大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京都府[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
京都府立桃山高等学校卒業後、1955年に毎日オリオンズに入団[1]。
大友工(巨人)ばりのシュートとスライダーを投げ、スタミナもあったので、新人にして開幕一軍入りを果たした。同年4月23日の大映スターズ戦(駒澤野球場)でデビューを果たした。しかし、6試合に登板したが勝利を挙げることができず、1957年に退団した[1]。
プロ野球退団後は、社会人野球に転じ、富士製鐵広畑に入団。都市対抗野球大会に4回出場(うち1963年の大会では松下電器の補強選手として出場)した。1961年の都市対抗では準々決勝でエース田中勉を擁する東洋高圧大牟田を再試合の末に降す。準決勝に進むが日本石油の佐々木吉郎、杉本和喜代の継投に抑えられ敗退。3位決定戦でも大昭和製紙の金沢宏と投げ合い完封を喫するが、チームを4位に導く活躍で小野賞を受賞[2]。1964年の産業対抗も、決勝で大昭和製紙に敗れ準優勝にとどまるが、敢闘賞を獲得した。
詳細情報
年度別投手成績
年度別打撃成績
背番号
脚注
- ^ a b c プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、310ページ
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
関連項目
外部リンク