ボストン・セルティックス
ボストン・セルティックスBoston Celtics
2023-24シーズンのボストン・セルティックス
呼称/略称
BOS チームロゴ
棍棒 に寄りかかったレプラコーン が指の上でバスケットボールを回している姿 所属リーグ
NBA カンファレンス
イースタン・カンファレンス ディビジョン
アトランティック 創設
1946年 6月6日 (78年前) チーム史
ボストン・セルティックス 1946年–現在[ 1] [ 2] 本拠
マサチューセッツ州 ボストン アリーナ
TDガーデン 収容人数
18,624人 開設1995年 チームカラー
緑、 白、 黒、 金、 茶[ 3] [ 4] [ 5] 主なスポンサー
ビスタプリント [ 6] オーナー
ボストン・バスケットボール・パートナーズ (英語版 ) 社長
リック・ゴッサム (英語版 ) GM
ブラッド・スティーブンス ヘッドコーチ
ジョー・マズーラ 優勝歴
18 (1957, 1959, 1960, 1961, 1962, 1963, 1964, 1965, 1966, 1968, 1969, 1974, 1976, 1981, 1984, 1986, 2008, 2024) ファイナル進出
23回(1957年, 1958年, 1959年, 1960年, 1961年, 1962年, 1963年, 1964年, 1965年, 1966年, 1968年, 1969年, 1974年, 1976年, 1981年, 1984年, 1985年, 1986年, 1987年, 2008年, 2010年, 2022年, 2024) ディビジョン優勝
34 (1957, 1958, 1959, 1960, 1961, 1962, 1963, 1964, 1965, 1972, 1973, 1974, 1975, 1976, 1980, 1981, 1982, 1984, 1985, 1986, 1987, 1988, 1991, 1992, 2005, 2008, 2009, 2010, 2011, 2012, 2017, 2022, 2023, 2024) 永久欠番
00 1 2 3 5 6 10 14 15 16 17 18 19 21 22 23 24 25 31 32 33 34 35 LOSCY NBAGL提携チーム
メイン・セルティックス 公式サイト
nba.com/celtics
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ボストン・セルティックス (Boston Celtics ; // SEL -tiks )は、アメリカ合衆国 ・マサチューセッツ州 ボストン市 に本拠を置く全米プロバスケットボール 協会 (NBA ) のチーム。イースタン・カンファレンス 、アトランティック・ディビジョン 所属。チーム名のCelticとは「ケルト人 の」という意味。ボストン近辺はアイルランド人 が多く移民した土地であったことにちなんでいる。
セルティックスは、NBAの全てのチームの中で最も多くチャンピオンシップを手に入れた名門である。1959年 から1966年 までは、ビル・ラッセル がチームを牽引し、8連続優勝している。1980年代 には、ラリー・バード に率いられて、ロサンゼルス・レイカーズ と熾烈なライバル争いを繰り広げた。セルティックスは、ニューヨーク・ニックス と共に、現在のNBAが発足した当初に参加したチームの中で、同じ都市にフランチャイズがあり続けているチームである。
歴史
初期
ボブ・クージー(左)は1957年の初優勝に貢献した。
ボストン・セルティックスは、NBAの前身である BAA (Basketball Association of America) 発足にともない設立された。創設者はボストン・ガーデン オーナーのウォルター・ブラウン。セルティックスの名は、1920年代 にニューヨーク を本拠地としていた強豪チーム、ニューヨーク・セルティックス にあやかってつけられている。このニューヨークを本拠地としていたチームをオリジナル・セルティックスと呼ぶ。
2006年のアワーバック
設立当初の数年間、セルティックスの勝率は5割に満たず、チーム成績はリーグ下位に甘んじるシーズンが続いた。1950年 よりレッド・アワーバック を監督兼球団副社長(選手人事担当者)という役職でチームに迎え、以後半世紀に渡って、人材の登用や試合の采配で才能を発揮しセルティックスをリーグきっての名門に育て上げて行くこととなる。同年、ポイントガード のボブ・クージー がチームに加わり、翌年にはビル・シャーマン が入団したことにより、セルティックスは地区でも上位に入る中堅以上のチームに成長した。クージーは1952年から連続8シーズンの間リーグのアシスト王であり、後に殿堂入りを果たしている。1953年のドラフトでセルティックスはフランク・ラムジー を獲得し、ベンチからスタートしてチームに貢献する「シックススマン(6番目の選手)」として活躍させた。アワーバックは能力のある選手を敢えてスターターには起用しないという采配を最初に導入した監督だった。この起用法はのちのセルティックスの黄金時代を支えることになり、現在でも重要な戦術の一つとなっている。1982年にNBAシックスマン賞 も設けられることになった。
ラッセルの活躍と8連覇
セルティックスがリーグ史に残る強豪へと変貌するのは1956年 からだった。このシーズンにトム・ヘインソーン とビル・ラッセル を獲得したセルティックスはチーム史上初の優勝を経験。続く1957-58シーズンは優勝を逃したが、1959年 からは8年連続の優勝を成し遂げた。1962年 にドラフトで獲得したジョン・ハブリチェック は新たな中心選手として連覇を支えた。
アワーバックが監督を退き後任のラッセルが選手兼監督としてチームを率いた1966-67シーズンには連覇が途絶えたが、翌1967-68シーズンからは再び2連覇を達成。セルティックスは1957年から13年間で11回の優勝を果たす黄金時代を過ごした。ラッセルはリーグ初のアフリカ系アメリカ人ヘッドコーチである。
