ジェリー・ウェスト
Jerry West
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/President_Trump_Presents_the_Medal_of_Freedom_to_Jerry_West_%2848688558152%29_%28cropped%29.jpg/250px-President_Trump_Presents_the_Medal_of_Freedom_to_Jerry_West_%2848688558152%29_%28cropped%29.jpg) |
基本情報 |
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愛称 |
Mr.Clutch the Logo |
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国籍 |
アメリカ合衆国 |
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生年月日 |
(1938-05-28) 1938年5月28日 |
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没年月日 |
(2024-06-12) 2024年6月12日(86歳没) |
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出身地 |
ウェストバージニア州チェリアン(英語版) |
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死没地 |
カリフォルニア州ロサンゼルス |
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身長 |
191cm (6 ft 3 in) |
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体重 |
79kg (174 lb) |
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キャリア情報 |
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高校 |
イースト・バンク高等学校 |
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大学 |
ウェストバージニア大学 |
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NBAドラフト |
1960年 / 1巡目 / 全体2位[1] |
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プロ選手期間 |
1960年–1974年 |
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ポジション |
PG / SG |
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背番号歴 |
44 |
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永久欠番 |
レイカーズ 44 |
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指導者期間 |
1976年–1979年 |
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経歴 |
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選手時代: |
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1960–1974 | ミネアポリス / ロサンゼルス・レイカーズ |
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コーチ時代: |
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1976–1979 | ロサンゼルス・レイカーズ |
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受賞歴 |
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選手時代
エグゼクティブ時代
- 8× NBAチャンピオン (1980, 1982, 1985, 1987, 1988, 2000, 2015, 2017)
- 2× NBA最優秀エグゼクティブ賞 (1995, 2004)
|
NBA通算成績 |
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得点 |
25,192 (27.0 ppg) |
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リバウンド |
5,366 (5.8 rpg) |
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アシスト |
6,238 (6.7 apg) |
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Stats Basketball-Reference.com |
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HC通算記録 |
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NBA |
145–101 (.589) |
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|
