ロサンゼルス・レイカーズ
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ロサンゼルス・レイカーズLos Angeles Lakers
2022-23シーズンのロサンゼルス・レイカーズ
所属リーグ
NBA カンファレンス
ウェスタン・カンファレンス ディビジョン
パシフィック 創設
1947年 (77年前) (1947 ) チーム史
ミネアポリス・レイカーズ 1947年–1960年ロサンゼルス・レイカーズ 1960年–現在 本拠
カリフォルニア州 ロサンゼルス アリーナ
クリプト・ドットコム・アリーナ [1] 1999年開設 チームカラー
パープル, ゴールド, ブラック[2] [3] [4] 主なスポンサー
Bibigo[5] オーナー
社長
ジーニー・バス GM
ロブ・ペリンカ ヘッドコーチ
J・J・レディック 優勝歴
17回 (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1972年, 1980年, 1982年, 1985年, 1987年, 1988年, 2000年, 2001年, 2002年, 2009年, 2010年, 2020年 ) ファイナル進出
32回 (1949年, 1950年, 1952年, 1953年, 1954年, 1959年, 1962年, 1963年, 1965年, 1966年, 1968年, 1969年, 1970年, 1972年, 1973年, 1980年, 1982年, 1983年, 1984年, 1985年, 1987年, 1988年, 1989年, 1991年, 2000年, 2001年, 2002年, 2004年, 2008年, 2009年, 2010年, 2020年 ) ディビジョン優勝
33回 (1950年 , 1951年 , 1953年 , 1954年 , 1962年 , 1963年 , 1964年 , 1966年 , 1969年 , 1971年 , 1972年 , 1973年 , 1974年 , 1977年 , 1980年 , 1982年 , 1983年 , 1984年 , 1985年 , 1986年 , 1987年 , 1988年 , 1989年 , 1990年 , 2000年 , 2001年 , 2004年 , 2008年 , 2009年 2010年 , 2011年 2012年 , 2020年 ) 永久欠番
6 8 13 16 22 24 25 32 33 34 42 44 52 99 NBAGL提携チーム
サウスベイ・レイカーズ 公式サイト
www .nba .com /lakers
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ロサンゼルス・レイカーズ (Los Angeles Lakers )は、アメリカ合衆国 ・カリフォルニア州 ロサンゼルス に本拠を置く全米プロバスケットボール協会 (NBA)のチーム。ウェスタン・カンファレンス 、パシフィック・ディビジョン に所属。NBAの歴史の中で最も成功したチームの1つであり[6] 、ボストン・セルティックス と並んで歴代最多タイの17回のNBAチャンピオン および1回のNBLチャンピオンを獲得している。その他に1回のマクドナルド選手権 優勝がある。
1947年にナショナル・バスケットボール・リーグ (英語版 ) (NBL) のデトロイト・ジェムズという解散したチームを買収したことから始まり、新チームはミネソタ州 ミネアポリス に本拠地を置き、ミネアポリス・レイカーズ と命名された[7] 。当初はNBLに所属していたが、1948年にNBLファイナルを制覇した後、当時ライバルリーグであったBAA (英語版 ) に加盟し、スター選手のジョージ・マイカン を中心に5度の優勝を果たした[8] 。
1960年代はエルジン・ベイラー とジェリー・ウェスト を中心としたチームでNBAファイナル に6回進出したが、ボストン・セルティックス に6回とも敗北し、これにより長年にわたるセルティックスとのライバル関係が始まった。1968年に4度のシーズンMVP を受賞しているウィルト・チェンバレン を獲得、新しいヘッドコーチとしてビル・シャーマン を採用し、1972年に6回目となるNBAチャンピオンを制覇した。ウェストとチェンバレンの引退後、チームはカリーム・アブドゥル=ジャバー を獲得した。ジャバーは在籍中にシーズンMVPを複数回受賞したが、1970年代後半はファイナルに進出できなかった。しかし、1979年にフランチャイズに新たな黄金時代をもたらす2つの大きな変化が訪れた。1つ目はジェリー・バス がレイカーズを買収し、チームのオーナーとして、バスケットボールの試合はスポーツイベントとという概念を排除し、エンターテインメントの見世物として捉えるというビジョンを打ち出した[9] 。2つ目は、1979年のNBAドラフト でシドニー・モンクリーフ ではなくマジック・ジョンソン を全体1位 で指名したことが始まりだった[注 1] 。
ジョンソンとジャバーのコンビが誕生し、レイカーズは黄金時代を迎えた。1981年にパット・ライリー がヘッドコーチに就任し、1982年のNBAドラフト でジェームズ・ウォージー が加わり、1980年代はNBAの強豪チームとして確立された。ジョンソンのファストブレイク 、トランジションオフェンスから、「ショータイム・レイカーズ 」の愛称で呼ばれるようになった。9年間で5度の優勝を果たし、その中には宿敵セルティックスとのファイナルでの対決も含まれていた。
ジャバーとマジックが引退した後、1990年代初頭は低迷していたが、1996年にシャキール・オニール とコービー・ブライアント を獲得した。ヘッドコーチには1990年代に6回の優勝(その内2回のスリーピート)を成し遂げたフィル・ジャクソン が就任し、シャックとコービーのダイナミックデュオを擁し、チームは2000年から2002年にかけてフランチャイズ史上2回目となる3連覇を達成した。また、2009年 と2010年 には2連覇を達成した。しかしその後10年間チームは低迷し続けることとなったが、2018-19シーズン よりレブロン・ジェームズ を獲得した事により名門復活を掲げ、2019年 にはアンソニー・デイビス を獲得し、2020年 に優勝を果たした。
概要
NBA の前身であるNBL (英語版 ) 時代から存在し、多くのスター選手を輩出してきた古豪球団であり、東海岸 のボストン・セルティックス に対して、西海岸 きっての名門チーム。ビックマーケットのロサンゼルス に位置してることから、人気度と知名度が高く、著名人のレイカーズファンが多いことでも知られている。