1970年代の優勝
ラッセルが1969年 を最後にチームを離れると、セルティックスは数年間優勝から遠のいた。しかし1972-73シーズンに球団史上最高勝率を記録し、1974年 と1976年 には再び優勝に返り咲いた。フェニックス・サンズ と戦った1976年のファイナル第5戦はリーグ史上屈指の名勝負として名高い。この時代の中心選手はハブリチェックやデイブ・コーエンス 、ジョジョ・ホワイト などだった。セルティックスは1976年の優勝をピークに、次第にリーグでも下位のチームへと低迷していった。
バード、パリッシュ、マクヘイルの "ビッグスリー" 体制
バードは1978年のNBAドラフトにおいてセルティックスに全体8位で指名された。
セルティックスに再び黄金期が訪れるのは1980年代 に入ってからだった。1978年 にドラフトで指名したラリー・バード は翌1979年よりチームに参加、翌シーズンにセルティックスはケビン・マクヘイル とロバート・パリッシュ を同時に獲得。この3名は史上最強のフロントラインと評価され、チームを牽引した。セルティックスは1980年代のNBAでロサンゼルス・レイカーズ とともに覇を競い、1981年 と1984年 、1986年 にリーグを制した。特に1984年と1985年 、1987年 には両チームがNBAファイナル で直接対決したシーズンだった。
1979-1980シーズンは、ルーキーシーズンのバードがチーム成績を前年の29勝53敗から61勝21敗まで引き揚げるのに大いに貢献し、ルーキー・オブ・ザ・イヤー (新人王)に選ばれた。また新人ながらオールNBAファーストチームに選出された。この年のプレイオフ では、セルティックスはカンファレンス・ファイナルでフィラデルフィア・セブンティシクサーズ と対戦し、1勝4敗で敗退した。優勝したのはロサンゼルス・レイカーズ で、バードの大学時代からのライバル、マジック・ジョンソン はファイナルMVP に選ばれた。
1980-1981シーズンに、ロバート・パリッシュ をトレードで、ケヴィン・マクヘイル をドラフトで獲得し、フロントコートに更に厚みを増し、レギュラーシーズンをリーグ1位タイの62勝20敗で終えた。プレイオフに進みシカゴ・ブルズ をスイープで退け、セブンティシクサーズを7戦で下してNBAファイナルに進出した。NBAファイナルではモーゼス・マローン 率いるヒューストン・ロケッツ と対戦した。競った展開となったシリーズ第1戦の第4クオーターで、バードは、ジャンプショットを放ち、外れると見切ると、自身がベースライン右手に駆け出し、リングに弾かれたボールを空中で取りそのままシュートして決めると言う後に有名になるプレーを見せた。この試合をセルティックスは98対95でものにし、シリーズ全体も4勝2敗で制したセルティックスは5年ぶりに王者に返り咲いた。
1981-1982シーズンはリーグ最高の63勝19敗の成績をあげ、次の1982-1983シーズンには56勝26敗とリーグ3位となった。しかしプレイオフではセブンティシクサーズやミルウォーキー・バックス に敗れてNBAファイナル進出を果たせなかった。1982年 はレイカーズ、1983年 はセブンティシクサーズが優勝した。1981年 に優勝した時、しばらく連覇できるだろうと思われたが、現実にはカンファレンスのライバルだったセブンティシクサーズに行く手を阻まれ、マジック・ジョンソン のレイカーズには水をあけられていた。
1983-1984シーズンは62勝20敗で、リーグ最高の成績となり、バードがシーズンMVPに選ばれた。プレイオフではワシントン・ブレッツ 、ニューヨーク・ニックス 、バックスを下してNBAファイナルに進出した。一方ウエスタン・カンファレンスからはレイカーズが勝ち上がった。ボストン で行われたシリーズの緒戦、レイカーズのカリーム・アブドゥル=ジャバー の活躍もあり、109対115で敗れた。続く第2戦ではジェームズ・ウォージー の活躍により終盤でレイカーズがリードを奪うが、ジェラルド・ヘンダーソン のスティール により試合は延長に入り、これをものにしたセルティックスがシリーズを1勝1敗のタイに持ち込んだ。ロサンゼルス に舞台を移した第3戦、マジック・ジョンソンがNBAファイナル記録となる21アシストをマークし、セルティックスは104対137で大敗を喫した。試合後、普段は言葉少ないバードが、自分とチームを強く批判した。第4戦で、バードの発言に鼓舞されたセルティックスは奮闘した。マクヘイルがレイカーズのカート・ランビス を転倒させたこと、バードとアブドゥル=ジャバーの接触などで乱闘寸前になるほど荒れた試合となったが、終盤にマジック・ジョンソンがミスを繰り返し、試合はシリーズ2度目の延長に突入した。セルティックスは延長を制し、シリーズは再びタイとなった。続く第5戦、熱波に襲われたボストンでの試合で、バードはフィールドゴール を20本中15本成功させ、34得点をマーク。セルティックスは3勝目を上げた。ロサンゼルスで行われた第6戦では、アブドゥル=ジャバーの活躍などでレイカーズが勝利。シリーズは3勝3敗のタイに持ち込まれた。ボストンでの最終第7戦では、セルティックスの各選手が活躍し、111対102でセルティックスが勝利した。
1984-85シーズンは昨シーズンをさらに上回るリーグ最高の63勝19敗の成績で終え、前シーズンの雪辱に燃えていたレイカーズはリーグ2位の62勝20敗の成績を残した。両チームはプレイオフを勝ち上がり、2年連続でNBAファイナルで対戦した。セルティックスは緒戦に大勝したものの、その後は一進一退の攻防となった。ボストンで行われた6試合目を100対111で落とし、4勝2敗でレイカーズの優勝が決まった。セルティックスがホームで優勝を奪われるのはチーム史上初めてのことだった。
1995年に往年の栄光の時代のコート、ボストン・ガーデンからフリート・センター(現在は、TDバンクノース・ガーデン)に本拠地を移した。ボストン・ガーデンの床は現在のアリーナに移設されている。
