金杉 憲治(かなすぎ けんじ、1959年9月11日[1] - )は、日本の外交官。内閣総理大臣秘書官、外務省経済局長、外務省アジア大洋州局長、外務審議官(経済担当)等を歴任し、駐中華人民共和国日本大使。
経歴・人物
東京都豊島区出身[2]。東京都立竹早高等学校を経て[3]、1983年一橋大学法学部卒業、外務省入省[4]。大学では一橋祭運営委員会で西川りゅうじん(のちにマーケテイングコンサルタント)らと、他大学の学生たちと高尾山に行くハイキングの企画・運営を行うなどした[5]。
1998年総合外交政策局総務課首席事務官[6]。1999年総合外交政策局総務課企画官[6]。2001年大臣官房総務課企画官兼大臣官房(事務次官室)[6]。2002年総合外交政策局総務課企画官[6]。同年北米局北米第二課長[6][7]。2003年外務大臣秘書官事務取扱[6]。2004年北米局北米第二課長[6]。2005年在アメリカ合衆国日本国大使館参事官[6]。2007年大臣官房付[6]。同年大臣官房人事課長[6]。
2009年からは外務省大臣官房総務課長兼大臣官房外務省改革推進本部事務局長として東日本大震災への各国の緊急支援に対応するなどした[6][8][9]。2011年大臣官房参事官兼アジア大洋州局、アジア大洋州局南部アジア部[6]。同年内閣総理大臣秘書官[10]。2012年大臣官房付[6]。
2013年から再び大臣官房参事官兼アジア大洋州局、アジア大洋州局南部アジア部を務めたのち[6][11][12]、同審議官を経て[13]、2014年在大韓民国日本国大使館公使(総括担当)。兼社団法人如水会ソウル支部長。2015年には「竹島の日」記念式典に松本洋平内閣府大臣政務官が出席したことを受け韓国外交部に呼び出され抗議を受けた[14][15]。
2015年外務省経済局長。2016年外務省アジア大洋州局長[13][16]として北朝鮮によるミサイル発射実験などに対応し[17]、六者会合首席代表も務めた[18]。また、2018年米朝首脳会談や2019年2月米朝首脳会談では、現地で情報収集等にあたった[19][20][21]。
2019年9月より2020年7月まで外務審議官(経済担当)[22][23]。在任中の2020年7月3日にNTTグループの関連会社が運営するレストランで、金杉がNTTデータの岩本敏男前社長から高額な接待を受けていたことを2021年3月3日に週刊文春が報じた[24]。当時総務審議官だった谷脇康彦も同席しており、計4人の飲食代の合計は約19万3千円だった[24]。NTTは総務大臣から事業計画などの認可を受けて経営されており、総務省幹部がNTT側から供応接待を受けることは、国家公務員倫理法に抵触する疑いがあるが[24]、外務審議官の場合、利害関係者にはあたらないとの説明が、外務大臣から2021年3月5日の参議院予算委員会でなされた[25]。
2020年7月大臣官房付[6]。同年11月、第2次安倍内閣から引き継ぎ菅義偉内閣でも日米両国の外交方針とされた自由で開かれたインド太平洋戦略のもと、外務審議官経験者としては30年ぶりとなる駐インドネシア特命全権大使に就任。同年には北朝鮮担当特別代表時代にカウンターパートを務めたソン・キムが駐インドネシアアメリカ合衆国特命全権大使として着任し、越川和彦駐フィリピン特命全権大使なども着任した[26]。2023年10月24日には非チャイナ・スクールからは7年ぶりとなる駐中華人民共和国特命全権大使に任命された[27][28][29]。
在インドネシア日本国大使館より公表された肖像
同期
脚注
外部リンク
- 先代
- 石井正文
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- 外務大臣秘書官事務取扱
- 2003年-2004年
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- 次代
- 森健良
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在バタヴィア総領事 |
- 日蘭通商関係開始1609
- 日蘭国交樹立1858
- 領事館開設1909
- N/A
- 日蘭断交、領事館閉鎖1941
- 大日本帝国軍政1942-1945
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在外事務所長 |
- インドネシア独立宣言1945
- インドネシア独立1949
- 在外事務所開設1951
- 武野義治1951-1952
- 総領事館に昇格1952
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在ジャカルタ総領事 | |
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在インドネシア大使 | |
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