自由民主党副総裁(じゆうみんしゅとうふくそうさい)は、自由民主党の役職の一つ。
概要
総裁の次席に位置付けられる役職。総裁からの指名と党大会における承認により就任する。副総裁の設置は任意であり、空席であることも多い。党則には定員の規定は無いが、複数名の副総裁が同時に在任した例はない。党則においては緊急時の総裁代行を除くと、総裁を「補佐する」ことと役員会と選挙対策本部への出席のみが副総裁の明文上の権限として規定されており、平常時においては明文上の具体的職掌を持たない。さらに幹事長が選挙対策、国会運営、党務全般を掌握していることから、その職務範囲は必ずしも明確ではない。
歴代の副総裁にはいずれも党の重鎮が就任していることから、副総裁はただの名誉職ではなく党の意思決定について強い影響力を持つ。例えば、1974年に田中角栄が総裁を辞任した際には、副総裁の椎名悦三郎がいわゆる「椎名裁定」を下して三木武夫を後継総裁に指名した。1980年から1990年中期まで自由民主党では副総裁経験者を総裁経験者や両院議長経験者とともに最高顧問として遇していた[2]。一方で副総裁というポストが常設ではないこともあり、副総裁になって党の重鎮になるわけではなく、党の影響力のある重鎮が副総裁に就任することがあるため、そういう観点では名誉職という見方もされる。
初期の頃は副総裁の人選は党内調整のために党内の中間派閥の領袖が選出されていた。
大平正芳が総裁となって以降、副総裁の人選は総裁選の当落を左右する為に最大派閥(田中派→竹下派→小渕派)から選出される様になった。小泉純一郎が総裁となってからは派閥の弱体化もあり、再び中間派閥の領袖・幹部が起用される例が続いている。
なお、副総裁が総裁代行となった例は、1980年に西村英一が、首相(総裁)だった大平正芳の死去により短期間その役目を務めたことがあるのみである。このとき首相臨時代理は官房長官の伊東正義が務めており、選挙中でもあったので西村の代行は党務に限定されたものとなった(もっとも、自民党政権で党四役が入閣した例はなく、首相臨時代理を必要とする段階で閣外から新たに入閣させて首相臨時代理とすることも考えにくいため、総理代理と総裁代理は常識的には分離される)。この選挙で西村は現職副総裁ながら落選したが、後任総裁・鈴木善幸の就任後もしばらく副総裁の職に留まった。
1991年に発足した宮沢政権はPKO法案の国会審議などに難渋していたため、翌1992年、重鎮であり政権の支えでもあり野党にも人脈を持つ金丸信を副総裁に迎えて与野党折衝などに当たらせ、政権を安定化させた[3][4]。
2003年の総裁選で再選した小泉純一郎の下で副総裁になった山崎拓の場合は、自身のスキャンダルが報じられるなか「山崎幹事長ではきたる総選挙に勝てない」との理由から、いわば祭り上げの形で昇格となった。もっとも「選挙の顔」として後任の幹事長となった安倍晋三は党役員や閣僚経験が一切ない異例の抜擢であり、山崎が後見の形で選挙を事実上指揮することが織り込まれていた。しかし山崎自身は落選し直後に副総裁を退任した。上記の西村の例とあわせて現職副総裁の落選例は計2例となり、これは総裁の落選例がないことと対照的である。
2010年に谷垣禎一の下で幹事長を務めていた大島理森が副総裁に就任した。これは直前の第22回参院選を指揮して勝利した功績に報いる一方、党三役の若返りのバランスをとる必要性があったため、昇格という形がとられた。このため、大島は当時の政権与党であった民主党との間で実質的な交渉に携わることも多かった[5][6]。
2012年の総裁選に勝利した安倍晋三は高村正彦を副総裁に起用したが、これは総裁選において麻生太郎と組んで安倍の当選に尽力した高村を後見役にする意味合いが強かった。また、暮れの第46回衆議院議員総選挙で第2次安倍内閣が発足すると麻生が副総理兼財務大臣に就任し、高村が党側、麻生が政府側の後見役という構図が出来上がった。当初、組閣の際に高村の外務大臣への起用が検討されたが、国会への出席義務がある大臣より自由な立場で外交を担いたいとの本人の希望により、副総裁への留任となった。外相経験者であり日中友好議員連盟会長であることから、尖閣諸島問題などで悪化する日中関係においての貢献が期待されていた。高村は2013年以降毎年訪中するなど外交で影響力を発揮する一方、内政面では、2015年の安全保障関連法の法案策定段階における与党内調整や、2017年の天皇明仁の退位を認める皇室典範特例法に関して衆参両院議長のもとでの与野党調整などを主導した。過去の副総裁と比較しても、内政・外交の具体的な政策案件で実務的な働きをすることが多かった点が特徴だった。高村は2017年に行われた第48回衆議院議員総選挙には出馬せず、国会議員の身分を失ったが、安倍総裁は高村を含む党幹部の続投を決めたため、翌年の退任までの間、前述の鈴木総裁下の西村の例に次いで2度目の非国会議員の副総裁になり、結果的に在任期間は最長の6年余りに及んだ。