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) |
カレッジバスケットボール殿堂入り (2006年) |
代表歴 |
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キャップ |
アメリカ合衆国 |
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ジェローム・アラン・ウェスト(Jerome Alan West, 1938年5月28日 - 2024年6月12日)は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州チェリアン(英語版)出身の元プロバスケットボール選手、指導者、エグゼクティブ。NBAのロサンゼルス・レイカーズで選手、ヘッドコーチ、ゼネラルマネージャーとして活躍した。現在のNBAのロゴ(赤と青を背景にドリブルをする白いシルエット)[1]は、ウェストをモデルにしたものである。
少年期と学生時代
ウェストは炭鉱で電気技師として働く父のもとに生まれた。慎ましい少年時代を送りながら、自宅の近隣などでバスケットボールの練習を重ねた。その熱心さのあまりビタミン剤の注射を受けたことがあった。
地元の高校では長らく控え選手だったが、最終学年の前までに身長が10センチ以上伸び、チームの中心として活躍するようになった。ウェストは州の高校バスケットボール史上初めて900点以上を得点した選手になり、チームを州大会優勝に導いた。
大学時代のウェスト
60以上の大学から誘いを受けたが、地元のウェストバージニア大学に進んだ。大学でチームの正式な選手としてプレーし始めた2年生の時には平均17.8得点11.1リバウンド、3年生時には26.6得点12.3リバウンド、4年生になると29.3得点16.5リバウンドをあげ、全国的に注目される選手になった。3年生の時にチームはNCAA男子バスケットボールトーナメント決勝に進出したが1点差で敗れた。準決勝以上で際立った活躍で大会最優秀選手に選ばれた。
大学でのプレーを終えた1960年の夏、ローマオリンピックに出場し、金メダルを獲得した。この時の代表チームにはオスカー・ロバートソンもいた。
プロのキャリア
1972年
1960年のNBAドラフト(英語版)でオスカー・ロバートソンに次ぐ全体2位でミネアポリス・レイカーズに指名された。まもなくレイカーズはロサンゼルスに移転し、ロサンゼルス・レイカーズとなった。
1年目のシーズン、平均17.6得点、4.2アシスト、7.7リバウンドと優秀な成績を残した。レイカーズは36勝48敗と負け越したがプレーオフでは地区決勝まで進み、当時強豪だったセントルイス・ホークスに3勝4敗で敗退した。新人王はロバートソンが獲得した。
翌シーズンは平均30.8得点(リーグ5位)、5.4アシスト(リーグ6位)、7.9リバウンドと活躍し、オールNBAファーストチームに初めて選出され、引退するまでの間にこの賞を10回受賞することになる。1962年1月17日に1試合63得点を記録した[2]。
レイカーズはプレーオフを勝ち進み1962年のNBAファイナル(英語版)に進出するが、ボストン・セルティックスに敗退。これ以降もレイカーズはファイナルでセルティックスと幾度も対戦し、その度に敗れることが繰り返され、優勝には届かないスター選手として過ごしていった。
ウェスト個人の活躍は目覚ましく、1965年の平均31得点はリーグ2位、1970年の31.2得点はリーグ首位と高い水準の得点を記録し続け、チームも1962年、1963年、1965年、1966年、1968年、1969年、1970年にNBAファイナルに進出した。このうち1969年までは全てセルティックスに、1970年にはニューヨーク・ニックスに敗れ、優勝を逃した。1962年のNBAファイナル(英語版)は第7戦を3点差で、1966年のNBAファイナル(英語版)には同じく第7戦を2点差で、1969年のNBAファイナル(英語版)も第7戦を2点差で落とした接戦だった。この第7戦では42得点・13リバウンド・12アシストで、ファイナルでは史上初の40得点以上によるトリプルダブルで、この記録は2015年のNBAファイナル(英語版)でレブロン・ジェームズが記録するまでは唯一であった。
1970年のNBAファイナル(英語版)第3戦で放ったシュートはよく知られている。試合間終了間際にコート中央から打ったシュートがブザーと同時に決まって同点、試合は延長に続くことになった。レイカーズは結局この試合を2点差で落とし、最終の第7戦にも敗れ優勝を逃した。
1971-72シーズン、既に30歳を過ぎており怪我も多かったウェストは引退も考えたが、このシーズンのレイカーズは歴史的な躍進を果たすことになった。リーグ新記録である33連勝を含めてシーズン成績は69勝13敗。ウェストの平均9.7アシストはリーグ首位となった。1972年のNBAファイナル(英語版)に進んだレイカーズはニューヨーク・ニックスを4勝1敗で破り、自身初の優勝を経験した。
その後2シーズンを過ごしたウェストは、怪我で31試合の出場に留まった1973-74シーズンが終了すると引退した。
指導者とエグゼクティブのキャリア
引退後のウェストは、1976年より3シーズンにわたってレイカーズの監督を務めた。この間145勝101敗で勝率58.9%だった。プレーオフを逃していたレイカーズを3年連続でプレーオフに進出させた。初年度に地区決勝で敗れたのが最高の成績で翌年は1回戦敗退、3年目は地区準決勝敗退だった。
1979年よりコンサルタントとしてレイカーズのフロントに入り、この役職で2年間を過ごした。1982年にはゼネラルマネージャーとして選手人事に関わる仕事を受け持つことになった。当時のレイカーズはカリーム・アブドゥル=ジャバーやマジック・ジョンソンを擁し、前年度よりパット・ライリー監督を据えた強豪になっていた。さらにジェームズ・ウォージーを加えたレイカーズは1980年代に黄金時代を迎え、これらの選手を核にしてチームの補強に努めた。
1980年代の終わりにアブドゥル=ジャバーが引退すると、ユーゴスラビア人のブラデ・ディバッツを獲得。ディバッツはNBAで活躍した最も初期のヨーロッパ人となった。レイカーズは1990年代前半には低迷期に入ったが、チームのバスケットボール部門取締役副社長に昇格した1994-95シーズンにエディー・ジョーンズなどを獲得し、48勝34敗まで持ち直したことにより、NBA最優秀役員賞を受賞した。
1996年、シャキール・オニールとコービー・ブライアントを獲得した。2000年にフィル・ジャクソン監督を招聘するとレイカーズは2000年のNBAファイナル(英語版)に進み12年ぶりに優勝し、ここから3連覇した。ウェストが選手人事の仕事に携わって以降で合計7回目の優勝となった。
2002年、レイカーズのフロントを退き、メンフィス・グリズリーズとバスケットボール部門社長として契約し、同チームへ赴いた。グリズリーズはチーム創設以来成績が低迷していたが、ヒュービー・ブラウンを監督に迎え入れ、このシーズンは過去最高の記録だった28勝54敗で乗り切った。翌シーズンは50勝32敗と躍進し、レイカーズ時代に続き2度目のNBA最優秀役員賞を受賞した。2007年に辞任。
NBA個人成績
レギュラーシーズン
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1960–61
|
LAL
|
79 |
– |
35.4 |
.419 |
– |
.666 |
7.7 |
4.2 |
– |
– |
17.6
|
1961–62
|
75 |
– |
41.2 |
.445 |
– |
.769 |
7.9 |
5.4 |
– |
– |
30.8
|
1962–63
|
55 |
– |
39.3 |
.461 |
– |
.778 |
7.0 |
5.6 |
– |
– |
27.1
|
1963–64
|
72 |
– |
40.4 |
.484 |
– |
.832 |
6.0 |
5.6 |
– |
– |
28.7
|
1964–65
|
74 |
– |
41.4 |
.497 |
– |
.821 |
6.0 |
4.9 |
– |
– |
31.0
|
1965–66
|
79 |
– |
40.7 |
.473 |
– |
.860 |
7.1 |
6.1 |
– |
– |
31.3
|
1966–67
|
66 |
– |
40.5 |
.464 |
– |
.878 |
5.9 |
6.8 |
– |
– |
28.7
|
1967–68
|
51 |
– |
37.6 |
.514 |
– |
.811 |
5.8 |
6.1 |
– |
– |
26.3
|
1968–69
|
61 |
– |
39.2 |
.471 |
– |
.821 |
4.3 |
6.9 |
– |
– |
25.9
|
1969–70
|
74 |
– |
42.0 |
.497 |
– |
.824 |
4.6 |
7.5 |
– |
– |
31.2
|
1970–71
|
69 |
– |
41.2 |
.494 |
– |
.832 |
4.6 |
9.5 |
– |
– |
26.9
|
1971–72
|
77 |
– |
38.6 |
.477 |
– |
.814 |
4.2 |
9.7 |
– |
– |
25.8
|
1972–73
|
69 |
– |
35.7 |
.479 |
– |
.805 |
4.2 |
8.8 |
– |
– |
22.8
|
1973–74
|
31 |
– |
31.2 |
.447 |
– |
.833 |
3.7 |
6.6 |
2.6 |
0.7 |
20.3
|
通算:14年
|
932 |
– |
39.2 |
.474 |
– |
.814 |
5.8 |
6.7 |
2.6 |
0.7 |
27.0
|
オールスター
|
12 |
11 |
28.4 |
.453 |
– |
.720 |
3.9 |
4.6 |
– |
– |
13.3
|
プレーオフ
シーズン
|
チーム
|
GP
|
GS
|
MPG
|
FG%
|
3P%
|
FT%
|
RPG
|
APG
|
SPG
|
BPG
|
PPG
|
1961
|
LAL
|
12 |
– |
38.4 |
.490 |
– |
.726 |
8.7 |
5.3 |
– |
– |
22.9
|
1962
|
13 |
– |
42.8 |
.465 |
– |
.807 |
6.8 |
4.4 |
– |
– |
31.5
|
1963
|
13 |
– |
41.4 |
.503 |
– |
.740 |
8.2 |
4.7 |
– |
– |
27.8
|
1964
|
5 |
– |
41.2 |
.496 |
– |
.792 |
7.2 |
3.4 |
– |
– |
31.2
|
1965
|
11 |
– |
42.7 |
.442 |
– |
.890 |
5.7 |
5.3 |
– |
– |
40.6
|
1966
|
14 |
– |
44.2 |
.518 |
– |
.872 |
6.3 |
5.6 |
– |
– |
34.2
|
1967
|
1 |
– |
1.0 |
– |
– |
– |
1.0 |
0.0 |
– |
– |
0.0
|
1968
|
15 |
– |
41.5 |
.527 |
– |
.781 |
5.4 |
5.5 |
– |
– |
30.8
|
1969
|
18 |
– |
42.1 |
.463 |
– |
.804 |
3.9 |
7.5 |
– |
– |
30.9
|
1970
|
18 |
– |
46.1 |
.469 |
– |
.802 |
3.7 |
8.4 |
– |
– |
31.2
|
1971
|
15 |
– |
40.5 |
.376 |
– |
.830 |
4.9 |
8.9 |
– |
– |
22.9
|
1973
|
17 |
– |
37.5 |
.449 |
– |
.780 |
4.5 |
7.8 |
– |
– |
23.6
|
1974
|
1 |
– |
14.0 |
.222 |
– |
– |
2.0 |
1.0 |
0.0 |
0.0 |
4.0
|
出場:13回
|
153 |
– |
41.3 |
.469 |
– |
.805 |
5.6 |
6.3 |
0.0 |
0.0 |
