原子時計(げんしどけい、英: atomic clock)は、原子や分子のスペクトル線の高精度な周波数標準のエネルギー準位に基づき最も正確な時間を刻む時計である。高精度のものは10−15(3000万年に1秒)程度、小型化された精度の低いものでも10−11(3000年に1秒)程度の誤差である。
原子時計に基づく時刻系を原子時と呼ぶ。現在のSI秒および国際原子時(英: International Atomic Time)は原子時計に基づく。
原子や分子はスペクトル吸収線・輝線(決まった周波数の電磁波を吸収・放射する性質もしくはその周波数)を持ち、水晶振動子などよりも高精度な周波数標準となる。周波数は時間の逆数であるから、時間を高精度で測定できる。SI秒の定義もこの性質を利用している。
原子時計は、このような周波数標準器と超高精度の水晶振動子によるクォーツ時計とを組み合わせ、その水晶振動子の発振周波数を常に調整・修正する仕組みによって実現される。
原子時計を元に作られた正確な時刻情報は標準電波として放送されており、その電波を受信してクォーツ時計の誤差を修正しているのが電波時計である。
原子時計には、次のような様々なタイプがある[1]。
マイクロ波時計の一種である。アンモニアやセシウムの他にルビジウムや水素なども用いられるが、セシウム原子時計の例について述べる。まず炉から放射されたセシウム133の蒸気を、磁場によって超微細準位の異なる2つに分離する。分離されたうち基底状態の原子に水晶振動子を基準として 9192631770 Hz のマイクロ波を照射し、これによって励起された原子に再び磁場をかけて分離する。励起状態のセシウムの量が多くなるよう周波数を調整し、正確な 9192631770 Hz のマイクロ波を作り出す。1967年から、国際的な1秒の定義となっている。誤差は1億年に1秒(10−15)程度とされている。最高精度を実現しているのは1次標準の数台に限られており、多くは少し精度の低い商業的に作られた2次標準を用いている。
レーザーを使って原子を光格子に捕捉するアイデアはロシアの物理学者Vladilen Letokhovによって1960年代に提唱された[3]。原子時計の脱進機のためのマイクロ波から光波(計測はより難しいが性能はより高い)までの波長域についての理論はジョン・ホールとテオドール・ヘンシュによって開拓され、2005年にノーベル物理学賞を受賞した。2012年にノーベル物理学賞を受賞したデービッド・ワインランドは高い安定性の時計を開発するための捕捉された単一イオンの性質を探求したパイオニアであった[4]。最初の光時計はNISTのJun YeやAndrew Ludlowによってストロンチウムを用いて2000年に開発が始められ、2006年に発表された[5]。
フェムト秒周波数コムと光格子の開発は原子時計を新世代へと導いた。これらの時計はマイクロ波よりも可視光を放出する原子遷移に基づいている。光時計の開発の主な障壁は光周波数の直接計測の困難さにある。この問題はフェムト秒周波数コムと呼ばれる自己参照型モード同期レーザーによって解消された。2000年に周波数コムが開発される以前は、テラヘルツ技術が電波と光周波数のギャップを埋めるために必要とされていたが、そのシステムは煩雑なものだった。しかし、周波数コムが洗練されたことで、この計測の可用性は大幅に上がり、世界各地で数々の光時計が開発される道を開いた[6]。
電波の波長域では、吸光分光法が発振器(この場合レーザー)を安定させるために用いられる。光の周波数がフェムト秒コムを用いて可算的な電波周波数に分割される際、位相ノイズの帯域幅も同じ因子によって分割される。レーザー位相ノイズの帯域幅は安定なマイクロ波源よりも一般的に大きいが、分割後にはより小さくなる[6]
光周波数を用いた原子時計の主要な標準システムは以下のものがある:
これらのテクニックは原子やイオンを外部の摂動から高度に隔離し、非常に安定な周波数基準を実現する[9][10]。レーザーおよび磁気光学トラップを用いて原子を冷却することで、精度の向上が得られる[11]。
捕捉原子の候補としては、Al+, Hg+/2+,[7] Hg, Sr, Sr+/2+, In+/3+, Mg, Ca, Ca+, Yb+/2+/3+, Yb and Th+/3+.[12][13][14]がある。原子時計の電磁放射線の色はシミュレートされた元素に依存する。例えば、カルシウム光時計は赤色光が産出された際に共鳴し、イッテルビウム光時計は紫色光で共鳴する[15]。
