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舞鶴基地

雪の舞鶴基地北吸岸壁

舞鶴基地(まいづるきち)とは、京都府舞鶴市字余部下1190、大字北吸小字北宿1059、大字浜小字浜2018、大字泉源寺小字知中175-2、大字長浜小字長浜1007、1008の複数の地区に所在している、舞鶴地方隊(JMSDF Maizuru District)の施設や所在部隊を総称しての通称であり、日本では海上自衛隊基地などという場合がある。日本海における海上自衛隊の最重要拠点。

概要

舞鶴基地北吸岸壁と、対岸のJMU舞鶴事業所。同事業所は修繕専門造船所であり、商船から自衛艦、米艦艇に至るまで点検整備を実施可能な重要施設。

舞鶴基地は、舞鶴港(舞鶴東港)に置かれており、そのルーツは1889年(明治22年)にさかのぼる[1]。当時、対ロシアへの戦略上、日本海側に海軍の軍事拠点を設置する事が悲願となっていた日本海軍は湾口が狭く、それでいて水深が深く防御に適しており、また湾内は波静かで多くの艦船が停泊できるなど、軍港としては格好の地形であった舞鶴湾白羽の矢を立て、鎮守府舞鶴に設置することを決定した。1901年(明治34年)10月1日、帝国海軍舞鶴鎮守府が開府して以来、軍港として利用されてきたが、敗戦により、舞鶴鎮守府は廃止となる。戦後は1952年(昭和27年)8月1日、海上自衛隊の前身である保安庁警備隊が発足すると同時に舞鶴地方隊が新編され、使用施設のほとんどが、旧海軍の施設をそのまま使用している[1]。現在、舞鶴地方総監部があるのも旧海軍機関学校があった場所である[1]。また、民間の造船所が近いのも特徴であり、北吸岸壁を取り囲むようにジャパン マリンユナイテッド日立造船、その関連企業などが並び、舞鶴所在の艦艇は、ドック入りもスムーズに行えるのが特徴である[1]

舞鶴は、旧海軍時代は平時に戦艦は配備されず、ワシントン体制時代には閉鎖されるなど、他の鎮守府に比べ運用上軽視されてきた。戦後、海上自衛隊となってからも比較的旧型の艦艇が配備されていたが、近年は日本海側の最重要拠点として見直されており、北朝鮮弾道ミサイル発射や工作船活動に備えるため、イージス艦が2隻、ミサイル艇が2隻配備されている。また直近では、隣接する大波燃料庫施設が拡充されるなど、島根県山口県県境から秋田県青森県県境までという広大な守備範囲を持つ、日本海側唯一の海上自衛隊の基地として増強が図られており、護衛艦隊隷下の第3護衛隊群第3護衛隊、第14護衛隊などが母港としている。

沿革

2007年当時の舞鶴基地
  • 1952年(昭和27年)
    • 8月1日保安庁警備隊発足と同時に「舞鶴地方隊」が新編。
    • 11月10日:舞鶴地方総監部が松ヶ崎から余部に移転。
    • 12月27日:「舞鶴練習隊」が新編。舞鶴、新潟各航路啓開隊が廃止。
  • 1953年(昭和28年)9月16日:「舞鶴基地警防隊」が新編。
  • 1954年(昭和29年)12月1日:「海上自衛隊舞鶴地区病院」が開設。
  • 1955年(昭和30年)5月1日:「舞鶴通信隊」が新編。
  • 1957年(昭和32年)5月10日:舞鶴練習隊が「舞鶴教育隊」に改称。
  • 1961年(昭和36年)2月1日:「舞鶴補給所」、「舞鶴工作所」及び「舞鶴水雷調整所」が新編。
  • 1962年(昭和37年)3月20日:「舞鶴防備隊」が新編。舞鶴基地警防隊が「舞鶴警備隊」に改称。
  • 1970年(昭和45年)3月2日:「舞鶴造修所」、「舞鶴衛生隊」が新編。 舞鶴工作所が廃止。
  • 1975年(昭和50年)10月1日:「海上自衛隊第4術科学校」が開校。
  • 1976年(昭和51年)5月11日:「舞鶴音楽隊」が新編。
  • 1977年(昭和52年)12月27日:舞鶴防備隊に「水中処分隊」が新編。
  • 1985年(昭和60年)7月1日:「舞鶴水雷整備所」が新編[2]。舞鶴水雷調整所が廃止。
  • 1987年(昭和62年)7月1日:舞鶴防備隊が廃止。警備隊の組織改編及び「舞鶴基地業務隊」が新編。
  • 1988年(昭和63年)4月8日:海上自衛隊舞鶴地区病院が共同機関化され、「自衛隊舞鶴病院」に改称。
  • 1998年(平成10年)12月8日:補給整備部門の組織改編により、舞鶴補給所と舞鶴造修所が統合され「舞鶴造修補給所」に改編。舞鶴水雷整備所が「舞鶴弾薬整備補給所」に改編。
  • 2002年(平成14年)
  • 2022年(令和04年)3月17日:自衛隊横須賀病院機能強化に伴い、自衛隊舞鶴病院が廃止され、同病院の施設を使用した診療所(19床)が舞鶴衛生隊隷下に新編[3][4][5][6]

配置部隊等

舞鶴航空基地

舞鶴飛行場
舞鶴飛行場の空中写真(2006年)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
IATA: なし - ICAO: RJBM
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 京都府舞鶴市
種類 軍用
所有者 防衛省
運営者 海上自衛隊
開設 2001年3月24日
所在部隊 第23航空隊
標高 6 m (19 ft)
座標 北緯35度29分22秒 東経135度22分36秒 / 北緯35.48944度 東経135.37667度 / 35.48944; 135.37667
地図
空港の位置
空港の位置
RJBM
空港の位置
滑走路
方向 長さ×幅 (m) 表面
12/30 400×45 コンクリート
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
舞鶴基地の位置
舞鶴基地の位置
RJBM
舞鶴基地の位置

舞鶴航空基地(まいづるこうくうきち、Maizuru Air Station)は海上自衛隊舞鶴地方総監部管轄の飛行場京都府舞鶴市にある。

舞鶴は海上自衛隊唯一となる日本海側の拠点であり、北朝鮮工作船などの暗躍に備え防備体制の増強の必要性が叫ばれていた。だが、近隣に今まで海上自衛隊の航空基地がなかったために、舞鶴港を母港とする第3護衛隊群に所属する護衛艦の搭載機は館山航空基地千葉県)からその都度飛来しており、「舞鶴は欠陥基地」と指摘されていた。

そこで海上自衛隊は舞鶴市長浜地区の約22万m2の敷地に滑走路管制塔・格納庫などを整備する計画を立案、1996年に着工した。そして2001年(平成13年)3月22日に完成し、当初、第21航空群第123航空隊隷下の舞鶴航空分遣隊が編成され、哨戒ヘリコプターSH-60J 6機が常駐し、2008年(平成20年)3月26日には舞鶴航空分遣隊が格上げされる形で、第21航空群隷下に第23航空隊が新編され、哨戒ヘリコプターも12機(SH-60J/K) に増強されるなど、日本海側の防備体制は強化されることとなった。

舞鶴航空基地沿革

舞鶴航空基地配置部隊

  • 第23航空隊
    • 隊本部
      • 総務室
      • 幕僚室
      • 先任伍長室
    • 第231飛行隊:SH-60K(コールサイン "OSPREY")
    • 第231整備補給隊
    • 舞鶴航空基地隊

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d 地方隊をゆく舞鶴地方隊」『Jシップス』2022年10月。
  2. ^ 水雷整備所の編制に関する訓令(昭和60年海上自衛隊訓令第21号)
  3. ^ 我が国の防衛と予算-令和3年度概算要求の概要- 防衛省(2020年9月30日)
  4. ^ <自衛隊舞鶴病院>自衛隊舞鶴病院廃止へ 来月中旬 衛生隊診療所に 海自会見 /京都”. gooニュース. 毎日新聞 (2022年2月26日). 2022年2月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月16日閲覧。
  5. ^ 舞鶴地方総監部【公式】 [@JMSDF_mrh] (2022年3月19日). "自衛隊舞鶴病院が舞鶴衛生隊診療所になります。". X(旧Twitter)より2022年3月21日閲覧
  6. ^ “自衛隊病院を廃止、衛生隊診療所に移行 病床数大幅減、京都・舞鶴”. 京都新聞. (2022年3月21日). オリジナルの2022年3月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20220321093254/https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/752263 2022年3月23日閲覧。 
  7. ^ AIS JAPAN
  8. ^ 舞鶴地方総監部【公式】 [@JMSDF_mrh] (2023年3月24日). "【SH60K 8407号除籍】". X(旧Twitter)より2022年4月26日閲覧

関連項目

外部リンク

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