1985-1986シーズン開幕前にかつての最強センター 、ビル・ウォルトン を獲得した。バード、ケヴィン・マクヘイル、ロバート・パリッシュに加え、セルティックスのフロントコートはさらに厚みを増した。シーズンに入るとセルティックスは快進撃を続け、人々はこのチームを史上最強と呼ぶようになった。シーズン成績は67勝15敗で、勝率は8割を超えた。ホーム戦の40勝1敗、勝率97.6%はNBA史上最高成績である。シーズンが終了するとバードがシーズンMVPに選ばれた。3年連続でシーズンMVP獲得はビル・ラッセル とウィルト・チェンバレン に次いで史上3人目であり、センター以外の選手ではバードが初めてであった。プレイオフをNBAファイナルまで11勝1敗の成績で勝ち上がり、ロケッツと対戦した。6試合に渡ったファイナルで、4勝2敗でロケッツを下し、バードがファイナルMVPに選ばれた。
1986-1987シーズン、ビル・ウォルトンの出場試合数は怪我のため10試合にとどまり、チームは59勝23敗でリーグ2位だった。プレイオフの1回戦でブルズを3勝0敗で一掃したものの、続くカンファレンス・セミファイナルでは合計3回の延長を含めて7戦までもつれての際どい勝利となった。カンファレンス・ファイナル では、成長著しいデトロイト・ピストンズ と対戦した。ボストンで行われた最初の2戦ではセルティックスが勝利、デトロイトで行われた続く2戦はピストンズが勝ちを収め、2勝2敗のタイでシリーズ第5戦の舞台は再びボストンに移った。ピストンズが107対106とリードして試合終了まで残り数秒という時点でピストンズボールのスローインとなったが、アイザイア・トーマス のインバウンズパスをバードがインターセプトし、最後はデニス・ジョンソン がゴールを決めて土壇場で逆転を果たし、セルティックスの3勝2敗となった[ 7] 。このスティールは、1965年 のジョン・ハブリチェック 、1984年 のジェラルド・ヘンダーソン のスティールとならび、ボストン・セルティックスの歴史上有名なスティールの一つとなった。続く2試合はそれぞれホームチームが勝利し、セルティックスがNBAファイナルに進出。4年間で3度目のレイカーズとの対戦となった。NBAファイナルでは、ロサンゼルスで行われた最初の2戦をレイカーズが勝利。続くボストンでの3戦目をセルティックスが勝利した。第4戦の終盤、残り12秒の時点でバードのスリーポイントシュートによりセルティックスがリードを奪うが、コート外に出たボールをマジック・ジョンソン が中央に進め、フックシュート を放ち残り2秒でレイカーズが再逆転した。最後の瞬間にバードが放ったシュートはリングから落ち、シリーズはセルティックスの1勝3敗となった。続く第5戦はセルティックスが大勝したものの、ロサンゼルスに戻った第6戦をセルティックスは落とし、レイカーズの優勝が決まった。バードのセルティックスがNBAファイナルに進んだのはこの年が最後であり、バードとマジックが優勝を争ったのはこれが最後となった。
1987-1988シーズンには、バードを筆頭に主力の年齢が上がっていた。そして、ビル・ウォルトン までもが怪我のためシーズンの全試合を欠場するなど、怪我が目立つようになった。プレイオフのカンファレンス・セミファイナルで、ホークスと対戦、最終第7戦までもつれる展開となった。バードは第7戦前に記者たちに勝利を公約し、ホークスのドミニク・ウィルキンス が47得点を挙げるが、バードは第4クオーターだけで20得点を挙げ、118対116でカンファレンス・ファイナルに駒を進めた。カンファレンス・ファイナルではピストンズと対戦し、合計で3回の延長を含む6試合の末、敗れた。
1988-1989シーズン、バードがかかとに出来た骨の突起を除去する手術を受け、出場試合は6試合にとどまり、シーズン成績は42勝40敗に終わり、バードを欠いたチームはプレイオフの1回戦でピストンズに3敗しシーズンが終了した。プレイオフでは1回戦でインディアナ・ペイサーズ と対戦し3勝2敗で辛勝したものの、続くカンファレンス・セミファイナルではピストンズに2勝4敗で敗退した。シーズン後、バードは背中の手術を受けた。
1991-1992シーズン、プレイオフのカンファレンス・セミファイナルでクリーブランド・キャバリアーズ に3勝4敗で敗退し、バードの最後のシーズンが終わった。この年の夏、ドリームチーム の一員としてバルセロナオリンピック に出場した後、バードは引退を発表した。
バードは1992年 に、マクヘイルは1993年に引退し、パリッシュが1994年に退団すると、将来を嘱望されていたレジー・ルイス が急死したこともあり勝率5割を下回る低迷期に入った。
バード退団以後
2004年のラリー・バード
1996年 にアントワン・ウォーカー 、1998年 にポール・ピアース と好選手が入団し、1997年 からリック・ピティーノ がヘッドコーチを務めたが、かつての黄金時代から想像できないプレーオフ出場もままならない低迷を続けた。
セルティックスが復調の兆しを見せるのはピティーノ監督が解任された後の2000-01シーズン途中からで、ジム・オブライエン 監督のもと選手がまとまり、2002年 には49勝33敗、2003年 には44勝38敗に達した。
しかしダニー・エインジ がゼネラルマネージャーに就任し、ウォーカーがダラス・マーベリックス に放出された2004年 以降のセルティックスは、チーム戦略のミスから戦力ダウンを繰り返した。その結果、勝率は5割を前後し、再び低迷、2007年 には24勝58敗まで落ち込んだ。
ファイナル第2戦 2008年6月8日
ファイナル優勝を祝うセルティックス (2008年6月撮影)
ポール・ピアース、ケビン・ガーネットと抱擁するラジョン・ロンド、レイ・アレンとトニー・アレン (2008年10月28日の試合後)
危機感を抱いたチーム首脳陣は、2007年シーズンに向けて、レイ・アレン 、ケビン・ガーネット と立て続けに大物選手を獲得し、ポール・ピアース と共に3選手から成る「ビッグ・スリー 」を形成、戦力を大幅に向上させた。ビッグ・スリー中心にチームは巻き返しを始め、レギュラーシーズンは怒涛の快進撃を見せ、66勝16敗でリーグ1位の結果となった。
