この項目では、福岡県北九州市小倉北区に本社を置く百貨店について説明しています。その他の用法については「井筒屋 (曖昧さ回避) 」をご覧ください。
井筒屋小倉本店(北九州市小倉北区 、2009年1月)
井筒屋八幡店(後の黒崎店移転前)の屋上遊技場(北九州市八幡西区 、1969年7月)
井筒屋黒崎店(北九州市八幡西区 、2017年 2月時点の写真、2020年 8月に閉店)
株式会社井筒屋 (いづつや、英 : IZUTSUYA CO.,LTD. )は、福岡県 北九州市 を地盤とする百貨店 。日本百貨店協会 加盟。
政令指定都市 である北九州市において百貨店事業を展開する唯一の事業者 (事業グループ)であり、過去に北九州市で営業していた他社の競合百貨店は、全て同市から撤退・閉店している。
概要
1935年 7月 、小倉 市長 で旅館「梅屋」主人だった神崎慶次郎と、門司市 (現・北九州市 門司区 )で呉服店 「井筒屋」を経営していた住岡由太郎との、共同出資により設立された。建物の敷地は梅屋の土地を充当し、社名は井筒屋の屋号を継承。更に設立にあたっては九州電気軌道 (後の西日本鉄道 )の出資を仰いだ。1936年 10月 に小倉本店が開店した。このような経緯があるため、かつては西鉄グループ に属していた。なお、現在も西日本鉄道(西鉄)は9.2%の株式 を保有する大株主 である。
三越伊勢丹グループ 主導の全日本デパートメントストアーズ開発機構 (A・D・O)に加盟しており、百貨店形態の直営店として、本店(北九州市小倉北区 船場町)の他に、山口県 山口市 で関連会社により店舗を運営している。かつては黒崎店(同市八幡西区 黒崎 )など福岡県内外に複数店舗があった。現在福岡県内を中心に進物、婦人衣料雑貨など限られた商品を扱う小店舗を展開しており、その多くが大型量販店に併設または隣接したサテライトショップである。
1号店として黒崎店に近接して設けた大型書店 「井筒屋ブックセンター」はその後、馬借駐車場再開発に合わせた小倉店オープンの際「ブックセンタークエスト 」に名称変更。のち別法人化して独立後、地場書店チェーンの積文館書店 (福岡市)に株式を売却(後に同社が吸収合併)して井筒屋グループから離脱しており、現在は井筒屋や西鉄とは無関係な場所での店舗展開も行っている。
2004年 2月に小倉そごう 跡に開業した小倉伊勢丹 にも30%出資し、持分法 適用会社となっていたが、商圏 競合による売り上げ不振・共倒れ状態防止の観点から、伊勢丹持分の株式を備忘価額 の1株1円で全て買い取り[ 8] [ PR 1] 、2008年 4月1日 に「株式会社コレット井筒屋」(新店名「COLET IZUTSUYA 」)に商号 変更して再開業した[ 9] 。伊勢丹とは、小倉伊勢丹開業を機に全国に先駆け情報システムを統合するなど関係を強化していた[ 10] こともあり、大きな混乱なく移行させることができたとみられている[誰によって? ] 。2009年 (平成21年)3月11日 には、井筒屋本店との棲み分けを図るために改装し、新店名「コレット」に改称した[ 11] 。
福岡市における事業
1966年に開業した福岡市 のJR九州 博多駅 博多口の駅ビル 「博多ステーションビル」で関連会社の博多井筒屋 が営業していたが、2007年3月31日で九州新幹線 博多駅延伸に伴うJR九州による博多駅再開発のため閉店した[ 12] 。同時に博多井筒屋社も解散した。2005年(平成17年)1月26日には社長名の文書で「新駅ビルへの核百貨店としての出店について前向きに検討したい」などと営業継続を求めた[ 13] 。しかし、2006年(平成18年)4月3日に、JR九州が、新博多駅ビルには阪急百貨店 が博多阪急 として進出にすることで正式に合意したことを発表した[ 14] 。これにより、補償金45億円で退去することとなった[ 15] [ 注釈 1] 。
博多井筒屋閉店の際、井筒屋から発表・公開された文章の中で「新JR博多駅ビルでの営業は」と書かれており、当時から博多駅ビル以外での場所で再出店を示唆。その後2007年(平成19年)11月2日 に博多リバレイン イニミニマニモ 地下2階部分に井筒屋本体による直営店舗「SALON DE IZUTSUYA U(サロン・ド・井筒屋・ユー) 」として開店した。「大人の価値観にフィットする上質なセレクトショップ 」をコンセプトとしていた。しかし、売り上げが伸び悩み、会社全体の経営も厳しい状況となったことから、「本拠(北九州)に経営資源を集中する」として、2009年 (平成21年)3月30日 に同年6月 をもって閉店し、福岡市から事実上撤退すると発表した。閉店後は、特産品と九州産焼酎 を扱う2店舗が引き続き営業している。
経営再建の道のり
2009年 (平成21年)2月 期連結決算で経常損益 が9期ぶりの赤字に転落し[ 16] 、経営再建 を図るため、以下の方策が採られることとなった。
北九州市内の直営2店の閉店時間を繰り上げて19時とするとともに、元日 以外の定休日を年8日程度に限って復活させる[ PR 2] [ PR 3] 。
久留米井筒屋閉店後の2009年 (平成21年)3月1日 付で会長以下全役員を降格とし、中村眞人が社長に復帰するとともに営業本部長を兼ねる。同時に、役員数を削減する[ PR 4] 。
外部に委託していた一部の業務を自前に戻し、経費を削減する。
またこれに加え、筑豊 唯一の百貨店であった、子会社運営の飯塚井筒屋(飯塚市 )についても、売り上げの回復が見込めないとして2009年 (平成21年)8月31日 をもって閉店した[ 17] [ PR 5] が、地元からの再開要望を受け、翌月半ばから井筒屋本体直営の小型店舗および外商窓口「飯塚・井筒屋サロン」の営業を開始した[ 18] [ 注釈 2] 。
それでもなお業績が回復せず、2010年 (平成22年)2月 期の決算でも大幅赤字になる見通しとなったことから、同年1月9日 、福岡 ・山口 ・みずほ といった主力取引銀行に対して金融支援を要請して合意を受けた
[ PR 6] 。
この責任をとるため、中村は後日、社長職を退任した[ PR 7] (なお、中村は本業に専念するため、それ以前から旧ニューウェーブ北九州後援会会長など、兼務していた公職を段階的であったが退いていた)。
これらの経費削減が功を奏し2010年 (平成22年)8月 中間連結決算において減収ではあったが、3期ぶりに黒字に転換した[ 19] 。
2018年4月10日、2009年9月以来、旧飯塚店の後継として営業していた飯塚・井筒屋サロンについて、商圏内の消費環境が不透明な状況にある中、将来の業績好転の見通しは厳しく、さらに、店舗建物の維持・管理コストの増加も見込まれることから、同年10月末での閉店を決定した[ 20] 。
同年7月31日、経営不振により賃料負担が重く、立て直しが厳しいとして、宇部店(山口県 宇部市 )を同年12月末、コレットを2019年2月末、黒崎店を2019年5月末でそれぞれ営業終了し、関連の特別損失34億円を2018年8月中間期に計上することを発表した[ 21] 。黒崎店に関しては、建物の大家となっている北九州市出資の第三セクター ・メイト黒崎 との賃料減額交渉などで黒字となる見通しが付いたため、同年7月31日まではそのままで営業、8月1日からは(7階のブックセンタークエストを除いて)1階から3階に規模を縮小して営業を継続する旨を2019年2月25日に発表した[ 22] 。ところが、井筒屋の縮小営業継続後に今度はメイト黒崎側が井筒屋からの賃料収入激減を主因として業績が悪化、最終的には2020年1月24日に破産 を申請した[ 23] 。このため同年4月2日の取締役会で、黒崎店を同年8月17日に閉店することを決定し[ 24] 、閉店した(だが同年の9月1日にイオンタウン黒崎1階にマイナーチェンジしたサテライト店舗として再開)。
2021年4月20日には、資本金を105億3200万円→1億円に減資し、資本剰余金も119億400万円→9億2400万円に減らして利益剰余金に振り替え、累積損失を一掃することを発表した。税制上は中小企業 となり、税負担も軽減される[ 25] 。
沿革
店舗
小倉本店
通称:小倉井筒屋。北九州市小倉北区船場町1番1号。
以前は本館の西側に紫川別館が存在したが、駐車場棟跡地に建設した新館開業を期に取り壊された。跡地には井筒屋が飲食店などを集めた施設「紫江'S(しこうず)」を開業させており、井筒屋本館とは地下通路で繋がっている(北九州市ルネッサンス構想 も参照)。
現在は本館横に新館が建てられ、連絡通路で繋がっている。
1980年代には東側出入口の上に電光掲示板が設置されていたが、現在は撤去されている。また同時期より電光掲示板下にはピーターパン をモチーフにしたからくり時計 が設置されているが、現在は定時になっても稼働していない。 [要出典 ]
山口店
株式会社山口井筒屋による運営。山口市中市町3番3号。
サテライトショップ(ギフトショップ、小型売店)
北九州空港店
過去に存在した店舗
八幡支店→黒崎店
通称:黒崎井筒屋。八幡西区黒崎1丁目1番1号、クロサキメイト 西ブロック(旧黒崎そごう 跡)。
2019年5月31日をもって営業終了予定だったが、7月31日まで現状規模で、翌8月1日より1階から3階に営業フロアを縮小した上で営業継続[ 29] [ 22] 。メイト黒崎の破産に伴い、2020年 8月17日に閉店した[ 24] 。
百貨店業態としての店舗は幕を閉じたが、14日の空白期間を経て9月1日、イオンタウン黒崎に(百貨店業態ではない)サテライトではあるが後継店舗が開店した[ PR 10] 。
井筒屋アネックス-1
井筒屋アネックス-1(2009年3月)
黒崎店が2001年 に旧黒崎そごう跡へ移転後、旧黒崎店をリニューアルして2002年 に開業した。裏手にあったブックセンタークエスト 黒崎店(旧井筒屋ブックセンター)を移転開業させ、無印良品 、家具店i-Maison等の専門店商業施設として営業を続けたが、ビルの老朽化に伴う維持管理や黒崎店への一極集中を理由に、2015年 、55年間の同ビルでの営業に幕を下ろした。
本城店
北九州市八幡西区 光貞台1丁目にあった、屋上に駐車場を備える郊外型の2階建ての店舗。近くに産業医科大学 が開設された3年後の1981年 に、同大学北側の大学関係者も多く住む住宅街に開店したが [要出典 ] 、幹線道路に面していないことや、鉄道駅に直結していないことなどから経営状況は改善せず、1984年 に閉店。跡地はしばらく空き店舗の後、太陽家具 北九州西店が開業していたが2018年 に閉店している[ 30] [リンク切れ ] 。
閉店後は長らく、旧店舗から東方向に3kmほど離れた場所にある「Mr.Max本城ショッピングセンター 」にて「本城・井筒屋サロン」を運営していたが、現在はイオン若松店 に移転し、「二島ショップ」として出店している。 [要出典 ]
中津店
大分県 中津市 のJR九州中津駅 北側に1978年 (昭和53年)10月、売場面積2257平方メートルの店舗を開店した[ 31] 。当初は大分交通 と提携する形で駅南側の同社所有地に売場面積8千平方メートル程度の中型百貨店を建設し、バスターミナルを併設する計画をもっていたが、地元商業者の百貨店計画への反対により実現しなかった[ 32] 。2000年 (平成12年)8月24日 、売上不振を理由に閉店を発表し、同年12月末をもって店舗を閉鎖・撤退した[ 33] 。中津店の閉店後は、ゆめタウン中津に「中津ショップ」を出店している。
若松井筒屋
北九州市若松区 本町3丁目にあった「丸柏百貨店 」(1938年 開業)を1979年 10月に買収し、「若松井筒屋」として子会社化し営業していたが、1995年 に閉店。若松井筒屋は北九州市役所の売店運営も担当していたため、閉店後の売店運営は井筒屋本体が引き継いだ。
閉店後の建物は数年間放置されていたが、解体後は空地となっていた期間を経て、2007年 にホテルルートイン 北九州若松駅東が建っている[ 34] 。
若松井筒屋閉店から12年後の2007年3月10日 に、「サンリブ 若松店」に「井筒屋若松ショップ」を出店。売場面積は320平方メートルで、洋菓子・和菓子やギフト、婦人服等を販売する。 [要出典 ]
博多井筒屋
博多ステーションビル に入居していた。1966年 に開店。2007年3月31日 午後7時をもって博多駅再開発のため閉店した(上述)。
SALON DE IZUTSUYA U
博多店の事実上の後継店舗として、博多リバレイン イニミニマニモ 地下2階に開店したが、2009年6月に撤退した(上述)。
久留米井筒屋
子会社の「久留米井筒屋 」による運営。業績不振により2009年 2月 をもって閉店したが、同社の運営する大牟田、筑後のサテライトショップの営業は継続していた。後に大牟田ショップは本社直営に移管され、筑後ショップは閉店した。法人は現存しており、不動産管理業を担う。 [要出典 ]
久留米井筒屋大牟田店
久留米井筒屋が大牟田市 の西鉄天神大牟田線 新栄町駅 前に1970年 に開業し、2000年 12月 に閉店した。現在はゆめタウン大牟田 で「大牟田ショップ」を営業している[ 35] 。
飯塚井筒屋
株式会社丸神百貨店(1936年創業・飯塚市東町)を買収、当時小倉でのみ営業していた井筒屋の初の支店として1949年 に開業し、後に分社され「飯塚井筒屋」として営業を行った。2007年 頃から百貨店営業を終了する2009年 まで、小倉本店で販売している「いづつや饅頭 」の社章焼印を、地元出身で内閣総理大臣 を務めた麻生太郎 の似顔絵に変えた「たろちゃん饅頭」を販売していた。