チーム愛称の「レイカーズ」はミネアポリス 時代に名付けられたもので、ミネアポリスの愛称が "City of Lakes" (湖の街)であることに由来する。ミネソタ州 には面積10エーカー 以上の湖 が11,842もあり、うち22がミネアポリス市域にある[10] 。
同じロサンゼルスに本拠地を置くNBAチームのロサンゼルス・クリッパーズ とWNBA のロサンゼルス・スパークス 、NHL のロサンゼルス・キングス のホームアリーナであるクリプト・ドットコム・アリーナ を共同で使用している[1] 。
1971-72シーズン において、北米4大プロスポーツリーグ の中でも最長となる33連勝という記録を保持している[11] 。現在、レイカーズに在籍したことがある26人の選手と4人のヘッドコーチ が殿堂入り となっており、王朝時代を築いた4人の選手(ジャバー、マジック、シャック、コービー)らのレイカーズ在籍時に獲得したシーズンMVPは計8個である[12] 。
経済誌『フォーブス 』によると、2021年のレイカーズの資産価値 は推定46億ドルと算出しており、NBAチームの中ではニューヨーク・ニックス (50億ドル)、ゴールデンステート・ウォリアーズ (47億ドル)に次ぐ3位、全世界のスポーツチームの中では7位と格付されている[13] 。
歴史
1947–1958:始まりとミネアポリス王朝
1946年、デトロイト・ジェムズとして創設され、NBL に加盟。4勝40敗と惨憺たる結果に終わり(ジェムズの勝敗は通算勝敗に数えない)、1947年にはミネアポリス へ移転し、ミネアポリス・レイカーズと改称した。前年、デトロイト・ジェムズがリーグ最低の成績に終わっていたため、後に偉大なセンターとなるジョージ・マイカン をドラフトで獲得した。1948年、所属していたNBLとBAAが合併、NBA が結成される。
ジョン・クンドラ に率いられたチームは後に殿堂入りしたヴァーン・ミッケルセン 、ジム・ポラード 、ド・ラヴレット らを擁し1952年から1954年までの3連覇を含み、1949年、50年にも優勝、6年間で5回優勝と黄金時代を築いた。
1958–1968:ロサンゼルスへ移転、セルティックスとのライバル関係
米国でツインシティーズ と言えば一般的にミネアポリスとセントポール を指すほどであるにもかかわらず、ミネアポリス・セントポール都市圏 においてミネアポリスを名乗ったレイカーズはセントポールのファン獲得に失敗した。強豪チームでありながら人気の伸びに限界を感じたオーナーのボブ・ショートは、1960-61シーズン 前にチームをロサンゼルスへ移転させ、ロサンゼルス・レイカーズと改称し、NBA初の西海岸 のチームとなった。なお、この「失敗」以降、ミネアポリス・セントポール都市圏に本拠地を置いた北米4大プロスポーツリーグ のチームは、ミネソタ・ツインズ (MLB 、1961年 -)、ミネソタ・バイキングス (NFL 、1961年 -)、ミネソタ・ノーススターズ (NHL 、1967年 - 1993年 、現在のダラス・スターズ )、ミネソタ・ティンバーウルブズ (NBA、1989年 -)、ミネソタ・ワイルド (NHL、2000年 -)と、いずれも州名のミネソタを名乗っている。
1960年代は殿堂入りしたエルジン・ベイラー 、ジェリー・ウェスト 、ゲイル・グッドリッチ そしてウィルト・チェンバレン を擁したが豊富なタレントにもかかわらず8年間のうち、6度もボストン・セルティックス を破ることができずに優勝することが出来なかった。
セルティックスのビル・ラッセル が引退するとNBAは新時代を迎えニューヨーク・ニックス が台頭しレイカーズと3回NBAファイナル で激突した。1960年代 のライバルがセルティックスなら1970年代 のライバルはニックスとなった。1970年 にニックスとファイナルで対戦したが敗退する。1972年にベイラーが怪我が元で引退をするとチームの結束力は高まり、ビル・シャーマン ヘッドコーチのもとでアメリカのプロスポーツチーム最多連勝記録33連勝を記録しファイナルでニックスを破り久々に優勝した。これはロサンゼルスにもたらされた最初のチャンピオンシップとなった。その後、チェンバレンやウェストなど主力選手が引退し世代交代していく。トレードでカリーム・アブドゥル=ジャバー を獲得したが見返りに有能な選手を放出したためしばらくは優勝できなかった。
1979–1991:「ショータイム」
マジック・ジョンソン とアブドゥル=ジャバーらの「ショータイム 」によりレイカーズを1980年代に5つのNBAタイトルに導いた。
1979年にマジック・ジョンソン が入団してから黄金時代を築く。
1979-80シーズン のNBAファイナル でフィラデルフィア・セブンティシクサーズ を破り、ジョンソンは新人ながらファイナルMVP を受賞した。ジョンソンはジャバーが欠場した試合で42得点15リバウンド7アシストを記録してシリーズを制した。
1982年にはジェリー・ウェストがジェネラルマネージャーに就任、ジェームズ・ウォージー をドラフト 1位で獲得し、ジョンソンを中心とした華やかな速攻からチームは「ショータイム 」と呼ばれた。1980年代には元レイカーズの選手のパット・ライリー 率いるレイカーズは10年間のうち、8回ファイナルに進出し、そのうち5度優勝した。1987年、88年の連覇は1969年のボストン・セルティックス以来であった。この間、ラリー・バード 擁するボストン・セルティックスと3回対戦、そのうち2回優勝、ジュリアス・アービング 擁するフィラデルフィア・セブンティシクサーズ とは3回対戦して2回優勝している。
1985年のNBAファイナル におけるマジック・ジョンソンとジャバー。
特に1987年のチームはボストン・セルティックス を倒しNBA歴代最高のチームに選ばれた。1988年、89年のファイナルではアイザイア・トーマス を中心としたバッドボーイズ のデトロイト・ピストンズ と2年連続対戦、88年はトーマスの負傷もあって4-3で勝利したが、翌89年は4連敗で敗れた。アブドゥル=ジャバー、ライリーが去った91年にもファイナルに進出したがマイケル・ジョーダン 擁するシカゴ・ブルズ に敗れ、ジョンソンはしばらく現役を退いた。その後はウォージーも引退し、1990年代中盤頃にはセドリック・セバロス 、ブラディー・ディバッツ 、エルデン・キャンベル やニック・バン・エクセル 、アンソニー・ピーラー 、ジョージ・リンチ 、エディー・ジョーンズ など、好選手を多く擁した布陣を敷くが、プレーオフを勝ち抜くには至らなかった。