リーグ全体の第1シードとしてプレイオフに挑み、1回戦のアトランタ・ホークス 戦を4勝3敗と格下相手に苦戦をしたものの、その後のキャブズ戦、ピストンズ戦に勝利し1987年以来となるカンファレンスチャンピオン となりNBAファイナル に進出した。対戦相手は奇しくも1980年代に何度も名勝負を展開したレイカーズ。戦前の下馬評では、強豪揃いの西カンファレンスを問題なく勝ちあがってきたレイカーズの方が有利と言われた。しかしビッグ・スリーと控えメンバーがバランスよく活躍したセルティックスはホームゲーム1、2を連取する。2勝1敗で迎えたアウェーのゲーム4では最大24点のビハインドを跳ね返しての大逆転勝利を収めた。この点差からの逆転はファイナル記録となった。3勝2敗でホームに戻ったセルティックスはゲーム6で131点を奪う見事な勝利を挙げ、22年ぶりのチャンピオンに返り咲いた。ファイナルMVPは平均21.8点を記録した生え抜き選手であるピアースが選出された。
優勝後、プレーオフには出場し続けるも、スリーキングスを結成したマイアミ・ヒート が東で躍進し、さらにはレイ・アレンがそのヒートに移籍したことにより第二次 "BIG3" は幕を閉じた。その後、ピアースとガーネットをトレードで放出、新たな指揮官にブラッド・スティーブンス を招聘しチームの再建が始まった。
ビッグスリー解体後及びトーマスの台頭
2013年以降は積極的にトレードを行い、アイザイア・トーマス 等の有望な若手や多くのドラフト1巡目指名権を獲得。2016年にはアル・ホーフォード を獲得し、更にトーマスがエースに成長し再建開始から僅か数年でイーストのトップチームに舞い戻った。
アービングの活躍
2017年のNBAドラフト にてセルティックスは1位指名 権を獲得していたがフィラデルフィア・セブンティシクサーズ と指名権をトレード[ 8] し、全体3位でジェイソン・テイタム を指名した[ 9] 。2017年8月22日、エースのトーマスやジェイ・クラウダー 等とのトレードでクリーブランド・キャバリアーズ からカイリー・アービング を獲得した[ 10] 。2017-18シーズン の開幕戦はアービングの古巣のキャバリアーズとの対戦となった。この試合では今季ユタ・ジャズ からFAで移籍して来たゴードン・ヘイワード が、試合開始5分で足首の重傷によって離脱するという不運に見舞われ、敗れた。次のミルウォーキー・バックス 戦にも敗れ開幕から2連敗してしまうが、そこからチームは球団史上4番目に長い16連勝を記録、連勝中は昨季王者のウォリアーズを倒すなどした[ 11] 。シーズン終盤にはアービングまで怪我による長期離脱を強いられたが[ 12] 、プレーオフ1回戦ではテリー・ロジアー 、ジェイレン・ブラウン 、ジェイソン・テイタム などの活躍によりカンファレンス7位のミルウォーキー・バックス を第7戦で退けた[ 13] 。チームはアービング、ヘイワードを欠きながらもカンファレンス決勝まで勝ち上がり、レブロン・ジェームズ 擁するキャバリアーズ相手に3勝2敗と先に王手をかけるも、そこから2連敗しファイナル進出はならなかった。
2018-2019 シーズンも開幕から安定して勝利を重ねたが、アービングがテイタムやブラウンら若手を批判したり、ブラッド・スティーブンス HCとも衝突するなど多くの問題行動を起こす。それでもチームは49勝33敗でイースト4位としてプレーオフに出場した。プレーオフでは1回戦でイースト5位のインディアナ・ペイサーズ をスイープしたが、続く2回戦で前年勝利したバックスに1勝4敗で敗れた。
テイタムとブラウンの台頭
2018-2019シーズンオフ、FA となったアービングがブルックリン・ネッツ へ移籍した。セルティックスは、シャーロット・ホーネッツ から FA となっていたケンバ・ウォーカー を獲得し、チームへと新たに加え、再始動を切った。
2019-20シーズンはウォーカーが強いリーダーシップを発揮してチームをまとめ上げ、テイタム とブラウン は共に個人成績を大きく伸ばした。特にテイタムは、オールスター戦に初めて選出されるなどチームの主力エースへと成長した。結果的に東カンファ3位でプレーオフに進出。プレーオフ第2戦では前年の覇者であるトロント・ラプターズ に勝利するなど、カンファレンス決勝まで進出したが、マイアミ・ヒート に2勝4敗で敗退した。
2020-21シーズンは現有戦力を維持する形の補強を行った。ジェイソンテイタムと5年約1億9500万ドルのマックス契約を結んだ。
シーズン前半はケンバウォーカーが膝の故障で欠場が続いたが、チームは勝率5割前半をキープするまずまずの成績で前半戦を終えた。ジェイソンテイタムは、エースとして昨シーズンを上回る活躍を見せ、オールスターのスタメンに選ばれ、ジェイレンブラウンも昨シーズンを上回る活躍を見せ、自身初のオールスターに選ばれた。オールスター前にケンバウォーカーが復帰し成績を伸ばすことが期待されたが、DF面では穴となる上に、オフェンス面では平均得点は20得点を下回り、お世辞にも効率の良いオフェンスを展開出来ているとは言い難いものだった。それもあり後半戦に入ったあたりから徐々にチームの勝率は下がり、アイソレーション重視のオフェンスは不安定感が残った。そしてシーズン終盤になるとジェイレンブラウンが肘の故障でシーズンアウトとなり、プレイオフでの巻き返しも困難な状況になった。
セルティックスはシーズン7位でシーズンを終え、プレーイントーナメントでワシントン・ウィザーズと対戦。ジェイソンテイタムの50得点もあり、ウィザーズに勝利した。プレイオフ1回戦はジェームズ・ハーデン 、カイリー・アービング 、ケビン・デュラント 擁するブルックリン・ネッツ と対戦し4-1で敗れた。
