フェニックス・サンズPhoenix Suns
2022-23シーズンのフェニックス・サンズ
所属リーグ
NBA カンファレンス
ウェスタン・カンファレンス ディビジョン
パシフィック 創設
1968年 チーム史
フェニックス・サンズ (1968 - ) 本拠
アリゾナ州 フェニックス アリーナ
フットプリント・センター チームカラー
紫, オレンジ, 黒, 灰, 黄[1] [2] [3] 主なスポンサー
PayPal [4] オーナー
マット・イシュビア ジャスティン・イシュビア 社長
ジェームズ・ジョーンズ GM
ジェームズ・ジョーンズ ヘッドコーチ
マイク・ブーデンホルツァー 優勝歴
0回 ファイナル進出
3回(1976年, 1993年, 2021年) ディビジョン優勝
7回(1981年, 1993年, 1995年, 2005年, 2006年, 2007年, 2021年, 2022年) 永久欠番
5 6 7 9 13 24 31 32 33 34 42 44 NBAGL提携チーム
バレー・サンズ 公式サイト
www .nba .com /suns
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フェニックス・サンズ (Phoenix Suns )は、アリゾナ州 フェニックス に本拠を置く全米プロバスケットボール 協会 (NBA ) のチーム。ウェスタン・カンファレンス、パシフィック・ディビジョン所属。
日本で初めて公式戦を行ったチーム(対ユタ・ジャズ )である。
歴史
チーム創成期
サンズは1968年 に拡張チームとしてリーグに加わった。初年度は16勝66敗とリーグ最下位に終わり、翌シーズンは39勝まで勝ちを増やしたものの勝ち越すことはできなかった。3年目以降は勝率5割を前後する平均的なチームとして数年を過ごした。初期のサンズではコニー・ホーキンズ やディック・バン・アースデール らがスター選手だった。
1970年代
42勝40敗で終わった1975-76シーズンは、サンズにとって記念すべきシーズンとなった。プレイオフを勝ち進み、地区決勝で前年優勝していたゴールデンステート・ウォリアーズ を4勝3敗で下し、NBAファイナル へ進出。8年目のチームであるサンズは名門ボストン・セルティックス と優勝を争った。
設立8年目で初めてサンズが進出した1976年 のNBAファイナル 第5戦は、今もしばしばリーグ史上最高の名勝負に挙げられる。古豪ボストン・セルティックス のホームアリーナボストン・ガーデン で同年6月4日 に行われたこの試合は延長3回にも及ぶ激戦だった。この時点でシリーズ成績は2勝2敗のタイであり、勝ったチームが優勝に王手をかける重要な試合だった。
試合は規定時間48分を同点で終え、延長に入った。しかし5分の延長でも勝負がつかず、二度目の延長を迎えた。
二度目の延長も残り4秒となった時点で、サンズは1点リードした。ボールを持ったセルティックスのジョン・ハブリチェック はコートを駆け抜けシュートを放ち、逆転。セルティックスが勝ったと考えたボストンのファンがコートに溢れ出す事態となった。
審判は試合がまだ1秒残っていると判断し、ファンが観客席に戻されるとサンズボールから再開となった。ここでサンズのポール・ウェストファル はもう残されていないタイムアウトを敢えて請求。サンズのテクニカルファウルとなり、セルティックスにフリースロー1本が与えられた。セルティックスはフリースローを沈め点差は2点となったが、サンズはコート中央からボールを入れられることになった。
インバウンズパスを受けたサンズのガー・ハード がシュートを決め、三度目の延長が決まった。既に両チームとも主力選手の多くがファウルアウトしており、延長3回では普段控えの選手が活躍した。試合は128対126でセルティックスの勝利となった。試合終了後、選手たちは疲労のため立ち上がれないほどだった。
二日後に行われた第6戦をセルティックスが制し、サンズの初優勝はならなかった。NBAファイナルで延長3回にまで入ったのはこの時が初めてであり、17年後のNBAファイナルでもサンズは延長3回の試合を経験した。この二つの試合はNBAファイナル史上最長の試合と2番目に長く続いた試合である。
1980年代
その後のサンズは数シーズンに渡り勝率5割を越える中堅のチームだった。1980年 には55勝27敗、翌1981年 には57勝25敗とリーグでも屈指の勝ち星をあげたが、プレイオフでは勝ち残れなかった。以降は次第に勝率が落ち、1973年 以来チームを率いてきたジョン・マクリード ヘッドコーチが1986年 に退いた。
