オホーツクは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 網走駅間を函館本線・宗谷本線・石北本線経由で運行する特別急行列車である。
本項では旭川駅 - 網走駅間で運行される大雪(たいせつ)のほか、石北本線で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。
概要
オホーツク
愛称自体は、1959年(昭和34年)9月に旭川駅 - 網走駅間で運行を開始した準急列車として使われ始めたもので、1960年(昭和35年)7月に札幌発着に変更、1961年(昭和36年)10月のダイヤ改正で急行列車に格上げされて函館発着となった。1964年(昭和39年)10月の改正で札幌発着に戻されたが、1968年(昭和43年)10月の改正からは名寄本線経由(旭川駅 - 遠軽駅 - 興部駅 - 名寄駅間)の急行列車として運行されるようになった。
現在の列車種別・運行経路となったのは、1972年(昭和47年)10月2日のことで、札幌駅 - 網走駅間の「大雪」のうち1往復を特急列車(31D/32D)に格上げするにあたり、「オホーツク」の名称を転用したことによるものである。これ以降、特急「オホーツク」は急行「大雪」の格上げ・特急「おおとり」の再編・吸収によって増発され、1992年(平成4年)3月に昼行4往復・夜行1往復の5往復となった。
しかし、2006年(平成18年)3月17日には、同日発の列車をもって夜行の9・10号の定期運転が終了(臨時運行は2008年(平成20年)3月16日発まで運行)し、昼行のみ4往復の体制となり、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正では4往復のうち、日中の2往復を旭川駅で系統分割し「ライラック」「大雪」として分離したため、以降2往復の運転となっている[報道 1]。
列車名は北海道北東部に広がるオホーツク海に由来する。日本国有鉄道・JRを通じ、唯一ロシア語を由来とする名称が愛称となっている列車である[注 2]。
大雪
旭川駅で同一ホームで接続する「大雪」と「ライラック」
愛称自体は、かつて石北本線系統の急行列車として長く起用されていたものである。
1951年(昭和26年)4月に函館駅 - 網走駅間(小樽駅経由)の夜行急行列車(旭川駅 - 網走駅間は普通列車)が「大雪」と命名されたのが始まりである。1961年(昭和36年)10月までは函館駅 - 旭川駅間を小樽駅経由で結ぶ列車という性格が強く、石北本線への直通はたびたび廃止され、直通していた時期も石北本線内は普通列車扱いとなっていた。1961年(昭和36年)10月から1963年(昭和38年)6月までは運行区間がさらに短縮されており、函館駅 - 札幌駅間(小樽駅経由)の運転であった。しかし、1963年(昭和38年)6月からは札幌駅 - 網走駅間の気動車急行に「大雪」の列車名が使用されるようになり、「大雪」は石北本線系統の急行列車名として定着する。1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では、石北本線経由の急行の列車名をすべて「大雪」に統合したため全6往復体制となり、釧網本線を経て釧路へ直通する列車や夜行客車列車なども含む多彩な陣容となっていた。しかし、「オホーツク」への格上げ等により、1985年(昭和60年)3月14日には昼行の1・2号(旭川駅 - 遠軽駅 - 名寄駅間、名寄本線経由)、夜行の3・4号(札幌駅 - 網走駅間)の2往復となり、翌年11月には夜行列車のみが残っていたが、1992年(平成4年)3月14日ダイヤ改正で、「オホーツク」9・10号として格上げ・編入され、愛称が消滅した[2]。
その後、2017年(平成29年)3月4日のダイヤ改正で、「オホーツク」4往復のうち、2往復を旭川駅 - 網走駅間に短縮した際に再び「大雪」の愛称が起用されることとなった[報道 1]。
2020年(令和2年)からの新型コロナウイルス感染症拡大による利用客の減少を受け、2021年(令和3年)3月13日のダイヤ改正以降、全便が閑散日に曜日運休する臨時特急列車に変更された。JR北海道は利用客が回復してくれば、地元自治体と協議しながら運休を取りやめるか判断するとしている[3]。
列車名は北海道中央部にそびえる大雪山に由来する。
運行概況
2017年3月4日から、「オホーツク」が札幌駅 - 網走駅間に1日2往復、「大雪」が旭川駅 - 網走駅間に1日2往復での運行体制が始まった。2021年3月13日のダイヤ改正より「大雪」の毎日運行が取りやめとなり、大型連休を除いた特定期間(年度により異なる)の火・水・木曜日に運休する(2022年6月現在)。列車番号は2021年(令和3年)3月13日以降、「オホーツク」が70D+号数[4][注 3]、「大雪」が6080D+号数である[注 4]。所要時間は札幌駅 - 遠軽駅間が約3時間30分、札幌駅 - 北見駅間が約4時間30分、札幌駅 - 網走駅間が約5時間30分、旭川駅-網走駅間が約3時間50分である。最高速度は札幌駅 - 新旭川駅間が110 km/h[1]、新旭川駅 - 網走駅間が95 km/hである。