2021-22シーズンは監督であったブラッド・スティーブンス がGMに就任。監督はイーメイ・ユドーカ が引き継いだ。ブラッドスティーブンスの最初の動きとして、シーズン、プレイオフともに不振だったケンバウォーカーをオクラホマシティ・サンダー のアル・ホーフォード とトレード。万能なベテランビッグマンであるアル・ホーフォードを2シーズンぶりに帰還させる形で補強を行った。他にもジョシュ・リチャードソン を獲得するなど、積極的に補強を行った。シーズン開幕後は、ロバート・ウィリアムズ3世 やアル・ホーフォードは、ビッグマンながらガードの選手もハイレベルに守れるという強みを生かし、スィッチを多用したディフェンスを採用。ウィングの選手もパワーとスピードの両方を備えている選手が多かったため、このスイッチを多用するディフェンスはディフェンシブレーティングリーグ1位という成績を残した。特にロバート・ウィリアムズ・3世の貢献は大きく、リーグ有数の実力を持つビッグマンから、クイックなガードまで全てハイレベルに守れる上に、平均ブロック数でリーグトップのブロック力を持つ選手に成長した。しかし、オフェンス面では、ケンバウォーカーの放出もあったのか、ショットクリエーションを軸にしたオフェンスは不安定感が残り、結果的には順位はカンファレンス8位、9位あたりをさまよう形になった。しかし、後半戦からはローテーションプレイヤーを絞り、チームバスケットを意識するとともにトレードデッドライン でジョシュ・リチャードソンとロメオ・ラングフォード をトレード。サンアントニオ・スパーズ のプレイメーカーであるデリック・ホワイト を獲得。オフェンスでは、チームバスケットとショットクリエーションを状況に応じて使い分けることで、もともと武器であったショットクリエーション能力に安定感が足され、チームは連勝に次ぐ連勝で一気に勝率を上げた。ローテーションプレイヤーを絞ることで、主力選手のプレイタイムが増加し、疲労が溜まることが不安視されたが、大量点差で終わることが多かったため、結果的には終盤で主力選手を休ませることが出来た。最終的には、東カンファレンス2位、ディフェンシブレーティングリーグ1位という好成績でシーズンを終えた。
プレイオフでは、1回戦で昨シーズンと同じブルックリンネッツとの対戦となり、接戦が強いられると予想されていたが、ブルックリンネッツ相手に4-0のスウィープで勝利し、前評判を大きく覆す形となった。その間、故障により戦線離脱を余儀なくせれたロバート・ウィリアムズ・3世の代わりにグラント・ウィリアムズ がロールプレイヤーとして勝利に大きく貢献した。その後ミルウォーキー・バックス 、マイアミ・ヒート を相手に4-3の接戦を制し、NBAファイナル出場を決めた。
ファイナルではゴールデンステート・ウォリアーズ と対戦。第4戦までは、2勝2敗と接戦に持ち込むも、ウォリアーズの経験値の高さには敵わず、2連敗。ジェイレンブラウンがシリーズを通してスパークするも、エースのジェイソンテイタムはいまいちパフォーマンスが上がらず、4-2で敗北し、優勝を逃したけれども2024年のファイナル、ダラス・マーベリックス 対ボストン・セルティックスで4勝1敗で見事に優勝した。ボストン
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン
勝
敗
%
プレーオフ
結果
ボストン・セルティックス
1946-47
22
38
.367
準決勝敗退
シカゴ 2, セルティックス 1
1947-48
20
28
.417
1948-49
25
35
.417
1949-50
22
46
.324
1950-51
39
30
.565
ディビジョン準決勝敗退
ニックス 2, セルティックス 0
1951-52
39
27
.591
ディビジョン準決勝敗退
ニックス 2, セルティックス 1
1952-53
46
25
.648
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
セルティックス 2, シラキュース 0 ニックス 3, セルティックス 1
1953-54
42
30
.583
総当り戦 総当たり戦 ディビジョン決勝敗退
シラキュース 2, セルティックス 0 セルティックス 2, ニックス 0 シラキュース 2, セルティックス 0
1954-55
36
36
.500
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
セルティックス 2, ニックス 1 シラキュース 3, セルティックス 1
1955-56
39
33
.542
ディビジョン準決勝敗退
シラキュース 2, セルティックス 1
1956-57
44
28
.611
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 3, シラキュース 0 セルティックス 4, ホークス 3
1957-58
49
23
.681
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 敗退
セルティックス 4, ウォリアーズ 1 ホークス 4, セルティックス 2
1958-59
52
20
.722
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シラキュース 3 セルティックス 4, レイカーズ 0
1959-60
59
16
.787
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ウォリアーズ 2 セルティックス 4, ホークス 3
1960-61
57
22
.722
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シラキュース 1 セルティックス 4, ホークス 1
1961-62
60
20
.750
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ウォリアーズ 3 セルティックス 4, レイカーズ 3
1962-63
58
22
.725
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シンシナティ 3 セルティックス 4, レイカーズ 2
1963-64
59
21
.738
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シンシナティ 1 セルティックス 4, サンフランシスコ 1
