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十川 雄二(そがわ ゆうじ、1983年7月1日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手(外野手、投手)。叔父に元プロ野球選手の田辺修がいる。
小学校3年時に貞光クラブで野球を始め[1]、貞光中学校3年では県大会出場[1]。池田高等学校では2年春県大会で26回連続無失点[1]。2002年にドラフト5巡目で巨人に入団。背番号は95。チームに同姓の十川孝富がいたことから、スコアボード表記は十川雄。左スリークォーターからの鋭い変化球を武器にプロ入り2年目の2003年には6試合に登板している。
2004年7月28日から二軍監督の高橋一三の勧めで俊足(50メートルは5秒68[2])と強肩を生かし外野手に転向。しかし野手転向後に一軍出場はなく、2006年オフに戦力外通告を受ける。球団からは育成選手契約の誘いを受けており[2]、ロッテからは外野手として獲得の打診もあったが[2]、12球団合同トライアウトに左利きの利点を生かして投手として参加した。トライアウト参加者の中では屈指の成績を修めた[2]が、獲得する球団はなく現役を引退した。
引退後は医療や介護を専門とした出版社「日本医療企画」に勤務していたが、退社した[2]。退社後は小野剛の紹介で小野が石井貴と共同経営している都内の焼肉店ベイサイド東京牧場に勤務している[3]。のち前田幸長に誘われ、都筑中央ボーイズのコーチも務める[3]。現在は狭山西武ボーイズの投手コーチ[4]。