安倍晋三
菅義偉
2020年自由民主党総裁選挙(2020ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、2020年9月14日に行われた日本の自由民主党の党首である総裁の選挙である。
2020年8月28日に現職の内閣総理大臣・自由民主党総裁である安倍晋三が自身の持病である潰瘍性大腸炎の再発を理由として辞任の意向を表明した[1]ことに伴う総裁選挙である。
なお、今回の総裁選挙は任期途中の辞任に伴うものであるため、新総裁の任期は安倍の残任期間である2021年9月末までとなる。このような前任の総理の任期を補うための臨時的総裁選は2006年の総裁選で当選した総裁の任期中辞任に伴う2007年、および2008年に行われた総裁選以来の出来事である。[2]また、病気で辞任した小渕の任期を補うために話し合いの末、森喜朗が無投票選出された事例もある。
2020年9月1日、自民党の総務会が開催され、今回の選挙は党員投票は行わず、国会議員票(衆参両院議長を含めない)394票と都道府県代表票141票の計535票で行うことを決定した[3]。任期途中での総裁の辞任によりこの簡易型の形式で総裁選が行われるのは、福田康夫の任期途中の辞任で行われた2008年の総裁選以来12年ぶり[注釈 1]。
党執行部は、各都道府県連に対して代表の投票先を決める際には予備選挙などを行うなど党員の意見集約に努めるよう要請し、必要な財政支援も行う[4][5]。その結果、44の都道府県連が党員らが投票する予備選挙を実施する方針とした[6]。北海道連は全党員の投票が時間的に困難として、意向調査の実施を模索した[6]。新潟県連は党員アンケートを実施した[6]。菅義偉の出身地である秋田県連[注釈 2]は、秋田県初の総理・総裁誕生を期待して予備選を行わず、3票全てを菅に投じる方針をとった[6][4]。
また、新型コロナウイルス感染防止のため、街頭演説は今回行われず、両院議員総会も自民党本部のホールではなく党大会の行われるグランドプリンスホテル新高輪で実施された。投開票の結果、菅が岸田文雄、石破茂の2候補を破り、自民党総裁に就任した。
翌年、任期満了に伴う総裁選で菅は不出馬を表明し新たに岸田文雄が就任。更に3年後の総裁選でも今度は岸田が不出馬を表明し新たに石破茂が就任したことにより、結果的にこの選挙で争った3候補全員が総裁に就任した。
※届出順
石破(鳥取県)と菅(秋田県)は日本海側出身、安倍の総裁復帰時は幹事長とその代行であった。
安倍政権下での「ポスト安倍」への期待を問う世論調査では、安倍晋三首相への批判を繰り返す石破茂元幹事長がトップを走っており、これを警戒する安倍や安倍の盟友の麻生太郎副総理兼財務大臣(麻生派会長)は早くから岸田文雄政務調査会長(岸田派会長)への禅譲を模索していた[13][14]ことから、安倍が辞意を表明した8月28日時点ではこの2氏を軸に総裁選が争われる見通しであると報じられた[15]。
しかし、岸田は4月には新型コロナウイルス対応の経済対策として、安倍とともに「減収世帯への30万円給付」を主導したが、二階俊博幹事長(二階派)や公明党幹部(及び公明党の支持母体である創価学会)らの反発を招いて「国民一律10万円給付」へと方針転換を余儀なくされる[16]などしたため、指導力を疑問視する声が党内で徐々に強まっており、麻生も「岸田は危機の時の総理じゃない」と周囲に漏らすようになっていた[14][17]。一方、過去に岸田と幹事長ポストを争ったこともある二階は6月以降、菅義偉内閣官房長官に対し、「安倍さんの次はあんたしかない。総裁選に出たら応援する」と立候補を促していた[18]。
8月29日、菅が森山裕国会対策委員長(石原派)に二階との会談を依頼し、菅、二階、森山と二階側近の林幹雄幹事長代理の4人で極秘に会談を行った。この中で二階は菅に立候補の意欲を確認し、激励した。30日午前には二階派が菅支援の方針を固め、菅が立候補するとの情報が瞬く間に広がり、無派閥や竹下派でも菅支援の動きが加速した[18]。岸田は同日、安倍の出身派閥である細田派会長の細田博之元幹事長や麻生と相次いで会談して支援を要請[13]。31日には首相官邸で安倍と会い、支援を求めた。しかし、安倍は不本意な退陣で当初描いていた岸田への禅譲がかなわなくなると、この時点で複数の関係者に「菅が望ましい」と本音を漏らしており[13]、岸田に対しては「個別の名前を挙げるのは控えている」と述べ、岸田への後継指名を事実上行わなかった[14][17]。麻生は消費税の軽減税率導入などを巡り菅と反目していた[13]ことや、岸田派と同じ宏池会系であることから岸田の支援を模索していたが、岸田が麻生と因縁のある古賀誠元幹事長を会合に招いたことや、安倍が後継指名しなかったことを踏まえ、31日に菅支持に切り替えた[17]。細田派も同日、菅を支持し、9月1日には石原派も菅支持を正式決定。この時点で菅がリードする「1強2弱」の構図が確定した[17]。