レーザー光の干渉定在波によって作られた光格子の中に、ストロンチウム原子約100万個をラム・ディッケ束縛により閉じこめる(原子間相互作用を排除することにより、単一原子時計100万台と等価)。光格子に閉じ込めるために原子を数μKまでレーザー冷却する。ラム・ディッケ束縛によりドップラーシフトおよび反跳シフトの影響を排除できる。さらに、光格子を構成するレーザーの波長を適切に選定する(魔法波長(~800 nm)あるいは魔法周波数(~375 THz)と称する)ことにより、ストロンチウム原子の時計遷移の基底状態および励起状態における光格子レーザーに起因するエネルギー準位のシフト(光シフトと称する。その量は時計遷移の基底状態、励起状態の両者において、光格子レーザー周波数 320〜420 THz に対し遷移周波数換算 −100〜−200 kHz 程度)の差[注 1]をほぼゼロとすることが出来るため、光シフトの影響が極めて少ない(魔法周波数を9桁の精度で決めてプロトコルとして共有し、18桁の計時精度を実現する)。2001年東京大学の香取秀俊[16](2011より理化学研究所主任研究員兼務)によって提唱され[17]、2003年に基礎実験に成功[18]し、2005年に開発に成功[19]した。セシウム原子時計を超える原子時計として期待されている[20][21]。「周波数コム」(光周波数コム。レーザー光を利用して光の周波数を精密に測定する仕組み)を使い、より高い周波数(マイクロ波ではなく光波)の使用により安定度を上げる。
理論的にはセシウム原子時計の1000倍の「300億年に1秒」の精度がある。2009年現在16桁の精度が実現している(429228004229873.7 Hz)。2006年10月の国際度量衡委員会で、「秒」の二次表現(秒の新しい定義の候補)として採択された[22]。
2013年[23]、香取はストロンチウム原子分光(中空フォトニック結晶ファイバ中)に成功した。共鳴周波数幅は 7.8 kHz であった[24][25]。
2015年2月、香取、高本将男らは、ストロンチウム光格子時計2台を比較することにより、10−18前半の精度を確認したと発表した[26][27]。
ストロンチウム光格子時計をしのぐ精度をもつ可能性のあるものとして、イッテルビウム171光格子時計の開発が進んでいる。産業技術総合研究所計測標準研究部門時間周波数科の洪鋒雷・研究科長、安田正美・主任研究員らの開発による。黒体輻射や核スピンの影響が少なく精度が高いと考えられている。2010年現在の周波数は、518295836590864±28 Hz(2009年測定、60万年に1秒ずれる精度)である[28]。その後、装置の改善などを行い、2012年現在の周波数は、518295836590863.1±2.0 Hz(2012年測定、相対不確かさ=3.9×10-15)[29]。2012年10月の国際度量衡委員会で、秒の二次表現(秒の新しい定義の候補)として採択された[30]。
1949年、アメリカ国立標準局においてアンモニアの吸収線を用いた原子時計が物理学者ハロルド・ライオンズによって発明された[31][32]。またアメリカで発明され、イギリス国立物理学研究所(NPL)のルイ・エッセン(英語版)らによって開発されたセシウム原子時計は1955年から1958年まで国際原子時(TAI)を刻み実用化第1号となった。その後、1967年の第13回国際度量衡総会において現在用いられている国際単位系(SI)の秒の定義「セシウム133の原子の基底状態の2つの超微細準位の間の遷移に対応する放射の周期の 9192631770 倍に等しい時間」[33]が決定された。1991年12月にヒューレット・パッカードが発表したセシウム原子時計HP 5071Aの誤差は160万年に1秒としてギネスブックに「最も正確な時計」として認定されていた[34]。2011年8月の発表によると情報通信研究機構(NICT)と東京大学が独立に開発した原子時計を超高精度光伝送技術を用いて結び、6500万年に1秒(16桁)の精度を確かめた[35][36]。米国には70億年に1秒の精度とされる原子時計がある[37]。
原子時計が進歩したため、地球の自転による一日の長さ(LOD:Length of Day)を正確に計測することが可能になった。1秒の長さは、1820年頃のLODに基づいて定義されていたために、セシウム原子の遷移の歩度(9192631770周期)による秒の定義とは合わなくなった。そのため何年かに1回閏秒を挿入して時間調整をしている。