1996-2016:コービー・ブライアントの時代
シャック&コービーの王朝
フィル・ジャクソン
シャキール・オニール(左)とコービー・ブライアント(右)は3年連続のNBAチャンピオンをチームにもたらした。
1995-96シーズン終了後シャキール・オニール をオーランド・マジック より獲得、シャーロット・ホーネッツ が全体13位で指名したコービー・ブライアント を、ベテランセンター・ブラデ・ディバッツ とのトレードで獲得、また全体24位でデレック・フィッシャー を獲得すると次第にチーム状態は上向き一躍優勝候補になった。
1999年にフィル・ジャクソン をヘッドコーチに迎え、グレン・ライス 、ロン・ハーパー 、ホーレス・グラント (デニス・ロッドマン も入っていたが、解雇される。)らベテラン選手を加えたチームは躍進し、レイカーズは2000年、2001年、2002年に3連覇を果たしオニールは3年連続でファイナルMVPを受賞して再び黄金時代を築いた。特に2001年のプレイオフのレイカーズは15勝1敗で過去最高の勝率を記録した。2003年にサンアントニオ・スパーズ に敗北し、4連覇の道は閉ざされた。
2003-04シーズン前、勝利位の殿堂入りが確実なスター選手であるカール・マローン 、ゲイリー・ペイトン とを加えたことにより「史上最強のチーム」が完成すると見られていた[14] 、何とか2004年のファイナルに進出したが、マローンは怪我でコートに立つさえも難しい状態であったこともあり[15] 、デトロイト・ピストンズ に1勝4敗で敗れた。オニールとコービーは不仲であり(どちらが攻撃の中心となるか、という問題において)、2004年7月にオニールはラマー・オドム 、カロン・バトラー とのトレードでマイアミ・ヒート に移籍し、フィル・ジャクソン 、デレック・フィッシャー 、カール・マローン 、ゲイリー・ペイトン もそれぞれチームを去った。リック・フォックス が引退した。
コービー&ガソルの時代
2004-05シーズンにプレイオフ出場を逃したが、2005-06シーズンにはフィル・ジャクソン が帰還。アンドリュー・バイナム をドラフト1巡目で獲得した。チームは、フランチャイズ歴代最多記録となる1試合81得点などを記録したコービーを中心に戦ったがウエスト7位に終わり、プレーオフ1回戦でフェニックス・サンズ に敗れた。レイカーズが1回戦を勝ち上がっていた場合、同じステイプルズ・センター を本拠地とするロサンゼルス・クリッパーズ との対戦という面白い組み合わせとなるところだった。オニール退団後の数年は、コービーはスコアラーとしての能力を存分に発揮したが、チームとしては低迷していた。
2007-08シーズン、デレック・フィッシャー が4期ぶりに複帰、トレバー・アリーザ らを獲得した。冬季トレード市場では、クワミ・ブラウン 、ジャバリス・クリッテントン をドラフト指名権とのトレードでメンフィス・グリズリーズ から2002年の新人王 を受賞したパウ・ガソル を獲得するなど、補強に成功してNBAファイナル にも4年ぶりに進出したが、宿命のライバルであるボストン・セルティックス に2勝4敗で敗れた[16] 。
2008-09シーズン、ファイナルでオーランド・マジック を4勝1敗で破って優勝、コービーがファイナルMVPを獲得した[17] 。
ホワイトハウス に招かれたレイカーズ一同
2009-10シーズン、一昨年敗れた宿敵の相手ボストン・セルティックス をファイナルで破り2連覇を達成。
2010-11シーズンは3連覇を狙ったが、その年のファイナルを制したダラス・マーベリックス にプレーオフセミファイナルでスイープ負けを喫し、不完全燃焼でシーズンを終え、フィル・ジャクソン も退任した。
2011−12シーズン、シーズン途中に長年チームに貢献してきたフィッシャーを放出し、ジョーダン・ヒル を、ルーク・ウォルトン とジェイソン・カポノ を放出してレイモン・セッションズ を獲得するなどのトレードを行い[18] 、昨年の名誉挽回を試みたが、1回戦のデンバー・ナゲッツ に予想外に手こずり7戦目でようやく勝利したが、2回戦はオクラホマシティ・サンダー 相手に1勝しかできず、セミファイナルで敗退。
ナッシュ&ハワードの獲得、しかし低迷期へ
2012年7月11日、サイン&トレードでMVPを2回獲得したスティーブ・ナッシュ の獲得を発表。背番号は10。ナッシュの前所属であるフェニックス・サンズ は2013年と2015年のドラフト1巡目指名権、2014年と2015年のドラフト2巡目指名権、現金300万ドル(約2億4,000万円)をレイカーズから獲得することとなった。さらに当時現役最強のセンターであったドワイト・ハワード もオーランド・マジック から獲得し、3年ぶりの優勝を狙った。しかし、HCのマイク・ブラウン が取り入れた「プリンストン戦略」に選手が上手くハマらずプレシーズンは0勝8敗に終わり、史上初のプレシーズン全敗を記録した。加えてレギュラーシーズン第2戦目でナッシュが当時ルーキーのデイミアン・リラード と衝突、その際に右脚を骨折する重症を負い20試合以上を離脱することになった。結局、第4戦目にしてブラウンが成績不振を理由に解雇され、代わりにナッシュがサンズ時代にHCを勤めていたマイク・ダントーニ が就任する。この就任はナッシュがダントーニの得意とするアップテンポなバスケスタイルを理解しており、以前アマレ・スタウダマイアー と展開したようなピック&ロールがハワードと再現できるとチームが考えていたからとされている。
しかしナッシュが怪我で離脱している間、チームの戦略がブラウンのディフェンシブな物からダントーニの超オフェンシブな物に変わり、チームは混乱に陥った。コービーのもとそこそこ奮闘したが、この方針の急転換に選手がついていけるはずがなく、成績は悲惨なものに。ダントーニの戦略を熟知しているナッシュが怪我から2ヶ月後に復帰した時期には希望が見えかけたが、ピック&ロールをほとんど経験していないハワードにはアマレのような立ち回りができず、NBAオールスターゲーム 前の前半は25勝29敗と勝率5割をきっていた。オールスター後、ダントーニは「チームがプレイオフに行くには20勝8敗が最低条件」と言及。勝率5割をきっていた彼らには高すぎるハードルだった。
ところが、後半戦では快進撃を見せつけ「最低条件」をクリア。プレーオフ圏内の7位に滑り込んだ。しかし、コービーがレギュラーシーズン終了5日前のゴールデンステート・ウォリアーズ 戦でアキレス腱を断裂、プレーオフは絶望的になった。
