『手塚治虫の旧約聖書物語』(てづかおさむのきゅうやくせいしょものがたり)は、日本とイタリアの合作によるテレビアニメ作品。
旧約聖書のアニメ化であり、『青いブリンク』『ジャングル大帝』『森の伝説』と並ぶアニメにおける手塚治虫の遺作の一つである[2][3]。アニメ制作は手塚プロダクションが手掛けた。
企画の発端は、日本テレビのプロデューサー岡田晋吉が当時来日していたイタリアの国営放送協会RAIの幹部に天正遣欧少年使節の伝記を大林宣彦監督で映画化する企画の共同製作を打診したところ、逆にRAIから旧約聖書の世界を手塚治虫によるアニメで表現するという企画を持ちかけられたことに始まる[4]。RAIは日本テレビの24時間テレビアニメの輸入放映の実績があり、手塚アニメの認知度はイタリアでも高かった。最初手塚は日本のクリスチャンでもない自分が聖書をアニメ化して問題ないのかと躊躇したが、RAI側が手塚のアニメ技術を信頼しているので個人の思想による自由な解釈で構わないとしたことで、手塚も快諾した[5]。RAIと日本テレビ放送網との共同製作となり、手塚は全体の構成と製作総指揮のスタッフに就任し、1984年11月16日に製作発表がなされ、実際のアニメ制作は手塚プロダクションが担当する形でスタートした[6]。
キリスト教の入門の役割を担い、全世界での放映を前提に製作が進められた[3]。1985年には手塚治虫のマンガ家生活40周年記念事業の一環として、『火の鳥』ミュージカル化や『ファウスト』の劇場版アニメ映画化とともに打ち出された[7]。1987年時点の手塚治虫は、翌年秋から欧米で放送されるだろうと見通しを語っていた[8]。日本とイタリアとの共同製作ということもあり、世界放映を目指して入念なチェックがなされ、国の違いによる時代考証の問題や解釈の違いもあって製作は難航。聖書という素材のため資金が集まらない日本側の事情からも製作は遅延して、パイロットフィルムの完成までに2年。全26話の完成までに9年の時間を要した。その間の1989年に手塚は死去。生前に完成したフィルムは第4話までで、そのうち第3話はパイロットフィルムの流用である、手塚の死去後は出崎統が引き継いで完成させた。初号は英語版のため日本語版を製作するのにさらに数年を要している[3][4][5][6]。
日本の通常のテレビアニメの倍以上のセル画枚数となる1万枚が使われ、RAIとともに作品の全権利を取得した日本テレビは通常のアニメの4倍から5倍の出資をした。RAI側がヨーロッパでの権利を、日本テレビ側がそれ以外の地域での権利を握って番組販売していくこととなり、1996年時点でアメリカへビデオ化権が売れたという[9]。しかしキリスト教になじみの薄い日本では、ビデオ販売こそそこそこと健闘したものの、製作した当の日本テレビでは放送を見送って、1997年にWOWOWで放送される形で苦戦した。自身がキリスト教徒というプロデューサーの岡田晋吉は、続く新約聖書のアニメ化への意欲を示していた手塚の遺志を継ぎたいと語っている[4]。
1997年4月1日から1997年5月9日までにWOWOWにて全26話が放送された。また、2001年10月5日からBS日テレで再放送されている。
1997年5月から9月までに東芝デジタルフロンティアよりDVD全9巻が発売されている。各巻3話収録。
1998年2月から3月までにバップよりVHS全6巻が発売されている。各巻4〜5話収録。
2018年10月に手塚治虫生誕90周年を記念して、教文館より豪華解説本付き・9枚組のDVD BOXが発売された。
テレビアニメのフィルムを漫画のようにコマ割りして台詞のふきだしとオノマトペをつけたもので、いわゆるフィルムコミックである。1994年に全3巻で集英社より発売されている。
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