停車駅
札幌駅 - 岩見沢駅 - (美唄駅) - (砂川駅) - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 上川駅 - (白滝駅) - (丸瀬布駅) - 遠軽駅 - 生田原駅 - 留辺蘂駅 - 北見駅 - 美幌駅 - 女満別駅 - 網走駅
- 「オホーツク」は札幌駅 - 網走駅間の運転
- 2号が美唄駅・砂川駅を通過するほかは、全列車が記載駅全てに停車する。
- 「大雪」は旭川駅 - 網走駅間の運転。旭川駅で「ライラック」と接続(特急料金は通算)する。
使用車両・編成
2023年3月18日現在の編成図
オホーツク・大雪
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← 遠軽 札幌・旭川・網走 →
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- 凡例
- 指=普通車指定席
- ()=バリアフリー対応車
- 自=普通車自由席
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苗穂運転所に所属するキハ283系気動車を使用している[報道 2]。3両編成での運転を基本とし、グリーン車は連結しない(詳細は後述)[報道 2]。
2023年3月17日まではキハ183系気動車が使用されていた。4両編成での運転を基本としており、2号車がグリーン車指定席、1号車と3号車1番 - 9番(旭川駅基準で遠軽方に当たる客室内半分)と4号車17番A席・B席が普通車指定席、3号車10番 - 17番と4号車17番A席・B席以外(4号車のほぼ全席)が普通車自由席となっていた。なお、普通車指定席のうち、1号車17番A席・B席、4号車17番A席・B席は乗務員室真後ろかつ車掌側にあるため北海道内定期特急列車の中で唯一前面展望(後面展望)が楽しめることから「かぶりつきシート」と称していた(4号車17番A席・B席は2022年7月1日より指定席化。料金は他の普通車指定席と同額)[5][報道 3]。
長らく基本番台を中心とする初期型の車両およびその改造車を中心に運転されており、3号車にはグリーン席・普通席合造車のキロハ182形が充当された。ただし、検査時に予備車である全室グリーン車のキロ182形(キロ182-9)が連結される場合があり、この時は無くなる3号車の普通指定席の代替として、2号車と3号車の間に増3号車が連結されていた。
2009年(平成21年)10月1日以降は「とかち」から捻出された後期型の車両(500・1500番台と550・1550番台およびその改造車、いわゆるN・NN183系)が投入されるようになり、「大雪」が設定された2017年(平成29年)3月4日以降は、同じ苗穂運転所に所属する旧「サロベツ」用や、元函館運輸所のN・NN183系も投入されている。2018年(平成30年)3月17日にはキロハ182形を除く基本番台・200番台の運用が終了[報道 4][報道 5]、同年7月1日にはキロハ182形とキロ182形0番台の運用が終了し、合わせて従来旭川駅基準で遠軽方に配置していた自由席が「ライラック」や「宗谷」と同様、旭川駅基準で札幌方に変更された
[報道 6]。
かつて7550番台グループと1550番台グループは、機構の違いから異なるグループとの編成を組むことができなかった。2019年(令和元年)6月には、この違いが解消され、混合編成を組むことができるようになった。これにより過剰となった波動輸送用の車両や、老朽化した車両の廃車・解体が進んでいる。
2020年(令和2年)10月24日・25日には、キハ261系5000番台「はまなす編成」のデビューと北海道鉄道140周年記念に伴い、「オホーツク」1号と「大雪」4号に同車が運用に充当された[報道 7]。指定席3両、自由席1両で運用され、1号車はフリースペースのはまなすラウンジ(特急オホーツク1号運用時は遠軽駅 - 網走駅間はダイニングカープランの予約客のみ利用可能)、2 - 4号車は普通指定席、5号車は普通自由席であった[報道 7]。
2021年(令和3年)5月15日・16日には、キハ261系5000番台「ラベンダー編成」のデビューに伴い、「オホーツク」1号と「大雪」4号に対し、北海道推進のキャッチコピー「HOKKAIDO LOVE!」を掲げ、同車を使用した「HOKKAIDO LOVE! オホーツク」1号と「HOKKAIDO LOVE! 大雪4号」が運行された[報道 8][報道 9]。指定席3両、自由席1両で運転され、1号車はフリースペース、2 - 4号車は普通指定席、5号車は普通自由席であった[報道 9]。2022年(令和4年)1月18日から2月26日にかけて、一部のオホーツク・大雪にキハ261系5000番台「ラベンダー編成」が充当された。
