大湊地方隊(おおみなとちほうたい、英称:Ominato District)は、海上自衛隊の地方隊の一つ。主要部隊は青森県むつ市大湊町にある大湊基地に配備されている。日本の北端部における防衛警備、特に宗谷海峡と津軽海峡という、2つの重要な国際海峡の防備を担当する。2024年度、大湊地方隊を改編し、横須賀地方隊と統合することが防衛省から公表された[1]。
概要
1952年(昭和27年)8月1日に保安庁及び警備隊が発足し、日本における海上軍事力の再整備が本格化した1953年(昭和28年)9月16日に大湊地方隊が編成された。1954年(昭和29年)7月1日、警備隊が海上自衛隊に改組。大湊は要港という軍港に次ぐ規模の軍事港湾であったため、5つの地方総監部のうち唯一旧海軍鎮守府ではなく要港部後の警備府からの由来で、実質的に鎮守府への昇格を果す形となった。また、隷下に教育隊が置かれていない。
警備区域は、日本海側・太平洋側ともに青森県以北の北方(北海道及び青森県の区域並びに青森県と秋田県の境界線が海岸線と交わる点から270度に引いた線と青森県と岩手県の境界線が海岸線と交わる点から90度に引いた線の北側にある北海道及び青森県の周辺海域及び沿岸海域[2][3])であり、日本の北端部の海域・地域にあたる。宗谷海峡と津軽海峡も担任区域内にあり、津軽海峡については、大湊地方隊隷下の松前警備所・竜飛警備所を中心に監視し、宗谷海峡については稚内基地分遣隊に加え、冬季を除いて艦船を派遣し監視にあたっており[4]、特にロシア海軍の海峡通行について関心を持ち、監視を行なっている[5][6][7]。
主な任務は、北海道及び青森県以北の海域(太平洋・日本海・オホーツク海)における防衛及び警備、災害派遣、艦艇及び航空機に対する後方支援、機雷等の危険物の除去、民生協力等を任務としている[5]。
2024年度の横須賀地方隊への統合に伴い「大湊地区隊(仮称)」と名称を変更する方針[8]
。大湊を拠点とする護衛艦を1隻増やして計8隻体制とし、大湊地区全体で約3千人規模の定員は維持される予定[8]。大湊地方隊に所属する警備隊、弾薬整備補給所、造修補給所などは地区隊が引き継ぎ、艦艇の後方支援を担う予定[8]。地区総監は当初海将補職とする予定であったが、地元むつ市の要請で引き続き海将職とされた。
沿革
- 9月16日:保安庁警備隊に「大湊地方隊」が新編。
- ※大湊地方隊新編時の編成(大湊地方総監部、函館基地隊、大湊基地警防隊)
- ※新編時の大湊地方総監部の編成(総務部、警備部、航路啓開部、経理補給部、技術部)
- 10月10日:総監部が電電公社電気通信学園跡に移転。
- 10月16日:総監部組織の改組(航路啓開部の廃止、調査室の設置、通信所の昇格)
- 10月21日:総監部開庁式が挙行。
- 1月11日:総監部が新庁舎(旧水交社、現:北洋館)に移転。
- 7月1日:「防衛庁」が創設され、「海上自衛隊」が発足。
- 8月1日 - 7日:昭和天皇・皇后の津軽海峡御渡航に際し、自衛艦隊及び館山航空隊とともに対機雷警戒を実施。
- 5月1日:「大湊通信隊」を新編。
- 5月16日:「大湊航空隊」がシコルスキー S-51ヘリコプター3機により新編[9]。
- 1月4日:総監部が新庁舎(現:警備隊庁舎)に移転。
- 3月16日:「八戸航空隊」を新編。
- 2月1日:総監部組織の改組(総務部を廃止し人事部を新設、防衛部に第1~第4幕僚班を設置)
- 「大湊補給所」及び「大湊工作所」を新編。
- 9月1日:八戸航空隊が第2航空群に改編され航空集団隷下に編成替え。「八戸航空工作所」を新編。
- 12月16日:「第32護衛隊」が第3護衛隊群から編入。
- 3月2日:総監部組織の改組(人事部を管理部に改称、第1~第4幕僚班を幕僚室に改称、第5幕僚室を新設、監察官を新設)
- 「大湊造修所」、「大湊水雷調整所」を新編。大湊工作所を廃止。
- 10月1日:総監部に幕僚長を設置。
- 大湊基地警防隊を「大湊警備隊」に改称。
- 7月15日:「余市防備隊」を新編[9]。
- 3月16日:「稚内基地分遣隊」を新編[9]。
- 5月11日:「大湊音楽隊」を新編。
- 9月8日- 25日まで自衛艦隊とともにソ連ミグ25戦闘機の函館空港強行着陸(ベレンコ中尉亡命事件)に伴う津軽海峡の警戒監視を実施。
- 12月27日:大湊警備隊に「水中処分隊」を新編。
- 5月8日:総監部新庁舎(現庁舎)の落成式挙行。
- 9月1日:「大湊衛生隊」を新編。
- 3月27日:「第35護衛隊」が第4護衛隊群から編入。
- 7月1日:大湊水雷調整所を廃止。大湊水雷整備所を新編[10]。
- 7月1日:部隊改編により警備隊の組織改編及び「大湊基地業務隊」を新編。