そんな状況で迎えたプレーオフでは、1回戦でサンアントニオ・スパーズ と対戦。しかし、多くの選手を怪我で無くしていたチームは機能せず、屈辱のスイープ負け、屈辱のシーズンに幕が降ろされた。シーズン終了後、ハワードはヒューストン・ロケッツ に移籍した。
2013-14シーズン はコービーがわずか6試合、ナッシュが15試合しか出場にできなかったこともあり、ロサンゼルスにフランチャイズ移転以降初めて30勝以下となる、27勝55敗でシーズンを終えた。8シーズン続いていたプレーオフ進出も途切れることとになった。
2014-15シーズン は、ヘッドコーチにチームOBのバイロン・スコット を招聘し、再スタートを切ることになった。しかしガソルがシカゴ・ブルズ に移籍するなど暗雲は依然垂れ込めていた。チームはガソルの獲得に伴ってブルズから放出されていたカルロス・ブーザー と契約。更にヒューストン・ロケッツ から地元出身のジェレミー・リン を獲得するなど、積極的に動いたが、前シーズンからの悪夢は続く。キャンプ中にニック・ヤング が右手を骨折し、ナッシュが持病の背中痛を悪化させてそのまま引退を表明。更に開幕戦のヒューストン・ロケッツ 戦で、ルーキーのジュリアス・ランドル がシーズン絶望となる怪我(右足の骨折)を負ってしまう。そしてコービーも2015年に入って右肩を負傷し手術のためにシーズン残り試合を全休となるなど、ネガティブな要素ばかりが目立ってしまった。スコットHCが掲げていたチームディフェンスの立て直しも当然進まず、結局は前シーズンをも下回る21勝61敗というチームワーストの成績でシーズンを終えた。
2015-16シーズン は開幕直後からコービーが絶不調で、それに引きずられるようにチームも負けを重ねた。11月29日にコービーが引退宣言を行い、レジェンドのファイナル・シーズンにチーム内外から奮起を求められるも、その後もNBAワーストの28連敗中だったフィラデルフィア・76ers に敗れるなど調子は上がらず、2年連続でチームワーストを更新する17勝65敗に留まりウェスタン・カンファレンス最下位でシーズン終了。コービーに花道を飾ることはできなかった。
2016-2018:コービー引退後
2016年4月24日、レイカーズはバイロン・スコットの次のシーズンの契約オプションを行使しないことを発表した[19] 。4月29日、ルーク・ウォルトン を新ヘッドコーチとして就任した。ウォルトンは当時プレーオフ真っ只中のゴールデンステート・ウォリアーズ のアシスタントコーチに就任していたため、ウォリアーズのプレーオフが終了するまで正式にヘッドコーチとして活動できなかった[20] 。2016年のNBAドラフト ではデューク大学 出身のブランドン・イングラム を全体2位で指名した[21] 。
2017年2月21日、レイカーズはゼネラルマネージャーのミッチ・クプチャクを解雇し、マジック・ジョンソン をバスケットボール事業の社長に任命した[22] [23] 。2017年3月7日、レイカーズはロブ・ペリンカ をゼネラルマネージャーとして5年間の契約を結んだ[24] 。2017年のNBAドラフト では昨年と同じ全体2位でロンゾ・ボール を指名した[25] 。また、27位でブルックリン・ネッツ から指名されたカイル・クーズマ をドラフト開催日にブルック・ロペス やデアンジェロ・ラッセル らが絡んだ大型トレードにより権利がレイカーズに移動し獲得した。
2018-現在 : レブロンの時代
2018年のレブロン・ジェームズ
2018-19シーズン 開幕前、FA となったレブロン・ジェームズ をクリーブランド・キャバリアーズ から獲得[26] 。マジック・ジョンソン GM は、"3年計画"での名門復活を掲げた[27] 。
2018-19シーズンは、シーズン中にトレードでアンソニー・デイビス の獲得を狙ったが、対価として放出されそうな若手達が動揺し、チーム内の雰囲気は悪化。結局デイビスの獲得には失敗し、最終成績はレブロンが加わったにもかかわらず前年からわずか2勝しか上積みできず、6年連続でプレーオフを逃した。ジョンソンは責任を取ってGMを辞任し、ヘッドコーチのルーク・ウォルトン も解雇。 5月13日、フランク・ヴォーゲル が新ヘッドコーチに就任した。2019年のNBAドラフト で1巡目4位の指名権を獲得した。7月6日、ニューオーリンズ・ペリカンズ とのトレードでロンゾ・ボール 、ブランドン・イングラム 、ジョシュ・ハート 、2019年のドラフト総合4位指名権を放出し、デイビスを獲得した[28] 。
2019年よりレイカーズのヘッドコーチに就任したフランク・ヴォーゲル
2019-20シーズン はレブロンとデイビスの強力なデュオを中心に開幕から勝利を積み重ねた。2019年12月12日のオーランド・マジック 戦では96対87で勝利したことにより、ロード戦12連勝を記録し、ウェスタン・カンファレンス 首位をキープ。また、22勝3敗という戦績は1985-86シーズン に並ぶ球団最高記録である[29] 。ところが、順調なシーズンを送っていた2020年1月、コービー・ブライアントが不慮の飛行機事故で他界。更に3月にはCOVID-19 の影響によるシーズン中断を余儀なくされるなど、試練がレイカーズを襲う。シーズンの中断後、レイカーズはレギュラーシーズンの最後の8試合に参加できるNBAバブル (英語版 ) に招待された22チームの1つに選ばれた。そしてレイカーズは2013年以来となるプレーオフ進出を決め、52勝19敗で10年ぶりとなる第1シードを獲得した[30] 。プレーオフ1回戦ではポートランド・トレイルブレイザーズ を5試合で破り、カンファレスセミファイナルのヒューストン・ロケッツ 戦も5試合で破り、カンファレンス・ファイナルのデンバー・ナゲッツ 戦もまたしても5試合で破って2010年 以来となるNBAファイナルに進出した。ファイナルの相手はファイナル初出場となったジミー・バトラー 擁するマイアミ・ヒート と対戦。結果はシリーズ4勝2敗で勝利し10年ぶりの優勝を果たした。また、レブロン・ジェームズは、キャリア4度目となるファイナルMVPに選ばれた。この優勝でレイカーズはフランチャイズ史上17回目のチャンピオンとなり、ボストン・セルティックス と並ぶ史上最多となった。そして2017年にジェリー・バス からチームを引き継いだレイカーズのオーナーである娘のジーニー・バス は、NBAチャンピオンを成し遂げた初の女性オーナーとなった。
2020-21シーズン では、レイカーズ22番永久欠番エルジン・ベイラー が死去したことにより、レイカーズメンバーは黒い紋章をつけて出場することになった(これは2019-2020シーズンでコービー・ブライアントが亡くなった際にも同じである)。