80年代後半、サンズはヘッドコーチが定着せず成績もリーグ下位に留まっていたが、チーム初期のヘッドコーチでもあったコットン・フィッツシモンズ が1989年 に再びヘッドコーチに就くと、サンズは次第に西地区有数の強豪へと成長していった。1988年 にトレードでやってきたケビン・ジョンソン とトム・チェンバーズ はチームを牽引し、同じ年にドラフトで指名されたダン・マーリー も次第に中心選手となっていった。
1990年代
フィッツシモンズに代わり70年代にチームのエースだったポール・ウェストファル がヘッドコーチに就いた1993年 、トレードでチャールズ・バークレー がサンズに加わった。このシーズン、サンズは当時チーム史上最多の62勝20敗をあげ、バークレーはMVPに選ばれた。17年ぶりにNBAファイナルに進出したサンズは、3連覇を狙うマイケル・ジョーダン 率いるシカゴ・ブルズ と対戦。サンズはホームコートアドバンテージを得ていたものの、肝心のホームゲームで3戦全敗を喫し、勝負が決した第6戦では終始試合を優位に進めていたにもかかわらず、試合終了間際にジョン・パクソン に逆転3ポイントシュート を決められるなど、アドバンテージを生かせず、2勝4敗で敗退した。
以降数シーズンのサンズは西地区で上位のチームだったが1996年 には41勝41敗と勝率5割、この年バークレーはトレードでチームを去った。同年ドラフトでスティーブ・ナッシュ を指名したものの活躍の機会は少なく、1998年 にはトレードされた。この時期サンズの中心として活躍したのは、同じく96年にダラス・マーベリックス からトレードでチーム入りしたジェイソン・キッド だった。サンズの勝率は数年に渡り6割を越え、1999-2000シーズン前に加入したアンファニー・ハーダウェイ との「バックコート2000」は話題を呼んだ。
2000年代
2001年 にニュージャージー・ネッツ に放出された。キッドとのトレードでサンズに加わったのはステフォン・マーブリー だったがチーム成績は伸び悩んだ。2003-04シーズン中にはマーブリーをトレードに出し、マイク・ダントーニ をHCに迎えるなど、チーム改革に乗り出した。
ナッシュを中心としたラン&ガンの時代
スティーブ・ナッシュ
マイク・ダントーニ
2004-05シーズンには、かつてトレードに出したスティーブ・ナッシュ を再び獲得。ダントーニ体制のもと、ナッシュ、ショーン・マリオン 、アマレ・スタウダマイアー を中心としたラン&ガンオフェンス はリーグを席巻するようになる。ナッシュを獲得したばかりの2004-05シーズンには62勝20敗の成績で一気にリーグ首位に駆け上がり、ナッシュはMVPを獲得した。プレーオフでもカンファレンス決勝 まで勝ち上がるも、サンアントニオ・スパーズ の前に敗退する。以後、サンズはこのスパーズに苦杯を舐めさせ続けられることになる。
翌2005-06シーズンにはスタウダマイアーがひざの故障のためシーズンをほぼ全休するも、ボリス・ディアウ がスタウダマイアーの代行を行い、昨年の成績にやや劣るがサンズは好調を維持した。最終的にはディアウはMIP (最も成長した選手)を受賞し、ナッシュは2年連続でMVPを獲得。ナッシュの2年連続MVPはポイントガードとしてはマジック・ジョンソン 以来である。プレーオフでは再びカンファレンス決勝 まで勝ち上がるも、ダーク・ノヴィツキー 率いるダラス・マーベリックス の前にスタウダマイアー不在が響き敗退し、ファイナル進出はならなかった。
2006-07シーズンにはジェイレン・ローズ を獲得。スタウダマイアーが復帰し、リアンドロ・バルボサ がサンズ史上4人目となるNBAシックスマン賞 を受賞した。シーズン中には15連勝と17連勝をし、予想通りの好調を見せ、サンズは61勝21敗の好成績を収めた。そしてプレーオフでは一回戦でマーベリックスがウォーリアーズに敗退したため、サンズがファイナル進出優勢と言われた。奇しくもカンファレンス準決勝で再びスパーズと対戦。このシリーズではナッシュの負傷、スタウダマイアー、ディアウの出場停止処分など数々の不幸がサンズを襲い、サンズは再びスパーズに辛酸を舐めさせられた。一説にはダントーニの浅いローテンションが仇となり、スターターを除けばあまり試合をこなしていない選手だけだったので、一気にチームとして弱まったと言われている。
シャック &ナッシュ
