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東山 親雄(ひがしやま ちかお、1943年5月15日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
高松第一高校では、1961年夏の甲子園予選北四国大会準決勝に進むが、松山商の山下律夫に抑えられ敗退。
卒業後は亜細亜大学へ進学。入学時の亜大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが、1964年秋季リーグに初の一部昇格を果たす。1966年秋季リーグでは森永悦弘(日本楽器)とバッテリーを組み、大橋穣とともに打線の中軸となり初優勝を飾る。同季のベストナイン(捕手)にも選出された。一部リーグ通算66試合出場、209打数42安打、打率.201、2本塁打、25打点。
1966年第2次ドラフト会議で広島カープから3位指名を受け入団。初の亜大出身プロ選手となる。1年目は鵜狩道旺とのバッテリーでウエスタンリーグで初となる完全試合をサポート。一軍でもマスクを被るが、田中尊、久保祥次の壁を越えられず、レギュラーには届かなかった。
1974年に引退後は球団でスコアラーや寮長を務めた。
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