Big3結成
2021-22シーズン
開始前の8月6日、レイカーズはカイル・クーズマ 、モントレズ・ハレル 、ケンタビオス・コールドウェル=ポープ 、2021年のドラフト1巡目指名権 (アイザイア・ジャクソン ) を放出して、当時ワシントン・ウィザーズ に所属していたラッセル・ウェストブルック を獲得し、ジェームズ、デイビス、ウェストブルックのBig3を結成させた[31] 。また、FAからレブロンの盟友でもあるカーメロ・アンソニー と契約[32] 、2020年の優勝に貢献したドワイト・ハワード もレイカーズに復帰した[33] 。
2022-2023シーズン
2023年1月23日(現地時間)、ケンドリック・ナン と3つのドラフト2巡目指名権と引き換えにワシントン・ウィザーズから八村塁を獲得。八村はレイカーズで初の日本人選手となった。
2023-2024シーズン
今年から導入されたNBAインシーズン・トーナメント の初代チャンピオンとなり、レブロン・ジェームズとアンソニー・デイビスがNBAオールトーナメントチーム に選ばれ、レブロンが初代インシーズンMVP に選ばれた。
セレブリティ
ハリウッドのそばにあるため、レイカーズの本拠地では有名な映画俳優が多数見られる。中でもジャック・ニコルソン が最も有名で彼はシーズンチケットを1967年より持っている。他によく知られているのは、デンゼル・ワシントン 、ダスティン・ホフマン 、アンディ・ガルシア 、ペニー・マーシャル 、アイス・キューブ 、シルヴェスター・スタローン 、マイケル・クラーク・ダンカン 、ダイアン・キャノン である。
南カリフォルニアに本拠地を置くレッド・ホット・チリ・ペッパーズ のメンバーも長年のレイカーズファンであることが知られている。
「Salute to "Kareem" and "Magic Johnson", a tribute to the "Showtime"-era Lakers」 というジャバーやマジック・ジョンソンの歌が彼らのアルバム Mother's Milk にある。チリペッパーズのベース のフリーにより、2005-06シーズンNBA公式HPにレイカーズのブログ が書かれた。
07-08シーズンでは、プロサッカー 選手であるデビッド・ベッカム がロサンゼルスチームであるギャラクシー に移籍し、多々ステイプルズセンターを訪れ妻ビクトリア夫人 と共に観戦し、話題を呼んだ。
その他
ステイプルズ・センター (現クリプト・ドットコム・アリーナ) のカラーリング
ミネアポリス・レイカーズと呼ばれていた頃に、フォート・ウェイン・ピストンズ と共に一試合の最低得点記録を持っている。1950年 11月22日 、対ピストンズ戦で、レイカーズは第4クォーターまでリードしていたが、ピストンズに試合をひっくり返され、19対18で負けている。これは、ショットクロック や10秒ルールなどが適用され、試合のテンポを早める工夫がされる前である。
ミネアポリスを本拠にした最後のシーズンの1960年1月18日、セントルイスからの遠征の帰途についていたレイカーズのメンバーを乗せたダグラス DC-3 は飛行途中に電気系統が故障、無線やコンパスも使えなくなった。出発地に引き返すこともできたが、失敗した場合の被害の大きさを考え、目的地を目指した。機長は北極星 を目印に飛行を続けた。空港まで燃料がもたないと判断し途中の高速道路に緊急着陸しようとしたが、副操縦士から「道路には溝や石、走行中の車もあるので危険だ」とアドバイスを受けて取りやめ、畑の方が積雪により安全性が高いという副操縦士の意見から、目視で発見したアイオワ州 のキャロルという小さな町のトウモロコシ畑に緊急着陸、畑に50cmほど積もった雪がクッション代わりになり、乗っていたレイカーズの選手・コーチは全員無事だった[34] 。
1960年にロサンゼルスに移転後以降、プレーオフに進出できなかったのはわずか9度である。
レイカーズはホームゲームでのジャージの色が白でない唯一のチームである(金)。ただし2002-03シーズンからは日曜や祝日のホームゲームでは白のジャージを着ている。
オーナーはジェリー・バス (現在は娘のジーニー・バス が引き継いでいる)。ジーニーはフィル・ジャクソンのガールフレンドでもある。ホームコートはロサンゼルスのダウンタウン にあるステイプルズ・センター だが、練習施設「トヨタ・センター」(浅田真央が練習をするスケートリンクもあり、NHL所属のキングスの練習場でもある)および、チームオフィスはロサンゼルス国際空港にほど近い、エルセグンドという街にある。
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン
勝
敗
%
プレーオフ
結果
ミネアポリス・レイカーズ
1947-48
43
17
.717
1回戦勝利 セミファイナル勝利 NBLファイナル優勝
レイカーズ 3, オールスターズ 1 レイカーズ 2, ブラックホークス 0 レイカーズ 3, ロイヤルズ 1
1948-49
44
16
.733
1回戦勝利 BAA準決勝勝利 BAA決勝優勝
レイカーズ 2, シカゴ 0 レイカーズ 2, ロチェスター 0 レイカーズ 4, シラキュース 2
1949–50
51
17
.750
1回戦勝利 ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ over ロチェスター レイカーズ 2, シカゴ 0 レイカーズ 2, フォートウェイン 0 レイカーズ 2, アンダーソン 0 レイカーズ 4, シラキュース 2
1950–51
44
24
.647
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, インディアナポリス 1 ロチェスター 3 レイカーズ 1
1951–52
40
26
.606
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 2, インディアナポリス 0 レイカーズ 3, ロチェスター 1 レイカーズ 4, ニックス 3
1952–53
48
22
.686
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 2, インディアナポリス 0 レイカーズ 3, フォートウェイン 2 レイカーズ 4, ニックス 1
1953–54
46
26
.639
総当り戦 総当たり戦 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3-0 over ロチェスター and フォートウェイン レイカーズ 2, ロチェスター 1 レイカーズ 4, シラキュース 3