2007-08シーズン、開幕前にグラント・ヒル を獲得。シーズン中には、ヒートからシャキール・オニール をマリオンとのトレードで獲得。移籍当初オニールにより、ラン&ガンオフェンス のスタイルが崩れると懸念されていた。大型トレード後初めの9試合、サンズは3勝6敗となり、首位から落ちた。しかし、オニールとサンズのオフェンススタイルがうまく噛み始め、レギュラー・シーズンの間スパーズとの対戦成績を3勝1敗(オニール移籍以来2勝)に収め、満を持して初のファイナル制覇に向けて勝負に出た。そのプレーオフ1回戦では、またスパーズに対戦することになった。しかし、ディフェンスの弱さを露呈したサンズは再びスパーズに勝つことは出来なかった。シーズン中にダントーニのオフェンス重視とスティーブ・カー GMのディフェンス重視の方針に摩擦が起き、互いの関係に亀裂が生じたと報道された。プレーオフ敗退後、チーム戦略の違いからダントーニはサンズの監督を辞任し、ニックスの監督に就任することを決めた。
2008-09シーズンにはヘッドコーチをテリー・ポーター に変え、ディフェンス重視の戦術を目指すも、上手くいかずに開幕から出遅た。12月にはベル、ディアウとのトレードでジェイソン・リチャードソン 、ジャレッド・ダドリー を獲得したが、地元で開催されたオールスターゲーム開催日にポーターは解雇される。その後、ACのアルヴィン・ジェントリー が指揮を執り、ラン&ガンオフェンスの復活を目指すもときすでに遅し。46勝36敗の成績ながら、プレーオフ進出を逃した。
グラント・ヒル
2009-10シーズンは、シーズン開幕からラン&ガンオフェンスが冴え渡り、チームは好調。プレーオフにも返り咲いた。カンファレンスセミファイナルでは因縁のスパーズと対戦。これまでスパーズに苦汁をなめさせられていたが、持ち前のラン&ガンオフェンスでスパーズを翻弄。第3戦ではリチャードソン、ヒルに加え、控えのゴラン・ドラギッチ やチャニング・フライ らも活躍し、第4戦ではナッシュが怪我で途中退場するアクシデントがあったが、スイープでスパーズを下し、2005-06シーズン以来のカンファレンスファイナルに駒を進めた。カンファレンス決勝では、王者ロサンゼルス・レイカーズ 相手に善戦するも、2勝4敗で敗退した。
2010年代
ゴラン・ドラギッチ
その後3シーズンはプレーオフ不出場が続き、ナッシュも2012年に退団し、レイカーズに移籍。2013-14シーズンは、ヘッドコーチにOBのジェフ・ホーナセック を任命。コーチ未経験だったホーナセックだったが、チームを立て直し48勝34敗を記録するも、レベルの高いウェスタンカンファレンスであと1勝届かず9位に終わり、プレーオフ進出はならなかった。以降も負け越しのシーズンが続くなど、低迷が続いた。
デビン・ブッカー
2018年のNBAドラフト で全体1位指名権を得たサンズは、アリゾナ大学 のディアンドレ・エイトン を指名。それでも成績は向上せず、2018-19シーズンは19勝63敗でカンファレンス最下位で終了。2019-20シーズンはヘッドコーチにモンティ・ウィリアムズ を招聘。リッキー・ルビオ を加え、成績は徐々に回復。終盤のバブルゲームで8戦8勝したものの、34勝39敗に終わった。
2020年代
2020-21シーズン前にオクラホマシティ・サンダー などを交えた大型トレードを敢行し、クリス・ポール を獲得。ポールは期待に応え、同シーズンは51勝21敗で終え、2009-2010シーズン以来のプレーオフ進出に導いた。プレーオフに入ってもサンズの快進撃は止まらず、1回戦で前シーズン王者のレイカーズを4勝2敗で下すと、セミファイナルのデンバー・ナゲッツ を4戦全勝で退け、カンファレンスファイナルの相手は、ポールの古巣ロサンゼルス・クリッパーズ となった。シリーズは大接戦となったものの、相手エースカワイ・レナード を失っていたこともあり、最終的にサンズが優位に進め、4勝2敗で勝利。ウェスタン・カンファレンスを制し、28年振り のNBAファイナル 進出となった。ファイナルの相手は50年振り の優勝を目指すミルウォーキー・バックス 。同ファイナルでもホームコートアドバンテージを持っていたサンズは、まずはホームで2勝。しかし、敵地で連敗すると相手のエース・ヤニス・アデトクンボ の猛攻を食い止めることが出来ず、2連勝の後に4連敗。またしても悲願達成はならなかった。
2021-22シーズンは現有戦力を維持し、再び優勝を目指すシーズンとなった。ポール、デビン・ブッカー を中心に昨シーズンと同様安定感ある戦いを披露し、カンファレンス1位の成績でレギュラーシーズンを終えた。しかしプレーオフでは、1回戦でプレーイン・トーナメント組のニューオーリンズ・ペリカンズ に予想外の苦戦を強いられてしまう。このシリーズは4勝2敗で何とか乗り切るも、ダラス・マーベリックス とのセミファイナルでは、相手のスモールボールラインナップやルカ・ドンチッチ ・ジェイレン・ブランソン を中心としたオフェンスへの対策ができず。先に王手をかけるものの第7戦まで持ち込まれたうえ、本拠地での第7戦で33点差の大敗を喫してしまい、後味の悪い形でシーズンを終えることとなった。