過去の使用車両
その他
運行中に車両不具合などが発生し車両を修理する際、折り返し列車や翌日の列車に同型の車両が用意できない場合、列車を運休し、同区間・同停車駅で臨時列車(普通列車)を運転することがある[新聞 1][新聞 2]。車両は同線の普通列車用の車両であるキハ40系やキハ54系が使用される。
臨時列車
「流氷特急オホーツクの風」に使用されていた「ノースレインボーエクスプレス」(2012年2月)
冬季の流氷観光シーズンには、2015年までリゾート車両による臨時特急「オホーツク流氷」、「流氷特急オホーツクの風」などが札幌駅 - 網走駅間で1往復運行されていた。車両は苗穂運転所に所属するキハ183系5200番台「ノースレインボーエクスプレス」が使用され、同編成が検査に入った場合にはオホーツク用の183系気動車が充当された。停車駅は「オホーツク」と同じ。
石北本線優等列車沿革
概略
あばしり
1964年(昭和39年)10月のダイヤ改正で旭川駅 - 網走駅間の準急列車として登場。1966年(昭和41年)3月に急行列車に格上げされ、1968年(昭和43年)10月に「大雪」に統合される形で列車名は消滅した。1990年(平成2年)9月に登場した遠軽駅 - 網走駅間の快速列車として列車名が復活するも、1995年(平成7年)3月に列車は廃止された。列車名は目的地である旧網走支庁や網走市が由来となっている。
おおとり
1964年(昭和39年)10月に函館駅 - 網走駅・釧路駅間(滝川駅で分割併合)の特急列車として登場。1970年(昭和45年)10月からは釧路駅発着編成を特急「おおぞら」に分離し、函館駅 - 網走駅間単独の運行となる。1988年(昭和63年)3月のダイヤ改正で札幌駅 - 網走駅間が「オホーツク」、函館駅 - 札幌駅間が「北斗」に分割されて列車名は消滅した。登場から廃止まで1日1往復体制を維持し続けた。「オホーツク」とともに在来線昼行列車では、最後まで食堂車を営業していた列車として鉄道史にその名を残している[6]。列車名の由来は、いわゆる鳳凰など架空の大きい鳥類を意味する言葉であり、列車愛称の制定時に存在した「特別急行列車は鳥類にちなむ」という国鉄の規定による。なお、「おおぞら」に続く北海道内第二の特別急行列車であり、「雄大さ」という点は共通するものの、当初は東京駅 - 名古屋駅間特別急行列車の列車名に用いられていた。そのため、列車名としては2代目である。なお、東京駅 - 名古屋駅間の特急「おおとり」は1964年(昭和39年)10月の東海道新幹線開業を受けて廃止されているため、「おおとり」の列車名は一夜にして東海道から北海道へ引き継がれたことになる。
石北
1958年(昭和33年)10月、函館駅 - 網走駅間(小樽駅経由、函館駅 - 札幌駅間および北見駅 - 網走駅間は普通列車)の夜行準急列車に命名された。前身となる夜行準急列車(503・504列車)は1949年(昭和24年)9月から運行されていたものである。「大雪」およびその前身となる急行列車は石北本線内では普通列車として運行されていたため、503・504列車が石北本線初の優等列車である。1961年(昭和36年)10月に運行区間が札幌駅 - 網走駅間に変更される。1966年(昭和41年)3月に急行への格上げとともに函館駅乗り入れが復活(小樽駅経由、函館駅 - 札幌駅間は普通列車)。1968年(昭和43年)10月に「大雪」に統合されて列車名は消滅したが、「石北」に始まる石北本線系統夜行列車は急行「大雪」、特急「オホーツク」へと引き継がれ、2006年(平成18年)3月まで存続した。列車名は経由路線である石北本線にちなんだもので、沿線地域の旧国名「石狩国」と「北見国」が由来となっている。
天都
1962年(昭和37年)5月に興部駅 - 網走駅間の準急列車(名寄本線・石北本線経由)として登場。1966年(昭和41年)3月に急行への格上げと同時に網走行き列車が名寄駅発に延長(名寄駅 - 興部駅間は普通列車)。1980年(昭和55年)10月に廃止。列車名は網走市内にそびえる天都山が由来となっている。
はまなす
函館駅 - 網走駅間(小樽駅経由、北見駅 - 網走駅間は普通列車)の夜行準急列車(509・510列車)に命名されたのが始まりである。1961年(昭和36年)10月に札幌駅 - 網走駅間1往復、旭川駅 - 網走駅間1往復の急行列車に変更される。1962年(昭和37年)5月に旭川駅発着列車が札幌駅発着となり、札幌駅 - 網走駅間2往復体制となる。1963年(昭和38年)6月に小樽駅 - 網走駅間1往復となり、1968年(昭和43年)10月には「大雪」に統合されて列車名は消滅した。列車名は本州中部以北の海岸に自生するバラ科の落葉低木「ハマナス」が由来となっている。なお、この名称はのちに青森駅 - 札幌駅間を結ぶ夜行急行列車の愛称として使用された。こちらの列車についてははまなす (列車)を参照のこと。