1964-65
62
18
.755
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シクサーズ 3 セルティックス 4, レイカーズ 1
1965-66
54
26
.675
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 3, シンシナティ 2 セルティックス 4, シクサーズ 1 セルティックス 4, レイカーズ 3
1966-67
60
21
.741
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
セルティックス 3, ニックス 1 シクサーズ 4, セルティックス 1
1967-68
54
28
.659
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ピストンズ 2 セルティックス 4, シクサーズ 3 セルティックス 4, レイカーズ 2
1968-69
48
34
.585
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, シクサーズ 1 セルティックス 4, ニックス 2 セルティックス 4, レイカーズ 3
1969-70
34
48
.415
1970-71
44
38
.537
1971-72
56
26
.683
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ホークス 2 ニックス 4, セルティックス 1
1972-73
68
14
.829
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ホークス 2 ニックス 4, セルティックス 3
1973-74
56
26
.683
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, クリッパーズ 2 セルティックス 4, ニックス 1 セルティックス 4, バックス 3
1974-75
60
22
.732
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ロケッツ 1 ワシントン 4, セルティックス 2
1975-76
54
28
.659
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, クリッパーズ 2 セルティックス 4, キャブス 2 セルティックス 4, サンズ 2
1976-77
44
38
.537
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 2, スパーズ 0 シクサーズ 4, セルティックス 3
1977-78
32
50
.390
1978-79
29
53
.354
1979-80
61
21
.744
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ロケッツ 0 シクサーズ 4, セルティックス 1
1980-81
62
20
.756
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ブルズ 0 セルティックス 4, シクサーズ 1 セルティックス 4, ロケッツ 2
1981-82
63
19
.768
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ワシントン 1 シクサーズ 4, セルティックス 3
1982-83
56
26
.683
カンファレンス準決勝敗退
バックス 4, セルティックス 0
1983-84
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 3, ワシントン 1 セルティックス 4, ニックス 3 セルティックス 4, バックス 1 セルティックス 4, レイカーズ 3
1984-85
63
19
.768
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 敗退
セルティックス 3, キャブス 1 セルティックス 4, ピストンズ 2 セルティックス 4, シクサーズ 1 レイカーズ 4, セルティックス 2
1985-86
67
15
.817
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 3, ブルズ 0 セルティックス 4, ホークス 1 セルティックス 4, バックス 0 セルティックス 4, ロケッツ 2
1986-87
59
23
.720
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 敗退
セルティックス 3, ブルズ 0 セルティックス 4, バックス 3 セルティックス 4, ピストンズ 3 レイカーズ 4, セルティックス 2
1987-88
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 3, ニックス 1 セルティックス 4, ホークス 3 ピストンズ 4, セルティックス 2
1988-89
42
40
.512
1回戦敗退
ピストンズ 3, セルティックス 0
1989-90
52
30
.634
1回戦敗退
ニックス 3, セルティックス 2
1990-91
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 3, ペイサーズ 2 ピストンズ 4, セルティックス 2
1991-92
51
31
.622
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 3, ペイサーズ 0 キャブス 4, セルティックス 3
1992-93
48
34
.585
1回戦敗退
ホーネッツ 3, セルティックス 1
