準天頂衛星システム(じゅんてんちょうえいせいシステム、英語: Quasi-Zenith Satellite System、QZSS)、愛称:みちびきは、日本が運用する衛星測位システムである[1]。アメリカのGPSやEUのガリレオを補完し、日本およびアジア太平洋地域をサービス対象とした地域航法衛星システム(RNSS)として2018年から4機体制でサービスを開始した。
システムは内閣府 宇宙開発戦略推進事務局が構築。2010年9月に初号機QZS-1を打ち上げて技術実証を開始し、衛星3機を追加した4機体制で2018年11月に24時間運用を開始。2025年度末までに衛星3機を追加して7機体制で運用する計画。2030年代に11機体制へ拡張する検討に着手している[2]。
衛星測位システムは、社会インフラストラクチャーとして重要とされ、アメリカ合衆国のグローバル・ポジショニング・システム (GPS) を始めとして、ロシア連邦のGLONASS、欧州連合のガリレオ、中華人民共和国の北斗と、大国や国家連合により、自前のグローバル・コンステレーションシステムの構築が運用、計画されている。GPSシステムの様にグローバルに共有されているシステムもあるが、自前で全地球航法衛星システムを構築することは、精密誘導兵器や大陸間弾道ミサイルの運用において、国家安全保障上の観点から重要である。
特定の1つのシステムだけに依存して、永続的かつ安定したサービス受益を期待することには不安定性が伴う。アメリカのGPSは、本来は軍事衛星専用であったものを段階的に提供精度の向上も含めて公的・民生的用途に拡大した経緯があり、アメリカ政府の意図次第でサービスレベルが変更される可能性が残る。
衛星測位では受信機が4機以上のGNSS衛星からの信号を受信する必要があり、より高精度に測位するには8機以上から信号受信可能な状態であることが望ましい。しかし、日本は山間部やビルが立ち並ぶ都市部も多く、低仰角の衛星が遮られてしまい信号を直接波を受信できない地域が多くある。
日本の準天頂衛星システムではGPS衛星とは異なる軌道の準天頂衛星を3機以上配備し、日本の上空を周回する軌道から測位信号を送信することで、地上から高仰角で観測できる準天頂衛星を、常時1機以上は見通せるようになる。東京都区部では常に70度以上の高い仰角に1機以上の準天頂衛星を見通すことができる。
なお、準天頂衛星システムに対応する以前のGNSS受信機は対応周波数や信号処理アルゴリズムの問題で受信・測位利用することができない[3]。準天頂衛星は高高度軌道にあるので、GPS信号より強い電波を送信する必要がある。
既に米国のGPS以外にも、欧州のガリレオ、ロシアのGLONASS、中国の北斗、インドのNavIC、日本のみちびきの6システム合計100機以上の測位衛星を統合利用が可能な状態で、日本周辺でも常時数十機の衛星信号が捕捉可能である。これにより、衛星機数が不足することにより測位できない状況は減っており、準天頂衛星を高仰角に配置するメリットも減殺されている。ただし、cm級測位に必要な補正情報を民間に無償で配信(日本国内限定)しているのは現状QZSSだけである。
またGPS補正に関しては、現在でも地上局からの補正を併用するDGPSや、静止衛星からGPSの補完・補強を行うWAASやMSAS、EGNOSというプロジェクトも実用化されており、特にMSASは日本が打ち上げたひまわり6・7号により行われるGPS補強システムであるが、例としてMSASは航空機向けのディファレンシャルGPS機能を提供し精度は数メートル程度に留まる。またMSASに使用される衛星のうち2016年末にMTSAT-1Rが運用を終了[4]、残る1機のMTSAT-2だけで運用しておりMSAS自体サービス縮小の方向でもあり、2020年頃から代替としてQZSSの静止軌道衛星からGPS補強システムとして配信する予定である[5]。
人工衛星から直接電波が届かず測位できない地下街や屋内での測位を可能とするために、GPSの信号を中継する機器をビルの屋上に設置することで、ビルの谷間でも測位を可能とするスードライト(疑似衛星)が現在研究されている。準天頂衛星システム自身においても、地上補完システムとしてIndoor MEssaging System (IMES) が考案され、衛星の電波が届かない屋内や地下街は、IMES送信機によって補完するようにIS-QZSSの仕様書で提案されている。
準天頂衛星システムを構成する人工衛星は、静止軌道・準静止軌道のものを含めて準天頂衛星(QZS、Quazi-Zenith Satellite)と呼ばれ[6]、各号機の略称として「QZS-1」や後継機にはRを付して「QZS-1R」と表記される。「みちびき」の愛称はシステム全体を指すだけでなく各衛星機体においても使用される。
衛星運用の第1段階では1機の衛星で技術実証と利用実証を行い、検証を経た後に準天頂軌道上の衛星3機体制の第2段階であるシステム実証に移行することとされ、静止軌道の1機と合わせ4機体制で実用化された。さらに準天頂軌道、静止軌道、準静止軌道に1機ずつ衛星を追加し7機体制で運用する方針[7]。
2010年(平成22年)9月11日に準天頂衛星初号機みちびき (QZS-1) がH-IIAロケット18号機で打ち上げられた[9]。当初は2009年度中の打ち上げを目指していたが、外国からの調達品である原子時計の入手前倒しが不可能となり、2010年8月2日に延期された。その後、みちびきのリアクションホイール(姿勢制御装置)に不具合が見つかったため、さらに延期されていた。衛星開発費は約400億円。
衛星の最終的な質量が決まっていない頃は、衛星が重くなった場合に備えてH-IIA 204を使用する、H-IIA 202でQTO(準天頂遷移軌道)から準天頂軌道に移行する、H-IIA 204でほかの静止衛星と相乗りさせGTO(静止遷移軌道)から準天頂軌道に移行する、などの方法も検討されていた[10]。その後、実績のあるGTOから準天頂軌道に移行することとし[11]、遷移軌道投入のタイミングを地球と太陽の重力関係を利用した時刻に変え、H-IIAの204形態ではなく202形態での打ち上げを可能とし、打ち上げ費用が10億円削減された[12]。
初号機後継機が2021年10月に打ち上げられ[13]、正式運用開始した翌日の2022年3月25日に信号の送信を停止、待機運用に移行し[14]、軌道離脱完了を経て2023年9月15日に運用を終了した[15]。
2017年2月28日にJAXAによる運用を終了し内閣府に移管され、準天頂衛星システムサービス株式会社 (QSS) が初号機の試験運用を開始した[16][17]。
5・6・7号機が運用開始され7機体制が整うと、みちびきがこれまで他GNSSを補完する位置づけだったものが、常にみちびきの信号のみで測位することが可能な持続測位を達成することとなる[32]。また、新規に衛星間測距機能と衛星・地上間測距機能が追加される(後述)ことで測位精度の向上が期待されている[32]。準天頂軌道の5号機よりも先に静止軌道の6号機を打ち上げた経緯は「獲得競争が激しい静止軌道を維持・確保するため」としている[33]。
2025-023A
表の出典[38][39][15][40][32][41][37]
測位衛星では搭載する周波数標準器(原子時計)の精度の高さや安定度が地上受信機の測位精度に直結する性質上、安全保障上の観点から搭載品を自国内で調達することが望ましいとされている[42]。現在運用中の他GNSS衛星プロバイダ国・連合である米露欧中印はいずれも自国製の原子時計を調達・搭載する能力を有している一方、みちびきに搭載されている原子時計は日本国外製のルビジウム原子時計(RAFS)となっている[43]。
みちびき初号機では、計画当初国産の原子時計の搭載を目指しており、NICTによって周波数安定度に優れる方式である能動型水素メーザ原子時計の開発が進められ[44]、エンジニアリングモデルまで製作され衛星搭載に適合したスペックとなる見通しがおおよそ立っていた。しかし、みちびき衛星全体のペイロードとして質量や搭載場所の兼ね合い、設計寿命等で条件が合わず、最終的に国産原子時計の採用は断念されたという経緯がある[45]。文部科学省と総務省は2030年度以降のみちびきに原子時計の代替技術として搭載する、原子時計よりも安定度が高く小型化が可能と期待される「高安定レーザーを用いた時計」の技術開発に着手している[46]。
みちびき初号機には冗長構成として原子時計を2個搭載しているが、うち「原子時計1」では2011年7月に[47]、冗長系としていた「原子時計2」では2012年6月[48]と12月に[49]異常が発生している。原子時計に異常が発生し適切な信号の送波ができない間は、信号にアラートフラグが設定されることで受信機側で測位に使用しない対応がとられる。2017年打ち上げの2号機以降は1機の衛星に原子時計を3個搭載して冗長性を高めている[50]。
みちびき5・6・7号機から高精度測位システム(ASNAV、Advanced Satellite Navigation System)の実証・開発が開始され、そのペイロードが衛星に搭載された。5・6・7号機の打ち上げから3年程度は性能検証等にあてられるため、その間は測位信号の精度向上のためには使用されない。また、機能を搭載していない2・3・4号機と1号機後継機がそれらの後継機によって置き換わり、ASNAVに対応した衛星のみで測位ができるようになると、スマートフォン等の受信機で従来10m程度の測位精度が受信機側のアップデート等を必要とせず1m程度に向上する[注釈 5]と期待されている[51][36]。
みちびき6・7号機には、2020年12月に日米間で交換された相互防衛援助協定に関する書簡に基づいたホステッド・ペイロード協力[55](ホステッド・ペイロードプログラム:QZSS-HP)として、リンカーン研究所で開発され[56]アメリカ宇宙軍 ミッションデルタ2(英語版)によって運用される宇宙状況監視(SSA)センサーが搭載されている。軌道上にある宇宙物体をこのSSAセンサーによって識別し準リアルタイムにアメリカ宇宙軍の宇宙監視ネットワークへ共有される[57]。アメリカ宇宙軍のペイロードが米国外の衛星に搭載されるのは2024年8月に打ち上げられたスペース・ノルウェー社(英語版)の通信衛星ASBM(ノルウェー語版)2機[58]に続いて3機目[59]・4機目(予定)となる。
みちびきのうち準天頂軌道の衛星3機の軌道は、軌道長半径42,164km、軌道傾斜角40度(36 - 45度)、離心率0.075(±0.015)、軌道周期23時間56分である[60]。2号機・4号機・1号機後継機の昇交点赤経は互いに120度前後ずれる位置関係にあり、交代しながら少なくとも1機が日本の上空に留まるよう配置されている。また、近地点引数が270度(軌道のうち最も南側を通過する時に地球と最接近する)に設定されており、南側を通る間は対地速度が速く、北側を通る間は対地速度が遅くなるため、日本から見て高仰角の位置に長い時間留まるように見える。軌道の水平面が「8の字」のように東西に動いて見えるのは意図的に離心率が設定され衛星高度の周期変化を伴う楕円軌道であるためである。
3号機は東経127度の静止軌道から運用する[22]。
7号機で予定している準静止軌道は、静止軌道よりもわずかに軌道系射角と離心率がある軌道であり、地上から見て一定の相対位置の変化があるため軌道推定の点で有利であるとしており、軌道制御の頻度が少なくなることでサービス中断の機会も減らせると考えられている[60]。
サービス領域は日本を含むアジア・オセアニア全域であり、その地域ではGPSやGalileoに加えて準天頂衛星からの電波も受信可能であるため、衛星測位の信頼性が向上することが期待されている。
みちびきはGPSやGalileoで使用する周波数を使用し、特にGPSとは高い相互運用性を持つよう設計されている[61]。みちびきが使用する各電波の中心周波数は以下の通り。
L2信号は、受信機がL1CとL5信号を利用するトレンドを受けて廃止する方針としておりQ5・Q6・Q7には搭載していない。一方、自動車向けの受信機にL2Cを使用するものがあることから2040年頃まで互換性を維持するためにQ2R・Q3R・Q4R・Q8・Q1RR・Q9[注釈 6]からは送信される計画である[43]。
