片柳(かたやなぎ)は、埼玉県さいたま市見沼区の町名および大字。現行行政地名は片柳一丁目・片柳二丁目および大字片柳。住居表示未実施地区[5]。本項では、関連地名である片柳東(かたやなぎひがし)についても扱う。郵便番号は片柳が337-0024[2]、片柳東が337-0023[3]。
地理
さいたま市見沼区の東部に位置する。舌状の大宮台地に見沼田園からの低地が開析谷を形成して複雑に入り組む[6]。地区の南部に片柳一丁目および片柳二丁目が、東部に片柳東が、北部に大字片柳が存在する。周辺大字とは境界が複雑に入り組み、大字山に大字片柳のごく小さな飛地が複数ある。全域が市街化調整区域[7]に指定されている農業地域で農地が多い。片柳一丁目・二丁目の南部と丁番を持たない単独町名の片柳東は見沼田んぼの一部で、現在も農地として利用されている。東端を加田屋川が流れる。
至近に駅はないが、大宮駅や浦和駅までの路線バスおよびさいたま市見沼区コミュニティバスが通っている。
縄文時代前期の根木王貝塚と称する縄文遺跡がある。また、江戸期の古い民家もところどころに見られる[6][8]。かつては赤山柿と称される柿渋の産地でもあり、柿の古木も見られる。
歴史
かつては江戸期より存在した武蔵国足立郡見沼領に属した片柳村、古くは太田荘に属した片柳村であった[6]。また、さらに古くは南北朝期より見出せる片柳郷であった[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では263石余(田55石余、畑208石余)、『元禄郷帳』では140石余、1796年(寛政8年)では片柳新田分およそ500石が高入され656石余であった[6]。助郷は日光御成街道大門宿に出役していたが、寛保・宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた[6]。化政期の戸数は126軒で、村の規模は東西13町、南北10町であった[6]。
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月1日時点の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目・大字 |
世帯数 |
人口
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片柳一丁目
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174世帯
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409人
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片柳二丁目
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57世帯
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144人
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大字片柳・片柳東
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851世帯
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1,873人
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計
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1,082世帯
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2,426人
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小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区(校区)は以下の通りとなる[17]。
交通
鉄道
地内に鉄道は敷設されていない。
道路
バス
- 国際興業バス
- さいたま東営業所
- 大01:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和大学入口 - 浦和美園駅西口
- 大02:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和学院高校
- 大02-2:大宮駅東口 - 氷川参道 - 自治医大医療センター入口 - 片柳支所 - 浦和学院高校《新道経由》(平日および土曜の夜間のみ4本)
- 大02-3:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 浦和東高校(平日の午後のみ3本)
- 大03:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - 染谷折返場(平日の朝夕のみ)
- 大81:大宮駅東口 - 氷川参道 - 芝川新橋 - 日大前 - 片柳支所 - さいたま東営業所
(大宮駅東口→さいたま東営業所に深夜バスも運行・平日4本、土曜および日曜/祝日各1本)
- 浦08-2:浦和駅東口 - 駒場運動公園入口 - 浦和パークハイツ - JA埼玉三室前 - 市立病院 - 南台 - 上山 - 染谷新道 - 野田宝永 - さいたま東営業所
- さいたま市コミュニティバス
- 見沼区コミュニティバス : 国際興業バスさいたま東営業所に運行を委託
- さぎ山ルート:大谷県営住宅 - 七里学校前 - 大谷中学校 - 大和田駅 - 見沼区役所 - 七里駅西 - 大谷県営住宅 - 片柳コミュニティセンター - 染谷南 - さぎ山記念公園(構内)
- 沖郷ルート:大谷県営住宅 - 七里学校前 - 大谷中学校 - 大和田駅 - 見沼区役所 - 七里駅西 - 大谷県営住宅 - 片柳コミュニティセンター - 染谷南 - 沖郷会館
施設
- 大字片柳
旧坂東家住宅(安政4年建立)
- 片柳一丁目
- 萬年寺
- 見沼キリスト教会
- 三崎稲荷大明神
- 沖郷会館
- 若林公園
- 片柳二丁目
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク