藤田 和日郎(ふじた かずひろ、男性、1964年〈昭和39年〉5月24日[1] - )は、日本の漫画家。北海道旭川市出身[1]。本名:藤田 和宏(読み同じ)。
旭川市立東町小学校、北海道旭川東高等学校[注釈 1]、日本大学法学部新聞学科卒業[2]。現仕事場は東京都豊島区[3]。
1988年(昭和63年)に『連絡船奇譚』が『週刊少年サンデー増刊号』に掲載されてデビューし、1990年(平成2年)より『週刊少年サンデー』本誌で開始した『うしおととら』で連載デビュー。代表作に『うしおととら』・『からくりサーカス』・『月光条例』・『双亡亭壊すべし』など[4]。主に『週刊少年サンデー』で活躍。
子どもの頃から漫画や本を読むのが好きで、ロジャー・ゼラズニイの小説『地獄のハイウェイ』を自分の原点としている[5]。高校では友人たちと漫画研究会を設立[6]、1982年に高橋留美子のホラー短編『闇をかけるまなざし』[注釈 2][8]を読んだことをきっかけとして漫画家を目指す[4][9][10]。絵の描き方について試行錯誤を繰り返していた高校時代に、アニメ映画『クラッシャージョウ』の舞台挨拶のため、地元旭川に訪れた安彦良和へ質問した思い出を持つ[11]。そのイベントで安彦が「目線が決まると体の向きが決まる」と発言したのを聞き「人物はまず目から描く」ことに決めたという。この描き方はプロになってからも続けられている[12]。1983年(昭和58年)、大学進学のために上京[6]。大学では漫画研究会、アニメーション研究会、推理SF研究会に所属し小説の挿絵などを描く[13]。漫画・イラストなどの修業のほか、アニメーション監督の押井守の兄を直接の先生に形意拳[14][15]の修行歴があり短編集の作品にも反映されている。
あさりよしとお[16]のアシスタントを経て、1988年(昭和63年)に「第22回小学館新人コミック大賞」に入選した『連絡船奇譚』が『週刊少年サンデー増刊号』に掲載されてデビューを果たす。そして1989年(平成元年)に『うしおととら』で「第2回少年サンデーコミックグランプリ」に入賞。この賞は少年サンデーが主催していた新人賞で、受賞作がそのまま連載となることを謳っていた。翌1990年(平成2年)より少年サンデー誌上で同作の連載を開始する。同作は6年以上に亘り連載され、OVA化などもされる人気作品となった[1]。
1997年(平成9年)から2006年(平成18年)まで、『週刊少年サンデー』で『からくりサーカス』を連載。およそ9年に亘る長期連載となった。
『からくりサーカス』終了後は少年サンデーを離れ、『ビッグコミックスピリッツ』・『モーニング』と一時的に青年誌へと活動の場を移す。2008年(平成20年)には再び少年サンデーに戻り、2014年(平成26年)まで『月光条例』を連載した。
2015年から2016年にかけて『うしおととら』が、藤田作品では初めてテレビアニメ化された[17]。次作品の『からくりサーカス』も2018年から2019年にかけてテレビアニメ化されている[18]。
2016年(平成28年)から2021年(令和3年)まで、週刊少年サンデーで『双亡亭壊すべし』を連載[19][20]。
2022年(令和4年)、3月10日発売の週刊『モーニング』で『黒博物館 三日月よ、怪物と踊れ』(「黒博物館・第3シーズン」)の連載開始[21]。
※掲載誌の記載がない物は『週刊少年サンデー』及びその増刊号。
各作品の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
書誌情報の詳細などについてはリンク先の各記事を参照。
藤田はアシスタントに「ここに来たら、全員マンガ家になって出てってよ」と述べており[9]、実際に藤田の元から独立・デビューした漫画家を多数輩出している。
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