沿革
準急・急行「オホーツク」として
- 1949年(昭和24年)9月:函館駅 - 旭川駅間の夜行急行列車である1・2列車の運行区間を石北本線網走駅まで延長。旭川駅以東は普通列車とした[7]。また、函館駅 - 網走駅間に夜行準急列車 503・504列車が運行開始。この503・504列車は当初夜行区間となる札幌駅 - 北見駅のみが準急列車として運行された(石北本線初の優等列車)。
- 1951年(昭和26年)4月1日:1・2列車に「大雪」(たいせつ)の列車愛称が与えられる[8]。
- 1955年(昭和30年)6月:函館駅 - 網走駅間(小樽駅経由、北見駅 - 網走駅間は普通列車)を運行する夜行準急列車が運行開始(509・510列車)。これに伴い、「大雪」は旭川駅 - 網走駅間を分離し、函館駅 - 旭川駅間の運行になる。
- 1956年(昭和31年)11月:「大雪」の運行区間を再び函館駅 - 網走駅間に変更。ただし、石北本線内は普通列車として運行。
- 1958年(昭和33年)10月:503・504列車に「石北(せきほく)」、509・510列車に「はまなす」の列車名を与える。
- 1959年(昭和34年)9月:旭川駅 - 網走駅間で準急「オホーツク」が運行開始。「大雪」の旭川駅以東乗り入れを廃止。
- 1960年(昭和35年)7月:「オホーツク」が札幌駅発着になる。なお、札幌駅 - 旭川駅間は稚内駅発着の「宗谷」と併結していた。
- 1961年(昭和36年)10月:ダイヤ改正により以下のように変更。
- 「オホーツク」が函館駅発着の急行列車に変更。根室本線に直通する釧路駅発着の「摩周」も連結し、3階建て列車になる。
- 「はまなす」を札幌駅 - 網走駅間1往復、旭川駅 - 網走駅間1往復の急行列車に変更。なお、札幌駅 - 滝川駅間は根室本線経由で釧路行きの「狩勝」、札幌駅 - 旭川駅間は天北線経由で稚内行きの「天北」と併結運行していた。
- 「石北」の下り列車の始発駅を札幌駅に変更。
- 1962年(昭和37年)5月:「はまなす」の旭川駅発着列車を札幌駅発着に延長。2往復とも札幌駅発着の単独運行になる。
- 1963年(昭和38年)6月:「はまなす」の1往復を小樽駅発着とし、札幌駅発着の1往復を「大雪」(たいせつ)に変更。
- 1964年(昭和39年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、以下のように変更される。
- 函館駅 - 網走駅間で特急「おおとり」が運行開始。キハ82系(キハ80系)5両(「おおぞら」の網走駅発着編成)による運転であった[9][注 5]。全車指定席。最高速度100 km/hで函館駅 - 網走駅間を10時間35分で結んだ。途中停車駅は洞爺駅、東室蘭駅、登別駅、苫小牧、札幌駅、岩見沢駅、滝川駅、富良野駅、帯広駅、池田駅(以上釧路編成)、および旭川駅、上川駅、遠軽駅、北見駅(以上網走編成)であった。
- 急行「オホーツク」は札幌駅発着となり、札幌駅 - 深川駅間は「はぼろ」、札幌駅 - 旭川駅間は「紋別」を併結。
- 旭川駅 - 網走駅間で準急「あばしり」が運行開始。
- 1965年(昭和40年):「石北」の下り列車始発駅を函館駅に変更。
- 1966年(昭和41年)3月:準急列車制度廃止に伴い、「あばしり」・「石北」が急行列車に変更。
- 1968年(昭和43年)10月1日:ダイヤ改正に伴い、石北本線経由の急行「大雪」・「石北」・「あばしり」・「はまなす」・「オホーツク」が「大雪」に統合。「オホーツク」は名寄本線経由(旭川駅 - 遠軽駅 - 興部駅 - 名寄駅間)の急行列車(興部駅 - 名寄駅間は普通列車)になる。
- 1970年(昭和45年)10月1日:ダイヤ改正により次のように変更。
- 「おおとり」の釧路駅発着編成を「おおぞら」に分離し、函館駅 - 網走駅間の単独運転になる[9]。キハ82系6両編成で食堂車は連結されていない。
- 急行「オホーツク」の名寄本線内は普通列車となる。
「オホーツク」の特急列車化
キハ80系特急「おおとり」(1986年)
14系急行「大雪」(1986年)
- 1972年(昭和47年)
- 3月15日:「おおとり」(15D/16D)に食堂車を連結開始[10]。
- 10月2日:「オホーツク」を札幌駅 - 網走駅間の特急列車へ変更(31D/32D)。北海道内では函館駅を発着しない初の特急列車となる[6][11][12]。食堂車を連結したキハ82系7両による運転であった[新聞 3]。ヘッドマークはこの「オホーツク」のみ赤字で描かれた。旧「オホーツク」は「大雪」に編入し、名寄駅 - 遠軽駅間を普通列車として運行。なお、函館駅 - 旭川駅間を小樽経由で運転する「北海」が、多客期において網走駅までの延長運転も設定された[11]。