2022-23シーズン、悲願の優勝に向けシーズン途中にブルックリン・ネッツ からケビン・デュラント 獲得。カンファレンス4位から優勝を目指したものの、セミファイナルで2年前にスイープ勝ちしたデンバー・ナゲッツ (このシーズン優勝)に2勝4敗で敗退。
シーズンごとの成績
Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率
シーズン
勝
敗
%
プレーオフ
結果
フェニックス・サンズ
1968-69
16
66
.195
1969-70
39
43
.476
ディビジョン準決勝敗退
レイカーズ 4, サンズ 3
1970-71
48
34
.585
1971-72
49
33
.598
1972-73
38
44
.463
1973-74
30
52
.366
1974-75
32
50
.390
1975-76
42
40
.512
カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル敗退
サンズ 4, ソニックス 2 サンズ 4, ウォリアーズ 3セルティックス 4, サンズ 2
1976-77
34
48
.415
1977-78
49
33
.598
1回戦敗退
バックス 2, サンズ 0
1978-79
50
32
.610
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 2, ブレイザーズ 1 サンズ 4, カンザスシティ 1ソニックス 4, サンズ 3
1979-80
55
27
.671
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, カンザスシティ 1レイカーズ 4, サンズ 1
1980-81
57
25
.695
カンファレンス準決勝敗退
カンザスシティ 4, サンズ 3
1981-82
46
36
.561
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 2, ナゲッツ 1 レイカーズ 4, サンズ 0
1982-83
53
29
.646
1回戦敗退
ナゲッツ 2, サンズ 1
1983-84
41
41
.500
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 2 サンズ 4, ジャズ 2レイカーズ 4, サンズ 2
1984-85
36
46
.439
1回戦敗退
レイカーズ 3, サンズ 0
1985-86
32
50
.390
1986-87
36
46
.439
1987-88
28
54
.341
1988-89
55
27
.671
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ナゲッツ 0 サンズ 4, ウォリアーズ 1レイカーズ 4, サンズ 0
1989-90
54
28
.659
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 3, ジャズ 2 サンズ 4, レイカーズ 1 ブレイザーズ 4, サンズ 2
1990-91
55
27
.671
1回戦敗退
ジャズ 3, サンズ 1
1991-92
53
29
.646
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 0 ブレイザーズ 4, サンズ 1
1992-93
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利 NBAファイナル 敗退
サンズ 3, レイカーズ 2 サンズ 4, スパーズ 2 サンズ 4, ソニックス 3ブルズ 4, サンズ 2
1993-94
56
26
.683
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ウォリアーズ 0ロケッツ 4, サンズ 3
1994-95
59
23
.720
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, ブレイザーズ 0 ロケッツ 4, サンズ 3
1995-96
41
41
.500
1回戦敗退
スパーズ 3, サンズ 1
1996-97
40
42