1954–55
40
32
.556
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ロチェスター 1 フォートウェイン 3, レイカーズ 1
1955–56
33
39
.458
2回戦勝利 ディビジョン準決勝敗退
レイカーズ over セントルイス セントルイス 2, レイカーズ 1
1956–57
34
38
.472
タイブレークゲーム敗退 ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
セントルイス over レイカーズ レイカーズ 2, フォートウェイン 0 セントルイス 3, レイカーズ 0
1957–58
19
53
.264
1958–59
33
39
.458
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 1 レイカーズ 4, セントルイス 2 セルティックス 4, レイカーズ 0
1959–60
25
50
.333
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 0 セントルイス 4, レイカーズ 3
ロサンゼルス・レイカーズ
1960–61
36
43
.456
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝敗退
レイカーズ 2, ピストンズ 0 セントルイス 4, レイカーズ 3
1961–62
54
26
.675
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ピストンズ 2 セルティックス 4, レイカーズ 3
1962–63
53
27
.663
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, セントルイス 3 セルティックス 4, レイカーズ 2
1963–64
42
38
.525
ディビジョン準決勝敗退
セントルイス 3, レイカーズ 2
1964–65
49
31
.613
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ボルチモア 2 セルティックス 4, レイカーズ 1
1965–66
45
35
.563
ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, セントルイス 3 セルティックス 4, レイカーズ 3
1966–67
36
45
.444
ディビジョン準決勝敗退
サンフランシスコ 3, レイカーズ 0
1967–68
52
30
.634
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブルズ 1 レイカーズ 4, サンフランシスコ 0 セルティックス 4, レイカーズ 3
1968–69
55
27
.671
ディビジョン準決勝勝利 ディビジョン決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, サンフランシスコ 2 レイカーズ 4, ホークス 1 セルティックス 4, レイカーズ 3
1969–70
46
36
.561
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, サンズ 3 レイカーズ 4, ホークス 0 ニックス 4, レイカーズ 3
1970–71
48
34
.585
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 4, ブルズ 3 バックス 4, レイカーズ 1
1971–72
69
13
.841
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, ブルズ 0 レイカーズ 4, バックス 2 レイカーズ 4, ニックス 1
1972–73
60
22
.732
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブルズ 3 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 ニックス 4, レイカーズ 1
1973–74
47
35
.573
1回戦敗退
バックス 4, レイカーズ 1
1974–75
30
52
.366
1975–76
40
42
.488
1976–77
40
42
.488
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ウォリアーズ 3 ブレイザーズ 4, レイカーズ 0
1977–78
45
37
.549
1回戦敗退
ソニックス 2, レイカーズ 1
1978–79
47
35
.573
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 2, ナゲッツ 1 ソニックス 4, レイカーズ 1
1979–80
60
22
.732
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, サンズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 1 レイカーズ 4, シクサーズ 2
1980–81
54
28
.659
1回戦敗退
ロケッツ 2, レイカーズ 1
1981–82
57
25
.695
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, サンズ 0 レイカーズ 4, スパーズ 0 レイカーズ 4, シクサーズ 2
1982–83
58
24
.707
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, スパーズ 2 シクサーズ 4, レイカーズ 0
1983–84
54
28
.659
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, カンザスシティ 0 レイカーズ 4, マーベリックス 1 レイカーズ 4, サンズ 2 セルティックス 4, レイカーズ 3
1984–85
