枡野 浩一(ますの こういち、1968年9月23日 - )は、日本の歌人、詩人、小説家、エッセイスト、芸人[1]。タイタン所属。
2006年に佐々木あららと共に執筆した青春小説『ショートソング』は約10万部のベストセラーとなり、小手川ゆあによって漫画化もされた。
コピーライター、フリーライターを経て、1997年に歌人としてデビュー。口語短歌が主な作風[2]で、これは糸井重里に「かんたん短歌」と命名され[2]、「マスノ短歌」と呼ばれている。高校国語教科書(明治書院・大修館書店)に短歌掲載中。結社や同人に所属しないため、歌人としては異端視されることが多い(当人もかつては「特殊歌人」の肩書きを使用していた)。明石家さんまのテレビ番組における「踊る!ヒット賞」が唯一の受賞経験。
当人が「世界一売れている現役男性歌人」と称するように多くの支持層を持つ。特に若者に支持されている[2]。
短歌以外にも現代詩、作詞、漫画評、演劇評、エッセイ、小説など様々なジャンルで作品を発表している。 元妻は漫画家の南Q太。芸人トリオ「詩人歌人と植田マコト」の元メンバー[3]。芸人活動休止後は漫画家の古泉智浩とポッドキャスト番組「本と雑談ラジオ」のパーソナリティとして活動。ババロア研究家。阿佐ヶ谷「枡野書店」店主。
作歌活動の他、新人歌人のプロデュースや短歌の公募添削、短歌をテーマとした小説の執筆など多方面で活動。テレビ番組やCM、映画などに出演。高見広春の小説『バトル・ロワイアル』[4]、猫田道子の小説『うわさのベーコン』[5]が太田出版からそれぞれ刊行されたのは枡野の紹介によるもの。南と離婚に至るまでの経緯とその後は著書『あるきかたがただしくない』『結婚失格』などに詳しく記されている。
工学博士・枡野邦夫(1935年-、石川県出身。日本電信電話公社(現・日本電信電話)研究所で光ファイバ/光ケーブル研究者)の長男として、東京都杉並区西荻窪に生まれる[6]。その後茨城県水戸市に転居の後、小学5年で東京都小平市に再度転居した[7]。
1987年3月、東京都立小金井北高等学校を卒業し、専修大学経営学部に入学。当時所属した文学サークルの後輩には宇田川寛之(現・短歌人編集委員)がいる。
大学中退後、『シンプジャーナル』誌上の作詞コンテストに投稿し、ベスト1にたびたび選ばれた[8]。また、雑誌『現代詩手帖』にも投稿して入選した[8]。
1989年から2年間リクルートでコピーライターとして活動する[9]。リクルート退社後、『ロックンロール・ニューズメイカー』の佐伯明主宰の「音楽ライター養成ギブス・ます目ディア」に投稿したことをきっかけに、1991年から同誌で音楽ライターとしての活動を開始する[9]。また、漫画評論家としても活動をおこなう。
1995年6月、第41回角川短歌賞において応募作品「フリーライターをやめる50の方法」が審査員5人中4人の最高得票ながら落選し、最終候補にとどまる。これが雑誌やテレビなどに取り上げられ話題となる[2]。10月、詩集『ガムテープで風邪が治る』を刊行した。
1997年9月、初の歌集である短歌絵本『てのりくじら』『ドレミふぁんくしょんドロップ』を同時刊行。12月、『CUTiE Comic』(宝島社)に「マスノ短歌教」を連載開始。この連載を期に、漫画家の南Q太と結婚に至る(2000年元日入籍)。
2000年5月、NHK『スタジオパークからこんにちは』に「かんたん短歌塾」講師として出演した。この年、長男が誕生する。
2003年5月、荻原裕幸責任編集の短歌雑誌『短歌ヴァーサス』(風媒社)創刊号にて特集「枡野浩一の短歌ワールド」が組まれる。8月、南Q太と離婚した。
2004年、映画『恋の門』に河井克夫とともに出演した。
2006年10月、CHINTAIのテレビCMで加藤あいと共演する。
2008年、自身が出演する短編映画『バイバイと鳴く動物がアフリカの砂漠で昨夜発見された』を監督した。
2009年10月、五反田団の演劇「生きてるものか」にオーディションを経て出演した[10]。
2011年11月22日 日本テレビ系『踊る!さんま御殿!!』に出演。「踊る!ヒット賞」を獲得。
2012年 阿佐ヶ谷に枡野書店をオープン。本当の書店ではなく、自身の仕事場兼多目的フリースペース。トークイベント、講座などが不定期で開催されている。
2013年4月、高校国語教科書(明治書院)に短歌が掲載される。4月2日、ダンサー・振付家である木皮成とのお笑いコンビ「ゾロメガネン」を結成するが、8月にはコンビとしての活動は中断した(正式に解散・休止などはしていない)。9月20日、テレビ東京『たべるダケ』第11話に古本屋の店主役で出演する。9月25日、詩のボクシング第3回チャンピオンである本田まさゆきと芸人コンビ「詩人歌人」を結成。その後、植田マコト(元うえはまだ)が加入し、芸人トリオ「詩人歌人と植田マコト」となる。
2015年6月20日、文筆業に専念するためSMA NEET Projectを退社した(本田と植田はコンビ「すっきりソング」での活動を経て、現在は別々に芸人活動を継続中)
2016年『愛のことはもう仕方ない』の刊行を記念し、対話シリーズ「心から愛を信じていたなんて」をスタート。紫原明子、植本一子、加藤千恵、中村うさぎ・二村ヒトシ、小谷野敦、町山智浩・水道橋博士・古泉智浩、利重剛、西牟田靖らと対談・座談会を開く。
2017年 20周年を記念して「世界初、Tシャツ歌集を作りたい!」のクラウドファンディングを実施し、目標金額の370%に上る寄付を集めて達成した[11]。また、赤坂レッドシアターにて「西野亮廣と西野を嫌いな4人の男たち」に出演した(ほかに、西野亮廣、村上健志、大井洋一、森田哲矢が登壇)。
2018年 いとうせいこう連続企画「今夜、笑いの数を数えましょう」の4人目のゲストとして参加する(第1回倉本美津留、第2回ケラリーノ・サンドロヴィッチ、第3回はバカリズム升野英知)[12]。
2019年8月、毎日新聞に内田かずひろの絵と組んだ童話『みんなふつうで、みんなへん。』全30話を連載する。
2020年 NHKラジオ「NHKジャーナル」で定期的に「ニュースで短歌」コーナーの講師を担当する[13]。
2022年 テレビ東京 「ワールドビジネスサテライト」でなぜいま短歌が“バズる”のか現代短歌の第一人者として生出演。「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集」紹介。
2023年よりタイタンの学校に6期生として通学し、お笑い芸人「歌人さん」としてタイタンに所属している[14][15]。