.488
1回戦敗退
ソニックス 3, サンズ 2
1997-98
56
26
.683
1回戦敗退
スパーズ 3, サンズ 1
1998-99
27
23
.540
1回戦敗退
ブレイザーズ 3, サンズ 0
1999-00
53
29
.646
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 3, スパーズ 1レイカーズ 4, サンズ 1
2000-01
51
31
.622
1回戦敗退
キングス 3, サンズ 1
2001-02
36
46
.439
2002-03
44
38
.537
1回戦敗退
スパーズ 4, サンズ 2
2003-04
29
53
.354
2004-05
62
20
.756
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, グリズリーズ 0 サンズ 4, マーベリックス 2スパーズ 4, サンズ 1
2005-06
54
28
.659
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 3 サンズ 4, クリッパーズ 3マーベリックス 4, サンズ 2
2006-07
61
21
.744
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 4, レイカーズ 1スパーズ 4, サンズ 2
2007-08
55
27
.671
1回戦敗退
スパーズ 4, サンズ 1
2008-09
46
36
.561
2009-10
54
28
.659
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝敗退
サンズ 4, ブレイザーズ 2 サンズ 4, スパーズ 0レイカーズ 4, サンズ 2
2010-11
40
42
.488
2011-12
33
33
.500
2012-13
25
57
.305
2013-14
48
34
.585
2014-15
39
43
.476
2015–16
23
59
.280
2016–17
24
58
.317
2017–18
21
61
.256
2018–19
19
63
.232
2019–20
34
39
.466
2020–21
51
21
.708
1回戦勝利 カンファレンス準決勝勝利 カンファレンス決勝勝利NBAファイナル 敗退
サンズ 4, レイカーズ 2 サンズ 4, ナゲッツ 0 サンズ 4, クリッパーズ 2バックス 4, サンズ 2
2021–22
64
18
.780
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 4,ペリカンズ 2 マーベリックス 4, サンズ 3
2022–23
45
37
.549
1回戦勝利 カンファレンス準決勝敗退
サンズ 4,クリッパーズ 1 ナゲッツ 4, サンズ 2
2023–24
49
33
.598
1回戦敗退
ウルブズ 4, サンズ 0
通算勝敗
2,429
2,096
.537
プレイオフ
160
164
.494
主な選手
現役選手
プレーヤー
スタッフ
記号説明
外部リンク
更新日:2024年05月28日
年代別主要選手
太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVP を獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人
1960年代
1970年代 (プレイオフ進出:3回 ファイナル進出:1回)
1980年代 (プレイオフ進出:7回)
1990年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:1回)
2000年代 (プレイオフ進出:7回)
2010年代 (プレイオフ進出:0回)
2020年代 (プレイオフ進出:3回 ファイナル進出:1回)
栄誉
コーチ、その他
歴代ヘッドコーチ
殿堂入り
日本人プレイヤー
田臥勇太 (たぶせ ゆうた) (2004年)
渡邊雄太 (わたなべ ゆうた) (2023年-2024年)
日本での公式戦
1990年11月に、ユタ・ジャズ と共に来日し東京体育館 で公式戦2試合を行った。アメリカのスポーツにおいて北米以外で行われた初めての公式戦だった。ケビン・ジョンソンとトム・チェンバースが共に1試合平均28.5得点を叩き出したが、対戦成績は1勝1敗の5分に終わった。
チーム記録
フェニックス・サンズのチーム記録
脚註
外部リンク