |
384 |
353 |
47 |
80 |
23 |
1 |
11 |
138 |
39 |
5 |
3 |
0 |
1 |
27 |
1 |
3 |
90 |
6 |
.227 |
.286 |
.391 |
.677
|
2014
|
63 |
138 |
122 |
11 |
26 |
7 |
0 |
6 |
51 |
21 |
0 |
0 |
0 |
0 |
15 |
0 |
1 |
30 |
1 |
.213 |
.304 |
.418 |
.722
|
TOR
|
15 |
30 |
24 |
4 |
5 |
3 |
0 |
1 |
11 |
2 |
0 |
0 |
0 |
1 |
5 |
0 |
0 |
5 |
1 |
.208 |
.333 |
.458 |
.792
|
'14計
|
78 |
168 |
146 |
15 |
31 |
10 |
0 |
7 |
62 |
23 |
0 |
0 |
0 |
1 |
20 |
0 |
1 |
35 |
2 |
.212 |
.310 |
.425 |
.734
|
通算:6年
|
515 |
1400 |
1276 |
164 |
308 |
77 |
2 |
53 |
548 |
171 |
14 |
7 |
0 |
5 |
110 |
5 |
9 |
318 |
33 |
.241 |
.305 |
.429 |
.734
|
背番号
- 40 (2009年 - 2010年)
- 15 (2011年 - 2014年途中)
- 9 (2014年途中 - 同年終了)
- 44 (2015年)
脚注
関連項目
外部リンク