みちびきでは受信機の測位精度を向上させる補強信号を複数種類配信している[61]。なお、受信機で補強情報を利用するにはGPS衛星と互換性のあるみちびき(QZSS)の衛星測位サービス(PNT)の電波を利用可能なだけでなく、補強サービスに対応している必要がある。2025年1月時点で市販のスマートフォンに対応機種はない[62]。
みちびきの他にも2020年3月から中国BeiDouが中国とその周辺地域で利用可能な水平30cm精度となるPPP-B2bを[64][65]、2023年1月から欧州Galileoが全世界で水平20cm精度となるHASを[66]開始しており、その他のGNSSを含めて補強信号のサービス計画や対応地域の拡大、精度向上が予定されている[43]。
GNSSシステムが公式に配信する放送型の信号を利用する以外にも、インターネット(モバイル回線等)経由で契約者向けに補強情報を配信する民間事業者によるネットワーク型RTKサービスや、ユーザー自身が固定局を設置したり一般に公開されている「善意の基準局」と呼ばれる基準局[67]を利用したRTK測位でセンチメートル級の測位精度を得る方法がある。
2020年4月から、航空機向けの補強信号SBASの日本版であるMSAS[注釈 8]“FAQ(よくある質問)”. みちびき(準天頂衛星システム). 2025年2月8日閲覧。</ref>。7機体制では3号機に加えて静止の6号機・準静止の7号機からも配信する予定である[43]。2010年から実施されていた実証実験ではL1-SAIFという名称で配信された[68][69]。元々2007年9月以降、国土交通省(航空局・気象庁)が運用するMTSAT1R、2(気象衛星ひまわり6号・7号)からMSAS[注釈 9](V1)が配信されており[70]、配信衛星がみちびきになってからも引き続き国土交通省航空局が信号を生成している。航法統制局(MCS)は主局が常陸太田、バックアップ局が所沢にある[70]。
気象庁の発表する防災情報(津波、地震、洪水、火山噴火)とJアラート(ミサイル情報等)、Lアラート(避難情報等)を配信する。2025年4月からアジア・オセアニア地域の国がみちびき経由で自国向けに災害情報を配信できるサービスが開始する[61]。L1S信号を使用する[71]。
災害時に孤立したり携帯電話が不通となった避難所等から専用通信端末を使ってテキストデータを送信し、みちびきを経由してみちびき管制局、その先の防災機関に避難所の状況や安否情報等を送信可能なサービス[72]。行政向けの情報が共有される他、個人利用者には内閣府の情報サイトで避難所情報や公開設定にされた個人の安否情報を検索可能。ただし利用自治体は限定的で山梨県、熊本県のほか48の区市町村と一部にとどまっており[73]、2024年6月までに利用実績はない[43]。S帯信号を使用する。
内閣府は現行システムを3号機が稼働する2033年まで維持しつつ、Starlink等の衛星通信サービスの普及など情勢を鑑み、災害利用時の実態やニーズを踏まえて、他組織への移管の可能性を含めて発展的に見直す方針としている[2][43]。
第三者による偽のGNSS信号を使用したスプーフィングを防ぐ情報として2024年4月1日にサービス開始。電子署名データをみちびき衛星から配信し、受信機側で予め入手した公開鍵を使って真正な信号であることを確認できる民生向けサービス。みちびきの電子署名は各搬送波に含め、GPSとGalileoの電子署名はみちびきのL6E信号で配信される[61]。
安全保障向けに秘匿・暗号化された公共専用信号の配信が予定されている。防衛省と海上保安庁に限定した利用を想定しており、2025年打ち上げの5号機・6号機・7号機から開始し、2周波で配信される予定[43]。ジャミング、スプーフィングに加え、従来手法では対策が難しいとされてきたミーコニング(英語版)[注釈 10]への耐性を持つ[33]。