- 1978年(昭和53年)10月2日:「おおとり」のほか、「おおぞら」や「北斗」に自由席を設定する[10]。
- 1980年(昭和55年)10月1日:旭川発釧路行きと網走発旭川行きの「大雪」1往復が廃止。網走駅 - 釧路駅間は「しれとこ」に編入。
- 1981年(昭和56年)10月1日:札幌駅 - 釧路駅間(釧網本線経由)の「大雪」1往復が廃止され、「オホーツク」に格上げ[13]、「オホーツク」は2往復体制となる。網走駅 - 釧路駅間は「しれとこ」に変更。
- 1982年(昭和57年)
- 10月6日:「オホーツク」2往復(1 - 4号)がキハ183系気動車(基本番台)に変更[14][13]。当時の最高速度はキハ82系と同様の100 km/hであった。
- 11月15日:夜行「大雪」の使用客車を14系客車に変更。当初は座席車のみの置き換えで、寝台車はオロハネ10を含む10系客車のままだったが、1983年(昭和58年)7月20日から寝台車も14系客車となり、A寝台廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:「大雪」の1往復が「オホーツク」に格上げ[14][13]。「オホーツク」は3往復体制となる。昇格分の「オホーツク」5・2号は、「おおとり」の間合いの都合により、食堂車を連結したキハ82系で運転された。食堂車付きのこの編成は好評を博した[15]。「大雪」は名寄本線経由の1・2号、夜行の3・4号の2往復となる。
キハ80系末期のおおとり
おおとり
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← 遠軽 函館・網走 →
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1 |
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![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Rauchen_Verboten.svg/15px-Rauchen_Verboten.svg.png) |
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![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/93/Rauchen_Verboten.svg/15px-Rauchen_Verboten.svg.png) |
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自 |
自 |
自 |
指 |
G |
食 |
指 |
指 |
指
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- 3号車は日によって指定席となっていた。
- 指定席車の増結は当時の定期列車と同様の措置だった。
- 8号車・9号車は函館 - 北見間のみの連結。
- 凡例
- G=グリーン車座席指定席
- 食=食堂車
- 指=普通車座席指定席
- 自=普通車自由席
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- 1986年(昭和61年)
- 9月14日:夜行列車「大雪」の3段寝台が2段化される[新聞 4]。
- 10月31日:翌日のダイヤ改正を控え、「オホーツク5号」が車両運用の都合により、一足早くキハ183系で運転される[16]。
- 11月1日:国鉄最後のダイヤ改正に伴い、以下のように変更。
- 夜行列車を除く「大雪」が「オホーツク」に格上げされ、「大雪」は夜行列車のみになる[17]。
- 「おおとり」がキハ183系7両編成に変更。同時に「おおとり」「オホーツク」の食堂車連結が終了[18][6]。
- 使用車両に新キハ183系(N183系)が初めて投入された。
- 札幌駅 - 旭川駅間が従来の100 km/hから120 km/hに引き上げられた[19][注 6]。「おおとり」は函館駅 - 網走駅間において、所要時間は9時間21分(上り)で、車両性能の向上に伴ない[15][注 7]、前年と比較して58分もの大幅な短縮が図られた。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により各列車をJR北海道に引き継ぎ。
- 1988年(昭和63年)