- 1月31日:第32護衛隊が廃止、「第23護衛隊」が第4護衛隊群から編入。
- 3月22日:余市防備隊に「第1ミサイル艇隊」を新編、第1魚雷艇隊が廃止。
- 3月31日:大湊警備隊に「大湊防空陸警隊」を新編[9]、大湊陸警隊が廃止。
- 7月12日 - 8月12日:北海道南西沖地震に対する災害派遣。
- 3月24日:隊番号の改正により、第23護衛隊が「第25護衛隊」に、第35護衛隊が「第27護衛隊」に改称。
- 12月8日:補給整備部門の組織改編。
- 大湊補給所と大湊造修所が統合され「大湊造修補給所」に改編。
- 大湊水雷整備所が「大湊弾薬整備補給所」に改編。
- 八戸航空工作所が第2航空修理隊に改編され航空集団隷下に編成替え。
- 3月22日:大湊通信隊が「大湊システム通信隊」に改編されシステム通信隊群隷下に編成替え。
- 4月3日:第27護衛隊が廃止。大湊警備隊に「大湊陸警隊」を新編、大湊防空陸警隊が廃止。
- 9月5日:余市防備隊第1ミサイル艇隊所属のミサイル艇3号が大湊港内において機関砲誤射事故。
- 10月17日:護衛艦「いしかり」が除籍。
- 3月26日:体制移行による部隊改編。
- 第25護衛隊が「第15護衛隊」に改称され護衛艦隊隷下に編成替え。
- 大湊航空隊が第21航空群隷下に編成替えとなり「第25航空隊」に改編。
- 6月24日:護衛艦「ゆうばり」、護衛艦「ゆうべつ」、掃海艇「うわじま」、ミサイル艇3号が除籍。
- 4月3日:部隊改編により多用途支援艦「すおう」を地方隊直轄から大湊警備隊隷下に編成替え。
- 8月3日:函館基地隊松前警備所白神支所が廃止[11]。
- 3月17日:自衛隊大湊病院が廃止され、大湊衛生隊と統合。大湊衛生隊隷下の「診療所」に改編[12]。
- 組織改編により、横須賀地方隊に統合され「大湊地区隊(仮称)」に改編予定。
編成
※ 令和6年3月12日時点
総監部
主要幹部
官職名 |
階級 |
氏名 |
補職発令日 |
前職
|
大湊地方総監 |
海将 |
近藤奈津枝 |
2023年12月22日 |
海上自衛隊幹部候補生学校長
|
幕僚長 |
海将補 |
青木邦夫 |
2023年03月30日 |
統合幕僚監部運用部運用第3課長 ※2023年8月29日 海将補昇任
|
管理部長 |
1等海佐 |
林隆司 |
2023年08月01日 |
第22航空群司令部首席幕僚
|
防衛部長 |
1等海佐 |
福山崇 |
2023年09月19日 |
海上自衛隊幹部学校 →2023.8.25 大湊地方総監部防衛部勤務
|
経理部長 |
1等海佐 |
窪田修司 |
2023年12月01日 |
海上幕僚監部総務部経理課経理調整官 兼 経理班長
|
技術補給監理官 |
1等海佐 |
松﨑英治 |
2024年07月08日 |
防衛装備庁プロジェクト管理部 事業監理官(艦船担当)付 事業計画調整官
|
監察官 |
2等海佐 |
米田剛 |
2023年07月31日 |
大湊地方総監部勤務
|
歴代の大湊地方総監
(特記ない限り海将・指定職3号、2017年までは指定職2号)
代 |
氏名 |
在任期間 |
出身校・期 |
前職 |
後職 |
備考
|
01 |
小國寛之輔 |
1953年9月16日 1956年1月15日 |
海機33期 |
第二幕僚監部経理補給部補給課長 |
海上自衛隊術科学校長 |
警備監補 /海将補
|
02 |
赤堀次郎 |
1956年1月16日 1958年12月15日 |
海兵55期 海大37期 |
第1警戒隊群司令 |
練習隊群司令部付 →1958年12月20日 練習隊群司令 |
海将補
|
03 |
山下雅夫 |
1958年12月16日 1961年2月28日 |
海兵57期 |
自衛艦隊幕僚長 |
海上幕僚監部総務部長
|
04 |
武市義雄 |
1961年3月1日 1962年1月15日 |
海機38期 |
横須賀地方副総監 |
海上自衛隊幹部学校付 →1962年4月1日 第2術科学校長
|
05 |
岡本 功 |
1962年1月16日 1963年4月30日 |
海兵57期 海大38期 |
第1掃海隊群司令 |
海上幕僚監部付 →1963年7月1日 停年退官(海将昇任)
|
06 |
山田龍人 |
1963年5月1日 1964年4月30日 |
海兵58期 |
航空集団司令官 |
海上幕僚監部付 →1964年5月30日 退職 |
|
07 |
森永正彦 |
1964年5月1日 1964年12月15日 |
海兵59期 |
横須賀地方副総監 |
呉地方総監 |
海将補
|
08 |
佐藤文雄 |
1964年12月16日 1967年6月30日 |
海上自衛隊幹部候補生学校長 |
横須賀地方総監 |
就任時海将補 1966年1月1日 海将昇任
|