1993-94
32
50
.390
1994-95
35
47
.427
1回戦敗退
マジック 3, セルティックス 1
1995-96
33
49
.402
1996-97
15
67
.183
1997-98
36
46
.439
1998-99
19
31
.380
1999-2000
35
47
.427
2000-01
36
46
.439
2001-02
49
33
.598
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 3, シクサーズ 2 セルティックス 4, ピストンズ 1 ネッツ 4, セルティックス 2
2002-03
44
38
.537
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 4, ペイサーズ 2 ネッツ 4, セルティックス 0
2003-04
36
46
.439
1回戦敗退
ペイサーズ 4, セルティックス 0
2004-05
45
37
.549
1回戦敗退
ペイサーズ 4, セルティックス 3
2005-06
33
49
.402
2006-07
24
58
.293
2007-08
66
16
.805
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ホークス 3 セルティックス 4, キャブス 3 セルティックス 4, ピストンズ 2 セルティックス 4, レイカーズ 2
2008-09
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 4, ブルズ 3 マジック 4, セルティックス 3
2009-10
50
32
.609
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 敗退
セルティックス 4, ヒート 1 セルティックス 4, キャブス 2 セルティックス 4, マジック 2 レイカーズ 4, セルティックス 3
2010-11
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 4, ニックス 0 ヒート 4, セルティックス 1
2011-12
39
27
.591
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ホークス 2 セルティックス 4, シクサーズ 3 ヒート 4, セルティックス 3
2012-13
41
40
.506
1回戦敗退
ニックス 4, セルティックス 2
2013-14
25
57
.305
2014-15
40
42
.488
1回戦敗退
キャバリアーズ 4, セルティックス 0
2015–16
48
34
.585
1回戦敗退
ホークス 4, セルティックス 2
2016–17
53
29
.646
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ブルズ 2 セルティックス 4, ウィザーズ 3キャバリアーズ 4, セルティックス 1
2017–18
55
27
.671
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, バックス 3 セルティックス 4, シクサーズ 1キャバリアーズ 4, セルティックス 3
2018–19
49
33
.598
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
セルティックス 4, ペイサーズ 0バックス 4, セルティックス 1
2019–20
48
24
.667
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, シクサーズ 0 セルティックス 4, ラプターズ 3ヒート 4, セルティックス 2
2020–21
36
36
.500
1回戦敗退
ネッツ 4, セルティックス 1
2021–22
51
31
.622
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
セルティックス 4, ネッツ 0 セルティックス 4, バックス 3 セルティックス 4, ヒート 3ウォリアーズ 4, セルティックス 2
2022–23
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退 カンファレンス決勝敗退
セルティックス 4, ホークス 2 セルティックス 4, セブンティシクサーズ 3 ヒート 4, セルティックス 3
2023–24
64
18
.780
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 優勝
セルティックス 4, ヒート 1 セルティックス 4, キャブス 1 セルティックス 4, ペイサーズ 0 セルティックス 4, マーベリックス 1
通算勝敗
3,570
2,462
.592
プレーオフ
407
312
.566
優勝:18回
主な選手
現在のロスター
プレーヤー
スタッフ
記号説明
外部リンク
更新日:2024年10月26日
保有するドラフト交渉権
栄誉
バスケットボール殿堂入り
ネイスミス・メモリアル・バスケッ トボール殿堂 に、選手として36名、コーチとして6名、貢献者として6名が選出されている[ 16] 。
注釈:
1 ハインゾーンは、選手とコーチで計2回にわたり、殿堂入りを果たしている。
2 バードは選手および1992年オリンピック代表チーム の一員として、計2回にわたって殿堂入りを果たしている。
3 ラッセルは、選手とコーチで計2回にわたり、殿堂入りを果たしている。
FIBA殿堂入り
国際バスケットボールを統括するFIBA は、国際バスケットボールへの貢献を称え、セルティックスゆかりの選手2名をFIBA殿堂 入りに選出した。
ボストン・セルティックスFIBA殿堂入り
選手
No.
名前
Pos.
