田中 明夫(たなか あきお、1926年9月21日[1][2] - 2003年1月19日[2])は、日本の俳優、声優。本名は同じ[1]。
東京都[1]四谷区舟町出身[2]。芝中学校卒業[1][2]。テコジャパンエージェンシー[3]、おぎいくこ事務所に所属していた[1]。
中学生時代から歌舞伎を好んで親しんでいたことで、それが高じて役者の道を目指すことになる[4]。1944年(昭和19年)、松竹大船内の「劇団大船」に入団[4]、1946年(昭和21年)には「児童劇団テアトル・ピッコロ」に移る[4]。1949年(昭和24年)に劇団の分裂騒ぎからテアトル・ピッコロを退団[4]、1950年(昭和25年)に三島雅夫らの演劇研究会「一九五〇年」に参加し、後にこのメンバーで劇団七曜会を結成[4]。1955年(昭和30年)に劇団四季に入団[4]。1974年(昭和49年)にフリーになって[4]以降もテレビドラマ、映画、舞台などで存在感のある脇役として活躍。特に憎々しい悪役がはまり役で、テレビ時代劇『水戸黄門』では常連悪役の一人だった。
また、伊丹十三監督の映画作品にも多数出演。洋画の吹き替えなど声優としても活躍した。
2003年(平成15年)1月16日自宅で入浴中に意識不明となり、救急車で病院に運ばれたが3日後の19日、肝不全のため入院先の神奈川県横須賀市の病院で死去。76歳没[5]。
田中の死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。
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