- 3月13日:青函トンネル開通に伴う大幅なダイヤ改正に伴い「おおとり」は札幌駅を境に系統分割され、札幌駅 - 網走駅間を「オホーツク」、函館駅 - 札幌駅間を「北斗」とする。「オホーツク」は4往復体制となる。これにより函館駅発着で札幌駅より遠方へ直通する定期列車は姿を消した。なお、同時に当列車の補完列車として、特別快速「きたみ」が設定された。
- 11月3日:石北本線新旭川駅 - 上川駅間の、東旭川駅・桜岡駅・当麻駅・伊香牛駅・安足間駅で地上設備の改良工事がこの日までに行なわれた[注 8]。これにより駅構内の通過速度が向上し、「オホーツク」の旭川駅 - 網走駅間にて最大7分の所要時間短縮が図られた[21]。また、札幌駅 - 旭川駅間の軌道改良も同時に実施され、優等列車の速度向上が図られた。
- 1989年(平成元年)6月10日 - 10月10日[22]・1990年(平成2年):札幌駅 - 北見駅間でキハ59系の臨時特急「ペパーミントエクスプレス」運行[22]。
- 1990年(平成2年)9月1日:遠軽駅 - 網走駅間で快速「あばしり」が運行開始。
- 1992年(平成4年)
- 3月14日:夜行急行列車「大雪」を「オホーツク」9・10号に編入[2]、「大雪」が廃止される。この夜行の「オホーツク」は昼行の「オホーツク」4両編成にB寝台車(スハネフ14形)が中央に組み込まれた5両編成で[23]、全国初の特急型気動車に客車寝台車を混結した列車であった[23][注 9]。需要があるからではなく動力を確保するためではあるが、夜行の「おおぞら」とは異なりグリーン車も連結していた[6]。最高速度は客車寝台車組み込みの183系の場合、速度の遅い客車寝台車に合わせた95 km/hとなるが、石北本線内では75 km/hに引き下げられる[20]。
- 9月28日:キハ82系を使用したさよなら団体列車「さよならキハ80『6変化の旅』」を運転、美幌駅から旭川駅では「オホーツク」、アンカーである旭川駅 - 札幌駅間では「おおとり」のヘッドマークを揚げて最後の力走を見せた[13][15]。
- 1995年(平成7年)3月16日:快速「あばしり」が廃止。
- 1996年(平成8年)5月18日 - 8月9日:函館本線納内駅 - 伊納駅間の神居トンネル内の軌道修繕工事のため、同日発車の下り夜行「オホーツク9号」の滝川駅 - 旭川駅間を根室本線及び富良野線に迂回運行、網走駅到着が大幅繰り下げとなった。通過する深川駅の利用者は列車代行バスで輸送[24][25]。なお上り夜行「オホーツク10号」は迂回運行せず、旭川駅前後の時刻繰り下げて対応したため、札幌駅到着は所定時刻であった[24]。
- 1998年(平成10年):臨時列車「オホーツク流氷号」・「オホーツク夏休み号」が運行開始。
2000年代の動き
2006年3月18日以降の9・10号編成図
オホーツク
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← 遠軽 札幌・網走 →
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81号・82号
1 |
2 |
3 |
4 |
5
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自 |
自 |
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G |
指
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- 全車両禁煙
- 指定席車の増結は当時の定期列車と同様の措置だった。
- 自由席車の増結は基本編成で2両連結されるため行われなかった。
- 凡例
- G=グリーン車座席指定席
- B=B寝台
- 指=普通車座席指定席
- 自=普通車自由席
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2010年代の動き
- 2015年(平成27年)
- 2016年(平成28年)
- 3月26日:「オホーツク」の列車番号を10D+号数から70D+号数に変更[4][注 11]。
- 11月8日:遠軽駅構内で、札幌発網走行きの特急「オホーツク7号」が進行方向を変えるスイッチバックを行う際、運転席にある運転方向を示す表示灯が点灯しないトラブルが発生。列車は同駅で運転を打ち切り、乗客は臨時列車に乗り換えて網走駅まで向かった。翌9日は折り返しの特急「オホーツク4号」を運休し、代替として網走発旭川行きの臨時列車を運転した[新聞 7]。
- 2017年(平成29年)3月4日:ダイヤ改正により以下の運用に変更[報道 1]。
- 札幌駅 - 網走駅間の特急「オホーツク」4往復のうち、2往復の運転区間を旭川駅 - 網走駅間に短縮し[新聞 8][新聞 9]、愛称を「大雪」に変更[新聞 10]。