党内最大派閥の細田派では下村博文選挙対策委員長や稲田朋美幹事長代行らが出馬を模索したものの派閥全体の支持を得るには至らず[19]、派閥の対応は会長の細田博之に一任された。
その結果8月31日に菅義偉を支持する方針が決定され、9月2日には麻生派、竹下派との共同会見を行い菅義偉支持の方針を明確に示した。
一方で派閥の第4代・6代会長を務めた森喜朗は9月7日に岸田陣営の選挙対策本部長を務める遠藤利明が開いた会合に出席し、「安倍さんの本心は岸田さんだ。」などと発言し岸田を持ち上げた[20]。
党内第二派閥の麻生派では河野太郎防衛大臣が立候補を模索していたが、8月31日に派閥として菅義偉を支持する方針が決定され断念した。
その後麻生が中心となって9月2日に細田派、竹下派と合同会見を行い菅義偉への支持を明確に打ち出した[9]。
菅義偉の国会議員としての最初の所属派閥である竹下派では若手を中心に茂木敏充外務大臣を候補に立てようとする動きがあったが、菅支持に動いていた参議院側の反対で茂木は出馬を断念した[21]。
これらの動きにより他派閥にやや遅れた9月2日に菅義偉支持の方針が決定され、会長の竹下亘は同日の細田派、麻生派との会見に出席した。
一方で広島県が地盤の新谷正義、平口洋は岸田陣営の選挙対策本部に加わった他[22]、船田元は総裁選翌日に岸田に投票したことを明らかにした[23]。
総裁選以前から菅義偉との関係が良好だった二階派は8月30日には菅義偉を支持する方針を打ち出した[24]。
一方で9月2日の細田派、麻生派、竹下派の合同会見には参加できず、二階派の会長代行を務める河村建夫元官房長官は、「すでに主導権争いをしているのではないかと、よけいな臆測を呼ぶのは望ましくない」と不快感を示した[25]。
岸田派の会長・岸田文雄は8月30日に出演したテレビ番組で出馬の意向を示し、9月1日に派閥の臨時総会で正式に立候補を表明した。
一方で8月31日には派閥副会長を務める竹本直一IT政策担当大臣が初当選同期議員らとともに菅義偉に対し出馬要請を行っていた[26]。
石破派の会長・石破茂は9月1日に派閥の臨時総会で正式に立候補を表明した。
6日には同派に所属する平将明が中心となり任天堂の人気ゲーム『あつまれ どうぶつの森』を用い石破茂の分身となる「じみん島」の「いしばちゃん」を登場させプレイヤーと交流する等の選挙活動の計画を発表したものの、任天堂の規約に反する可能性があるとの指摘を受け、8日に方針の断念を表明した[27][28]。
石原派は8月31日に菅義偉支持の方針を決定し、9月2日に派閥事務総長の坂本哲志が菅義偉の事務所を訪れ立候補の要請を行った[29]。
この中で派閥最高顧問の山崎拓は石破支持の動きを見せていたが、菅義偉や二階俊博と太いパイプを持つ森山裕国会対策委員長が派閥を菅支持で取りまとめたとされる[30]。
谷垣グループは9月1日に自主投票の方針を決定し、所属議員の支持は分裂した。
代表世話人の一人・中谷元元防衛大臣は石破陣営に加わり推薦人に名を連ねた一方、もう一人の代表世話人・遠藤利明元五輪大臣は岸田陣営の選挙対策本部長に就任した。岸田陣営には谷垣の後継者である本田太郎はじめ加藤鮎子、小里泰弘らが参加した。また若手や他派閥との掛け持ちをする議員を中心に菅支持の動きもあった[31]。
入院治療中の山本公一元環境大臣は今回の総裁選で唯一の棄権者となった[32]。
※棄権1:山本公一[33]
7派閥のうち5派閥の支持を受けた菅が535票中、7割に当たる377票を獲得し、圧勝した。各都道府県連に3票を割り振る現行制度を導入した2001年以降、当選者が議員票と地方票の合計で7割を獲得するのは初めて[49]。都道府県連票でも菅がトップの89票で、過去に挑戦した総裁選では地方票で強さを見せた石破は42票と伸び悩んだ[50]。岸田は国会議員票で善戦し、石破との2位争いを制した。岸田の善戦には安倍政権批判の急先鋒だった石破の「次」への芽を摘むため、細田派や麻生派から20票程度が流れてきたと推測されている[51]。当選した菅は安倍の前任の谷垣禎一(京都府北部出身)以来の日本海側出身の総裁となった。
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