2021年の岸田文雄の下で副総裁となった麻生太郎の場合は、二階俊博が安倍と後任の菅義偉総裁の下で自民党幹事長に長期在任していた(2016年から2021年まで)のを念頭に、総裁を除く党役員の任期を「1期1年・連続3期まで」と岸田総裁が表明し、財務相として長期在任していた麻生も財務相続投問題が対象になり、財務相を退任させつつ第二派閥領袖でもある麻生を処遇する意味もあり副総裁に起用された。総理・総裁経験者の就任は初[7]である。麻生はなお、河村建夫と側近の松本純を「副総裁特別補佐」に任じている。
現職の副総裁は2024年の総裁選挙で当選した石破茂から任命された菅義偉である。
歴代自由民主党副総裁では、大野伴睦、川島正次郎、椎名悦三郎、二階堂進は副総裁在任時に日本のプロレスのコミッショナーにも就任しており、プロレスファンからはタイトルマッチの認定宣言でもなじみ深い。特に大野伴睦は力道山の後援者としても有名である。他にも金丸信、山崎拓は学生時代に柔道家としてならし、高村正彦は少林寺拳法の愛好家で横綱審議委員会委員・委員長を務めるなど格闘技界との縁が深い。大島理森も政界引退後ではあるが、高村の後継という形で横審委員に就任している[8]。なお、2021年に副総裁に就任した麻生太郎はモントリオールオリンピック射撃競技に出場した経験がある。
歴代自由民主党副総裁では、党人派と呼ばれる政治家が就任している例が多い。官僚派の自民党副総裁は商工官僚出身の椎名悦三郎と内務官僚出身の船田中と運輸官僚出身の西村英一がいる。
歴代自由民主党副総裁一覧
太字は総裁(兼内閣総理大臣)経験者。
記録
2023年9月現在
- 通算在任期間最長:高村正彦 - 2196日
- 連続在任期間最長:高村正彦 - 2196日
- 通算在任期間最短:山崎拓 - 49日
- 連続在任期間最短:山崎拓 - 49日
- 最年少就任記録:小渕恵三 - 57歳
- 最年長就任記録:麻生太郎 - 81歳
脚注
関連項目
|
---|
前身: 自由党・日本民主党 |
|
|
---|
保守本流 |
|
宏池会(池田派 → 前尾派 → 大平派 → 鈴木派 → 宮澤派) → 木曜研究会(加藤派 → 小里派 → 谷垣派 → 古賀派に合流×) 、※新財政研究会(堀内派 → 丹羽・古賀派) → 宏池政策研究会(古賀派 → 岸田派 → ×)、※大勇会(河野派) → 為公会(麻生派) → 志公会(麻生派)、※有隣会(谷垣グループ → ×)
| |
木曜研究会(佐藤派) → 周山会(佐藤派) → 周山クラブ(保利グループ → 福田派に合流×)、※七日会(田中派) → 政治同友会(田中派) → 木曜クラブ(田中派 → 二階堂派 → ×)、※経世会(竹下(登)派 → 小渕派) → 平成政治研究会(小渕派) → 平成研究会(小渕派 → 橋本派 → 津島派 → 額賀派 → 竹下(亘)派 → 茂木派)、※改革フォーラム21(羽田・小沢派 → 新生党に合流×)
| | | |
白政会(大野派) → 睦政会(大野派) → 一新会(船田派 → ×)、※一陽会(村上派) → 巽会(水田派 → ×)
|
|
---|
保守傍流 |
|
十日会(岸派 → ×)、※党風刷新懇話会 → 党風刷新連盟 → 紀尾井会(福田派) → 八日会(福田派) → 清和会(福田派 → 安倍(晋太郎)派 → 三塚派) → 21世紀を考える会・新政策研究会(三塚派 → 森派) → 清和政策研究会(森派 → 町村派 → 細田派 → 安倍(晋三)派 → ×)、※政眞会(加藤派 → 新生党に合流×)、※愛正会(藤山派 → 水田派に合流×)、※(南条・平井派 → 福田派に合流×)、※交友クラブ(川島派 → 椎名派 → ×)、※(亀井グループ → 村上・亀井派に合流×)
| |
春秋会(河野派 → 森派 → 園田派 → 福田派に合流×)、※新政同志会(中曽根派) → 政策科学研究所(中曽根派 → 渡辺派 → 旧渡辺派 → 村上派 → 村上・亀井派に合流×) → 志帥会(村上・亀井派 → 江藤・亀井派 → 亀井派 → 伊吹派 → 二階派 → ×)、※近未来政治研究会(山崎派 → 石原派 → 森山派 → ×)、※さいこう日本(甘利グループ)、※国益と国民の生活を守る会(平沼グループ → 日本のこころに合流×)
| |
政策研究会(松村・三木派) → 政策同志会(松村・三木派) → 政策懇談会(松村・三木派 → ) → 政策懇談会(三木派) → 新政策研究会(河本派) → 番町政策研究所(河本派 → 高村派 → 大島派 → 山東派 → 麻生派に合流×)、※(松村派 → ×)、※(早川派 → 福田派に合流×)
| |
火曜会(石橋派)、二日会(石田派 → 三木派に合流×)
|
|
---|
青嵐会 |
青嵐会、自由革新同友会(中川グループ → 石原グループ → 福田派に合流×)
|
|
---|
保守新党 |
|
---|
83会 |
|
---|
水月会 |
さわらび会(石破グループ) → 水月会(石破派 → 石破グループ)
|
|
---|
無派閥 |
|
---|
※は派閥離脱、太字は現在への系譜、括弧内矢印は派閥継承。 |
|
|
|
|
|
|
カテゴリ |