吉村 貢司郎東京ヤクルトスワローズ #21 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
東京都足立区 |
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生年月日 |
(1998-01-19) 1998年1月19日(26歳) |
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身長 体重 |
183 cm 85 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
2022年 ドラフト1位 |
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初出場 |
2023年4月2日 |
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年俸 |
2100万円(2024年)[1] |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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吉村 貢司郎(よしむら こうじろう、1998年1月19日 - )は、東京都足立区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。
経歴
プロ入り前
足立区立興本小学校2年生の時に野球を始め、足立区立第八中学校在学中は硬式野球のクラブチームである足立ベルモントボーイズでプレーした。
日本大学豊山高等学校に進学し、1年秋からエースを務めた。3年夏の東東京都大会では決勝まで進出したが、オコエ瑠偉らを擁する関東第一高等学校に敗れた[2]。3年間で甲子園大会出場はなし。
國學院大學に進学し、2年春からリーグ戦に登板したが怪我に苦しみ、4年秋のリーグ戦では1試合の登板に留まった。プロ志望届を提出したが、2019年のドラフト会議では指名がなかった[3]。1学年上に清水昇、同期に横山楓、1学年下に小川龍成がいた。卒業後は東芝に入社。
2020年に第91回都市対抗野球大会で登板し、152km/hを計測した[4]。
2021年は第92回都市対抗野球大会予選のENEOS戦で自己最速の153km/hを計測して完封勝利を記録するなど活躍したが、同年のドラフト会議での指名はなかった[5]。その後、ENEOSの補強選手として第92回都市対抗野球大会に出場した[6]。
3年目の2022年は春に行われたJABA東京スポニチ大会で優勝。JR九州との決勝で完封勝利を記録した[7]。第93回都市対抗野球大会に出場したが、1回戦で北海道ガスに敗れた[8]。
同年10月6日、セ・リーグ優勝チーム・東京ヤクルトスワローズとの練習試合で、同年三冠王の村上宗隆から空振り三振を奪うなど、3回を投げて被安打3、7奪三振の好投を見せた。同月20日のドラフト会議でヤクルトから単独1位指名を受け、2度のドラフト指名漏れからの雪辱を果たした[9]。11月24日、横浜市内のホテルで入団交渉を行い、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1600万円で合意し、背番号は21となった[10]。
ヤクルト時代
2023年は、先発投手として開幕ローテーション入りを果たし、4月2日の広島東洋カープ戦(神宮球場)でプロ初登板し、5回85球、5安打2失点で同点のまま降板したため、勝敗は付かなかった[11]。4月30日の阪神タイガース戦(神宮)で、6回2安打1失点の好投を見せ、7連敗中だったチームを勝利に導き、5度目の登板でプロ初勝利を手にした[12]。続く5月9日の阪神戦(甲子園球場)では、6回無失点に抑えて2勝目を挙げたが、開幕から8試合に登板していた5月25日、右前腕を痛め[13]、疲労などのコンディションを考慮し初めて出場選手登録を抹消された[14]。9月3日に一軍に復帰[13]。
選手としての特徴・人物
「振り子投法」と呼ばれる始動する際に左足を後方の一塁側に上げてから前方へ振り上げる独特なフォームが特徴[15]。最速153km/hの直球とスライダー、フォークとのコンビネーションを軸としている[15]。
愛称は「よっし」[15]。
目標とする選手は大谷翔平[15]。
座右の銘は「継続は力なり」[15]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
2023
|
ヤクルト
|
12 |
2 |
8 |
0 |
0 |
1.000
|
2024
|
23 |
3 |
18 |
0 |
1 |
1.000
|
通算
|
35 |
5 |
26 |
0 |
1 |
1.000
|
表彰
記録
- 初記録
- 投手記録
- 打撃記録
- 初打席:2023年4月2日、対広島東洋カープ3回戦(明治神宮野球場)、2回裏に玉村昇悟から空振り三振
- 初打点:2023年5月24日、対阪神タイガース11回戦(明治神宮野球場)、3回裏に西勇輝から右翼犠飛
- 初安打:2023年9月3日、対阪神タイガース22回戦(明治神宮野球場)、3回裏に伊藤将司から右前安打
- その他の記録
背番号
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク