1980年のNBAドラフトは1980年6月10日にニューヨークにおいて開催された。USAネットワークを通じて生中継された。
ドラフトでは23チーム中、東西両カンファレンスで勝率の最も低かった2チーム(デトロイト・ピストンズから指名権のトレードを受けたボストン・セルティックスとユタ・ジャズ
)がコイントスを行い、全体1位指名権が決められた。その結果、ボストン・セルティックスが全体1位指名権を獲得、ジャズが全体2位指名権を獲得した。全体3位指名以降は前年の成績順に順番が定められた。なおドラフト前にセルティックスは全体1位指名権をゴールデンステート・ウォリアーズにトレードし、複数の指名権を獲得した。エクスパンションチームのダラス・マーベリックスには、それぞれのラウンドの11番目指名権が与えられた。このドラフトでは大学で4年間プレーした選手以外に5人の選手がアーリーエントリーを行った。指名は10巡まで行われ214人が指名された。
ドラフト指名
1巡目
1巡目指名以外の主な選手
トレード
ドラフト当日のトレード
シカゴ・ブルズが全体4位で指名したケルビン・ランジー、1981年ドラフト1巡指名権とポートランド・トレイルブレイザーズが全体10位で指名したロニー・レスターと1981年のドラフト1巡指名権がトレードされた。
ワシントン・ブレッツは1981年のドラフト2巡指名権と引換にゴールデンステート・ウォリアーズが全体25位で指名したジェフ・ルーランドを獲得した。
ドラフト前のトレード
1980年6月9日、ゴールデンステート・ウォリアーズは全体1位、全体13位指名権をロバート・パリッシュ及び全体3位指名権と引換にボストン・セルティックスから獲得した[1]。なおセルティックスが持っていたドラフト全体1位指名権は、1979年9月6日にボブ・マカドゥーをデトロイト・ピストンズにトレードしたことで獲得したものである。このトレードは、1979年7月24日にセルティックスがピストンズのM・L・カーとサインを結んだ補償によるものであった。なお、ピストンズは、1979年7月12日にワシントン・ブレッツがケビン・ポーターとサインした補償に1980年、1982年のドラフト1巡指名権を獲得していた。このトレードにより、ウォリアーズはジョー・バリー・キャロル、リッキー・ブラウンを指名、セルティックスはケビン・マクヘイルを1巡で指名した。
脚注
参考文献
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