那賀川(なかがわ)は、徳島県を流れる那賀川水系の本流で、一級河川。幹川流路延長125kmと徳島県内で最も長い河川である。「最も良好な水質」として清流四国一(四国地方整備局2006年河川水質調査)に選ばれた。
昔は「長川」(ながかわ)と呼ばれ、地域名の「長の国」(ながのくに)に由来すると思われる。「長の国」の名称は、『日本書紀』に「奈我」「長」などと書かれた。奈良時代に阿波国那賀郡と改名されたが、この名が定着したのは平安時代頃だと言われる。河川は江戸時代まで、「長川」「長河」などとも書かれていた[1]。
徳島県那賀郡那賀町木頭北川の剣山山系ジロウギュウに源を発し、高の瀬峡を経て南流ののち東流。北東流に転じる中流域では著しく蛇行する。平野に出る下流域で再び東に向きを変え、阿南市辰己町と阿南市那賀川町中島の境界から紀伊水道に注ぐ。徳島県唯一の県内に源流があり流域が県内のみで県内だけを流れる一級河川である。
那賀川の紹介として「吉野川に次いで県下第二の大河」といった類の河川紹介がしばしば見られるが、吉野川は高知県分85km(出典:高知県海洋部HP)を除くと幹川流路延長は109kmであり、県内の長さの順位としては125kmの那賀川が第一である。
那賀郡那賀町、阿南市
河川法(旧法:明治二十九年法律第七十一号)第四条第一項の規定により河川法適用河川那賀川の支川・派川として認定した。
かつては那賀郡那賀町(旧木頭村)に細川内ダムを建設する計画もあったが、地元住民・自治体の猛反発を受け亀井静香建設相が中止にした。結果、那賀川上流部の自然は残されたが、その一方で村助役がダム問題で自殺に追いやられたり、水没予定だった地域の道路改良が後回しにされ続けて未だに不便を強いられているなど長年の行政のあり方は禍根を残した。
また既存の長安口ダムにおいて流入堆砂で貯水能力が低下し、那賀川から取水している阿南市などでは水不足の懸念から対策が要望されている。
古くは上流域の森林で伐採した木材の流送(木材流送)が行われていた。 1950年(昭和25年)3月26日には、羽ノ浦町に昭和天皇が行幸(昭和天皇の戦後巡幸)があり、天皇は堤防の上で那賀川林業労働組合の委員長の説明を受けながら筏流しの様子を視察している[2]。