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, サンズ 0 レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ナゲッツ 1 レイカーズ 4, セルティックス 2
1985–86
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 3, スパーズ 0 レイカーズ 4, マーベリックス 2 ロケッツ 4, レイカーズ 1
1986–87
65
17
.793
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, ナゲッツ 0 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 0 レイカーズ 4, セルティックス 2
1987-88
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, スパーズ 0 レイカーズ 4, ジャズ 3 レイカーズ 4, マーベリックス 3 レイカーズ 4, ピストンズ 3
1988–89
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, ソニックス 0 レイカーズ 4, サンズ 0 ピストンズ 4, レイカーズ 0
1989–90
63
19
.768
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 1 サンズ 4, レイカーズ 1
1990–91
58
24
.707
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 0 レイカーズ 4, ウォリアーズ 1 レイカーズ 4, ブレイザーズ 2 ブルズ 4, レイカーズ 1
1991–92
43
39
.524
1回戦敗退
ブレイザーズ 3, レイカーズ 1
1992–93
39
43
.476
1回戦敗退
サンズ 3, レイカーズ 2
1993–94
33
49
.402
1994–95
48
34
.585
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ソニックス 1 スパーズ 4, レイカーズ 2
1995–96
53
29
.646
1回戦敗退
ロケッツ 3, レイカーズ 1
1996–97
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1 ジャズ 4, レイカーズ 1
1997–98
61
21
.744
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 3, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ソニックス 1 ジャズ 4, レイカーズ 0
1998–99
31
19
.620
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 3, ロケッツ 1 スパーズ 4, レイカーズ 0
1999–00
67
15
.817
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, キングス 2 レイカーズ 4, サンズ 1 レイカーズ 4, ブレイザーズ 3 レイカーズ 4, ペイサーズ 2
2000–01
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, キングス 0 レイカーズ 4, スパーズ 0 レイカーズ 4, シクサーズ 1
2001–02
58
24
.707
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 3, ブレイザーズ 0 レイカーズ 4, スパーズ 1 レイカーズ 4, キングス 3 レイカーズ 4, ネッツ 0
2002–03
50
32
.610
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ウルブズ 2 スパーズ 4, レイカーズ 2
2003–04
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ロケッツ 1 レイカーズ 4, スパーズ 2 レイカーズ 4, ウルブズ 2 ピストンズ 4, レイカーズ 1
2004–05
34
48
.415
2005–06
45
37
.549
1回戦敗退
サンズ 4, レイカーズ 3
2006–07
42
40
.512
1回戦敗退
サンズ 4, レイカーズ 1
2007–08
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
レイカーズ 4, ナゲッツ 0 レイカーズ 4, ジャズ 2 レイカーズ 4, スパーズ 1セルティックス 4, レイカーズ 2
2008–09
65
17
.793
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, ジャズ 1 レイカーズ 4, ロケッツ 3 レイカーズ 4, ナゲッツ 2レイカーズ 4, マジック 1
2009–10
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス準決勝勝利 NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, サンダー 2 レイカーズ 4, ジャズ 0 レイカーズ 4, サンズ 2レイカーズ 4, セルティックス 3
2010–11
57
25
.695
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ホーネッツ 2マーベリックス 4, レイカーズ 0
2011–12
41
25
.621
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
レイカーズ 4, ナゲッツ 3サンダー 4, レイカーズ 1
2012–13
45
37
.549
1回戦敗退
スパーズ 4, レイカーズ 0
2013–14
27
55
.329
2014–15
21
61
.256
2015–16
17
65
.207
2016–17
26
56
.317
2017–18
35
47
.427
2018–19
37
45
.427
2019–20
