東宮下(ひがしみやした)は、埼玉県さいたま市見沼区の町丁および大字。現行行政地名は東宮下一丁目から東宮下三丁目および大字東宮下。住居表示未実施地区[4]。郵便番号は337-0012[2]。本項では、かつて同地域に存在した北足立郡東宮下村(ひがしみやしたむら)についても記す。
さいたま市見沼区東端部に位置する。西で新堤、東門前および風渡野に、北で宮ヶ谷塔に、南で大谷および膝子に、東で岩槻区加倉および同谷下に隣接し、概ね綾瀬川の右岸に位置する。町域の中央部に大宮台地が南北に細長くあるほかは、主に低地となっている[5]。
埼玉県道65号さいたま幸手線が縦断し、南部を埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線が通過する。
住宅地と農地が混在し、概ね埼玉県道65号さいたま幸手線以東が東宮下一丁目 - 三丁目で、その他が大字東宮下である。また、見沼代用水東縁の直下には活断層の綾瀬川断層が存在することで知られている。
かつては武蔵国足立郡南部領、古くは風渡野郷堀崎荘に属していたという[7][8]。江戸時代初期、寛永年間(1624年 - 1645年)に、風渡野村から分村した宮下村が前身[7]。宮之下・宮ノ下とも称した。同時期、当村から中里村が一旦分村したが、元禄期には当村に含まれ小字となっている。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では338石余(田7町余、畑16町余)、『元禄郷帳』では529石余、『天保郷帳』では691石余であった[7]。助郷は日光御成街道岩槻宿に出役していたが、同大門宿や中山道大宮宿にも代出役していた[7]。化政期の戸数は67軒で、村の規模は東西10町、南北12町余であった[7]。地理的に河川に近いため、度々堤防の決壊被害や大水に見舞われていたという[7]。
諸説あるが、宮下村の字原口の氷川神社の南に、字宮ノ下に今は無き宝光院が存在した、このお寺の下に位置したことから。
2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は、以下のとおりである[1]。
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下のとおりとなる[18]。
地内に鉄道路線は通っていない。最寄り駅は地点によって異なり、東武野田線(東武アーバンパークライン)の七里駅、または同岩槻駅である。
大和田町 | 島 | 島町 | 砂 | 砂町(二丁目) | 堀崎町
春岡 | 東大宮
加田屋 | 加田屋新田 | 片柳 | 片柳東 | 上山口新田 | 笹丸 | 新右エ門新田 | 染谷 | 中川 | 西山新田 | 西山村新田 | 東新井 | 御蔵 | 南中野 | 南中丸 | 見山 | 山
大谷 | 新堤 | 蓮沼 | 東宮下 | 東門前 | 膝子 | 風渡野
卸町 | 小深作 | 春野 | 深作 | 丸ヶ崎 | 丸ヶ崎町 | 宮ヶ谷塔