飯塚井筒屋としての百貨店営業は2009年に終了したが、その後は4階建てビルの1階・2階だけに店舗を縮小し、「飯塚・井筒屋サロン」として営業を続けた。しかし2018年 10月でビルの老朽化によるコスト増大等を理由に閉店した[ 37] 。後継として、「飯塚ショップ」をイオン穂波ショッピングセンター内に開店している。 [要出典 ]
浮羽井筒屋
1987年 10月 に、ショッピングセンター「うきはプラザ」の核店舗として開店し、1997年 9月 に閉店した。
過去に存在したサテライトショップ(ギフトショップ、小型売店)
小倉記念病院売店
小倉記念病院 の移転に伴い閉店。[要出典 ]
福岡空港店
かつて福岡空港 国内線ターミナルに出店していた。正式店舗名は不詳。 [要出典 ]
小郡ショップ
かつて小郡市 の西鉄小郡駅 前に出店していた。現在は空家となっており、民主党の選挙事務所として使われたこともある。外装にIZUTSUYAマークの跡が確認できる。 [要出典 ]
筑後ショップ
筑後市。久留米井筒屋閉店後も運営されていたが、久留米井筒屋の営業休止に伴い閉店。 [要出典 ]
出店を計画していた店舗
大分店
中津店に続き新産業都市 として発展が期待された大分市 への出店を目指し、同市内への出店用地を決定、用地買収費用の10億円を含む事業費50億円を投じ[ 38] 、売場面積2万6324平方メートルの百貨店として1973年(昭和48年)10月1日に営業開始する計画を百貨店審議会に申請していた[ 39] が、大分市の購買力が当初想定していたほど伸びなかったことから出店を取りやめた[ 40] 。
井筒屋の出店断念後、大分店の出店予定地は大分市が総合コミュニティセンターの建設用地として取得し、1986年 (昭和61年)6月に図書館や文化ホールなどからなる複合施設「コンパルホール 」として開館した[ 41] 。
西鉄福岡駅再開発への出店計画
かつての親会社であった西日本鉄道 による西鉄福岡駅 の再開発構想に対し、三越 、そごう 、岩田屋 などの百貨店と並び出店意向を表明していた[ 42] 。西鉄は三越 ・井筒屋グループとしての出店計画を選定し、当初運営会社に井筒屋も出資していたが、最終的には三越による「福岡三越 」として1997年(平成9年)に開店した[ 43] 。
主な関連会社
山口井筒屋本店(2008年10月)
山口井筒屋宇部店(2009年1月)
株式会社山口井筒屋
1969年 (昭和44年)にちまきやとの合弁で「井筒屋ちまきや」として開業。1972年 (昭和47年)に井筒屋の100%出資となり、2008年 (平成20年)に現社名に変更。
株式会社井筒屋友の会
株式会社レストラン井筒屋
井筒屋各店のレストラン、飲食店の運営の他、小倉北区役所や九州厚生年金病院のレストランの運営も行っている。
株式会社井筒屋商事
過去の関連会社
コレット(2009年6月)
株式会社コレット井筒屋
旧店名・社名「小倉伊勢丹」。実質的には、運営は小倉本店と一体化されていたが、法人は別であった。2020年2月に清算結了。
博多井筒屋
過去にJR博多駅 ビル内にあった。駅ビル建替えに伴い、2007年 (平成19年)3月 末に閉店、法人も解散した。4月 以降は、しばらくの間井筒屋本社が博多駅の専門店街に相談窓口を設けていた。
井筒屋ウィズカード
山口フィナンシャルグループ に属するカード会社。伊勢丹との提携の際、伊勢丹のMDシステム・顧客情報分析システムを有効活用するために譲渡し、伊勢丹アイカード 子会社となった。後に伊勢丹経営統合で発足した三越伊勢丹ホールディングス の事業見直し過程で、山口フィナンシャルグループに売却され現在に至る。[要出典 ]
ブックセンタークエスト
分社後、株式の90%を積文館書店 に売却。そのため、井筒屋の持株比率は10%に低下し、関連会社 ではなくなった。その後、積文館書店と共に日本出版販売 の連結対象関連会社となり、井筒屋の連結対象から外れているが、従来通り井筒屋ウィズカードなども利用できる。2009年(平成21年)3月1日 付で積文館書店と合併(合併後の社名は、株式会社積文館書店)。 [要出典 ]
タミー
西日本鉄道と共同出資で西鉄久留米駅 ビルでスーパーマーケットを運営。後にグランドストア西都と合併。その後、西鉄ストア に吸収された。 [要出典 ]
その他の話題
脚注
注釈
出典
広報資料・プレスリリースなど一次資料
外部リンク
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