52
19
.732
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利NBAファイナル 勝利
レイカーズ 4, ブレイザーズ 1 レイカーズ 4, ロケッツ 1 レイカーズ 4, ナゲッツ 1 レイカーズ 4, ヒート 2
2020–21
42
30
.583
1回戦敗退
サンズ 4, レイカーズ 2
2021–22
33
49
.402
2022–23
43
39
.524
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
レイカーズ 4, グリズリーズ 2 レイカーズ 4, ウォリアーズ 2 レイカーズ 0, ナゲッツ 4
2023–24
47
35
.573
1回戦敗退
ナゲッツ 4, レイカーズ 1
通算勝敗
3,550
2,454
.591
プレイオフ
467
318
.595
優勝17回
フランチャイズとNBA記録
2020-21シーズン終了時点で、レイカーズはNBAで2番目の最多勝利(3,427)および勝率(.595)を誇る。また、最も多くNBAファイナル に出場し(31回)、優勝回数は歴代1位の17回である(同1位にボストン・セルティックス )。レイカーズはまた、アメリカのプロチームの中で最も長い連勝記録33を持っている。プレーオフを逃したこともわずか10回(2019年時点)しかない。
主な選手
現在のロスター
プレーヤー
スタッフ
記号説明
外部リンク
更新日:2024年06月25日
保有するドラフト交渉権
レイカーズは、NBA以外のリーグでプレーしている以下の未契約ドラフト指名選手の交渉権を保有している[35] 。ドラフトで指名された選手(海外出身の選手または大学選手で、ドラフトで指名したチームと契約していない選手)は、NBA以外のどのチームとでも契約することが認められており、この場合、そのチームは、その選手のNBA以外のチームとの契約が終了してから1年後まで、その選手のNBAでの交渉権を保持することになる[36] 。このリストには、他球団とのトレードで獲得した交渉権も含まれている。
歴代ドラフト指名
レイカーズは歴史上で今まで3回、ドラフト全体1位 で指名しており: エルジン・ベイラー (1958年 )、マジック・ジョンソン (1979年 )、ジェームズ・ウォージー (1982年 )[39] 、また、ロッタリーピックでの指名はこれまで6回しかない: エディ・ジョーンズ (1994年 に全体10位指名)、アンドリュー・バイナム (2005年 に全体10位指名)、ジュリアス・ランドル (2014年 に全体7位指名)、ディアンジェロ・ラッセル (2015年 に全体2位指名)、ブランドン・イングラム (2016年 に全体2位指名)、ロンゾ・ボール (2017年 に全体2位指名)である[39] 。その他の主な指名選手としては、1960年代にジェリー・ウェスト とゲイル・グッドリッチ 、1970年代にマイケル・クーパー とノーム・ニクソン 、1980年代にA.C.グリーン とブラデ・ディバッツ 、1990年代にエルデン・キャンベル 、ニック・ヴァン・エクセル 、デレック・フィッシャー 、デヴィン・ジョージ 、2000年代にルーク・ウォルトン 、サーシャ・ブヤチッチ 、ロニー・トゥリアフ などが挙げられる[39] 。
殿堂入りと永久欠番
レイカーズには、39人 (選手29人、ヘッドコーチ5人、アシスタントコーチ1人、貢献者4人) が殿堂入り となっている[40] [41] [42] 。
殿堂入り
注釈:
1 1957年から1958年にかけてはコーチも務めた。
2 1960年にはコーチも務めた。
3 1976年から1979年にかけてはコーチも務めた
4 1994年にはコーチも務めた。
5 ウェストは1960年 のオリンピックチーム のメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
6 ジョンソンは1992年 のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
7 マローンは1992年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
8 1970年から1975年まで選手として同チームでプレーした。
9 ニューウェルは1960年のオリンピックチームのメンバーとしても殿堂入りを果たしている。
FIBA殿堂入り
永久欠番
当時のステイプルズ・センター 内に吊るされたレイカーズの永久欠番 (2013年)
レイカーズでは、選手と放送局の名誉を称え、11の背番号と1人のアナウンサーを欠番 にさせた[43] [44] [45] [46] 。
また、ミネアポリス時代にフランチャイズの成功に貢献した数名の選手やコーチは、フランチャイズによって背番号は永久欠番にさせてはいないものの、ミネアポリス・レイカーズの名誉 (Honored Minneapolis Lakers) として表彰されている[47] 。
歴代ヘッドコーチ
チーム記録
ロサンゼルス・レイカーズ
通算出場試合
1,346コービー・ブライアント
通算得点
33,643 コービー・ブライアント
通算リバウンド
11,463エルジン・ベイラー
通算アシスト
10,141マジック・ジョンソン
通算ブロック
2,694カリーム・アブドゥル=ジャバー
通算スティール
1,944 コービー・ブライアント
1試合最多得点
81 コービー・ブライアント
1試合最多リバウンド
42ウィルト・チェンバレン
1試合最多アシスト
24 マジック・ジョンソン
1試合最多ブロック
17エルモア・スミス
1試合最多スティール
10ジェリー・ウェスト
プレーオフ1試合最多得点
61 エルジン・ベイラー
プレーオフ1試合 最多リバウンド
29 ウィルト・チェンバレン
プレーオフ1試合 最多アシスト
24 マジック・ジョンソン
プレーオフ1試合 最多ブロック
8シャキール・オニール
プレーオフ1試合 最多スティール
6 カリーム・アブドゥル=ジャバー
脚注
注釈
^ レイカーズにはすでにノーム・ニクソン という優秀なポイントガードがいたことから、モンクリーフはオフガードとして素晴らしい補強になる可能性があったため、ジョンソンかモンクリーフのどちらを指名するか迷っていた。
出典
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外部リンク
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