09 |
水谷秀澄 |
1967年7月1日 1968年6月30日 |
海兵62期 |
海上訓練指導隊群司令 |
佐世保地方総監 |
就任時海将補 1968年1月1日 海将昇任
|
10 |
石田捨雄 |
1968年7月1日 1969年6月30日 |
海兵64期 |
海上幕僚監部総務部長 |
海上幕僚副長 |
|
11 |
橋本正久 |
1969年7月1日 1971年6月30日 |
東京高等商船 |
海上幕僚監部調査部長 |
退職 |
|
12 |
安永 稔 |
1971年7月1日 1973年11月30日 |
海機47期 |
海上幕僚監部経理補給部長 |
横須賀地方総監 |
|
13 |
石野自彊 |
1973年12月1日 1975年3月16日 |
海兵69期 |
練習艦隊司令官 |
退職 |
|
14 |
植草重信 |
1975年3月17日 1976年11月30日 |
教育航空集団司令官 |
|
15 |
大賀良平 |
1976年12月1日 1977年8月31日 |
海兵71期 |
護衛艦隊司令官 |
海上幕僚長 |
|
16 |
江上純一 |
1977年9月1日 1979年3月21日 |
自衛艦隊司令部幕僚長 →1977年8月1日 海上幕僚監部付 |
退職 |
|
17 |
松井 操 |
1979年3月22日 1980年6月30日 |
海兵73期 |
海上自衛隊幹部候補生学校長 |
|
18 |
吉田學 |
1980年7月1日 1981年6月30日 |
海兵75期 |
海上幕僚監部防衛部長 |
海上幕僚副長 |
|
19 |
山田善照 |
1981年7月1日 1983年4月25日 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
|
20 |
安岡亀雄 |
1983年4月26日 1984年6月5日 |
海兵76期 |
海上幕僚監部調査部長 |
|
21 |
高崎郁男 |
1984年6月6日 1985年12月19日 |
海保大1期・ 4期幹候 |
海上幕僚監部総務部長 |
佐世保地方総監 |
|
22 |
金崎實夫 |
1985年12月20日 1987年7月6日 |
海保大2期・ 6期幹候 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
|
23 |
富田成昭 |
1987年7月7日 1989年3月15日 |
鹿児島大・ 6期幹候 |
教育航空集団司令官 |
退職 |
|
24 |
吉川圭祐 |
1989年3月16日 1991年3月15日 |
防大1期 |
海上幕僚監部防衛部長 |
|
25 |
林崎千明 |
1991年3月16日 1992年6月15日 |
防大4期 |
佐世保地方総監 |
|
26 |
猪狩 眞 |
1992年6月16日 1993年6月30日 |
海上自衛隊幹部学校長 |
退職 |
|
27 |
塚原武夫 |
1993年7月1日 1995年3月22日 |
防大6期 |
防衛大学校訓練部長 |
|
28 |
五味睦佳 |
1995年3月23日 1996年3月24日 |
防大8期 |
開発指導隊群司令 |
海上幕僚副長 |
|
29 |
金子 豊 |
1996年3月25日 1997年3月25日 |
防大9期 |
海上幕僚監部監察官 |
佐世保地方総監 |
|
30 |
山崎 眞 |
1997年3月26日 1998年6月30日 |
海上幕僚監部装備部長 |
自衛艦隊司令官 |
|
31 |
長谷川語 |
1998年7月1日 1999年12月9日 |
防大10期 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
|
32 |
牧本信近 |
1999年12月10日 2001年1月10日 |
防大13期 |
海上幕僚監部監理部長 |
海上自衛隊幹部学校長 |
|
33 |
尾崎通夫 |
2001年1月11日 2002年3月21日 |
海上自衛隊幹部候補生学校長 |
佐世保地方総監 |
|
34 |
田内 浩 |
2002年3月22日 2003年3月26日 |
防大12期 |
潜水艦隊司令官 |
退職 |
|
35 |
吉川榮治 |
2003年3月27日 2005年1月11日 |
防大15期 |
統合幕僚会議事務局第5幕僚室長 |
横須賀地方総監 |
|
36 |
宮本治幸 |
2005年1月12日 2006年3月26日 |
防大16期 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
教育航空集団司令官 |
|
37 |
松岡貞義 |
2006年3月27日 2007年3月27日 |
防大18期 |
海上自衛隊幹部候補生学校長 |