29.1
|
ヘッドコーチ成績
NBAヘッドコーチ実績表略号説明
|
レギュラーシーズン
|
G
|
試合数
|
W
|
勝利数
|
L
|
敗戦数
|
W–L %
|
レギュラーシーズン勝率
|
ポストシーズン
|
PG
|
試合数
|
PW
|
勝利数
|
PL
|
敗戦数
|
PW–L %
|
プレイオフ勝率
|
チーム |
シーズン
|
G
|
W
|
L
|
W–L%
|
シーズン結果
|
PG
|
PW
|
PL
|
PW–L%
|
最終結果
|
LAL
|
1976–77
|
82 |
53 |
29 |
.646 |
パシフィック1位 |
17 |
9 |
8 |
.529
|
カンファレンスファイナル敗退
|
1977–78
|
82 |
45 |
37 |
.549 |
パシフィック4位 |
3 |
1 |
2 |
.333
|
カンファレンスセミファイナル敗退
|
1978–79
|
82 |
47 |
35 |
.573 |
パシフィック3位 |
8 |
3 |
5 |
.375
|
カンファレンスセミファイナル敗退
|
Career
|
|
246 |
145 |
101 |
.589 |
|
22 |
8 |
14 |
.364 |
|
私生活
2019年6月1日、ドナルド・トランプ大統領はウェストに大統領自由勲章を授与することをTwitterで発表した[3]。
2018年、バスケットボール映画アンクル・ドリューに本人役で出演。そこでウェストのNBAのロゴのモデルの話が少し出ている。
2024年6月12日の朝に死去。86歳没[4]。
関連項目
脚註
外部リンク
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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|
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1940年代 | |
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1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
---|
2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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歴代ベスト20 |
- ①レブロン・ジェームズ:38,652
- ②カリーム・アブドゥル=ジャバー:38,387
- ③カール・マローン:36,928
- ④コービー・ブライアント:33,643
- ⑤マイケル・ジョーダン:32,292
- ⑥ダーク・ノヴィツキー:31,560
- ⑦ウィルト・チェンバレン:31,419
- ⑧シャキール・オニール:28,596
- ⑨カーメロ・アンソニー:28,289
- ⑩モーゼス・マローン:27,409
- ⑪エルヴィン・ヘイズ:27,313
- ⑫アキーム・オラジュワン:26,946
- ⑬ケビン・デュラント:26,892
- ⑭オスカー・ロバートソン:26,710
- ⑮ドミニク・ウィルキンス:26,668
- 16ティム・ダンカン:26,496
- ⑰ポール・ピアース:26,397
- ⑱ジョン・ハブリチェック:26,395
- ⑲ケビン・ガーネット:26,071
- ⑳ヴィンス・カーター:25,728
|
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プレーオフ 歴代ベスト20 |
- ①レブロン・ジェームズ:8,032
- ②マイケル・ジョーダン:5,987
- ③カリーム・アブドゥル=ジャバー:5,762
- ④コービー・ブライアント:5,640
- ⑤シャキール・オニール:5,250
- ⑥ティム・ダンカン:5,172
- ⑦ケビン・デュラント:4,878
- ⑧カール・マローン:4,761
- ⑨ジェリー・ウェスト:4,457
- ⑩トニー・パーカー:4,045
- ⑪ステフィン・カリー:3,966
- ⑫ドウェイン・ウェイド:3,954
- ⑬ラリー・バード:3,897
- ⑭ジョン・ハブリチェック:3,776
- ⑮アキーム・オラジュワン:3,755
- ⑯マジック・ジョンソン:3,701
- ⑰ダーク・ノヴィツキー:3,663
- ⑱スコッティ・ピッペン:3,642
- ⑲ジェームズ・ハーデン:3,637
- ⑳エルジン・ベイラー:3,623
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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歴代ベスト10 |
- ①ジョン・ストックトン:15,806
- ②ジェイソン・キッド:12,091
- ③クリス・ポール:11,501
- ④レブロン・ジェームズ:10,420
- ⑤スティーブ・ナッシュ:10,335
- ⑥マーク・ジャクソン:10,334
- ⑦マジック・ジョンソン:10,141
- ⑧オスカー・ロバートソン:9,887
- ⑨ラッセル・ウェストブルック:9,162
- ⑩アイザイア・トーマス:9,061
|
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プレーオフ 歴代ベスト10 |
- ①マジック・ジョンソン:2,346
- ②レブロン・ジェームズ:2,023
- ③ジョン・ストックトン:1,839
- ④ジェイソン・キッド:1,263
- ⑤クリス・ポール:1,233
- ⑥トニー・パーカー:1,143
- ⑦ラジョン・ロンド:1,136
- ⑧ラリー・バード:1,062
- ⑨スティーブ・ナッシュ:1,061
- ⑩スコッティ・ピッペン:1,048
|
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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