在籍期間
殿堂入り年
6
ビル・ラッセル
C
1956–1969
2007
36
シャキール・オニール
C
2010–2011
2017
永久欠番
セルティックスはアメリカ合衆国4大プロスポーツリーグ において最も多い23の背番号 を永久欠番にしている[ 17] 。
ロバート・パリッシュ ,
C (1980–1994); 1998年1月18日に永久欠番
ウォルター・A・ブラウン (英語版 ) , 創設者, オーナー (1946–1964); 1964年10月17日に永久欠番
レッド・アワーバック , ヘッドコーチ, エグゼクティブ (1950–2006); 1985年1月4日に永久欠番
デニス・ジョンソン ,
G (1983–1990); 1991年12月13日に永久欠番
ケビン・ガーネット ,
F (2007–2013); 2022年3月13日に永久欠番
ビル・ラッセル ,
C 1 (1956–1969); 1972年3月12日に永久欠番
ジョ・ジョ・ホワイト ,
PG (1969–1979); 1982年4月9日に永久欠番
ボブ・クージー ,
PG (1950–1963); 1963年10月16日に永久欠番
トム・ヘインソーン ,
F 2 (1956–1965); 1966年10月15日に永久欠番
サッチ・サンダース ,
PF 3 (1960–1973); 1973年1月に永久欠番
ジョン・ハブリチェック ,
SF (1962–1978); 1978年10月13日に永久欠番
デーブ・コーウェンス ,
C 4 (1970–1980); 1981年2月8日に永久欠番
ジム・ロスカトフ ,
PF 5 (1955–1964); 1964年に永久欠番
ドン・ネルソン ,
F (1965–1976); 1978年に永久欠番
ビル・シャーマン ,
G (1951–1961); 1966年10月15日に永久欠番
エド・マコーレー ,
C (1950–1956); 1963年10月16日に永久欠番
フランク・ラムジー ,
SF (1954–1964); 1964年に永久欠番
サム・ジョーンズ ,
SG (1957–1969); 1969年3月9日に永久欠番
K・C・ジョーンズ ,
PG 6 (1958–1967); 1967年2月12日に永久欠番
セドリック・マックスウェル ,
SF 7 (1977–1985); 2003年12月15日に永久欠番
ケビン・マクヘイル ,
PF (1980–1993); 1994年1月30日に永久欠番
ラリー・バード ,
F (1979–1992); 1993年2月4日に永久欠番
ポール・ピアース ,
F (1998–2013); 2018年2月11日に永久欠番
レジー・ルイス ,
SF 8 (1987–1993); 1995年3月22日に永久欠番
ジョニー・モースト (英語版 ) , アナウンサー (1953–1990); 1990年に永久欠番
1 ヘッドコーチも務めた (1966–69) 。
2 ヘッドコーチ (1969–78) および解説者も務めた (1966–1969, 1980–2020) 。
3 ヘッドコーチも務めた (1978) 。
4 ヘッドコーチも務めた (1978–79) 。
5 背番号18番を付けていたロスクトフは、将来的に他のセルティックスに自分の背番号を付けてもらうことで、自分の遺産を尊重するよう要請した。TDガーデン にある永久欠番バナーの1つに、ロスクトフは「LOSCY」という文字が入った四角形で表現されている。背番号18番は後にデイブ・コーウェンス のために永久欠番となった。
6 ヘッドコーチも務めた (1983–88) 。
7 解説者も務めている (2001–現在); 1977-78シーズンに一時的に30番を着用。
8 現役時代に心臓発作で死去、背番号は死後に永久欠番化された。
チーム記録
ボストン・セルティックスのチーム記録 を参照。
脚注
^ “NBA.com/Stats–Boston Celtics seasons ”. Stats.NBA.com . NBA Media Ventures, LLC. January 10, 2017 閲覧。
^ “History: Team by Team ”. 2018-19 Official NBA Guide . NBA Properties, Inc. (October 8, 2018). April 28, 2019 閲覧。
^ Snow, Taylor C. (September 21, 2017). “Celtics Showcase New Nike Uniform System” . NBA Ventures, LLC. オリジナル のApril 4, 2023時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230404080404/https://www.nba.com/celtics/news/sidebar/summer-092117-celtics-showcase-new-nike-uniform-system November 26, 2017 閲覧。
^ "Boston Celtics Announce New Alternate Logo" . Celtics.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 21 July 2014. 2015年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2015年7月26日閲覧 。
^ “Boston Celtics Reproduction and Usage Guideline Sheet ”. NBA Properties, Inc.. December 14, 2021時点のオリジナルよりアーカイブ 。May 9, 2018 閲覧。
^ "Vistaprint and the Celtics Announce New Multi-Year Partnership" . Celtics.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 17 November 2020. 2020年12月25日閲覧 。
^ “Larry Bird's Steal from Isiah Thomas ”. bleacherreport.com (2010年11月8日). 2010年12月4日 閲覧。
^ Boston Celtics trade No. 1 overall draft pick to Philadelphia 76ers
^ Duke's Jayson Tatum selected No. 3 overall by Celtics
^ Cavaliers Agree To Trade Kyrie Irving To Celtics
^ “球団史上4位の連勝記録を達成したセルティックスが示した気持ちの強さ ”. NBA.com (2017年11月24日). 2018年1月19日 閲覧。
^ Jared Weiss (2018年4月5日). “Kyrie Irving out for 4-5 months for bacterial infection knee surgrey ” (英語). celticswire.usatoday.com . 2018年4月6日 閲覧。
^ “Celtics beat Bucks 112-96 in Game 7, advance to play 76ers ” (英語). ESPN.com (2018年4月28日). 2018年4月30日 閲覧。
^ D'Amico, Marc (July 30, 2021). “Celtics Select 18-Year-Old French Guard Juhann Begarin at No. 45 ”. NBA.com . August 29, 2021 閲覧。
^ “Nesmith, Pritchard Hope to Impact C's With Shooting, Competitive Spirit ”. NBA.com (November 19, 2020). November 19, 2020 閲覧。
^ “Celtics Hall of Famers ”. NBA.com . February 8, 2019 閲覧。
^ “Retired Numbers – Celtics ”. NBA.com . February 8, 2012 閲覧。
外部リンク
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