- 特急「大雪」は旭川駅で、札幌駅 - 旭川駅間の特急「ライラック」と同一ホームで接続する。札幌駅 - 網走駅間の平均所要時間は現行とほぼ変わらない[新聞 9]。
- 札幌駅 - 網走駅間の特急列車を旭川駅で途中下車せずに乗り継ぐ場合に限り、通しの料金で乗車できる乗り継ぎ料金制度が適用される。
- 特急「オホーツク2号」は砂川駅・美唄駅を再び通過とする。
- 2017年(平成29年)12月16日 - 2018年(平成30年)2月4日:特急「オホーツク1号」の遠軽駅 - 網走駅間、特急「大雪4号」の遠軽駅 - 美幌駅間にて、年末年始を除く土曜・日曜・祝日限定で、沿線自治体などによる特産品販売を実施[報道 21]。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年・令和元年)
2020年代の動き
- 2020年(令和2年)
- 2021年(令和3年)
- 2022年(令和4年)
- 2023年(令和5年)
- 3月18日:同日のダイヤ改正より、「オホーツク」「大雪」の全便に対して以下の運用に変更[報道 2]。
- キハ283系に置き換え。
- グリーン車の連結を取りやめ、基本編成を全車普通車の指定席2両、自由席1両の3両編成で運転。
- 置き換えに伴い、札幌駅 - 網走駅間にて平均2分(最大5分)、旭川駅 - 網走駅間にて平均4分(最大7分)の所要時間短縮が図られる。
- 4月9日:キハ183系のさよなら運転を実施、札幌駅 - 網走駅間を臨時列車「キハ183系オホーツク」として1往復(復路は翌日)運行された[報道 41]。途中停車駅は旭川駅、遠軽駅、北見駅で、ヘッドマークは流氷が描かれた往時のデザインが使用された。キハ183系5両編成[注 13]で、グリーン車は前例のない3両連結となり、3月25日の「キハ183系北斗」から始まるキハ183系のラストランの大トリを締めくくった[報道 41]。なお、「おおとり」は既述の通りN183系で運転された実績はあったが、今回のラストランでリバイバル運転とはならなかった。
商標
「オホーツク」「大雪」は、北海道旅客鉄道が商標として登録している[29][30]。
オホーツク
登録項目等 |
内容等
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商標 |
オホーツク
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称呼 |
オホーツク
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出願番号 |
商願平04-270860
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出願日 |
1992年(平成4年)9月29日
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登録番号 |
第3124808号
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登録日 |
1996年(平成8年)2月29日
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権利者 |
北海道旅客鉄道株式会社
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役務等区分 |
39類(旅客車による輸送)
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大雪
登録項目等 |
内容等
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商標 |
大雪
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称呼 |
オーユキ,タイセツ,ダイセツ
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出願番号 |
商願2016-139821
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出願日 |
2016年(平成28年)12月13日
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登録番号 |
第5948545号
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登録日 |
2017年(平成29年)5月19日
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権利者 |
北海道旅客鉄道株式会社
