ケビン・マギー (Kevin Magee, 1962年7月20日 - ) は、オーストラリア出身の元オートバイレーサー。
経歴
キャリア初期
地元オーストラリア、そして日本でのプロダクションバイク(市販量産車)、スーパーバイクでのレースでマギーのキャリアは始まった。
オーストラリア国内のスーパーバイクのレースに、ボブ・ブラウンのチームからドゥカティを駆って参戦、その後はマイケル・ドーソンと一緒にウォーレン・ウィリングが運営するヤマハのディーラーチームからプロダクションレース・スーパーバイクレースに参戦した。当時はプロダクションレースが格上であり、スーパーバイクのシリーズは発展途上にあった。
1985年にモリワキエンジニアリングの森脇護により見いだされ、鈴鹿8時間耐久レースにモリワキ8号車で初参戦。1986年の鈴鹿8時間耐久ではドーソンとペアを組み、オーストラリアから持ち込んだスーパーバイク仕様のFZ750を駆って、ワークスのTT-F1勢に割って入る2位表彰台を獲得し、世界的に注目を浴びることになった。しかしこの年バサーストで開催された耐久レースでは大きなリードを保っていたにもかかわらず、ピットサインを見て後続が迫っていると勘違いし、結果転倒して足を骨折。GPデビューを遅らせることになってしまった。だが年末に開催されたスワンシリーズ[1]ではヤマハのワークスGPマシンに乗る機会を得て、6レース中2勝を収める活躍を見せた。
世界GPデビュー
1987年、マギーはケニー・ロバーツ率いるヤマハ・チームからロードレース世界選手権500ccクラスに、ワイルドカード枠で3戦の出場機会を得た。開幕戦日本GPはクラッシュに終わるが、雨に見舞われた第7戦ダッチTTでは初ポイントを獲得、そして第13戦ポルトガルGPで見事3位表彰台を獲得する活躍を見せた。またこの年の鈴鹿8耐にマーチン・ウィマーと組んで出場。ヨシムラの高吉克郎の転倒により、残り5分での逆転劇でヤマハに8耐初優勝をもたらす。さらにはTTフォーミュラ世界選手権(TT-F1クラス)の菅生ラウンドでも勝利を果たし、マギーは1シーズンに3つの世界選手権レースの表彰台に立った唯一のライダーになった。
1988年、マギーはランディ・マモラの後釜[2]としてチーム・ロバーツ・ヤマハから、ウェイン・レイニーをチームメイトにフル参戦デビューを果たした。またこの年も鈴鹿8耐に参戦し、GPと同じくレイニーと組んで自身2連勝を果たした。
GPでは第3戦、ハラマで開催されたスペインGPで早くも初優勝を果たし、将来が有望視されていた。しかし翌1989年、ラグナ・セカで開催された第2戦アメリカGPで、マギーは不幸なアクシデントの当事者となってしまった。
ラグナ・セカでの事故
レース後のクールダウンラップ、4位に入ったマギーはバーンアウトのパフォーマンスをおこない、タイヤスモークをあげていた。その煙でマギーのマシンが見づらくなっていたところにババ・ショバートが突っ込んでしまった。この事故でマギーは足を骨折(2戦欠場後に復帰)、そして重傷を負ったショバートはレーサーとしてのキャリアを終えることになってしまった。
また皮肉なことに翌1990年のアメリカGPでは、マギーは前年と同じ場所でクラッシュし、頭部に重傷を負って1シーズンを棒に振ることになった。1991年はスズキから2戦、チーム・ロバーツ・ヤマハから1戦のみの出場に終わった。1992年の日本GPには日本テレコム・ヤマハからワイルドカードでの参戦が予定されていたがフリー走行で転倒し欠場、そして1993年の日本GPにワイルドカード参戦したのがマギーにとって最後のGPレースとなった。
他カテゴリでの活躍
マギーはスーパーバイク世界選手権にも何戦か参戦し、1991年と1992年には地元フィリップアイランドで勝利を記録した[3]。1992年には全日本ロードレース選手権GP500クラスでダリル・ビーティーと熾烈なチャンピオン争いを展開したが、惜しくも2ポイント差で敗れた[4]。
1994年にはAMAスーパーバイクに参戦し、その後引退を発表した。結局マギーはショバートとの事故後、かつての輝きを取り戻せないままキャリアを終えることになった。
引退後
マギーはオーストラリア国内でのMotoGPとスーパーバイク世界選手権のテレビ放送で解説者を務めている。またオートバイ雑誌 " Two Wheels " で時折試乗レポートもおこなっている。
主なレース戦績
ロードレース世界選手権
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
鈴鹿8時間耐久ロードレース
脚注
外部リンク
|
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|