航空集団司令官 |
|
38 |
武田壽一 |
2007年3月28日 2008年7月31日 |
防大19期 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
海上自衛隊幹部学校長 |
|
39 |
河村克則 |
2008年8月1日 2009年7月20日 |
防大21期 |
海上幕僚副長 |
|
40 |
泉 三省 |
2009年7月21日 2010年7月25日 |
防大22期 |
海上幕僚監部人事教育部長 |
呉地方総監 |
|
41 |
武居智久 |
2010年7月26日 2011年8月4日 |
防大23期 |
海上幕僚監部防衛部長 |
海上幕僚副長 |
|
42 |
山口 透 |
2011年8月5日 2012年7月25日 |
防大22期 |
防衛大学校訓練部長 |
呉地方総監 |
|
43 |
三木伸介 |
2012年7月26日 2013年8月21日 |
防大24期 |
横須賀地方総監部幕僚長 |
|
44 |
槻木新二 |
2013年8月22日 2014年12月14日 |
海上自衛隊補給本部長 |
退職 |
|
45 |
坂田竜三 |
2014年12月15日 2016年3月22日 |
防大26期 |
教育航空集団司令官 |
統合幕僚学校長 |
|
46 |
中西正人 |
2016年3月23日 2018年7月31日 |
防大27期 |
横須賀地方総監部幕僚長 |
退職 |
|
47 |
酒井 良 |
2018年8月1日 2019年12月19日 |
防大31期 |
海上幕僚監部防衛部長 |
呉地方総監 |
|
48 |
二川達也 |
2019年12月20日 2020年12月21日 |
防大32期 |
自衛艦隊司令部幕僚長 |
航空集団司令官 |
|
49 |
乾悦久 |
2020年12月22日 2022年3月29日 |
防大31期 |
海上自衛隊幹部学校長 |
横須賀地方総監 |
|
50 |
泉博之 |
2022年3月30日 2023年12月21日 |
早大・ 41期幹候 |
海上幕僚監部人事教育部長 |
退職 |
|
51 |
近藤奈津枝 |
2023年12月22日
|
山口大・ 40期幹候 |
海上自衛隊幹部候補生学校長 |
|
室蘭の自衛隊誘致
旧海軍では、第五海軍区を統括する室蘭鎮守府が計画されたが、実現には至らなかった。
2006年(平成18年)2月、北海道室蘭市では、市議が発起人となり、室蘭港への海上自衛隊基地誘致を目指す「防災拠点港実現に向けて海上自衛艦を誘致する会」が発足している[13]。室蘭港に耐震構造の防災埠頭を作り、災害発生時の物資輸送、避難・救助活動の拠点港にしようというものであり、海上自衛隊の自衛艦を誘致することで、防災拠点としての実効性が高まり、さらなる港湾整備に弾みがつくという設立趣旨である。
防衛省も、北海道への新たな海上自衛隊基地建設に関心があるとされ、室蘭港を有望な候補先としていると言われる。実際に2004年2月には、自衛隊イラク派遣のため、室蘭港からおおすみ型輸送艦を使って装甲車両などの機材搬出を行っており[14]、海上自衛隊艦船の寄港も多い。設立総会には、大湊地方隊函館基地隊司令が招待された。
ただし、2011年(平成23年)12月7日の室蘭市議会では、平成10年の自衛艦入港数が15隻あったのが、平成21年には1隻に減少したことが指摘されたが、市側は自衛隊との連携は自衛艦の室蘭港入港促進への積極的な誘致策を行なっていないと答弁している[15]。
脚注
参考文献
- 『世界の艦船』第486号 特集・大湊地方隊(海人社、1994年9月号)
関連項目
外部リンク
海上自衛隊 Japan Maritime Self-Defense Force |
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幕僚機関 | | |
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主要部隊 |
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主要機関 |
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主要基地 | |
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歴史・伝統 |
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その他 | |
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