ラリー・ロスチャイルド
Larry Rothschild
ニューヨーク・ヤンキースでのコーチ時代 (2014年9月13日) |
基本情報 |
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出身地 |
イリノイ州シカゴ |
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生年月日 |
(1954-03-12) 1954年3月12日(70歳) |
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身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 180 lb =約81.6 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投左打 |
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ポジション |
投手 |
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プロ入り |
1975年 アマチュアFA |
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初出場 |
1981年9月11日 |
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最終出場 |
1982年9月11日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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ローレンス・リー・"ラリー"・ロスチャイルド(Lawrence Lee "Larry" Rothschild、1954年3月12日 - )は、アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手、野球指導者。右投左打。
経歴
現役時代
1975年6月10日、シンシナティ・レッズと契約してプロ入り。
1978年、サンディエゴ・パドレスに移籍したが、シーズン途中にレッズに復帰。
1980年12月8日、ルール・ファイブ・ドラフトでデトロイト・タイガースへ移籍した。
1981年9月11日のクリーブランド・インディアンス戦でメジャーデビューを果たした。
1983年、パドレスに復帰。
1984年、シカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。
1985年、シカゴ・カブスへ移籍した。この年限りで引退した。
引退後
1986年、レッズの巡回コーチに就任。
1990年、レッズのブルペンコーチに就任。ルー・ピネラ監督の下、1990年のワールドシリーズで優勝。
1992年、レッズの投手コーチに異動した。
1994年、アトランタ・ブレーブスのマイナー巡回投手コーチに就任。
1995年、フロリダ・マーリンズの投手コーチに就任。
1997年、ジム・リーランド監督の下、1997年のワールドシリーズで優勝。
1998年、新球団・タンパベイ・デビルレイズの監督に就任。
2001年、開幕後4勝10敗と低迷し、4月18日に解雇され[1]、その後マーリンズのコンサルタントに就任。
2002年、シカゴ・カブスの投手コーチに就任。
2010年11月19日にニューヨーク・ヤンキースの投手コーチに3年契約で就任した[2]。ヤンキースの投手コーチは2019年まで9年間務めた。
2020年シーズンからはパドレスの投手コーチを務め[3]、2021年8月23日にジェイス・ティングラー監督の判断で解任された。後任をベン・フリッツ(英語版)ブルペンコーチが務めた[4]。シーズン終了後にはティングラー監督も解任された[5]。
詳細情報
年度別投手成績
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
投手(P)
|
試
合 |
刺
殺 |
補
殺 |
失
策 |
併
殺 |
守 備 率
|
1981
|
DET
|
5 |
1 |
3 |
0 |
0 |
1.000
|
1982
|
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
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|
MLB
|
7 |
1 |
3 |
0 |
0 |
1.000
|
年度別監督成績
年度 |
チーム |
地区 |
年齢[6] |
試合 |
勝利 |
敗戦 |
勝率 |
順位/ チーム数 |
備考 |
ポストシーズン 勝敗
|
1998 |
TB |
AL 東 |
44 |
162 |
63 |
99 |
.389 |
5 / 5 |
|
|
1999 |
45 |
162 |
69 |
93 |
.426 |
5 / 5 |
|
|
2000 |
46 |
161 |
69 |
92 |
.429 |
5 / 5 |
|
|
2001 |
47 |
14 |
4 |
10 |
.286 |
5 / 5 |
4月18日解雇 |
|
通算 |
4年 |
|
|
499 |
205 |
294 |
.411 |
|
|
- WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ。
背番号
- 42(1981年 - 1982年)
- 3(1990年 - 1992年)
- 37(1993年)
- 47(1995年 - 1997年、2002年)
- 11(1998年 - 2001年)
- 41(2003年 - 2006年)
- 40(2007年)
- 50(2008年 - 2010年)
- 58(2011年 - 2019年)
- 38(2020年 - 2021年)
脚注
関連項目
外部リンク