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役務等区分 |
39類(鉄道による輸送)
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脚注
注釈
- ^ ただし、気動車を使用。
- ^ ただし、ロシア語で単に「オホーツク」といった場合、ふつうはハバロフスク地方にある同名の町を指す。
- ^ 2016年(平成28年)3月25日までは10D+号数。
- ^ 2021年(令和3年)3月12日までは80D+号数。
- ^ 「おおとり」は「おおぞら」の増発を兼ねており、編成の半数を滝川駅で分割し、根室本線釧路駅まで直通していた。また、食堂車は釧路駅発着編成(キハ82系7両)に連結された。
- ^ これにより781系で運転されるエル特急「ホワイトアロー」が札幌駅 - 旭川駅間で120 km/h運転を開始しているが、同時に「オホーツク」および「おおとり」の最高速度が110 km/hに引き上げられたかどうかは不明だが、所要時間の変化から濃厚と考えられる。なお、函館方面では「北斗」および「おおとり」が同年同日に函館・室蘭・千歳線の各一部で110 km/h運転を開始している。
- ^ 常紋・石北峠の25 ‰上り勾配において、82系の性能では30 km/h程度がやっとであった[20]。一方のキハ183系基本番台車では半径300メートルの曲線が連続する中、制限速度の65 km/hで余裕を持って登坂することができた[20]。
- ^ 主に駅構内の一線スルー化など。
- ^ すべての気動車にまで範囲を広げると、急行利尻がオホーツクに先行して1991年にJR北海道キハ400形気動車を使用して同様の編成を組んでいた。
- ^ 臨時列車運行時はそれまで停車した江別駅・美唄駅・砂川駅が通過となり、当麻駅は定期優等列車通過駅となった。
- ^ なお、同日より、特急「スーパー北斗」「北斗」(上下24本)の列車番号が「5000D+号数」から「D+号数」へ変更された。
- ^ ただし、「大雪3号」と「オホーツク3号」は運用の都合で6月30日から変更後の編成による運転を開始した。
- ^ 実際は普通車2両を増結した7両編成。
出典
報道発表資料
新聞記事
参考文献
書籍
雑誌
- 『鉄道ピクトリアル』電気車研究会 2006年2月号 No.772 特集:キハ181・183・185系
- 「函館本線で夜行列車を一部う回運転(RAIL NEWS)」『鉄道ファン』第36巻第7号(通巻423号)、交友社、1996年7月1日。
- 伊藤久巳「JR北海道・キハ183系の底力」『鉄道ファン』第44巻8号(通巻第520号)、交友社、2004年8月1日、68 - 73頁。
- 「- 激動の時代の風雲児 - キハ183系特急形気動車」『鉄道ファン』第47巻8号(通巻第556号)、交友社、2007年8月、94 - 103頁。
- 『鉄道ジャーナル』第21巻第1号(通巻241号)、鉄道ジャーナル社、1987年1月、48頁、ISSN 0288-2337。
- 三浦 衛「特別企画 さよならキハ80「6変化の旅」から 北の大地を駆けた31年に敬礼」『鉄道ジャーナル』第26巻第12号(通巻314号)、鉄道ジャーナル社、1992年12月1日、34-53頁、ISSN 0288-2337。
- 『JR時刻表』、交通新聞社、2016年3月19日。
- 『北海道時刻表』第62巻第3号(通巻735号)、交通新聞社、2021年2月25日、pp.66-68。
関連項目
外部リンク
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札幌・小樽・旭川・ 新千歳空港・室蘭方面 | |
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札幌・旭川 - 稚内方面 | |
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札幌・旭川 - 網走方面 | |
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札幌 - 帯広・釧路方面 | |
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札幌 - 函館方面 | |
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道内 - 本州方面 ( 北海道新幹線) | |
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廃止・改名された列車は各列車沿革についての記事を参照
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