アンドリュー・クリスチャン・ラローシュ(Andrew Christian LaRoche、1983年9月13日 - )は、アメリカ合衆国・カンザス州フォートスコット出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
父親は1970年代にカリフォルニア・エンゼルスでクローザーを務めていたデーブ・ラローシュ(英語版)。兄のアダム・ラローシュもプロ野球選手で、同時期に共にピッツバーグ・パイレーツに所属していたこともある。
経歴
プロ入りとドジャース時代
2007年3月5日
2002年のMLBドラフトでサンディエゴ・パドレスから21巡目(全体625位)で指名を受けたが入団しなかった[1]。
2003年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから39巡目(全体1171位)で指名され入団した[1]。
2005年にはオールスター・フューチャーズゲームの米国選抜に選出され[2]、シーズン終了後にはドジャース傘下の最優秀マイナー選手に選出[3]。12月に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではドジャース傘下でチャド・ビリングズリーに次ぐ評価を受けた[4]。
2006年はAAA級ラスベガス・フィフティワンズで73試合に出場し打率.309、18本塁打、OPS.987を記録。
2007年2月に発表されたベースボール・アメリカ誌の有望株ランキングではドジャース傘下で最高の評価を受けた[5]。スプリングトレーニングで打率.175の成績でメジャーでプレイする機会を逃し[6]、開幕はAAA級ラスベガスで迎えたが、5月6日にマーロン・アンダーソンの故障者リスト入りに伴いメジャー昇格[6]。
パイレーツ時代
2008年7月31日にマニー・ラミレスやジェイソン・ベイが動いたボストン・レッドソックス、ロサンゼルス・ドジャース、ピッツバーグ・パイレーツの三角トレードで、兄のアダム・ラローシュが所属するパイレーツへ移籍。アダムは故障者リスト入りしていたため兄弟そろっての初出場は8月14日となったが、アダムとアンディはプロ入り以前から同一チームでプレイしたことがなかったため、生まれて初めて同一チームでプレイすることになった[7]。オフには打撃コーチのドン・ロングと共に打撃改造に取り組んだ[8]。
2009年は150試合に出場し、打撃面では打率.258、12本塁打、OPS.731に留まったが、守備ではリーグの三塁手中2位のアシスト数と併殺数、3位のDRS7、5位のUZR5.7を記録した。9月28日のドジャース戦では5打数5安打2本塁打6打点と爆発し、この年のドジャース戦は打率.483、3本塁打、OPS1.447と打ち込んだ。
2010年はペドロ・アルバレスのメジャー昇格に伴い6月後半からスタメン出場が減り、102試合の出場に留まった。9月20日にDFAとなる。11月29日にFAとなった。
アスレチックス時代
2011年1月24日にオークランド・アスレチックスとマイナー契約。スプリングトレーニングで29試合の出場で打率.333、4本塁打、OPS.971の成績を残しメジャーに昇格。しかし40試合の出場で打率.247、OPS.654に終わり、6月5日にDFAとなってマイナーに降格した。9月29日にFAとなった。
インディアンス傘下時代
2011年12月21日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ[9]。
2012年6月26日に解雇された。
レッドソックス傘下時代
2012年6月28日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。オフの11月3日にFAとなった。
ブルージェイズ時代
2013年1月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結んだ。6月7日にメジャー昇格するも1試合の出場に留まり、6月13日にAAA級バッファロー・バイソンズへ降格した。オフの10月1日にFAとなったが、10月30日にマイナー契約で再契約した。
2014年はAAA級バッファローで60試合に出場し、打率.248、5本塁打、29打点だった。オフの11月4日にFAとなった。
ホワイトソックス傘下時代
2015年1月12日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだが[10]、4月1日に自由契約となった。
独立リーグ時代
2015年8月12日にアメリカン・アソシエーションのウィチタ・ウィングナッツと契約。
2016年2月26日にアトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズにトレードで移籍。この年限りで現役を引退した。
現役引退後
2019年にカンザスシティ・ロイヤルズ傘下ルーキー級バーリントン・ロイヤルズ(英語版)の打撃コーチに就任した[11]。以後もロイヤルズ傘下球団でコーチを歴任しており、2021年はAAA級オマハ・ストームチェイサーズ[12]、2022年はA+級クアッドシティズ・リバーバンディッツ(英語版)の打撃コーチ[13]。
選手としての特徴
メジャーでシーズン32本塁打を放ったこともある兄のアダムとのホームラン競争で勝ったことがあるという長打力を持ち味とする[14]。特にレフト方向の打球がよく伸びるが[14]、速球を広角に弾き返す打撃を得意とする[15]。
守備では内野の全ポジションを守ったことがあるが、主に三塁手として起用される。三塁守備は2008年に2ヶ月で9失策を喫したこともあるが、球際に強く[14]、DRSとUZR共に通算でほぼ平均的な数値を残しており[16]、平均レベルの守備範囲と強肩を兼ね備える[14]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
2007
|
LAD
|
35 |
115 |
93 |
16 |
21 |
5 |
0 |
1 |
29 |
10 |
2 |
1 |
0 |
1 |
20 |
5 |
1 |
24 |
1 |
.226 |
.365 |
.312 |
.677
|
2008
|
27 |
69 |
59 |
6 |
12 |
1 |
0 |
2 |
19 |
6 |
0 |
0 |
0 |
0 |
10 |
0 |
0 |
7 |
5 |
.203 |
.319 |
.322 |
.641
|
PIT
|
49 |
183 |
164 |
11 |
25 |
4 |
0 |
3 |
38 |
12 |
2 |
0 |
2 |
1 |
14 |
1 |
2 |
30 |
3 |
.152 |
.227 |
.232 |
.458
|
'08計
|
76 |
252 |
223 |
17 |
37 |
5 |
0 |
5 |
57 |
18 |
2 |
0 |
2 |
1 |
24 |
1 |
2 |
37 |
8 |
.166 |
.252 |
.256 |
.508
|
2009
|
150 |
590 |
524 |
64 |
135 |
29 |
5 |
12 |
210 |
64 |
3 |
1 |
6 |
2 |
50 |
1 |
8 |
84 |
16 |
.258 |
.330 |
.401 |
.731
|
2010
|
102 |
271 |
247 |
26 |
51 |
8 |
0 |
4 |
71 |
16 |
1 |
1 |
2 |
1 |
19 |
0 |
2 |
43 |
7 |
.206 |
.268 |
.287 |
.555
|
2011
|
OAK
|
40 |
104 |
93 |
10 |
23 |
6 |
1 |
0 |
31 |
5 |
0 |
0 |
1 |
0 |
8 |
1 |
2 |
19 |
6 |
.247 |
.320 |
.333 |
.654
|
2013
|
TOR
|
1 |
4 |
4 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.000 |
.000 |
.000 |
.000
|
通算:6年
|
404 |
1336 |
1184 |
133 |
267 |
53 |
6 |
22 |
398 |
113 |
8 |
3 |
11 |
5 |
121 |
8 |
15 |
208 |
38 |
.226 |
.304 |
.336 |
.640
|
背番号
- 10 (2007年)
- 28 (2007年 - 2008年)
- 15 (2008年 - 2010年)
- 21 (2011年)
- 31 (2013年)
代表歴
脚注
関連項目
外部リンク